4. コミュ障
『理想の女性』
カールにとってまさに理想と言える見た目や雰囲気の女性が、ハーレム対象として目の前に現れた。
しかも自分は悪漢から助けたヒーローの立場で好感度が非常に高いはず。
今後関係を深めるにあたって最高の出会いのはずだった。
「ゴメンッ!」
「え?あのっ……」
が、カールは聞き取れないほど高速で小さな『ゴメン』を残して逃げ出した。
コミュ障が女性、しかも自分の理想のタイプの女性を前にしてまともな対応ができるはずがなかったのだ。
―――――――――
「(うわあああああああああ、何逃げてんだよ俺えええええええええ!)」
逃げるように駆け込んだ冒険者ギルドのテーブルに突っ伏して、カールは頭を抱えていた。
「(やっぱ無理だって、俺なんかがあんな綺麗で可愛い人と話が出来るわけないだろ。そもそも助けに入った時、みっともなく噛んだしキモいやつだって絶対思われた。あのままあの場にいたって、気持ち悪いから早く立ち去ってくれないかなって思われるだけだ。けど助けてくれたから仕方なく『助けてくれてありがとうございます』って言ってくれて、そんな内心にも気づかない俺が調子に乗って話しかけてあの人を困らせるに決まってるだろ。そうだ、こうやって逃げたからあの人だって変なキモいやつに関わらなくて良くて安心したはずだ。これで良いんだよ、これで)」
このネガティブ思考、まさにコミュ障である。
「(やっぱり最初に登場したときキョドったのが致命的だよな。『おい!何してんだよ!』ってビシっと決めて相手の恫喝にも動じずに、目にもとまらぬスピードで一撃で昏倒させる。そしてあの人に『もう安心ですよ』って柔らかな表情で手を差し伸べてあげる。これだけで良かったんだよ。『安全なところまでお送りしましょうか』『お嬢さんも旅をしているのですか?最近物騒ですから気を付けた方が良いですよ。よろしければ私が旅の護衛を致しましょうか?』なーんて言っちゃって、二人旅を続けるうちにお互いのことを知ってあの人は俺の強さと優しに惚れて……)」
妄想の中では何もかもが上手く行く、まさにコミュ障である。
そもそもか弱い女性がソロで旅をしていることなどありえないのに、何を言ってるんだこいつは。
カールの妄想にツッコミを入れられる人は誰も居なかった。
「(はぁ、でもマジでどうしよ。仮にもう一回あの人と出会えたとしても、絶対逃げ出す自信がある。でもあの人にフラグ立ってるから攻略しないとペナルティが……いや、ハーレムって言うくらいなら他にも候補者いるんじゃないか?あの人は諦めてもっと話しやすい人が来たら頑張るってことで)」
極めて後ろ向きなチキン。
だが仕方ない、カールはコミュ障なのだから。
「(もっと話しやすい人って誰だ?無口な人とか?でもそれはそれで何考えてるか分からず慌てる自分の姿が容易に想像できる。じゃあフランクに話しかけてくる人か?無理、耐えられずに逃げるかイラっとして殴るかもしれん。一緒に居て居心地が良くて、まともに話が出来なくても全部理解してくれて、心の底から俺を受け入れてくれてるのが明白で、キモがらず愛してくれて、俺が逃げない程度に綺麗で可愛くて、一緒にいても他人から絡まれない程度の見た目で、体つきは適度にやらしくて、俺の願いは嫌がらずに何でも喜んで聞いてくれて、料理が上手で、人付き合いは俺の代わりにやってくれて……)」
人はそれを、『都合の良い女』と呼ぶ。
とはいえ、カールの望む『都合の良さ』は最早奴隷とも呼べるレベルであり、率直に言って最低である。
「(……はぁ、そんなやついるわけないよな。って考えれば出てこねぇかな。どっちにしろ、俺に女を作るなんて無理だってことだ。でもこのままじゃペナルティが発動してしまう)」
逃げたくなればなるほど、頭の中でペナルティの項目が激しく点滅しているような気分になってくる。
