誕生日プレゼントがドッペルゲンガーだった話
人生が終わる瞬間にはよく走馬灯を見ると言うが、俺の場合その状況に陥っても、目の前の恐怖が全てを支配して、危機を脱するために過去を巡るなんてことはできなかった。原因を挙げるとすれば、それ程俺の過去には残るものが何もなかったということか、或いは、目の前の危機が強大すぎて脳が考えることを放棄してしまったというところだろう。
まあどちらにせよ世に出回っているあの噂話が本当だとするなら、今が人生の最後の瞬間であることに変わりはなかった。
街中で出会う恐怖といったら、ヤクザとか、殺人鬼とか、暴走2tトラックとかそんなところだと思うが、今となってはそんなものが可愛く思える。
俺が今出会ったのは、俺……即ち俗に言うドッペルゲンガーだった。
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いつもの甲高い機会音ではなく、少し角度の高くなった日の光に起こされると、目覚ましをセットすることを忘れていたことに数秒経って気がついた。時計の短針はもう三十分程前から二桁を指しているようだった。
大学までの移動に要する時間を考えると、午前中はパスすることが確定してしまっていた。
寝起きの冴えない頭をどうにかするために顔を洗い、そのまま身支度を終わらせた。空腹感が否めなかったが食事は時間帯を考えた結果、昼食まで我慢することにした。
外に出ると、俺を起こした存在は少し周りの白に覆われていたが、それでも自分を主張するように、薄い輝きとそれなりの暑さを地上にばら撒いていた。十月にしては少し頑張りすぎな気はするが、とりあえず雲があったことには感謝をしておこう。
いつもは席どころか立っているスペースさえあるのか曖昧な電車も、今日は閉店間近のスーパーのように空いていた。
適当な席に座ってスマホの画面を見ると、遅刻した俺を責めるかのようにでかでかと表示された時刻の下には欠席の心配の通知は無く、かわりに祝いの言葉が友人から来ていて、今日が誕生日だということに初めて気がついた。
前々から自由な睡眠時間というのは欲しいと思っていたけど、まさか誕生日プレゼントとして遅刻とセットで貰えるとは思っていなかったし、そんなことなら運命の出会い的なものの方がよっぽど欲しい。本当に最悪な誕生日プレゼントだよ。
それが起きたのは、適当に昼食を済ませてから大学へと向かうときのことだった。
大学へと近づくにつれて多くなっていく通行人を縫うように歩いていると、ふと違和感を感じた。別に自分の身体に何か起きたわけでもないし、周りで騒動が起きたわけでもない。ただ確かにその違和感は俺の頭を過った。
今思えば、そこで気のせいだと思ってしまえばよかったのかもしれないし、好奇心なんかに身を任せずいつも通り大学への道を歩いていればこんなことにはならなかったのかもしれない。
だが俺は、違和感の正体を探ってしまった。通行人の中に一瞬感じた違和感の正体を。
俺はその方向へと歩み寄る。一歩がとても重たく感じたのは、緊張を感じていたせいか、或いは人間の防衛本能とやらが退くことを提案していたのかもしれない。だが俺は、そんなことは気にも留めず着々と歩を進めた。それに近づく度に緊張は増し、心拍数は上がる一方だった。
違和感を感じてから数秒後、俺はその正体を突き止めた。それは、一目見ればわかる程に見慣れたものだった。髪型も、目つきも、仕草も、歩き方も、全てが毎日鏡の前で目にするものと同じだった。
噂には聞いていた。自分と瓜二つの存在がこの世には存在しているということを。誰でも聞いたことがあるだろう。いわゆるドッペルゲンガーだ。
そしてこの噂には続きがあった。もし、ドッペルゲンガーと出会ってしまったら、その人は消えてしまうということ。
そんな都市伝説めいたものは今まで全く信じていなかったが、実際にその状況に陥ってみると、流石に恐怖を覚えた。
俺は目を閉じた。周りがやけに静かに感じた。もしかしたら俺はこれから消えるのかもしれない。消えるということがどういうことなのかはよくわからない。だが、恐らくそれは死ぬということと似通ったものか、或いはそれ以上に酷なことだろう。どちらにせよ、人生が終わってしまうということに変わりはない。夢なら覚めてほしいし、なんなら目を開けたときには消えていなくなっていてほしい。
そんなくだらないことを考えてゆっくりと目を開けると、俺の願いが叶ったのか、目の前にいたはずの自分はいつの間にか居なくなっていた。
いや、もしかしたら最初からそんなものはいなかったのかもしれない。今まで寝坊なんてしたことがなかった俺が現実逃避がしたくて、作り上げた幻だったのかもしれない。
俺は安堵した。時刻はもうすぐ1時になろうとしていた。午後からの講義を受けるために、大学へと足を運ぶことにした。
歩き出したところで、ふと何かを踏んだことに気がついた。見ると、そこに落ちていたのは、俺がつけているネックレスと同じものだった。そう、俺がつけているものと。
安堵は一転、絶望へと変わった。そこにあるはずのないそれがある理由。決して幻なんかではなかった。
どうやら俺が偽物だったらしい。