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第5話 悪意と覚悟(後編)

それは唐突だった、工場内が煙に包まれる、新島は咄嗟に風の能力で煙を吹き飛ばす。しかしだ、屋根の天窓が割れると風切り音とともに工場内にいる人員が次々と倒れ出す。神津は反射的に土の能力で地面からトーチカ状の岩のシェルターを作り三人を覆うもののその瞬間工場内に何かの影が飛び込む、式根は手持ちの銃で狙い撃とうとするがその影は緩急をつけながらジグザグに動いて射撃偏差をずらし、手に持った長物で次々と男達を襲っていく。

「ちっ、援護に回れ!対峙しようとするな!」

次の瞬間岩に轟音とともにヒビが入りシェルター内が急激に熱くなる、危険を察した新島は熱を排気しながら二人とともに脱出した。一瞬でも判断を間違えていたら三人ともオーブンに入れられたかのようにこんがりと焼けてしまっていただろう。そしてシェルターが砕け散ると岩の中から華奢な紅の髪をした少女が突進してきた、暁ほむらだ。

神津は新たな土の壁を作ろうと試みるもほむらの速度には間に合わない、新島も風の壁でほむらとの距離を取ろうとする。あの槍の破壊力、一瞬で空間を高温にしてしまう能力、近付かれたら終わりだ。三人は一瞬でそう確信した。

悔しいけど一ヶ月でここまで成長できるなんてね、ほむらは龍との毎日の鍛練に感謝せざる終えなかった。先生から教わったのはあくまでも護身術、逃げるための戦い方でこういう場所での戦いは想定していない、故にほむらはあのビルの戦いでも苦戦した。だが龍から教わったのは攻めるための戦い方だ。

「お前は能力に頼り過ぎなんだよ、だから能力が崩されるとすぐにボロが出る。増してや白炎は成長期のお前じゃ体力を消耗し過ぎる、もっと合理的に動け」

龍が言ったこと、実践して分かる。龍の援護もあったが確かにその通りで今のところ白炎は一回も使ってない、せいぜい岩のヒビから熱を送り込んだぐらいだ。それ射線ずらしの移動法もそうだ、回避練習の成果が確実に出ている。こいつらの動きなど龍のあの猛攻と比べたら止まっているかのように遅く感じる、今までは白炎で防御していたのが不要になり体力の温存ができている。

新島が風の壁を作ったが勢いをつけたほむらにとっては無駄だった、目の前の視界が空気の層で揺らぐて同時に突きの構えを取る。

「回転龍穿!」

槍の刃先をまるでドリルのように回転させながらほむらは風の壁に突きを放つ、ほむらには龍のような突進できるほどの瞬発力はない、しかし龍にはない炎の能力はある、そして炎の能力は何も燃やして攻撃するだけの能力ではない。ほむらは足の裏の空気を高速で熱して膨張、炸裂させて推進力を得る。更に槍先を熱することでその切れ味を向上、より高い貫通性能を会得した。先ほどの岩のシェルターもこの技で破壊しているが想定以上の貫通力抜群の技だ、風の壁など全く話にならない。もっともこれは"予習"をできているおかげでもあるが。

ほむらが自身の成長を噛み締める一方で三人は恐怖していた、想定外過ぎる。援護のために用意した人員も既に半数以上が倒されている、しかも彼女を援護している奴はやはりというべきか脅威的である、奴も風の能力者だろうか?

式根は水の能力を発動、ほむらに強力な水流を浴びせるとともにその反動を利用して三人はほむらと距離を取る、ほむらも負けずと炎の鎧を纏い水流を無効化する。水流が水蒸気爆発を起こして飛散、四人は各々自らの能力で防御するものの非能力者である他の人々は爆発に巻き込まれた。激しい能力者同士の魔術の応酬に周囲の人々らは援護することも出来ずただただ己を守ることで精一杯だった。

「ちぃっ、援護出来ないならここから出ていけっ!!邪魔だっ!!」

神津は叫び威嚇射撃をする、彼らをこの戦いに参加させても無駄な犠牲が出るだけだ、何より仮に自分たちがやられても彼女を消耗させれば奴らだけでも対処できる。そのための必要な戦力だった。その意図を察した彼らは倒れた仲間を連れて工場内から待避を始める、それをほむらは見逃した。ほむらとしても無駄な犠牲は本望ではない、それに急所に攻撃を叩き込んだとは言え彼らも死んでいないはずだ。天窓から叩き混まれた龍の技を受けた連中はどうなったか分からないが。

水蒸気の煙が消えお互いに間合いを取り硬直する、ほむらは両手に槍を構えて刃先を燃やし、新島神津式根はそれぞれ自動式拳銃を構えた。

「わざわざ見逃してくれるのかい?」

「あっち追いかけてもそれでバンッでしょ?それにあたしは命を奪う趣味はないの。げんさん達はどこ?」

「さあな、言っておくがホントに知らないぜ、俺達はあくまでも邪魔者を潰すためだけにここにいるからな」

式根はそう言うと牽制に発砲、同時に高圧水流を発射する。流石にウォーターカッターほどの水圧はないがそれでもほむらを殴打するほどの威力はある、ほむらは弾丸を避けるがそこを水流が襲う、仕方なく白炎で防御するが水蒸気の煙でほむらの視界を奪う。視界を奪われたままではまずい、ほむらは槍先を爆発させてその爆風で煙を自らの体もろとも吹き飛ばす。

「ングッ!」

流石に無茶だったか体が痛む、しかしほむらが吹き飛ばされた直後にその場所を複数の弾丸が通過するのを見ると判断は間違っていなかったことを痛感する。仕方がない、今の自分にはこれが精一杯だ、きっとあいつならもっと上手くできるのだろうが。

牽制にほむらは火炎弾を発射するも岩の壁に阻まれる、三人の得物は銃、遠距離だとこちらが不利であることは明白だ、どうにかして近付いて槍の範囲に奴らを入れなければ。一瞬ほむらは工場内を観察する、放置された旋盤やフライス盤といった工作機械、錆びだらけになった二〇トンの看板のついた天井クレーンに鉄筋コンクリートの柱。何か使える方法はないか・・・と考えたところで閃いた。

ほむらは再び火炎弾を複数発射、牽制をする。当然防がれて反撃とばかりに三人は発砲するもののほむらはその一瞬の隙に工作機械の裏手を回りながらコンクリートの柱を目指した。いくら鉛よりも重いタングステンの弾丸と言えども拳銃ではコンクリートの柱は貫通できないはずだ。そうなると三人はほむらに近付かざる負えなくなる、もっともそれはほむらの逃げ場所を無くす行為でもある。しかしそれでも構わない、この逃走は攻めのための逃走なのだから。