「(……もういっそのこと全力でペナルティから逃げ切ってやろうかな。夢の中ではあんな結末だったけど、今あるスキルを駆使して誰もいないところに全力で逃げ続けることが出来るんじゃないか?終焉の森のもっと奥深くに引きこもるのもアリだし。よしそうしよ……)」
「よう、辛気臭い顔してどうしたんだ」
ギルドのおっさんが机に右頬をくっつけてブツブツ言っていたカールの肩を軽くポンっと叩いた。
丁度ペナルティのことを考えていたカールの体は恐怖に支配され、冒険者ギルドを飛び出した。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああ!」
「え、ええ?俺なんか悪いことしたか?」
おっさん、哀れである。
―――――――――
「(……やっちまった。これからどうすっか)」
数少ない知り合いに迷惑をかけてしまい、もう冒険者ギルドには顔を出せないと感じたカールは、背を丸め、暗い顔をしながらトボトボと街中を歩いていた。
周囲から見れば、莫大な借金を抱えたか、大事な人に不幸があったのかと思えるほどの雰囲気ではあるが、実際は自分有利な状況で女性と話をすることもできず、挙句の果てにはおっさんに無駄な恐怖を抱き逃げ出したチキン野郎である。
「(……別の街に行くか)」
完全に逃げるわけでもなく、かといって立ち向かうわけでもなく、結論を出さずに保留する。
どちらを選んでも勇気がいるため、結論を出すことから逃げ出したのだ。
金が容易に手に入り、自活でき、言葉をほとんど発しなくても生活できることを知っているため、どこで何をしていてもなんとかなるだろうという余裕があるからだ。
ペナルティが無ければ無人島にモンスターと一緒に引きこもっているような人間なのだから当然か。
「(馬車は……行き先を尋ねるの嫌だから飛んでいくか)」
お店の人に話しかけるなんてとんでもない!
それに、狭い空間で長い間他人と一緒なんて、拷問である。
「あ、あなたは!?」
街の外に出たらどの方角へ向かおうか考えていたカールに正面から投げかけられたのは女性の声だった。
もちろんあの時助けた女性なのだが、まともに顔を見ることができないカールにとっては声だけで判断するしかなく、あのテンパっていたときにチラっと聞こえた声のことなど覚えていなかった。
「(……聞こえないフリをしよう)」
まだ正式に自分が声をかけられたわけではない。
他の人のことかもしれないのに反応するなんて自意識過剰じゃないか、と無理矢理自分を納得させる。
相手の顔も見てないし、このまま気付いてないフリをして素通りし、複雑な路地に逃げ込んで撒いてしまおう。
そう思って歩くペースを上げようとしたところ、その女性がカールの進行方向を綺麗に塞いでしまったため、カールは思わず足を止めてしまった。
「(しまった、ここで自然に歩く方向を替えて躱せば逃げ切れたのに。止まったら気付いたってバレちゃったじゃねーか)」
「あ、あのっ!先ほど私を助けてくれた方ですよね?」
その言葉に反応してほぼ地面に向いていた視線を上げ……ようとしたが無理だった。
女性の首元まで視線が上がったけれども、恥ずかしくてそのまま大きく右方向へと視線をずらした。
「(流石に話しかけられて大きくよそ見してるのは失礼だよな。くっ……顔を……やっぱり無理!あ、今度は左向いちまった。ダメだダメだ、ちゃんと真っすぐ見ないと。真っすぐ……真っすぐ……ダメだあああ。あ、良い形してる胸だ。っておいおいおい、視線下げて胸見てるなんて最低じゃねーか。もっと下……はもっとダメだ!ああもう上だ、視線を上に上げろ。ああ、空が青くて良い天気だな~じゃねーよ!今度は下、あ、ダメ、右、左、ああもうどうすりゃ良いんだよ~)」
表情が強張り、視線が上下左右キョロキョロと動いている。
挙動不審で逮捕されてもおかしくないくらいのキョドりっぷりだ。
「どうしてもお礼を言いたかったんです。会えて良かったです。あの時助けて下さり、本当にありがとうございました」
そんなカールのキョドりっぷりを女性は気にしていないのか、自然な口調でお礼を伝えてくる。
