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この世界に生まれてから22年。
小学生の時にふと感じた、何をすればいいんだろう。という自分の人生について。
そう感じたときから、時折言葉にできないような負の感情に呑み込まれては、生きてるのが不思議で、どうしようもなく泣いていた。
そう考えてしまうのは今も変わらず健在で、あともう4日で誕生日を迎えるというのに、泣いてしまっている。
「なんだんだかなぁ…」
社会人になって、定期的に遊ぶ友人や家族に会うことも楽しみの1つだともいえるだろう。
本を読んだり、ゲームをしたり、惰眠を貪って1日を過ごすのも楽しみであり、心を平穏にするために必要だった。
昔からファンタジーの小説や生き物が好きだった。
何故?と聞かれても、具体的に答えることはできないが…。
1ついえることといえば、自分がこの世界でやることがない。と感じていたからかもしれない。
厨二病的な考えと捉えられても仕方ない。
でも、それでも、自分はこのまま働く日々を送って、休日に友人と遊んだり、自分の好きなことをして過ごし、また働いて生きる。
という作業のような日常が、どうしても生きているということに結びつけられなかったのだ。
要は、自分がしたいことをできないのに、生きているといえるのか。とも捉えてもらってもいいかもしれない。
そのことを考えてなにになる。と現実主義な人はいうかもしれない。
それはそうであっても、それはその人の考えた方だ。
男にしては夢見がちかもしれないが、異世界のように森の中でのんびり暮らすことや、好きなパンを作って暮らしていくのが夢だったりもしたものだ。
魔法を使えたら、なども考えたことがある。
いろいろ考えながら生きてきた22年間。
まぁ、結局のところは考えたって変わらない世界に、無情にも今を生きてきたわけだが…。
そう変わらないと思っていた世界は、突然に変わるものだ。
死ぬときは痛くなく死にたい、と思っていたら事故に巻き込まれて死ぬんだもんな。
激痛とだけでは表現し難い、一瞬の衝撃で痛いともわからずに、意識が朦朧としている中、人間死ぬ間際にこんなことを考えるんだな。
あーあ。神様やら輪廻転生なんて信じてる方ではないけど、もし生まれ変われるのならこの世界ではなく、自分のすべきことがある世界に生まれ変わりたい。
家族や友人に会えなくなるのは少し寂しいけど、それも俺の生きた人生だ。
薄れゆく意識の中で、ゆっくりと瞼が閉じた。