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第1話 槍と剣

サンサンと輝く太陽、春の陽気と心地よい風、レンガと石造りの街並み、石畳の歩道と緑な街路樹、きらびやかに服が並ぶショーウィンドウ、パラソルの並ぶカフェ。古く美しい城下町の街並みを残しながらも近代的なビルが立ち並ぶこの街はスヴェート民主国首都、シルク。王都と呼ばれた歴史ある街であり中心にあるかつて国の政を行っていた真っ白な壁と青の屋根が特徴のシルク城は今その本来の役目を終えて王族が住むだけの観光名所となっている。街を歩く人々は老若男女の市民のみならず国内外の旅行者も多くまるで祭典のように賑わっていた。


そんな街の美しい街並み・・・の裏、室外機とゴミ箱、隅を走るネズミや壁に張り付く虫、無数の配管が並ぶ日の届かぬ車も通れないほど狭い道。表の光輝く街と対称的な裏の薄暗い通路。ボロボロのビルに壁にスプレー缶で描かれたストリートアート、室外機の横に座り込むぼろぼろの服を来た壮年の浮浪者、時折走る髪を染めた傷だらけの顔のと鋭い目の男たち。誰も見向きもしないそこは暴力と犯罪の絶えないこの街の闇だ。この街で行き場をなくした人々が最後に行き着く先となっている。スラム街、大都市の裏の顔、薬と金と犯罪の街だ。

その街をぼんやりと歩く青年がいた。跳ねた、しかししっかりと整えたミディアムウルフの黒い髪に白い肌、光沢のある黄銅のような輝かしい瞳。黒のシャツに白いスラックスとモノクロ調のその姿は明らかに街では浮いており、無用心と言わざる負えない。事実青年を端で見つめてニヤついてる男たちが沢山いる。きっと青年が一目に付かないところに移動したところを襲い金品を奪うつもりなのだろう。

するとだ、青年の前に突如飛び出す影があった。

「お兄さん、あたしとちょっといいことしない?これでいいからさ」

驚く青年の金の瞳が捉えたのはこのスラムらしいぼろぼろのTシャツに男物のカーキ色のジャケットを着た少女だ。傷の入った短パン、左右不揃いの靴、薄汚れて擦りきれたリュック、薄汚れた白い肌。紅の炎を連想させる肩まで伸びた髪に痩せた体、しかし顔と髪だけはかろうじて手入れしている様子が見れる。汚いが美少女と言っていいだろう。

少女は二本の指を立てて笑っていた。パッと見た感じ十代前半の少女、こんな少女でも売春をしなければ生きていけない、それがこの街では普通でありまたこの街の厳しさを物語っている。事実このような光景はこの街では日常茶飯事である。青年はこくりと頷くと少女に付いて行き、ビルの隙間に入って行った。それを離れて見ていた男らは好機と感じたのか二人の跡をつけその隙間に入って行った。


砂埃と湿気の溜まったコンクリートの壁に覆われた空間、側溝からただようヘドロの腐敗臭とその上に敷かれた古びたダンボール。明らかに不衛生的であるがここが行為の場所らしい。

「で、いくらでヤらせてくれるんだっけ?」

その青年は自分の胸元までもいかない背丈の少女に優しげな口調で尋ねる。少女を怯えさせないように。しかしだ、その少女はそんな気遣いは無用とばかりに笑顔のまま答えた。

「二万」

「もうちょい安くならない?」

二万と言うと児童売春での相場では格安に当たる、しかし青年はさらにふっかけた。まるで相場を知らないかと言わんばかりに。当然の如く少女は反論した。

「あたしの年ならこれでも安い方よこれ以下は論外」

「ちっ、仕方ないなぁ」

少女は譲る気配もなく手を出して金銭を要求する。青年もそれにあっさりと負けてため息をつきながら財布を取り出した。その年齢に似つかわしくない革製の財布、そこまで高いわけではなさそうだがその出来は良さげだ。その財布を見た少女はニヤリと笑った。

少女は唐突に青年の手を弾き財布を奪い取り青年から一歩離れる。

「なっ!?」

急いで青年は財布を取り返そうとするもその刹那、首筋に冷たい何かが触れた。見ると少女は金色の何か長い獲物を手にしている、それは先端に厚い歪曲した片刃のついた槍、正確に言うとグレイブ等と言われる武器だ。

「大人しく後ろに下がって、このまま何もしなければあたしも何もしないから」

少女が威圧的な声で青年に言い放つ。その瞳はやる時はやる、そんな目をしており青年は冷や汗を流しながらも少女を宥めようとした。

「おまっ!?」

しかしその瞬間、首に鋭い痛覚を感じる。うっすりと切れたようだ。少女に対話をする意志はないようで青年は引きつった顔をして怯えながら後ろに下がるしかなかった。青年が自らの言う通りにしたことを確認した少女は握った槍を一睨みする。すると槍はまるで溶けるかのごとく光となって少女の中に染み込んでいった。

「魔装!?」

「あら、知ってんの?」


魔装、それは魔導具の一種で主に戦闘用に作られた魔導具で何らかの武器を形取っているもののことだ。その最大の特徴は使用者の魔力と同化することで体内に収納、取り出しが簡単なこと、そして使用者の技量により武器を振り回す負荷を大きく軽減できることだ。これにより大型の武器も使用者によってはナイフのごとく軽々と取り回すことができる。しかし相当な貴重品でありめったにお目にかかることはない。あったとしても博物館等にあるようなものでもはや伝説と言っても過言でないような品物だ。ましてやこんな貧困街で見かけることなどまずあり得ない。

「それじゃこれは有効活用させてもらうから。それじゃあねロリコンさん!」

そう言って財布を手の内で弄びながら少女は後ろを振り向くと脱兎のごとく駆けていく。

「そんなことしてるとそのうち痛い目に遭うぞ!」

青年は叫ぶが少女は返事も何もせず暗闇に消えていった。このような裏路地で、スラム民相手に性交渉する場合こんなリスクを伴うのは常識だ。しかも窃盗で警察に通報しようにも未成年相手に売春持ちかけている以上青年も捕まるのは目に見えている。

あの財布は諦めるしかない、そう思ったのか青年はため息をついた。


「今日はいい日だ!こんなに儲けた!」

少女は笑顔で走ってた。これでしばらくは生きていける。あの青年年齢の割りには金を持っていた。最近悪いことばっかりだったからその反動だろう。

(今日はちょっと贅沢してもいいかな?こんだけあれば半年は生きていけるし)