「(こんなキモい挙動のやつ、相手にしたくないに決まってるよな。普通に会話してくれるけど、内心早く終わらせたいって思ってるはずだ。お互い出会ったのが不幸だったんだよ。このまま黙ってれば向こうから去ってくれるかな)」
「…………」
女性は何も言わずに佇んでいる。
カールの言葉を待っているのだろうか。
女性がどう思っているのか、表情を見ることができないカールには分からなかった。
もちろん、表情を見たからと言って分かる実力も無いのだが。
「…………」
「…………」
お互い何も言わないまま時間が過ぎ去って行く。
カールはまだ一度も女性の顔をまともに見ることが出来ず、頭の上のハートマークをぼんやりと眺めている。
「(……まさかこの女、俺が何か言うまでずっと待ち続けるつもりなのか?)」
もうすでに10分近くお互い何も言わず立ち尽くしている。
カールの耳に、周囲の人間がヒソヒソと自分の悪口を言っているような幻聴が聞こえてくる。
『(……や~ね~あの男、あんな綺麗な人を困らせて)』
「(うるせーよ!てめぇらに俺の気持ちが分かるかよ!)」
とは思うものの、このままでは埒が明かない。
この地獄のような時間を終わらせるには、カールからアプローチするしか無さそうだ。
「(どういたしまして。俺は急いでるんで。この言葉だけで良いんだ。俺はこの街を離れ、もう二度と合わない相手なんだ。反応なんて気にする必要なんかない。言い放って街の外に駆け出して、そのまま飛んでしまえばよい。そうだ、それだけのことなんだ、さあ、言え、言うんだ俺!)」
手汗がひどい。
昔、ぼっちレベルが低かったころにはじめてモンスターと戦った時よりも今の方が緊張している。
毒を受けたかのようにじわじわと体力が削られているのではないだろうか。
「ドうイッ!」
これは酷い。
噛んだ上に声が裏返った。
あまりの失敗に顔が紅潮し、もうどうでも良いやと逃げ出したくなる。
でも、その女性はぴくりともせず目の前に立ち続けている。
カールは表情を見ることは出来ないが、自分のあまりにも無様な姿に女性が全く反応していないことだけは分かる。
無様すぎて呆れたのか。
それなら少し待てば自分から去って行くだろうか。
でも、女性はそんな素振りは全く見せず、変わらず目の前に立ち続けている。
「(なんなんだよ……なんなんだよこれ。誰か助けて―!)」
そうしてまた10分程度時間が経っただろうか。
それとも長く感じているだけであって実際は2~3分だったのか、痺れを切らしたのはまたカールの方だった。
「(この女、もしかして俺の無様な姿を見て笑ってるのか?もしかして俺が顔を見ないのを良いことに、からかってるんじゃねーだろうな。そうだ、きっとそうに決まってる。俺だってこんな無様な人間見たら笑ったり石を投げつけるだろう。そんな相手に緊張するなんてバカらしいだろ。良し、言い放って逃げちまおう。でもまた噛んでバカにされるのはちょっと癪に障るから、今度は噛まないように一言一句ゆっくりと言おう。うん、そうすれば相手を小ばかにしてる感じが出て更に良いじゃん)」
自分は必ず惨めに思われている。
その大前提がある限り、カールは相手が自分を貶めているのだと決めつけるしかなかった。
息を吸う。
一文字ずつゆっくり、を意識しよう。
それなら噛まないはずだ。
「ど~う~い~た~し~ま~し~て~」
煽っている。
誰が聞いても煽っていると感じるだろう。
これで相手を小ばかにした顔をしていれば100点だ。
「(おし、これでこのままさっさとここから消え……)」
やりきった謎の充実感に満たされたカールがその場を離れようと思ったその時、
「はい!」
心から嬉しそうなその声が聞こえてきて。
思わずカールは反射的にその女性の顔を見てしまった。
その顔は、ほんのりと涙を浮かべながら、満面の笑みで彩られていた。
主人公はしばらくの間ネガティブです。
だってコミュ障だもん(しつこい