ほむらが目指したのは柱、ではなくそこに備え付けられている天井クレーンのメンテナンス用の梯子だ。梯子は錆び付いておりかなり脆くなっているがほむらは迷わず登っていく、未成熟な体が幸いしたのか梯子は軋みはするもののほむらの体重を支えてくれる。何よりこういうボロボロの梯子の昇り降りは散々やってきており慣れている。三人は柱の裏でほむらが梯子を昇っていることに気が付くものの死角となっており銃で狙うことはできなかった、能力も三人の技能ではあの場所のほむらを狙えない。三人の魔術の技能は高い方ではあるが能力の使用できる射程は決まっている、しかも見える範囲の直進でしか能力を発動できない、故にその射程を補うために拳銃を持っているのだ。そもそも平然と炎弾で遠距離戦闘をこなすほむらの方が異常でなのだ。

クレーンのレールまでたどり着いたほむらは上空から炎弾を雨のように浴びせる、もちろん相手は銃で応戦するものの攻撃範囲はほむらの方が広い、いくら能力でガードしていても周りを炎で囲まれたらどうしようもないだろう。

「ちっ、このままじゃラチが開かない。それにあいつ俺達の周りに炎を射ってきやがる、このままじゃ熱で参っちまうぞ」

岩の傘の下に二人を入れると神津は手で自らを仰ぎながら言う。ほむらが射っている炎弾は白くはない、しかしそれでも高温なのは変わりないのだ。式根は炎を消そうと水流を放つもののそれは炎の勢いを一瞬弱めただけに留まり代わりに高温の蒸気が三人を襲う。

「式根やめろ!蒸し焼きになるぞ!水の能力は使うな!」

よくロールプレイングゲーム等では魔術の属性に優劣があったりするがここでは全く当てはまらない、水は炎に掻き消されるし岩は溶かされ風は炎に飲み込まれる、能力の格が違い過ぎるのだ。

どうにかして彼女に近付かなければならない、能力の射程に、しかし彼女の間合いに入ってら負けだ。銃弾も限りがある上にただでさえタングステン弾は貴重だ、おいそれと使う訳にはいけない。

「弾はもう撃つな、仕止める時のために取っておけ」

新島は二人にそう言うと銃を懐にしまう、残りマガジンは二つ、彼女を仕止められるだろうか?

「やっぱり近付くしかないか」

神津は呟く、彼の地の能力はあくまでも地面から岩等の物質を作り出す能力、最上位のレベルになると物質の種類を選定したり複雑なものも作り出したりすることもできるのだが彼には岩を飛ばすことすらできない。それに彼女か今いるのはクレーンのレールの上、仮にそこに行ったとしても鉄の塊の上では能力は使えない。

そうなると残るは新島の風の能力であるが彼もまたそこまで強力な能力は使えなかった、能力の力量だけで言うなら同じ風の能力を持つ殲滅班の三宅に劣る、かまいたちや突風、風の壁こそ作れるもののその範囲と強度は低い、それでも三人の中では一番の有効打の持ち主ではあるが。

「どうにか能力の範囲に入れなければ」

範囲はおよそ十メートル、彼女の真下付近にいけば攻撃可能だ、しかしそのためには奴の炎を掻い潜らなければならない。

「二人とも、岩の傘に隠れながら近付くぞ」

神津の言葉に二人は頷き岩の傘をノロノロと動かしながらほむらの近付くに移動を開始する、当然ほむらも距離を放すために移動するもののそれを牽制するために傘に覗き窓を作って銃弾を数発撃ちながらほむらの移動を封じ込める。その姿はまるで初期型の戦車のようであり少しずつではあるもののほむらに近付いている。少女の放つ炎弾も最初と比べたら大分数も勢いも衰えてきた、さすがに三対一、消耗戦ならこちらが有利である。もう少し、もう少しだ。

そう思った矢先である、暁ほむらが頭上の天井クレーンに走って近付く、クレーンの図太い鉄の梁は死角が多くこちらの攻撃をかわすには充分過ぎるものだ。

「ちっ、逃がすか!!」

新島はかまいたちでほむらを狙う、射程はギリギリというところではあるがいくら射程が届いていたとしてもあんな鉄の塊の前では新島のかまいたちなんてそよ風にしかならない、どうにか奴が死角に入る前に仕留めなければ。

しかしほむらの行動は違った、かまいたちを避けながら天井クレーンに槍の刃を白熱させながら近付く、鉄の融点は約一五〇〇度、ほむらの白炎なら容易に溶融させることができる。条件は整った、奴らをこのクレーンの下に誘導させることができた、さあ反撃の時間だ。

三人がほむらの意図に気付いた時には既に時遅し、ほむらはクレーンに槍を叩き付けていた。

「二段龍斬!!」

次の瞬間三人の瞳に映っていたのは音を立てながら頭上から落下してくる二十トンの文字であった。

ドグォォォオ、轟音と粉塵を上げて落下するクレーン、その振動と爆音にほむらは思わず体を支えながら耳を塞ぐ、その勢いは凄まじく工場の窓ガラスをその振動だけで割り吹き飛ばす。真っ白になりゼロになる視界、この状態では銃も炎弾も使えない、粉塵爆発の可能性もあるからだ。白熱した槍も誘爆の可能性がある、そのことを理解していたほむらは槍を既に消していた。ほむらは身を伏せながらそれが晴れるのを待った。

「ちょっとやり過ぎちゃったかな?あいつら死んでないよね?」

ほむらはクレーンのレールから飛び降りると瓦礫の山を観察する、彼らの姿はない、瓦礫に埋もれてしまっているのだろうか?まあ三人とも能力者だ、動けないまでもきっと生き残っているだろう。そう期待してほむらは周囲を観察する、どこか人を隠せそうなところはないか?見ると色々と隠せそうな場所はある、しらみ潰しに探す必要がありそうだ。ほむらは瓦礫に背を向けると探索を開始し始めた。


工場の裏側に止まっているワゴン車に一人の男が近寄る、監視している周囲の人間とは雰囲気が少し違う感じの男だ。それは燐としていながら明らかに周囲を警戒している様子だ、しかし周囲の人間は彼を警戒はするものの手出しはしない。彼が少女らを運ぶ所謂運び屋だ、これから彼の手で彼女らを買った者のところに連れて行かれる。運び屋の彼にとって最大の懸念は追跡されることだ、彼らに、ではない、もっと別の連中に・・・例えば警察等にだ。運び屋はワゴン車の後ろ扉を開けて片手に持った端末と少女らを比較して確認する、商品に間違いない。

運び屋は腕を上げ受領のサインをすると車に乗り込む、その様子を工場の屋根の上から確認している存在があった、龍である。

本来ならこのまま奴を追跡する予定であったが変わってしまった、一応車に発信器を取り付け衛星による監視は行っているが運び屋がプロなのも分かっている、一つの車で移動することはないだろう。本当に面倒なことになった。車内にいる少女らに発信器を取り付けられれば本当はよいのだが。とは言えもちろん作戦は考えてある、相当無茶なものであるが。