少女、暁ほむらは足を遅くした。入り組んだ路地裏、もう追って来れないだろう。いや、あの青年は追う気もなかったようだが。脅しが効いたのだろうか。

後ろを気にしていたほむらの眼前に突如三人の男が現れる。全員三十代くらいのこの街でよく見るパンク系の服装をした男性だ。ほむらは咄嗟に身構えた、こんな連中の目的など分かっている。先ほど奪った財布・・・・・それに考えたくないが自分の身体もだろう。この街で児童強姦などよく聞く話だ。男らはほむらにニヤニヤしながら近づき手を伸ばす、しかしほむらはこんな奴ら何度も相手してきた。でなければこの街で一人で生き残れない。

「さあお嬢ちゃん、さっき盗った財布を渡しな?」

「いけない子供にはお仕置きしないとねぇ」

ほむらは彼らの言葉を無視して槍を出すと即座にその男達の側頭部に槍の峰を叩きこむ。殺す必要はない、逃げれればいいのだ。それにこんなことで一々争っていてもキリがないだけなのはほむらは理解していた。

「てめっ!」

男の一人が殴りかかるがそれをひょいと避けるとほむらは槍を地面に突き刺し棒高跳びの要領でジャンプして男性らの頭上を舞う。男らは咄嗟のことで唖然となり全く動けないでいた。そのままほむらは男らの後方に着地、そのまま逃走する。

「おじさん達もこんないたいけな女の子に悪いことしちゃダメだよ!」

そう言い残して路地の角を曲がり消えた少女を男性らはただ呆然として見送るしかなかった。


追われぬようくねくねとした路地を進むと大量の荷物を地面に座っている長袖のコートを来た壮年の男の姿をほむらは捉えた。こんな姿をしているが彼は裏の世界には必要不可欠な食料を販売している。

「おじさん、パン五つちょうだい!」

「おや、五つとは珍しいね」

そう言うと壮年の男性は荷物の中からビニールに詰まったパンを2つ取り出す。賞味期限の切れた惣菜パンだ。彼は横流しされた処分予定のこういう食材を売ってくれる。スラムの人間は表の店で買い物ができない。持っている金が大体は違法の金であること、見た目がみすぼらしいので店に居られると店のイメージダウンにつながること、万引きの危険があること・・・そういった理由から入店を断られるからだ。断られなくても客から迫害される。

「臨時収入入ったの!」

「へえ、そりゃ良かったじゃないの」

紙幣を受け取り、お釣りを渡しながら受け答えする。どうやって手に入れたか、それは尋ねない。およそ予想付くからだ。それにそうしないとスラムを生きていくことはできないことも彼は知っていた。

「へへ、あたし優秀だから!」

ほむらは平たい胸を張って答える。今年十六になるが年齢の割には成長が遅い、栄養不足が原因だろう。

「そんなに胸を張ることじゃないでしょ?最近話題だよ、反抗的な女の子がいるって」

うっ、とほむらは後ずさる。先ほどの件といい思い浮かぶことが山ほどある。

「あんまし目立つとこの世界では生きて行けないよ、もうちょっと大人しくしないと」

ほむらはあはは、とから笑いして答えた。


裏商人と別れてほむらは再び路地裏を歩く。片手には途中拾った段ボールがある。新品のような捨てられてた段ボール。表で商売やっている人間が後で捨てようとしたのか、はたまた処理が面倒でスラム民が拾うだろう思って店裏に置いたのか、どちらにしてもほむらは幸運だった。今日は地面に横になって寝れる。

途中、座り込む浮浪者に声をかけられた。長袖の汚れた服に帽子、端の切れたスラックス。げんさんにしゅうさんにいっちゃん、みんな顔馴染みで自分の世話をよくしてくれた人たち、家族のように彼女に接してくれている。彼らにとってほむらは娘のような存在であり、恩人に託された子でもある。

「はいこれ、今日けっこう稼いできたから!」

そう言ってほむらはパンを三人に一つずつ渡そうとする。しかし彼らはいやいやと受け取ろうとしない。

「ほむらちゃんまたいけないことしたんでしょ?」

「ダメだよー、危ないことやっちゃ」

「大丈夫大丈夫、心配しないで!」

そう言ってほむらはパンを彼らに押し付ける。

「いつものお礼だから受け取ってって!ほらほら」

パンを半ば強引に押し付けると、それじゃあ!とほむらは手を振ってそこから立ち去った。

「本当に大丈夫かなー?」

「最近嫌なうわさ流れてるし心配だよねー」

「何もないといいけどねぇ」

三人はそっと目を落とした。長年スラムにいた三人には分かっていた。こういう時は決まって悪い方に物事が進むものだ。


雑居ビルの裏側に来るとほむらは一目の付かなさそうなところを探す。商人のおじさんやげんさん達に言われたこと、そしてあの青年に言われたこと・・・・・理解はしていた、そろそろヤバイということは。ほむらは自分の価値を理解してるつもりだ。こんな世界、少女というだけで価値がある、ましてやほむらは美少女だ。人身売買や売春婦等いろいろ利用価値はある。そしてそうなったら自分の人生は終わりだということも。実際ほむらは過去に何度も襲われている。複数人から一斉に襲われたことも一度や二度ではない。そしてその度にほむらは彼らを返り討ちにしてきた。その結果だろう、ヤバイ奴らに目をつけられたようだ。

ほむらは一目のつかない配管だらけのビルとビルの隙間の、室外機の裏に段ボールを敷き、そこに座り込む。嫌なことを考えるのは止めだ。今日は予想外の収入が入ったいい日だ。いい気分で一日を終えたい。そう考えたほむらは先ほど買ったパンを頬張る。暖かくも冷たくもない、常温の焼きそばパン、暖かければおいしかったであろうハムエッグの乗ったパン。賞味期限も切れているがそれでもほむらにとってはご馳走だ。本来ほむらは育ち盛りで栄養は全く足りていないが仕方がない。ゴミ箱漁ったりネズミを焼いて食べるよりははるかにいい食事だ。

「ごちそうさま」

そう言って手を合わせるとほむらは横になる。もう夕暮れ、夜になるとここは酷く暗くなる、そんな中を出歩くのは危険だ。それに無駄にエネルギーを消耗したくない。ほむらは丸くなってそっと目を閉じた。


ほむらが床についた頃、廃屋となった工場の敷地に怪しげな姿の男たちがいた。三十人ほどの体格のいい黒いスーツ姿の男たち、その並び姿や表情からも彼らが訓練された者達であること伺え服装は違えどさながら軍隊のようですらあった。

