7. 朝チュンのはずが
今回は少し短いです。
また、シリアスになりそうかと思われるかもしれませんが、そんなことはありませんのでご安心ください。
「ん……」
ふわりと漂う甘い香りが鼻をくすぐったのか、それともマリアが漏らした吐息に反応したのか、日が昇る前にも関わらずカールは目が覚めた。
寝起きのため視界は未だ歪んでおり、思考もはっきりしていない状態。
昨日の疲れが残っているからか、このまま再び寝入りそうだ。
ちなみに疲れと言っても肉体的なものではなく、精神的なものである。
そしてカールの無茶な好意を受け止めて肉体的にも疲れたマリアは、もちろんカールのすぐ横に寝ている。
一糸まとわぬ姿で。
ということを、カールは思い出してしまった。
「(やべぇ……)」
左腕に感じる柔らかな温もり。
それが何を意味するのか分からない訳がない。
少し前に散々味わった感覚なのだから。
「(……横目で見るくらいなら)」
一晩を経験したとしても、カールのチキンっぷりは変わらないようだ。
堂々と寝顔や寝姿を堪能すれば良いのに。
普段から情欲のままに女性に襲い掛かる妄想をしているくせに、本番では手を出せないとはなんと情けない事か。
このまま悶々と朝まで眠れない、そんなラブコメは要らない。
照れ臭さよりも性欲が勝ったのか、それとも単にまだ寝起きで頭が働いていなかったのか、決して男として成長したわけではないだろうが、カールは意を決して左を向いた。
「え!?」
隣に横たわっていたのは、マリアの形をした金属で出来た人形だった。
全身が鋼のような色合いの金属だが、目鼻顔立ちはしっかりと人間の形をしていて、それが不気味さを醸し出していた。
左腕に絡んでいるモノからは、いつの間にか熱が失われ、ひんやりと冷たい。
「ン……」
呆然としているカールの目の前で、金属の人形は口と思しき部分を小さく開けて言葉を発し、目のような箇所がゆっくりと開かれた。
「カールサマ。オハヨウゴザイマス」
暗闇の中、感情の込められていない無機質な言葉が、妙にカールの恐怖心を煽った。
「くはっ!」
寝ている状態からがばりと勢いよく上半身を起き上がらせ、ベッドから飛び降りた。
未知の恐怖が体をめぐる。
呼吸が荒く、全身から汗が噴き出てくる。
これは昨日街中で発症したものとは種類が全く違う。
精神的なプレッシャーというよりも、命の危機に近い感覚。
「な、何が起こったんだ……?ってあれ?朝?」
先ほどまで部屋の中が真っ暗であったはずなのに、いつの間にか外の微かな明かりを感じられるようになっていた。
「まさか、夢なのか?」
金属人間。
それはあまりにも現実感が無い光景だった。
夢であれば良いとの願望、というわけでもないだろう。
改めて思い返してみると、夢の中にいたような虚ろな感覚だったような気もしている。
ベッドの上で寝ているマリアの姿を見れば、夢か現実か答えは分かるのだが、その勇気が持てない。
しかも、体が依然として何かに警鐘を鳴らしている。
不安感、危機感、そういったものがカールの体を渦巻いている。
「危機察知スキルか?いや、アレよりももっと漠然とした嫌な感覚だな。それに、この感覚の発生源はマリアというより……」
窓の外。
それも遥か遠く離れた場所で発生している何かだろう。
「ヤバイなんてレベルじゃねーぞ。何が……起こって……やがるんだ」
窓まで移動し、外を見ても通りを挟んだ向かい側の建物しか見えない。
しかし、その遥か先から来るプレッシャーを受けたカールは、胸を押さえて苦しんでいる。
「マジで……なんだってんだよ……」
体を支えることが出来ずに窓枠に手をつき、必死に呼吸を整えようとしていると、ひときわ大きな衝撃が襲ってきた。
「ぐっ……!」
空気がビリビリと激しく振動し、不可視のエネルギーが直撃したカールだったが、辛うじて倒れず持ちこたえることが出来た。
「おさまった?」
強い不快感が、綺麗さっぱり無くなっていた。
街は何事もなく静けさに包まれたままで、まるで今度こそようやく目が覚めたのではないかと思えるほど何も起きていなかった。
「悪夢……にしてはリアルすぎるだろうが」
窓を少し開け、肺に溜まった澱んだように感じる空気を吐き出し、ひんやりする朝の空気を吸って心も体もスッキリしたのか、カールは何気なくすぐ脇のベッドに目をやった。
金属人間、は居なかった。
だが代わりに居たのは、一糸まとわぬ姿でくぅくぅと幸せそうな顔で寝入っているマリアだった。
「カール様、お話がございます」
「……はい」
翌朝、宿の部屋のテーブルを挟んで座っている二人。
笑顔のマリアと体を震わせて俯いているカール。
もちろん笑顔と言っても、怒りを押し殺した方の笑顔だ。
正座をさせないのはマリアの優しさである。
「朝、目が覚めたら想い人が隣に居ないということが、どういうことかお判りでしょうか?」
「……はい」
結局カールはベッドに戻ることは出来なかった。
布団をマリアの上にかけなおし、こっそり部屋を抜け出して早朝ランニングに出かけたのだ。
裸のマリアに近づき、傍で再び横になる勇気はカールには無かった。
欲情を抑えきれる自信も無かった。
街の外を全力で走り回り、不可思議な現象に対する動揺とマリアに対する情欲を綺麗さっぱりさせて部屋に帰ってきたカールが目撃したのは、ベッドの上で本気泣きするマリアの姿だった。
その時の涙涙の表情がカールの良心に大打撃を与えたのだ。
「カール様は日常的に早起きであるかもしれませんし、恥ずかしがりやであることは承知しております。ですが、ですが初日くらいは隣にいてくださっても良いじゃあありませんかぁ!」
「……はい」
「本気で見捨てられたかと思ったんですからぁ!」
「……ごめんなさい」
寝起きの気持ちを思い出したのか、再度涙目になるマリア。
カールは謝る以外の選択肢が無かった。
「本当に反省してますか?」
「……はい」
「それじゃあ一つだけお願い聞いてくれませんか?」
「……はい」
「これから毎日デートしてください」
「……はい。って、え!?」
「はい、言質頂きました。朝ご飯を食べに行きましょう」
立ち上がりカールの腕を素早くとると、自らの腕を絡めて階下にまで引っ張って行く。
先ほどの話に有無を言わせない強引さ。
ベッドの上では本気泣きだったが、部屋の中では演技だった。
カールにはその違いを見抜くことは当然できなかった。
そもそもマリアにとってカールが戻ってきてくれた時点で悲しみよりも嬉しさの方が上回っており、本当はそれほど怒ってはいなかったのである。
むしろ機転を利かせてデートの約束を取り付けたあたり、策士である。
「デートっ、デートっ、カール様とデートっ」
嬉しそうに自分を引っ張るマリアの姿を見て、笑顔になったからまぁいっか、と思うカール。
悪い女に騙される典型的なタイプだ。
マリアが聖女で本当に良かった。
カールは気付いているのだろうか。
マリアの顔をあまり緊張せずに見られるようになっていることを。
一言だけでも答えを返せるようになっていることを。
マリアと一緒に居ても、居心地があまり悪くないことを。
そして、デートを楽しみだと思ったことを。
マリア相手限定とはいえ、他人と触れ合うことに恐怖以外の感情が打ち勝とうとしている点、一晩で大きく成長したのだろう。
脱童貞は男をこうも変えるのだろうか。
ウイーン、ウイーン、ガチャ。