「始めるぞ」

車が発車すると同時に合図した龍はほむらが催涙弾を放り込むのを天窓から確認すると大剣を構える。

「乱龍斬弾!」

まるでフルオートライフルで撃たれたかのような地面の炸裂音、乱射型の龍斬弾だ。威力は低いが代わりに連射性を向上させた龍斬弾の派生技だ。

本来なら奴らを始末した方が効率的なのだがそれはほむらから止められた。だがまあいい、怪我を負わせて戦闘不能にすれば介抱する人間も必要になり敵戦力を消耗させることができる。一応工場の中央にいる幹部らしき三人も通常の龍斬弾で狙ってみるが岩の能力によって防がれてしまった、あの厚さは"通常の"龍斬弾では突破できない。とは言え俺の役目はあくまでも援護でここから先はほむらの仕事、俺も自分史の仕事がある。

「俺の支援はここまでだ、あとは頑張れよ」

「ん、ありがと」

催涙弾の煙が晴れると同時に龍は屋根から飛び降りる、まずは外にいる組織の人間を始末しなければほむらや自らの行動の邪魔をされてしまう。ほむらの様子は耳元に付けている小さな通信機でいつでも確認できる。

龍は飛び降りた先にいる男性をその落下の勢いを使ってそのまま真っ二つにする、さらに着地の勢いを利用して横に跳び二人目、三人目と切り裂いた。三人とも自分が切られたことにも気づかなかっただろう、それほどの早業だ。周囲の人間は工場内から聞こえる悲鳴と轟音に気を取られて龍の出現にはまだ気付いた様子はない、今がチャンスだ。龍は再び跳躍すると物陰に隠れながら工場の方を警戒している男たちを次々と斬り捨てていく、彼らが異常に気付く時には既に戦力は半分以下になっていた。

「てっ、敵だっ!?」

彼らは一斉に銃を構える、しかしその銃口は龍の姿を捉えることができない、素早い動作に巧みな移動術により認識の外から襲っているのだ。空中から攻撃してきたと思いきや次の瞬間には真後ろからの攻撃、近くを警戒すれば遠距離からの龍斬弾による攻撃、銃を放てばその音に紛れて攻撃、もはや全滅は時間の問題であった。

「畜生、チクショォォォ!!」

最後になった男が壁を背にし叫びながら無闇に銃を乱射するものの龍は冷静に弾丸を見切り一瞬で近寄り一閃する。

「・・・・・三分か、まだ間に合うか?」

龍はポケットから時計を取り出すと車が行ってからの経過時間を確認する、工場内からは未だに戦闘音が聞こえるが通信機を通して状況を判断する限りほむらが優勢らしい。龍は端末を取り出し発信器の位置を確認しながら走り出した、スラムの外がいくら人通りの多く車の通行が妨げられやすいとは言え今はまだ夜明け前、人も車も少なく走行はしやすいはずだ。龍の身体能力がいくら凄まじいとは言え遠く離れた車に追い付くのは難しい、幸いなのはまだあまり離れていないことと車が道なりにしか進めないのに対して龍は直線で動けることだ。

「久留間っ!」

「既に追っていますがこの車じゃ目立ちます、援護は無理です」

龍はチィッと呟きながら通信機を見る、本来ならこのまま運び屋を泳がせたいところではあるがそれも厳しいか。それにしてもこの方向は・・・・・

「俺は先回りをしてみる、作戦変更だ!」

「先回り・・・・・ですか?一体どこへ」

「こいつ海の方向に向かってやがる、船で逃げるつもりだ。途中車を乗り換えるだろうからドローンでも飛ばして観測しろ、絶対に逃すなよ」

龍の脳裏にある考えが浮かぶ、もしそうなら奴を泳がせても意味がない。それなら船に乗り込むタイミングで捕縛、最悪始末しなければ。

その瞬間である、通信機から鼓膜が破れるかと思えるほどの轟音が聞こえた。久留間ではない、ほむらの方だ。

「おい、何があった?」

しばらくの沈黙の後少女は答えた。

「ちょっとやり過ぎちゃったかな?あいつら死んでないよね?」


工場と壁一つで遮られた通路、もうすぐ夜が明ける時間ではあるがまだ外は暗い。とは言え薄い鉄扉に付いているスリガラスと扉の隙間のみが外界の光を取り入れる唯一の採光手段となっているためこの空間は例え昼間であろうがここは今と同じよう闇に包まれているだろう。

「臭っ!?何よこの臭い!?」

扉の前に立ったほむらは思わず鼻を摘まむ。通路には会議室や事務所、休憩のための個室がありここもその内の一つである。扉の隙間から漂っていた腐敗臭は扉を開くとより強烈にほむらを襲ってきた、思わず気絶しそうなほどの悪臭、飛び交うハエの音、ほむらは思わず吐き気を催す。

ひどい、何がこんなに臭っているのか、早く調べてここから出て行きたい。そんな思いで周囲を手早く見渡す。部屋は狭く薄汚れておりその隅で何かの塊に蛆が沸いている、あれがこの汚臭の原因か、ほむらは燃やしてしまおうかとその塊を睨む、一体何でこんなものがあるのかと。

悪臭に耐えながら見るとそれが何の死体であることはすぐに分かった。雁字搦めに縛られた人間の遺体だ、それも二体、服も着ている、そしてその服にほむらは見覚えがあった。

「げん・・・さん?しゅう・・・さん?」

ほむらは唖然となった。そんな馬鹿な、あの二人が死んだはずがない、そうほむらは自らに言い聞かせる。もはや誰だか分からないほどに蛆虫に食い荒らされた顔にあの優しかった笑顔の面影はない、だが心のどこかでこの二つの遺体が二人のものであると感じていた。

「邪魔!」

ほむらは遺体に駆け寄ると自らの腕を燃やしながら蛆虫を払いのける、自分の腕まで食われる訳にいかないからだ。払いのけると現れたのは骨が露出したまるでゾンビのように変わり果てた腐食した肉体が現れる、誰だか判別は身体的特徴を見てもやはりできない、しかしその体に身につけているものでほむらは確信せざる負えなくなった。その腐食した指に付けている指輪、それはげんさんが常に肌身離さず付けているものだ。過去に亡くした妻との結婚指輪、その逸話をほむらは聞いたことがある、彼がそれを手放す訳がない。しゅうさんの方も探すと彼が肌身離さず持ち歩いているボロボロになった家族の写真が見つかった、彼の場合は事業に失敗して家族と離別することになってしまったとのことで今その家族はどこにいるかも分からないとのことだった。

「こんな、こんな最後って・・・」

ほむらは崩れ落ちる、自分と関わったばかりに三人を亡くしてしまった、自分のせいだ、自分が身勝手なことをしてしまったばかりに三人を、後悔の自責に再び駆られた。彼らに楽をさせてあげたい、そんなおこがましい思いが彼らを死なせてしまった。