「それで、例の娘は?」

そんな黒い集団の中目立つ白いスーツにサングラスをかけた色黒の男が自らの腕につけている金色の高級時計を弄りながら尋ねる。その目の先には顔に大きな傷のあるグレーのジャンパーを来た茶髪の男性がいた。

「はい、例の娘は四号区画に潜んでおります。わたくしも捕まえようとしたのですが・・・」

男性はサングラスの男に胡麻をするように答えるが直後にその頬に各指に図太いリングのはめられた拳がめり込む。

「お前のことは聞いてない」

そう男は言うと用済みとばかりに彼を見捨てて黒服の集団の前に立つ、その威厳ある姿に集団は襟を正した。

「聞いての通りだ、やつは四号区画にいる。奴は相当な戦闘能力を持っている、一人で対処せずに複数人で対処しろ。痕跡を見つけたら全員に通信で連絡、奴が逃げられないように包囲して追い詰めろ」

黒服の集団が頷くと集団のうち三分の一を残して散っていく。四号区画と呼ばれる場所はここから少し離れているが深夜の車を使った移動は目立つ上に入り組んだスラムの道を通るのは一苦労する。故に歩いて移動するしかないのだ。残った人間は近くに停車しているトラックの荷台に乗り込むとトラック内に置いてある海外製の安価なサブマシンガンを装備し荷台内で待機する。彼らは目標が見つかった後の追い詰めるための駒だ。そして最後に白服のサングラスの男が助手席に座る。

こうして少女、暁ほむらの捕獲作戦は始まった。だが彼らは気がつかなかった、廃工場の屋根、その各所に巧みに隠された環視カメラの存在には・・・・・


夜中、冷えてきた中ほむらは目を覚ました。起き上がって周囲をキョロキョロと確認する。嫌な感じがする。遠くで足音が聞こえる。段ボールを室外機の下に隠したほむらは素早く壁に這っている配管をよじ登る。

段ボールを見つけられるとそこに誰かがいたことがバレる、地面を移動すると誰かと遭遇しかねない、立体的な逃走はかつて教わったものだ、逃走経路も用意してある。二次元的にではなく三次元的に逃げれば大丈夫だ、これまでもそうやって逃げてきた。それに数人なら迎撃してもいい。相手は銃を持っているだろうが大勢じゃなければどうにかなる。ほむらには自信があった、逃げ延びる実力があると。実際その実力は本物だ。

ほむらは配管から突き出た屋根の上に飛び移り背を伏せる。下では黒い服を着た二人の男が遭遇してハンドサインでコミュニケーションを取って再び別れる。嫌な予感は当たった。間違いなく誰か・・・・・いや、自分を探している。しかもだ、今回の奴らの動き、今まではゴロツキばっかりだったが奴らは違う。あれはプロだ、自分に気付かれないようになるべく音を立てずに動いている。たまたま立ててしまったであろう足音に気付けたのは行幸と言える。

ひとまず慎重になるべく遠くに逃げよう、捜索範囲から離脱できれば安心だ。ほむらはそう考え、屋根伝いにその場を後にした。


深夜表通り、肌寒い風が吹くこの場所は昼の喧騒とした空気から一変して人は少なく風と虫の音が響く。時折酒を飲んだ男達の声や車の音は聞こえるが静かと言っていい。

そんな表通りの一角、道路の隅に大型のトラックが止まっていた。シルク物産と書かれた何の変哲もないトラック、運転席はカーテンが閉められており運転手が仮眠を取っているように感じられる。ありふれた街の光景の一部だ。

しかし、その内部、荷台の中は外見から予想のできないほど違っていた。扉を開けた際に内部が見えないように置かれた段ボールの山、その裏は巨大なモニターがあり、そこには裏路地の複数箇所の様子が写し出されている。それだけではない、軽く横になれるほど大きいソファーと小さなテーブル、複数の服が収納できるクローゼット、飲み物や軽食の入った冷蔵庫、さらには簡易的なシャワールームまでついている。まるで高級なキャンピングカーのようだった。

「始まったみたいだな」

薄暗い車内、モニターのライトに照らされながらソファーに座っている男が腕を組んで呟く。すると運転席に座っている老人の声がスピーカー越しに聞こえた。

「エサに引っ掛かってくれたようですね」

「ああ」

そう言って男が呟く。画面には複数の黒服の男が歩き回っている様子、そして屋根や配管を伝って逃げている紅の髪の少女があった。スラムのあちらこちらに仕掛けられた暗視機能付き全方位監視カメラ、その画像がリアルタイムで送られているのだ。

「大分理想的な逃げ方しているな、本当にこいつ何者だ」

そう男は呟くが情報がない。ただ彼女が連中から追われている、その情報だけで充分だったのた。

「『また』興味が出た等言わないで下さいよ。怒られるのは私なのですから」

そうスピーカーから声が聞こえるが男は無視する。その様子は明らかに楽しそうであり運転席の老人は顔に手を当てながらこの後の事を想像するのであった。


どれだけ時間が経っただろうか・・・・・ほむらはビルの隙間の室外機の上に身を潜めたていた。もうすぐ夜明けだというのに未だに捜索の手を緩める気配はない。日が登ってしまえば日が当たって影ができるため上方向を利用した逃走はやりにくくなる。しかもだ、地上は人員を増やしたのか追っ手の人間がうじゃうじゃいる。捜索範囲も広げられている、もはや捜索範囲から逃れる方法は不可能だ。

(どうにかできる方法は?)

下を逃げるのは無理、上を逃げるも無理、ならば表通りに行くはどうだろうか。却下だ、スラムの人間を迫害してる連中ばかりだ、むしろ逆に見つけてください言っているようなものだ。そうなると隠れるか迎撃するしかない。しかし迎撃は最終手段、今はいざとなった時に迎撃ないし逃走できる隠れ場所を探そう。そう考えたほむらはビルとビルの上を飛んで、壁を這って、物陰のある人が数人しか入れない場所、しかし槍を振り回せる場所を探す。いざ見つかった時でも早急に始末すれば逃げることが可能だからだ。

とは言え、そんな場所中々ない。槍を振り回すには広い場所が必要だが、人が大勢入れないように狭い場所が条件だからだ。そんな場所あるのかとほむらは考える。人が大勢入れない場所かつ広い場所で逃走経路も確保しやすい、しかも隠れることが可能な場所。そしてほむらは思いついた、そんな場所山ほどあることにだ。

早速そこに移動するためにほむらはそこそこ高い建物に目を向け配管を昇る。ガタがきているがそれでも小さいほむらが昇る分には充分な強度だ。まっすぐ、垂直に昇りほむらは建物の屋上にきた。屋上なら昇るには階段が必要なのでそんなに人が来ない、万が一大勢来ても個別に対応できる。さらには槍を振り回すには充分過ぎる広さ、そして隣の建物より高くいざとなったら飛び移ることができる。