「・・・・・すまなかった」

通信機越しに龍が謝罪する、実のところ龍はこの結果を予測していた。自分が彼らで目的がほむらの抹殺なら彼らを生かす必要ないからだ。

「何がすまなかったよ、げんさんは奥さんが病気でお金を借りてまでして多額の治療費を払ってでも死んじゃってお金を返せなくなって思い出の家を追い出されてここにたどり着いた、しゅうさんは社長さんだったけど景気の悪化で会社は倒産、家族にも逃げられてスラムで暮らしている、いっちゃんは幼い頃から貧しくて進学もできなくて、アルバイトで生計立ててたけど景気悪くてクビになっちゃって生活できなくなってここにいた。みんな好きでここにいた訳じゃない!なのにこんな、こんな場所で野垂れ死んじゃって、なんでよ、なんで!?何をげんさん達がやったの!?おかしいよ!」

「それはだな、お前が奴らと関わったからだよ!」

泣き崩れたほむらの背後からしゃがれた声が聞こえほむらははっとなり振り向く。しかしその瞬間薬莢の炸裂音と共に鈍い痛みがほむらを襲うのであった。


長かった夜も終わりの時が近付く、オレンジの光に照らされながらもその全てを飲み込む闇色の空も海面の水平線の彼方から現れる新たな支配者の前には無力で自らの色を漆黒から紫、そして青、水色へと変えてその支配者に侵食されていく。その様子を人は"暁"と呼んだ。

貿易港の一角、一目のつかないコンテナだらけの堤防。そこには黒いワゴン車と白いクルーザー、そしてシルク物産と書かれたトラックが停車してある。その縁に立つ龍の目の前には数人の男達が倒れている、あの運び屋の男も含めてだ。

あの後どうにか先回りに成功した龍は運び屋らが船内や車から出たタイミングで襲い彼らを気絶、束縛して無事取引を阻止することに成功した、一瞬のことである。中には襲われたことさえ自覚してない男もいただろう、その早業は彼らが少数だったということもあり情報を伝達する隙すら与えず制圧できたのは幸いだろう。この船で運ばれるはずだった少女らは未だ車の中で意識を朦朧としており自分たちが自由を取り戻したことを理解していないようであった。

「どうだ?何か目ぼしい資料あったか?」

クルーザー内部へ龍は声をかける、船内では久留間がこの船の行き先や連中の正体に繋がるものを調べていた、この船で連中は少女らを運搬しようとしていたのだ。

「そんなに急かさないで下さいませ、何分老齢なもんで」

「うちの剣術の師範代の癖に何言ってやがる」

突っ込みを入れる龍を他所に久留間は椅子の下の収納を開く、するととある男性誌が見つかった、バイクや車の情報誌だ。しかしそんなことよりもこの雑誌の文字はこの国のものではない、他国で発行されたものだ。こんなものでも奴らの正体を推測することは可能だ。しかしさすがに電子化の時代、それ以外に奴らの正体に関するものは何もなかった、残る手掛かりは彼らの持つ電子端末のみだ。

「坊っちゃま、やはり彼らは・・・」

「ああ、イグナレフの連中だ」

イグナレフ、それは共和制を敷いてる共産国家であり今このスヴェートとは対立関係にある国である。国内の中央集権化が進み末端が腐敗、犯罪組織の温床となっている国でもある、先ほど見た密輸された拳銃もこの国のものだ。

「ひとまずこいつらから話は聞くとして俺達は撤収しよう、あいつのことも気になるからな」

「やっぱり彼女のこと心配なんですね」

龍はふんっと鼻を鳴らすと男らを縄で縛り猿轡やわ噛ませて乱暴にトラックの中に放り込む。

彼女のことも気にはなるがそれ以上にここにあまり長い時間いる訳にもいかない、いくら朝方で人の気が少なくないとは言っても人が来る可能性はゼロではないからだ。この車とクルーザーは後で警察がどうにかするだろう、もちろん警察上層部への根回しも怠らないが。

龍は少女らを車に丁寧に乗せると車内のソファーに座り通信機でほむらの様子を確認する、戦闘は既に終わっており探索中のようだった。久留間はその様子に微笑むと運転席に乗り込む。久留間はどうやら勘違いしてそうだが龍にとってほむらは言ってしまえばゲームで苦労して手に入れたレアアイテムのような存在である、心配するのも当然のことだと言えよう。

車も動きだし龍達が港から出たその時常時繋がっているほむらの回線からその声が聞こえてきた。

「げん・・・さん?しゅう・・・さん?・・・・・・こんな、こんな最後って・・・」

ほむらの悲痛の声、それが通信機を通して沈黙の車内に響く。一仕事終えてようやく一息つけるようになったはずの二人だがその顔はほむらの声を聞くと途端に暗くなった。

「・・・・・すまなかった」

沈黙の果てに龍は謝る、確かにほむらを拉致したのは龍の個人的な満足のためでありそれがこの結果の遠因となったのは間違いない、この状況を予測しながらほむらを叱咤するために黙っていたのもあるだろう、しかし一方であのタイミングで龍が現れなければどうなっていただろうか。ほむらが龍にあたるのを聞きながら久留間は思う、きっとこうして彼女の行き場のない感情の矛先を自らに向けさせることで落ち着かせようとしているのだ、そしてそれは不器用ながら彼なりの優しさだと。

するとだ、通信機から男の声が聞こえ直後に銃声の音とほむらの悲痛の声を通信機が伝える。

「ちぃっ、油断しやがって」

龍はマイクの電源を切ると呟く、先ほどとはうって変わってその表情には苛つきの様子が窺える。落ち込むのは仕方ないだろう、しかしそれとこれとは話が別だ。仮にも敵地なのだ、警戒は怠ってはならない。

「仕方ありませんよ、まだ十六歳ですよ暁さんは。まだまだ子供です」

「俺と二歳しか変わらない」

「あなたは戦場慣れし過ぎです」

そう言う久留間だが内心龍もまだまだ未熟な面が目立つと感じていた、今の彼女に対する態度なんて正にそうだ。もっとも彼が幼い頃からずっと見てきた久留間からしたらこれでも成長したほうなのだが。

龍は立ち上がると床に転がる男たちや壁に寄りかかっている少女らの間を縫って扉に手をかける、久留間もその意図を理解し車を路肩に停車させる。

「行かれるんですね」

「あいつがしくじった以上俺がやるしかないだろ」

龍はそうぶっきらぼうに呟くと扉から出てほむらのいる工場の方に走り出した。


「ウグッ」

ほむらは唸りながら左肩を押さえ扉口に立つ男を睨んだ、顔に傷のある中年くらいの男だ。そいつはほむらの苦痛で歪ませた顔を見ると薄汚れた顔で歪んだニヤケ顔をする。

「ようやく見つけたぞ暁ほむら」

そのニヤケ顔にほむらは見覚えがあるような気がした、しかしどこで見た顔なのかまでは思い出せない。だがほむらにとってそれはもうどうでもいいことであった、自分と関わったせいで三人は死んだ、自分なんて生きていても仕方がない。龍達もきっと自分を見捨てただろう、当然だ、彼らの仕事を見ているだけだったはずが結局邪魔をしてしまっている。ならばいっそのこと・・・・

そう思った矢先だった、床が突如盛り上がりほむらを包む。

「!?」

いや、包んだのではない、これは束縛だ。ほむらの足、胴、腕を岩が圧迫していく、肺も圧迫されて呼吸もままならない。岩ごとき白炎で溶解させるのは可能だ、しかしほむらはそれをしようとしなかった。いっそこのまま潰れてしまったほうがいいのでは。

「お前にしてはよくやった」

顔に傷のある男の後ろから三人の男が現れる、新島、神津、式根だ。三人とも先ほどとうって変わって満身創痍である、先ほどのクレーンの落下は三人に大きなダメージを与えていたのだ、それこそほむらが工場内を探索する時間を与えるほどには。

「随分ズタボロなことで。とりあえずご無事で何よりです」

傷の男は三人にぶっきらぼうに言い放つ、そのまま死んでいれば良かったのにというのが本心だろう。三人もそれを理解しておりジロリと睨みを聞かせた、いくら満身創痍と言えども能力者三人、無能力の傷の男に太刀打ちできる相手ではない。

「こいつさっきまでの威勢のいいガキと同一人物か?まるで別人だぞ」

新島はほむらに銃口を向けて言う、ほむらの顔は四人の方は見ておらずただ下を見ているだけだ。

「そりゃそいつの探していた奴がそこで腐ってるからでしょ?餌を用意した甲斐がありましたよ」

ほむらを罠にかけたのが自分の成果だと誇張するよう傷男は言うが三人はその態度に侮蔑の眼差しを向ける。

「そこの蛆の湧いたやつか、道理で鼻が曲がりそうな臭いがする訳だ」

三人はいくら彼女を捕らえるためでもその下衆な手段は気に入らなかった、そしてそれを誇るこの男にもだ。もっとも人身売買やクスリに手を出している組織に所属している彼らが言えた立場ではないのだが。

「さてどうする?このまま始末するのは簡単だが」

式根がそう言いトリガーに指をかけるが傷の男が静止する。

「俺に殺らせてくれ、こいつにはこの傷の恨みがある!この傷のせいでどれだけバカにされたか・・・思い出しただけでもイライラくる!」

恨み、か。きっと色んな奴に恨み抱かれたんだろう、これも因果応報だ。そうほむらは思うものの三人からすれば逆恨み以外の何物でもない、大体快楽のためだけに少女を襲っている時点で恥だというのに何故それを理解しないのだろうか。とは言え抵抗しない少女を殺すのは後味が悪い。

「いいだろう、こちらとしてもこんな部屋から早く出たい。汚臭が傷口から染み込む」

新島はそう言うと部屋の外に出る、二人も同様だ。とは言え能力の解除をする訳にはいかないため部屋の近くにはいる必要があり扉横で待機した。

「さあ、すぐにそこの奴らと同じ場所に送ってやるよ!」

しかしほむらは顔を上げない、それが傷の男にとっては癪だった。もっと苦しんだ顔で、もっと歪んだ顔で、もっと絶望を抱いて死ね、そんな虚無の表情で逝っても不快だ。

「なぁ、そこの男達どうやって死んだのか知っているか?」

その言葉にほむらはえっ?と言ってようやく顔を上げる、傷の男はほむらに絶望を与えるためにさらに言葉を続けた。

「こいつら最後までお前のこと黙ってたんだぜ、どんだけ殴っても爪剥いでも、指先が腐っても全くだ!滑稽だよな、そんなにお前のことを隠してたのにこうやってノコノコとやってきて捕まるなんてよ!」

実際彼らはほむらの居場所を知っていた訳でないためほむらのことをしゃべれないのだが。

「しかも最後までお前のこと心配してやがったんだぜ、自分達が死にそうだって言うのにな。まあしゃべったところで殺す予定だったけどな! 」

ほむらは怒りが沸々と沸いてきた、先ほどまでの龍に対する逆上のような怒りではない、真の意味での怒り、非道に対する怒りだ。

「ひどい、酷すぎる・・・」

「そうだ、その顔だ!その顔が見たかった!そうでもないとこの傷のツケは払えねぇ!」

ほむらは銃口を向ける傷の男の顔をまじまじと見る、ようやく思い出した。こいつは自分を犯そうとして返り討ちにした男だ、情けをかけて傷だけで済ませたのに自分を逆恨みして、しかも無関係なげんさん達まで無惨に殺した。許せない、絶対に許せない・・・

ほむらは頭の中が澄んでいくのが感じた、目の前にいる邪悪、それを滅さなければならない。きっと今逃したらまた自分のような人間が生まれる、痛感した、自分の甘さがげんさん達を死に追いやったのだ。中途半端な考えは犠牲者を増やすだけなのだと。

「生きることを諦めるな、最期までもがき足掻け」

かつて先生が言った死に際の一言、それをほむらは胸の内に再び刻む、そうだ、この命は先生に、げんさんに、いっちゃんに、しゅうさんに救って貰った命だ、それを捨てるのは彼らへの冒涜である。ほむらは男にバレないように肩の傷口を焼き出血を止める。生きる目的を見つけた、もう迷わない!

「さぁ、死ねっ!」

男が引き金を引く瞬間ほむらは岩を一瞬で溶解させて横に飛びながら槍を出す。左腕は使えない、槍術もまともには使えないだろう。だがそれでもほむらは槍を構えた。

「ありがと、あんたのお陰で目が覚めたわ」

一瞬の形勢逆転に傷の男は震え上がる、その異常を察したのか部屋の外に待機していた三人も部屋の中に入ってくるもほむらは傷の男に槍の峰を叩き付けて彼らに男を投げ飛ばした。

「さぁ、第二ラウンドといこうかしら?あんたらのドス黒い悪意、あたしの真っ白な焔で燃やし尽くしてあげる!」

だから見ていてね、げんさん、しゅうさん、いっちゃん、ほむらは心の中でそう言葉を続ける。

このまま直進しても銃弾の的になるのは分かりきっている、ならばとほむらは炎弾を扉口に叩きこむ。まず最初にやるべきは通路の確保だ。その白炎の弾丸に四人は堪らず戸口の両側避ける、その時だ。白炎の弾丸は大きく炸裂し通路の壁を粉砕する、その壁の向こうはあの崩れたクレーンのある工場がある。