ほむらは給水タンクの縁、日の当たりそうになくかつ下の階から続く階段の見える位置に腰を下ろす。もう何時間も逃げている、さすがに疲れた、休息を取ろう。まだ逃げ続ける必要に迫られるかもしれない。

すると微かに光が差した、夜明けだ。普段日の光が余り当たらないほむらにとって夜明けの光は新鮮だった、こんなにちゃんと日の光を浴びたのは数年ぶり、スラムに入る前以来だ。 ほむらはちょっと気分が明るくなった、背伸びして深呼吸したくなった。だからだろう、上空に飛んでる物に気付くのに遅れたのは。

地面に目を移すと、コンクリートの床、日差しで明るくなった床に小さな影を見つけた。咄嗟にほむらは上空に目を移す。その頬に一滴の冷や汗が流れてる。

「しまった!」

ほむらはつい口に出して、そして駆け出した。上空に飛んでいたもの、音もなく飛んでいたそれはカメラのついたドローンだ。そう、立体的に動いていたのはほむらだけではなかったのだ。いや、むしろ地上に大量に人を配置してほむらを逃げ場の少ない建物の屋上に誘い出していたのだ。建物と建物を飛び移りながら移動するもドローンは正確にほむらを追跡する。

「チッ」

そう舌打ちしながらほむらは走りながら石を拾い、そしてドローンにいくつか投げつける。人が捜索してるかどうかは分からないが華麗に避けるドローン、しかしそれでもどうにかドローンに小石を一つ当てることに成功、墜落させることができた。

しかし、もう完全に見つかってしまった。もう逃げ場がない。上空には他にもドローンが飛んでいるはず、遠からずこの付近に来るだろう。急いでここを離れなければ。ほむらは配管に飛び写ると再び配管や建物の縁を使って移動を開始した。


「そろそろ行かれますか?」

トラックの車内、モニターに照らされた男に対してスピーカー越しから尋ねられる。男はふっと一瞬笑う。

「ああ、行ってくる」

男はイヤホンを片耳に付けながら立ち上がると鋭い目付きで明け方の空に照らされながら配管や壁の縁を必死に移動する紅の少女を見た。心無しかその動きは楽しそうに感じる。

「分かっておられるでしょうがくれぐれも・・・」

「ああ、今回はそのつもりはない」

そう言って男はトラックの周囲を写したカメラを確認、誰も周りにいないことを確認すると荷台の扉を慎重に開ける。老人はその男の言葉を疑うが表情には出さなかった。

「さて・・・殺るか」

男はそう呟くと路地裏、スラムに向かって駆け出した。


「はぁ、はぁ」

ほむらは廃屋となった三階建ての建物の中にいた。かつてはオフィスか何かだったであろうこの場所も今は埃とわずかに転がる紙くずしかない。ここなら上からも下からも見つからない、しばらくは隠れて時間を稼げる、そう考えたほむらは窓から内側が見えない場所、室内の隅に身を潜めた。

「昨日はついてる思ったのに、今日はホント最悪」

昨日受けた忠告が頭の中に過る。げんさんの、商人のおじさんの、そして青年の忠告・・・ふとほむらはポケットに入れた財布に手を伸ばした。男女問わず使えそうなデザインの高級な財布、こういう財布は転売しようにも足が付きやすく転売できない、しかし捨てるのは勿体ない。そう考えて持ったままでいた。幸い拾ったり奪ったりする財布は全部男性物で好みではなかったためちょうどよかった。それにそのレザーでできた長財布のシックなデザイン、それは彼女の好みのデザインでもあった。

周囲に足音が聞こえる、もう勘づかれか?もしくはこういう建物は見張られてたのだろうか?

正直覚悟を決めるべきかもしれない。生きるために今まで悪いことも沢山やってきた、その罰を受ける時が来たと。これ以上逃げることはできない。ここが見つかったらおしまいだ。

でもほむらは諦めるつもりはなかった。そこにあるのはかつて自分にスラムでの生き方を教えてくれた人、その人が最期にあの槍と共に贈ってくれた言葉が胸の内にあるからだ。

「生きることを諦めるな、最期までもがき足掻け」

ほむらはその言葉を呟き、拳を握る。そうだ、決して諦めるか。その決意を胸に扉を睨む。この室内唯一の出入口、ここで待ち伏せしよう。ほむらの体内から光の粒子溢れ、右手に集まり槍を形成する。金色の、あの魔装の槍だ。

階段をゆっくりとあがってくる足音が聞こえる。もう覚悟を決めた、ここで戦おう。それに扉付近で戦えばこちらが有利だ、一対多数を作り出さなければいい。そして隙を見て窓から逃げる。ちょっと高いけど飛び降りができないレベルではない。何より身体能力に自信はある。それに何も武器は槍だけではない。


鉄でできた扉が開かれる。ゆっくりと、音を立てないようにだ。そして黒いスーツを来た男性が室内を見て、槍を構えてる少女を見つけニヤリと笑った。その瞬間、少女ほむらは高速で接近、風のごとき速さで槍を振り男性の頭を一瞬で叩き男を失神させる。闇雲に振ってはできない斬擊、これもこの槍とともに受け継いだものだ。男性は一瞬ふらっとしてそしてゴトッと音を立てて男性の体が扉の外、階段の踊場に倒れた。いや、そうなるようにほむらは男性の頭を叩いたのだ。

「チィっ」

倒れた男性の背後から別の男性の声がする。先ほど飛ばした男性と同じくスーツを着た男性、黒いサングラスをかけていて人相は分かりにくいがそれでも第一印象は怖い、そう思わせるものだった。男性が胸元に手を入れると同時にほむらは横に飛んで扉口の正面を避ける。と同時に弾丸が数発飛んできた。

「やっぱ持ってるよね」

そうほむらは顔をしかめて嘆く。一瞬の静寂、一方が室内に入ればその瞬間斬擊が、もう一方が扉口の正面に立てばその瞬間銃撃が、そんな拮抗状態。あえて一瞬で倒したのが効いているようで無闇に突っ込んできたりはしない。後ろからは「どうした!早く行け!」と煽りのヤジが飛んでいる。先ほどの静かな状態とは違う、相手も臨戦体制だ。このままだと不利になるのは明白、今のうちに脱出する手段を考えなければ・・・