「させるかっ!」

新島らは白炎の爆発によって起きた煙の中へ弾丸を放つ、通路から扉の中へ斜めに向かって撃ち込まれた複数の弾丸、彼らは煙が消えるまでこれを絶やす訳にはいかなかった、もし彼女を工場内に入れた場合この包囲している有利的な状況を失うだけでなく彼女が自由に動ける空間を与えてしまう、最悪逃してしまう可能性すらある。

「おいっ、外の奴らと連絡を取れっ!工場の出入り口を固めさせろっ」

式根は傷の男に怒鳴りながら弾丸を撃つ、タングステン弾の残弾数は少ないため通常の弾丸にでの攻撃だ。相手もタングステンの弾丸には脅威を抱いているはず、見た目も擊発音も通常の弾丸とタングステン弾は違いがない以上見極めるのは困難だ。

「その、外の奴らと連絡取れません!」

「なっ!?」

その瞬間神津にはほむらとの戦闘直前の様子を思い出した、暁ほむらは何者かの援護会を受けてここに突入してきた。もしそいつが外に待機させた連中を処理する役目だとしたら・・・

煙が晴れ幹部の三人は部屋の中をそっと確認する、暁ほむらが部屋を出た形跡はない以上待ち伏せの可能性が高い。三人は戸口縁に身を隠しながら部屋の中を覗いて見るがその中には誰もいない、あるのは腐った遺体と"壁に開いた大きな穴"だけだった。

「しまったっ!?」

その壁の大穴は爆破で開けられたようで隣の部屋に通じている、先ほどの白炎の爆発はこの穴を開けるためのブラフだったのだ。

「いっけぇぇっ!」

隣の部屋の扉をぶち破り出たほむらは通路にいる四人に向かって紅の炎を叩き込む、一直線の通路、逃げ場はない。紅炎は炸裂し通路を炎に包み込み燃え上がらせた。

「調子は戻ったようだな」

通信機から龍の声が聞こえてくる、ほむらは今の今まで通信機の存在を完全に忘れていた。

「お陰さまでね」

通信機越しに龍のふっ、と笑ったのか聞こえた、その瞬間ほむらは龍がわざと今まで自分に話かけてこなかったのだと察した。・・・こいつあたしを試してたな、気に食わない奴。内心毒づくも目の前のことに集中し直す、相手はいくら疲労しているとは言え能力者三人、この程度で勝てるとは思ってはいない。それにだ、先の戦いと今の攻撃で魔力の消耗も激しい、槍術も制限されており出血は止めたものの肩は銃弾による激痛がしている、持久戦は困難であろう。

ほむらの放った白炎が消えるとドロドロに溶けた溶岩が通路を封鎖していた、その溶岩の隙間からは水蒸気の煙も伺える。三人は岩と水と風の壁を二重に重ねた耐熱壁を作りほむらの白炎を防御したのだ。とは言えこれは三人にとっても苦肉の策である、魔術の精密な操作が出来ない三人にとってはこの壁を作るだけでも相当な労力を要する上に反撃もできない。その上構造を複雑にした結果強度が犠牲となっており先の戦闘を見るからにほむらの攻撃を耐えうる強度はない。しかも逃亡しようにも各部屋の窓には鉄格子が嵌められておりそれを破壊するにも時間が足りないため逃げることも難しい。つまり四人はほむらを短時間で突破しなければ逃亡すらできないのだ。

「回転龍穿!」

ほむらはその壁を突破すべく槍を回転させながら突く防御破壊の技を繰り出す。片腕だけも放てる数少ない槍術の技、しかしそれでも突進と組み合わせれば充分な威力になる、現に先の戦いでは岩のシェルターを炎の能力込みで破壊しており当然こんな壁などクッキーのように容易く破壊できる。

「今だっ射て!」

しかしほむらにとってこれは悪手であった、壁が崩れた瞬間銃弾が飛来してきたのだ。新島の命令に傷の男が引き金を引く、さらに壁が崩れたことでそれの維持に集中する必要がなくなった三人も銃を急いで構える。

「チィッ」

ほむらはもう突っ込むしかなかった、もう壁を破って攻撃する先ほどの奇襲は成功しないだろう。逃げることも可能ではある、しかしほむらにその選択肢はなかった。もう二度と彼らのような犠牲は出したくない、それならばいっそのこと・・・。

ほむらは白炎を纏いながら銃弾によるかすり傷を無視して彼らの懐に飛び込む、まずは神津の顎にその槍の柄を叩き込む。強烈な脳への衝撃、神津はそれに耐えられず一瞬にして昇天した。

「神津っ!」

そう叫んだ新島も連続攻撃を繰り出すほむらの前には無力である、既に全員ほむらの間合いの内に入ってしまった。しかもだ、物理的な防御を可能とする岩を作る神津はすでに意識がない。新島は風の壁でせめてもの対抗をするがほむらの槍の横凪ぎでその壁ごと壁に叩き付けられてしまった。

「あと二人!」

熱を遮断する風の能力と武器の威力を削ぐ地の能力を持つ二人は既に倒した、あとは水の能力者と無能力のあいつだけだ。

式根は傷の男の前に出てその能力でほむらに水流をぶつけた、ほむらも負けじと白炎の鎧を纏いながら水流の中に突進した。水の煙で視界が無くなる中幾つも弾丸ほむら目掛けて飛んでくる、その内の何発かは左腕、太ももと命中する。しかしほむらは止まらなかった、炎の鎧の一部をまるでロケットエンジンのように爆破させ無理矢理にでも突っ込む。

「終わりだあぁぁぁ!!」

強烈な柄による鳩尾への一撃、それは式根の肺にある空気を全て吐き出させる。さらに鎧の爆発による推進はそれに留まらず後方にいる傷の男も巻き込み通路の最も奥、その突き当たりの壁に激突した。


白炎の鎧を解いたほむらは紅蓮に燃え盛る通路に槍を床に差し手摺の代わりにして立っていた。身体中傷だらけな上に魔力消耗も激しい、満身創痍である、しかしまだ仕事は残っている。

ほむらは炎を手の平に浮かべ視線を目の前の男に向ける。顔に傷のある中年の男、彼は震えながらも銃口をほむらに向けていた。こいつだけは自分が殺さなければ。明確な殺意をほむらは彼に向けた。

「あんたみたいな奴のせいでみんなは・・・・・許せない」

ほむらは顔を歪めてその紅蓮の瞳に涙を溜める。

「なんだよっ、なんなんだよ!別にここではよくあることだろっ!女がレイプされるのもあんな連中が殺されるのもっ!なんで俺だけこんな目に遭わないといけないんだよっ!」

男が握った銃は燃え上がる通路から逆巻いた炎に巻き込まれる。男は慌てて銃を投げ捨てると床に転がりパンッと音を立てて破裂した、マガジン内の弾丸の火薬が発火したのだ。

「確かにあんただけってのはおかしいわね。だから安心して、あんたみたいな奴は全員この炎で燃やし尽くしてあげるから」

ほむらは炎を男に向けた、幹部の連中は殺すなと言われている、彼らにはこれから龍達による厳しい尋問があるだろう。

「さよなら・・・・・」

そう一言だけ言って炎を打ち出す、打ち出そうとする。だが炎は手のひらを離れない、まるで粘土のように手にくっついたままだ。ほむらは男の顔を睨んだ。震えている、まるで赤子のように、まるで飼い主に見離された子犬のように震えている。それを見た途端ほむらの中に恐れの心が沸き上がった。身体が震え視界が歪む、怪我によるものではない、怯えているからだ人を殺すということに。

「殺るなら殺れよ、さっさと」

ほむらは腕を男に向けたまま後ろを振り返る、そこには巨大な大剣を床に引きずりながら歩く白黒の青年の姿があった。

「わっ、分かっているわよそんなこと!」

ほむらは強がりながら男を睨んだ。身体の震えを止めようと踏ん張る、歯を噛み締める、だが何の効果もなく遂には足が耐えきれずに崩れ涙まで出て来てしまう。

「無理・・・あたしには殺せない。凄く憎いはずなのに、絶対に許せないはずなのに、どうして、どうしてなのよっ!」

龍は崩れ落ちたほむらの隣に立ち彼女を睨み付ける。

「お前、まさか復讐という一時的な感情で戦ってたわけじゃないだろうな?」

ほむらは黙ってしまった。復讐、確かに今ほむらはそれに支配されていた、しかしそれはほむらの真実ではない。故に最後の、命を奪い取る一撃を与えることが出来なかったのだ。

「別に復讐を止める気はない、そいつはお前の正当な権利だからな。だがそいつに家族がいても殺れるか?お前にその恨みを引き受ける覚悟があるか?」

「そんなもの・・・」

あるに決まっている、そう言おうとしてほむらは口を止めてしまった。龍に自分の仕事を手伝えと言われた際に平然と人を殺す龍に対し残された者のことを考えたことはあるか、と責めた。それをそのまま返されたからだ。まるでその時の自分に責められた気分になる。

「憎悪は亡くした者達を思う気持ちの裏返し、復讐は新たな犠牲者を生むまいとする気持ちの裏返しだ、それ自体は悪ではない。だがお前にそれを受け止める覚悟はあるのか?一時の感情に身を任せたお前はそれを考えたか?」

考えなかった、でも辛うじて押し留まることはできた、過ちを犯す前にだ。もし今彼を感情のままに殺していたら一生消えない十字架を背負っていただろう、助かった。そうほむらは考えた、考えてしまった。そしてそれは龍に見透かされていた。

「お前今殺さないで良かったと思っただろ?罪を犯さないで良かったと思っただろ?甘えてんじゃねぇぞ!人殺しは駄目だと言ったがお前がこいつを殺さないなら誰がこいつを殺す?俺か?それとも文章でしかこいつのしたことを知らない執行官か?それともこいつが罪を償うと信じてそのままにしとくか?それでまた犠牲者が出てもお前は知らない振りをする訳だ。・・・・・おいっ、逃げんなよ。理不尽かもしれない、お前に落ち度はないかもしれない。だがお前は罪を背負った、それを人に擦り付けんじゃねぇ!」

怒鳴り声が暗い通路に響く、先ほどのようなほむらを焚き付けるための叱咤ではない、明らかに甘えている彼女に対しての本気の叱咤である。この時ほむらは龍の戦っている理由のほんの一部だが理解した気がした、彼はその十字架から逃げずに背負っているのだ。全ての罪を受け止めている、罰を受ける覚悟がある、だから躊躇わない。

敵わない、そうほむらは思った。自分は龍に敗北したのだ、あの時初めて対峙したあの日からずっと彼に敵対心を剥き出しにしていた、彼の言動に怒りを感じていた。だが今思うと滑稽である、彼はずっと信念を持って戦っていた。それに対して自分はどうだ?先生から教わった諦めずにもがき生きるということも自分勝手な綺麗ごとで曲げてしまった、そしてその綺麗ごとも憤怒の殺意でねじ曲げ今彼に否定されている。覚悟などない、目の前のこいつと同じようにただ身勝手に生きてきただけだ。

「あたしは・・・・あたしは・・・・・」

だがほむらにもぶれないところがある、弱者を虐げることを許さない正義感、そして敵にすら慈悲をかける優しさである。一見同じように見えて矛盾した二つの志、ほむらは数刻の思慮の後迷いを捨てて決心する。

「さて、こいつはどうする?」

龍はほむらの顔つきが変わるのを見ると剣を水平に立てて尋ねる、その口振りはどこか期待を感じさせるものである。しかしほむらの回答は龍の期待の斜め上に行くものだった。

「やっぱりどっちも嫌、人を殺すのも、殺されるのを見るのも、力ない人が虐げられているのを見るのも、そしてあたしが死ぬのもね」

龍は眉を歪ませる。矛盾だらけのように見えるその意見、しかしほむらは龍を見つめた上で覚悟を持って伝えた。

「だけど仮にあたしの思う悪がそこにいるなら、嫌だけどやってやるわ、罪も背負ってやるわ。あたしの正義を貫いてやるためにもね、そのために諦めずにもがき足掻いて生きてやる」

そう力強く言ってほむらは悲痛の声を上げながら立ち上がろうとする、しかし無理であった。腿にも脛にも弾丸が撃ち込まれているのだ、本来なら痛みで声を上げることもできないはずだ。

「どうする?覚悟できてるのならお前が殺ってもいいが・・・・その身体だ、できないなら俺が殺る」

しかしほむらは首を横に振る。

「あたしが殺るわ。それがあたしの責任、そして背負わなきゃいけない罪よ。覚悟は・・・もうした」

今ここで龍に任せてしまったら今の覚悟は無駄になってしまう。それにこいつはあの三人の敵である、自分が三人を巻き込んだ以上決着は自分で行わなければならない。

「肩貸すか?その脚じゃ立ち上がるのは無理だろ」

そう言って龍が剣を下ろしほむらに手を差し伸ばす。その時だった、傷の男が隠し持っていたナイフを取り出すと立ち上がりほむらに突進してきたのだ。焦りと憎しみの表情、窮鼠猫を噛むというやつである、当然魔力どころか体力もほとんどなく怪我まともに動けないほむらに防ぎようがない。

しかしその男の刃はほむらに届くことはなかった、龍による刹那の刃の閃きはまるで割りばしのように彼の身体を縦に真っ二つに割いたのだ。

「・・・・・すまん」

鮮血の噴水と化した男の返り血を浴びながら龍はほむらに小声で謝るがほむらは内心安堵してしまった、自分が殺す必要がなくなったという安堵。しかしそんな自分が心の中にいることに気付いたほむらは自己嫌悪に陥った、覚悟したはずなのにと。