するとだ、先ほどの男性が覚悟を決めたのか入ってきた。ほむらは即座に槍を振るうが

「なっ!?」

その男性は巨大な何かを投げてきてほむらの槍を妨害した。巨体な黒い何か、ほむらがその正体に気を取られた隙に複数の拳銃の銃口から弾丸が飛んでくる。先ほど投げられた何か・・・・・そう、ほむらが気絶させた男の事などなど気にもせずにだ。大量の弾丸が二人を襲う中咄嗟ほむらは燃え上がる。紅い外炎に包まれた真っ白な炎、通常の炎は紅いがこの炎が白いその理由、それは通常の炎と比べて高温が故だ。一般的に炎は低温だと紅く高温になるにつれて黄色、白色、水色、青色と変化していく。ほむらの炎はその白ということである。温度にして約三千五百度、鉄をも用意に溶かす。

「舐めんな!」

その弾丸は炎の勢い、そしてその熱で一瞬にして溶解、蒸発した。弾丸は鉛でできており沸点は約一七五○度、蒸発させるには充分すぎる熱量だ。

「なっ!?」

今度は相手が驚く番だった。銃弾による攻撃、それが全く通用しないこと、何よりほむらが能力者であったことだ。


能力者、別名無言魔術者、その名の通り魔術を無言で発動できる者のことだ。

この世界の魔術には大きく分けて三種類に分類される。

呪文を唱えながら魔力を練ることで発動できる呪術。誰でも知識さえあれば可能だが実用的な呪文が果てなく長くなるのが欠点で例えばライターほどの火を起こすだけでも五分程度の詠唱を余儀なくされる。

その欠点を克服したのが魔導具を使った導具術、魔導具は呪文を記憶できるもので決まった魔術の発動を魔力のみで行える。しかし魔導具は魔物の頭骨を素材として使う必要があり、特に長大な呪文を記憶するためには希少な上位の魔物を素材にしなければならない欠点がある。ほむらの魔装の槍もこの一種だ。

そして無言魔術、潜在能力自体は誰もが持っているがそれを才能と努力で発現できた者のみが使える魔術。その魔術は火、水、風、土の四大元素に限られ一人一元素の能力に限られる。


そしてほむらの属性は火、特にここまでの強力な能力は稀だ。だからだろうか、男性の顔は引きつっていた。まるで死神か悪魔と出会ったように。そしてそれは間違いではない。

「燃えろ!」

そう言ってほむらは白炎をサッカーボール大にして打ち出す。男は慌てて逃げ出し扉の外は白い炎で包まれる。と同時に鉄の扉は溶解し始めた。室内にはほむらと全身を撃ち抜かれた男の遺体だけが残る。

ほむらは体に纏った炎を消して再び扉口横に隠れる。炎を体に纏うのは魔力を燃焼媒体として大量消費するため大きく体力を消耗する。

炎が消えて煤だらけになった階段、コンクリートはヒビだらけになっていて熱で変色、一部溶融している。未だに高熱で立ち込めた空間、人の出入りは許されない状態だ。ほむらは生暖かいコンクリートの床に座り込む。今なら誰も来ない、その隙に少しでも休憩しよう。

ふと床に目を移すと赤黒い液体が流れていた。先ほどまで動いていた黒服の男も今や鉛で穴だらけになった赤と黒の物体だ。その事実にほむらは嫌悪感を露にする。仲間の命などどうでもいい、そんな態度にだ。

一息ついたのも束の間、カタン、カタンと革靴の音を立てながら階段を上がる足音が聞こえた。

「!?」

ほむらは咄嗟に立ち上がり武器を構える。そんな馬鹿な、まだ階段付近の気温は数百度はあるはず、普通の人間が、耐えれるはずがない。ほむらはその緊張からか槍を強く握る。永遠にも感じられる一瞬、頬にたらりと冷や汗が流れた。靴音が止まり扉口にその靴音の主が現れる。黒い尖った革靴、白いスーツに派手なピンクのシャツ、反り込みの入った短髪の坊主頭に色黒の肌、金の腕時計と銀の目立つ刺々しい指輪、それに茶色のサングラス。いかにもなヤクザないしマフィアと言った姿の笑顔で経面笑う中年の男。しかしその殺気、明らかにさっきまでのスーツ姿の男達とは桁が違う。

ほむらは即座に飛び込み槍を振るう。恐怖、それを隠すかのように。ただ振るうだけではない、刃の部分に白炎を纏って刃を赤熱させて切れ味を上げる。しかしだ、どんなに切れ味が高くても当たらなければ意味がない。

その刃は男の数十センチ前で見えない何かに阻まれる。そして男は気にもせずに周囲の様子を確認する。熱で溶けた扉、銃痕が多数残る壁、血だらけになって倒れている黒服の男。先ほどの攻防戦の痕跡がこの室内には多数残っている。

「なるほど、なかなかやるようだね」

その男の笑顔とは裏腹の凄みの含んだ声、それだけで恐怖を感じるがほむらはそれを堪える。

「あんたも寝てみる?今ならサウナも堪能させてあげるわよ」

ほむらは挑発的な態度を取りながら炎を槍先に灯し見えない壁ごと燃やそうとするが炎は渦を巻いて壁より向こうに行かない。すると男の左眉がピクリと動いた。

「嘗めた口叩くんじゃねぇ!」

そう言って男が手を振るうとほむらは見えない何かに突き飛ばされ、壁に激突した。その衝撃で槍の炎も消えてしまう。更にだ、階段をかけ上がる複数の足音、そして銃を持った様々な色のスーツ姿の男達が室内に入ってくる。二十人、その銃口がほむらを捉える。

複数の銃口から放たれる弾丸、それをほむらは白炎の鎧で咄嗟に防御する。しかしその瞬間白服の男が消える、そして唐突に横殴りの衝撃。

「オラァ!」

「グッ」

ほむらの白炎は消え、ほむらは倒れる。近寄る白服の男、ほむらは槍を杖のようにして立ち上がるが、痛みで足が震える。それでもほむらは男を必死に睨み付ける。大丈夫、大したことない、少しすれば足の震えは治まる。それにまだ炎は出せる。どういう原理で炎を無力化してるかは分かんないがだったら槍で戦えばいいだけだ。そうほむらは考え気持ちを入れ換えた、そうだ、もがき足掻くのだ、生き残るんだと。

痛みを堪えたほむらは槍を片手で横凪ぎに振るう。白炎はない、魔力は弾丸の嵐を切り抜けるために取っておきたい。それにほむらにはまだ槍とともに受け継いだ槍術がある。

槍は案の定何もない、男の数十センチ手前で止まるがそれは予測している。だからこそ敢えて片手で槍を振るったのだ。この状況を打破しえる受け継いだ流派も知らない槍術の防御破壊の技。