「謝る必要なんてないわよ、踏ん切りのつかなかったあたしが悪いの。むしろ謝るのはこちらの方よ、ごめんね我が儘付き合わせちゃって。そしてありがとう」

ほむらは瞳に浮かべた雫を隠すように顔を下に向けたまま震えた声で言った。しかしその手は強く握り締めており彼女の感情を無言で語っている。その様子を他所に龍は顔の血をハンカチで拭ういほむらが倒した組織幹部らにスラックスのポケットから取り出した注射器のセットを幹部に手際良く注していった、注射器内には強力な麻酔薬が入っておりこれで彼らは数日間は動けない。

まるでほむらを無視するかのような行動、しかし龍の微笑がそれを否定していた。


「もう大丈夫そうだな、こんなところ長居は無用だ。帰るぞ」

龍はひょいとほむらを持ち上げると背に乗せ右手で意識のない新島と神津の、左手で式根の首元を掴み上げる。

「ちょっと待って!?これ恥ずかしいんだけど?」

「うるさい、黙ってろ。こっちも恥ずかしいをんだ、しかも重いし。お前一ヶ月前から太っただろ?の割には背中に柔らかいものは当たってないが」

「なんですって!?太ったんじゃないわよ、どこかの誰かさんがとんでもない量の訓練課すせいで筋肉増えたのよ!あと胸のことは言うな!成長期なの!」

ほむらは思わず龍を燃やしてやろうか考える、確かにほむらの胸は同年代の・・・というより成長が遅れている各部位よりもさらに成長が遅れているように見える。しかしその龍の一見心ない発言が落ち込んだほむらにいつもの調子を取り戻させた。一方その発言主の龍は背中でガミガミ言うほむらを他所に外に止まっているであろう久留間の乗るトラックにうんざりとした顔もちで向かって行く。既に暁の時刻は終わり雲一つない空は朝焼けに染まっていた。



「それじゃあさよなら、げんさん、しゅうさん。あっちでも元気にしててね」

松葉杖を突きながら真っ黒な衣服に身を包んだ紅の少女は火葬炉内に安置された彼らの遺体の入った棺にその炎で火を付ける。スヴェートの一般的な埋葬法は火葬であり本来は遺族や職員が松明にて点火を行うのが通例だが今回は特別にほむらが直接魔術で点火を行った。彼らの遺族にも連絡をしようとしたが見つかることはなかった。彼らの遺骨はこのあと無縁仏として埋葬される予定でありそこには一足先にいっちゃんも埋葬されている。

炉の中で紅の炎か棺を包みこみ炉口が閉ざされる、ほむらは静かに黙祷を捧げると火葬炉を後にした。

火葬場から出ると白いのシャツに黒のスラックス、黒のジャケットを着た青年が彼女を待っていた、龍である。その姿はいつもの黒と白の服装とは違い黒ずくめの印象を抱くものであり暗に喪に服していることを示唆していた。

「どうしたのよ?忙しい身じゃないの?」

「お前に連絡があってな」

そんなもの城で言えばいいだろうとほむらは思うがそれが言い訳であるのは彼の服装を見れば明白だ、彼もまた見送りに来てくれたのだ。

「まずはいい知らせからだ、救出した少女らは病院で治療を受けている。薬物依存にはなっているが回復は可能なレベルだそうだと」

ほむらはうっと唸った、回復は可能ではあるが薬物依存は抜け出すのが困難である上に再発性も高い。きっと彼女らは今後この事件を一生引き摺っていかなければならないのだろう。

「どこがいい話よ、全然じゃない」

「これから話すことよりは全然希望が持てる分マシだ」

ほむらはふんっと鼻を鳴らした。彼女らとは帰りの車内に一緒にいた程度で全くと言っていいほど面識はないがせめて無事に更正できることを祈るばかりだ。

「悪い話だが残念ながら組織の情報の収穫はほとんど得られなかった、しかもお前は奴らから目を付けられたようだ」

龍は溜息をつきながら話した、幹部らですら組織の全容は把握しておらず得られた情報はほとんど事前に得られた情報と被っていた。

「イグナレフ・・・か」

龍はボソッと呟く。イグナレフ内に何かがあるのは分かっているが残念なことにスヴェートとイグナレフの間には犯罪者の受け渡し協定はない、協力要請も難しいだろう。近い将来潜入も検討しなければならないかもしれない。

「あのさ、龍?」

ん?と受け答えしながら龍は顔を上げる、そう言えばほむらが彼の名前を呼んだのは初めてのことだった。

「あんたの裏家業手伝ってあげてもいいわよ。そのっ、あんたの目的ってのが少し見えてきたし」

頬を赤らめながら目を反らすほむら、その恥ずかしがる様子が彼女の容姿も相まって非常に魅力的に感じられる。しかしそれよりも照れ隠しのつもりだろうが全く隠せていないほむらの様子は龍の笑いを誘った。

「何よっ!?何おかしいのよ!」

「いや、なんでもない。クククッ」

ほむらは龍の苦笑に赤面したまま怒鳴る。必死に笑いを抑え込もうと龍は踏ん張るものの全くもって無駄であった。そんな彼に対して眉を歪ませながら手の平に白炎を浮かべほむらは龍を睨む。

「あんたも燃やしてあげようか?ちょうどここ火葬場だし綺麗に骨だけにして貰えるわよ」

が龍はそれでも態度を変えずほむらは怒るを通り越して呆れてしまった。そう言えばほむらは龍の微笑こそ時たま見るがここまで豊かに笑うのを見るは初めてである。全く、と龍の変わらない様子に表情を緩ませながらほむらはいい放つ。

「まあいいわ、ちゃんと報酬弾んでくれるなら」

「しばらくないぞ報酬」

ようやく笑いを堪えきると龍はほむらに返答する、するとほむらははぁっ!?と驚き再び眉間に皺を寄せた。

「任務の寄り道の費用と作戦内容の変更の要請、治療費に今回の葬儀代。まさか簡単に払えるとは思ってないよな?」

ほむらは全身から血の気が引いていくのを感じた、よくよく考えれば龍の時給がいくらなのか想像もつかない。

「労災は降りないの!?」

「お前労組に入ったか?それにその怪我はお前が好きで行動して負ったやつだろ」

ぐぬぬと歯を噛み締めるほむら、先ほどまでの和むような空気はどこかに消え去りほむらと龍の間には殺伐とした雰囲気が立ち込める。

「ちゃんと全額返済できるまではしっかり働いて貰うからな」

「この畜生めえぇぇぇっ!!」


こうして黒白の青年と白炎の少女はコンビを組んだ。主従関係であり師弟関係であり同僚の関係である三重の関係だ。しかし二人が後に世界中を巻き込んだ惨劇の中心に立ち後の世まで語り次がれる存在になること、そして二人がそれ以上の絆で結ばれることになることはまだ二人は知らない。

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