「二段龍斬!」

空いた左手で拳を作り即座に槍の柄を殴りつけて無理矢理見えない壁に刃を食い込ませ、そして見えない壁を切り裂いた。残念なことに攻撃そのものは技を撃ち込む一瞬の間に後ろに飛ばれて避けられた。即座に白炎の弾で追撃する。

しかしだそれは男の前で横に反れる。

「なかなかやってくれるじゃあないか」

「あんた、風の能力ね。それも空気の壁であたしの槍や炎を止めたり、空気を入れ換えて熱を階段から逃がしたりできる、相当の能力者ね」

ふざけた口振りにイライラしながらもほむらは周囲を確認する。囲まれた、しかも構えてる獲物もヤバい。最初にいた連中は拳銃だったがこいつらはサブマシンガン、おそらくこいつの直接の部下だろうか?とにかく相当ヤバい状況だ。

「別に隠している訳じゃあないからねぇ。それにこうなったら終わりだよ」

そう言って男は首を軽く振る。すると一斉に男達が引き金を引く。パパパパパッと連続した軽い炸裂音と共に弾丸が暴風雨のように飛んでくる。硝煙で曇る室内、ほむらは白炎を纏って防御するがその瞬間、強力な空圧の衝撃がほむらを襲う。

「ウグッ!?」

再び叩きつけられるほむら、その間も弾丸の暴風雨は止まない。ほむらは意地でも白炎を保持し続ける必要があった。しかし超高温の炎、それを維持するということは膨大な魔力の消費を意味する。そしてほむらにはそれを維持するだけの魔力はもうなかった。

「クゥ・・・」

ほむらは槍を床に突き立ててそれにしがみつきながら床に崩れる。白炎は段々と勢いがなくなり、紅、黄の部分が多くなる。ほむらは体を小さくして少しでも弾が当たる面積を小さくするが炎はどんどん小さくなり、そしてついに白い部分がなくなり内炎は黄色に変わる。

男が手を上げると部下の男達は引き金から手を放す。と同時にほむらの炎は消えて、そして倒れた。ほむらの肌には溶けた鉛玉が数発こびりついている。最後のほうの炎では弾丸を蒸発しきれなかったのだ。

「大丈夫かぁ?大切な商品だからあんまし傷ついて欲しくないんだよねぇ」

そう言って白服の男はほむらに近付く。商品と聞いて脳裏に浮かぶ光景、それは胸糞悪いものだった。こいつらに捕まった後のことなんてこんな場所に生きてたら嫌でも分かる。薬漬けにされて調教されて、金持ちに売られて・・・・・

「ゴフォッ!?」

こいつらに捕まった後のことを考えたほむらは無理矢理体を動かし立ち上がろうとするが首を捕まれる。その腕も空気で覆われて熱を相手に伝えることができない。

「さて、ちゃんと商品価値があるか確かめないとねぇ」

男はゲスな笑いをする。今までほむらを犯そうとした男達と同じゲスな顔、ほむらは睨み付ける。その瞬間、ほむらの来ていたシャツが強引に縦に割かれた。首筋にシャツを引っ張られた際の強い痛みが走る。

「このゲスめ」

ほむらの言葉に耳も貸さず男はマジマジとほむらの体を見る。その視線は品定めをしている目であり、性的趣向で見る目でもある。見られてるだけで屈辱的、何より気味が悪い。

「ふぅん、痩せてはいるがいい体だ。これはいい商品になる」

しかしほむらは睨み付け続ける。服を割いたのは自分の心を折るため、ここで恥ずかしがったら自分の負けだ。

「じゃあ次は下も確認するとしようか」

そう言ってほむらの短パンに手を伸ばした、ほむらは腰を曲げ、足を動かし少しでもと抵抗をする。その時だ、ほむらの後ろポケットからあの財布が落ちた。

「おやっ?」

そう言って男はほむらの首を掴んだまま財布わや拾い上げ、その財布をいろんな角度から眺めた。

「こんないい財布をこんなガキが?これはどこで手に入れたのかなぁ?」

ニヤニヤとする白服の男、ほむらは何も答えない。いや、首を掴む力が強くなって声を出すこともできなくなっていた。

「どうせ盗んだんでしょ?いけないなぁ泥棒は。悪いことした子にはお仕置きしないと」

そう言ってほむらの下半身に手を伸ばす。もう避けられない。

そしてその瞬間だった、ほむらの運命が、ほむらの人生が大きく変わった瞬間は。

「あの、その財布僕のなんだけど返してくんないかな?」


それは黒のシャツと白のスラックス、黒の髪と白い肌、金の瞳と銀のネックレスの優顔の青年だった。昨日ほむらが売春と偽って財布を奪った男だ、それがどうしてここに。

「なんだい君は?どうやってここに?外には沢山怖い人いたはずなんだけどねぇ」

そう言うと周囲の男達が銃を構える。腕の力が少し抜けてほむらは息苦しさから解放された。

「まあ、財布はもういいや」

そう言って優顔の青年は・・・・・目付きを変えた。先ほどまでとは正反対の、恐ろしくて、冷酷で、まるで人を人として見ないような目。ほむらは直感した、ある意味こいつらとは正反対の存在だ。こいつらが裏の表の顔ならこの青年は裏の裏の顔、こいつらとは比べものにならない、ヤバい奴だと。

「おかげで目的のものにたどり着いた」

ほむらは体が震えていることに気付いた。自分だけではない、周りの男達も、この白いスーツの男も皆足が震えている。まるで蛇に、いやそれ以上の、巨竜に睨まれた蛙のように。

「うっ、ウワァァァァ!!」

ついに男達の中の一人が恐怖に耐えきれず、銃を青年に向かって撃ち始めた。続いてと周りの男達も銃を無我夢中で撃ち始める。再び弾丸の暴風雨に見舞われる室内、青年は瞬間的に身を伏せ、超低空で跳躍した。一瞬の出来事に周りの男達は青年を見失う。しかしほむらにはその動きがかろうじて見えた。刹那の間に男達の眼前に移動した青年は手を真横に一閃。室内に煌めく一筋の閃き、光の軌跡が男達を上下に分断する。

何が起こったのかわからない、そんな顔をしながら三人の男が一斉に倒れる。まるで自分が死んだことすら分からないような、いや実際気付いていないのだろう。

青年は死人に興味なしと言わんばかりに次の標的を見定める。その両手はいつの間にかはめられていたグローブ、そして何より目を引くのが右手に握られた巨大な大剣だ。片刃で刀のような反りの付いた幅広の大剣、厚みも拳ほどある明らかな超重武器、長さも刃の長さだけで長身の青年並みの長さがあり、全体の長さは裕に二メートルは超えるだろう。そして特徴的なのは刃元、峰側に七十センチメートルほどの長さの溝が刃横に彫られている。その溝もまるで刀のような形で反っている。そんな巨大な武器をまるでナイフを弄ぶかの如く軽く青年は振るう。そう、これもほむらの槍と同じ魔装だ。先ほどの三人もこの大剣を瞬時に取り出して斬ったのだろう、にも関わらず青年の剣には血が全くついていない。血がつかないほどの素早さで振るった証拠だ。

再び青年に目掛けて飛び込む銃弾、しかし着弾よりも早く青年は男らの懐に飛び込みその大振りの大剣で一閃、更に移動して一閃。弾丸を見切っているのかと思ってしまうほどの速度。実際青年が弾丸そのものを見切れるかどうかは定かではないが少なくともこの時は違った。彼は銃を撃つ際の指の動きを見ているのだ。指の動きを見れば撃つタイミングは分かる。銃口の方向を見れば弾丸の向かう先は分かる。それが分かれば避けながら攻撃することなど青年にとっては容易いことだった。


この剣の動き、どこかで。ほむらは既視感を感じていた。青年はとてつもなく速いそれこそ見失いそうになるほどに。だが何故か動きが分かるのだ。だからこそ青年の動きが見える、追える。

青年は止まらない、次々と弾丸をかわして斬撃を繰り出す。青年が剣を一閃する度に銃弾の撃発音は消えていく。すべての銃声が消えるまでそれほど時間はかからなかった。

「さて、邪魔者は片付いた。いろいろ聞きたいことはあるが・・・」

青年は白服の男に近寄る。殺気に満ちた姿、あらゆる物を絶ち切る剣、そのあまりに現実離れした姿に男は恐怖した。

「くっ、来るな来るな来るなぁ!」

ほむらから手を離した男は腰が砕けたのか座り込み、ほむらを何度となく弾き飛ばした空気を圧縮した弾を連続して放ちながら叫ぶ。その姿に先ほどほむらを圧倒していた時の余裕はない。青年は数多に放たれた空気の弾をあるものはひらりとかわし、あるものは一瞬剣が消えたと思ったら消え去った。最後の抵抗か空気の壁も作るも青年の剣の前では紙切れ同然だ。

「殺しはしない」

そう言うと青年は大剣を裏返して、ドンッと腹部を一叩きした。白服の男は声にならない声と粘っこい血をを出して呆気なく床に伏せた。青年の言うように殺してはいないようだ。

「お前には用があるからな」

そう言いながら青年はしゃがむと、スラックスのポケットからケースを取り出し、開ける。中身は注射器、それを組み立てて何か液体を注入すると男の首に差した。この液体は睡眠薬、運び終わるまでの間気絶から男が目を覚まさないようにするためだ。

「財布は返すわ、助けてくれてありがとう」

ほむらは感謝の言葉を伝えながら財布を置いた。彼がいなかったら今頃彼女はどうなっているか。

「こちらこそ、お前に付けた発信機がなかったらこいつをこんなに簡単に炙り出せなかった」

ほむらはビクッとして財布を睨む。こいつまさか。

「財布じゃない、お前のそのジャケットだ。それに」

ほむらは再びビクッとしてジャケットを脱ごうとする、その時だった。

「財布は返す必要ない」

彼女の首を狙い斬撃が飛んできたのは。


「はあ」

優顔の青年はため息をついた。財布を奪われたことにではない。少女が無事に売春を断ったことにだ。むしろあそこで性交渉に応じたらどうしようかそう考えていた。わざわざ格安の売春代を値切ろうとしたのも彼女に断らせるためだった。そもそも青年には童女趣味はない。

「それにしてもあの魔装は一体」

あの黄金の槍に青年は見覚えがあった。あれは一体、どうして彼女が?

疑問は尽きないがひとまず無事に準備は終わった、発信器は付けた。財布は必要経費であり別に中身も大した額は入ってない。財布自体もブランド物ではあるが大したものではなく重要なものは何もなかった。

青年は鋭い目付きに変えた。先ほどまでの優しそうな雰囲気は一切消えて代わりに現れたのは近寄りがたい冷酷な雰囲気だった。まるで人が変わったのかのような変わりようだ。いや、こちらが本来の姿で先ほどまでの表情彼女・・・ほむらを騙すためのフェイクだ。

彼女が目標に狙われている。その情報を知ったのはつい先日のことだ。目標は組織の幹部でありその幹部の確保、それが青年の今回の目標だった。しかしなかなか尻尾を出さない、そこに今回の情報が入ってきたのだ。組織の人間を返り討ちにしている少女の情報、魔装を持つ少女の情報だ。この裏の世界では少女という理由だけで狙われる。人身売買、売春婦等々様々な利益を生み出す『製品』になりえるからだ。ましてや彼女は汚れてはいるが美少女、磨けば高い利益になるだろう。当然彼女も何度も襲われている。しかしそれを返り討ちにしている、その中に組織の人間がいたのだろう。

裏の組織に歯向かう以上長くはもたない、近いうちに捕らえられるか始末されるだろう。しかし彼女がかなりの数を返り討ちにしているため彼女を処理するためには腕利きか人を大量に投入する必要がある。どちらにしても組織の上の人間が出てくるという訳だ。

彼女には悪いがいい餌になってもらう。割りには合わないかもしれないが財布を奪った罰だ、しっかりと裁きを受けて貰おう。そう考えた青年は彼女が走り去ったほうと反対の方向の闇の中に消えていった。


「何のつもりよ!」

ほむらは槍で首筋ギリギリのところで防御していた。とんでもない力、自分が耐えれてるのが不思議なくらいだ。

「俺の抹殺対象にお前も入っている」

青年は飛んで離れた。そして刃元の溝に左手の指を入れる。その構えはまるで

「居合い・・・」

そうほむらが呟いた瞬間青年か突進、剣を抜刀する。鞘のない抜刀、この鞘滑りを再現するための溝なのだ。ほむらも右手で槍を振り迎撃する。あれほどの速度、右手だけの力では到底勝てない。しかしだ、ほむらは左手で拳を作る。防御破壊のあの技、あれを防御に使えば、そう考えてほむらは撃ち放つ。

「「二段龍斬!」」

えっ!?そうほむらは声が出そうになって動きが止まる。一方驚きはしたもののほむらの防御を崩した青年は続け様に攻撃を加える。まるで体が勝手に動かんとばかりにだ。

「撃!」

剣と槍のぶつかりあった反動、それを利用して接触点から反転させ柄を握った拳でほむらの腹部、鳩尾に打撃を与える。

「刃!」

さらに柄を握っていた拳を手刀に変えて柄の上を滑らせほむらの鳩尾に打撃を与えほむらを壁まで弾き飛ばした。二段龍斬、二段龍撃、二段龍刃の三連撃、二度連続の急所への打撃と壁に打ち付けられた衝撃でほむらは一瞬目の前が真っ白になる。そして意識が朦朧とする中、彼の剣捌きの既視感の正体にようやく気付いた。あれは、剣と槍の差はあれど自分と同じものだ。全く同じ技を使っている以上間違いない。とは言え実力はほむらの方が圧倒的に下だ。青年があの二段龍斬から繋げた技、それをほむらは知らない。一撃一撃の重みも違う。一方青年側もその事実に気付いていた。

気力を振り絞りほむらは意識を繋ぎ止める。既に今日だけで三回も壁に叩きつけられている、体のあちらこちらが痛い、魔力もほとんど尽きかけている、しかも頭はクラクラする上息も上がっている。しかも相手は最悪、全快で戦っても勝てる気がしない。

ほむらはそれでも立ち上がり青年を見つめた。青年はその強い精神力に感嘆しながらほむらを真っ直ぐ見ていた。相変わらずの殺気を込めてだ。

「その技、それにその槍。お前は一体?」

「これは・・・」

ほむらは口籠る。嫌な思い出が頭の中を過ったからだ。

確かめてみたくなった。彼女がどこまでやれるのか、青年は興味本位からそう思った。その表情はあの優顔とも違うささやかな笑顔だ。それは青年の本来の笑顔、その顔にほむらは初めて彼の人間性に触れた気がした。

瞬間青年は気の緩みを正し再び鋭い顔付きをして再び居合いの構えをしながら突進する。二段龍斬は通じない。だからと言って普通に防御したらより大きく吹き飛ばされるだけ、避けるにしてもあの速度は無理。

ほむらは頭で考えるよりも先に体を動かした。柄の中心を両手で握った槍、それを剣に思いっ切りぶつける。当然槍は弾かれるが・・・それでいい。槍が弾かれた反動を利用して槍を握ったところを中心に回転、柄の端を叩きつける。意識はしていなかったがそれはまるで先ほど青年がやった技、二段龍撃と同じようだった。青年は彼女の無自覚の成長に心の中で関心しながら空いた手で受け止める。しかしほむらは即座に青年の握った槍を赤熱化、白炎を発生させた。

「なっ!?」

白炎まで使えるのか、そう驚きの表情を隠せないまま青年は槍を離して距離を取ろうとする。弱者だと思っていた少女の思いがけない反撃にさすがにヤバいと感じたのだろう。しかしわずかに白炎を掠めた腕はあの魔装のグローブに保護されたのか大したダメージは無いようだ。

「逃がすかぁぁ!!」

初めてきた好機、それを逃すまいと青年にその白炎を発射して追撃する。既に満身創痍、本来立っているだけでも限界の体、その全身の力全てを練り込んだ最後の魔力だ、もう動けない、これが敗れたら自分の負けだ。そう覚悟を決めた一撃だった。

青年は後ろに飛びながらも剣の先端でその炎を掻き消そうとするが白炎は剣を透過する。ならばと青年は左手を刃に添えて突きの構えを取った。

「龍斬弾!」

刹那、突き出された剣は白炎の弾を貫く・・・だけではない。突きによって押し出された空圧は真空の刃を作り出し空間を直進する。その勢いに白炎は飲み込まれて白炎の刺突となってほむらの背後の壁に突き刺さった。

「ははっ」

ほむらは乾いた笑いを出した。

「何なよあれ、卑怯でしょ・・・」

先ほどまでも十分人間離れしていたがさすがにこれはおかしい。人間をやめている。ほむらは彼が人外の範疇にいることを理解した。一方の青年は左手を握ったり開いたりして動きを確かめる。白炎、その影響を、その力を確かめるように。そして青年はクククと笑った。先ほどと同じ青年のうっすらとした笑顔、その顔は年齢よりも幼く感じた。

「見つけた」

青年はほむらには聞こえないほど小さな声で呟く。そしてまたあの鋭い目に戻り、殺気立つ。

ほむらは諦めかけた。自分の死が脳裏に浮かぶ。もう手はない、魔力も尽きた、力も出ない。青年はゆっくりと近付く。まるで先ほどの白服の男の時と同じようにだ。ほむらはだらりと腕を垂らして脱力した状態で正面の青年を見る。焦点すら合わないその目に移る彼は持っている獲物こそ鎌ではないがまるで死神のようだ。どうやらあの財布は自分に幸運をもたらすものではなく最後の晩餐のための情けだったらしい。ほむらはそう考えた。頭がぼーっとなっているためか死も簡単に受け入れられそうだ。そんな時だ、口が勝手に動いた。

「生きることを諦めるな、最期までもがき足掻け」

青年が凍ったように一瞬動きを止めた。その間ほむらの脳内が目まぐるしく回転する。

「そうだ、生き残るんだ。最後まで諦めてたまるか・・・」

青年はふっ、と笑った。そしてそれがほむらの見た最後の光景だった。


倒れた少女を見て青年はクククと笑う。ようやく見つけた、やっとだ、やっと見つけたんだ。そう気持ちが高ぶる。大丈夫、少女は怪我はしているが大した傷じゃない。きっとすぐに治るだろう。青年は高揚していた。まるでおもちゃを買い与えられた子供のようにだ。そしてそれはあながち間違いではない。彼は探していたのだ、彼女のような人材を。

青年は少女をマジマジと見る。素晴らしい、欠点という欠点が見つからない。白炎という稀有な能力、一目で見抜いた武術の才能、このコンクリートのジャングルを縦横無尽に動き回れる身体能力、見栄えのする可憐な容姿。せいぜい欠点を上げるならあまりに貧相なその身体ぐらいだが、まあそれは栄養が足りていないのが原因だろう。

さて、いつまでもここにはいられない。いくら

裏通りとは言えこれほど暴れたのだ、すぐに騒ぎになるだろう、もしくはもうなっているかもしれない。青年は白服の男と紅の少女を担ぎ上げる。片方は乱暴に首筋を持って、もう片方は大切に腹部を抱えてだ。

「さあ、明日からが楽しみだ」

青年は少女を見て呟く。表情の変化こそ少ないがその顔はこの日一番の笑顔だった。


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