三話 九重の家族(緋森と祠堂) "Even if it is not the same blood"
――――誰であろうと揺らめいて、誰であろうと騙す。幻使いは、幻に消えて、また現れる。
空は朝焼けの茜色から青へと変わり、灯子のお腹が程よく満たされた少し後、二人はまた別の石段を登っていた。場所は稲見村の左端にある火尾山。その山中にある九重の家族の家系の一つである紅月家の大屋敷である。
喫茶『いなばら』のあった稲見菊中稲原神社とは違い、周りには杉の大木が立ち並び、わずかに入る木漏れ日以外は影を落としている。二人の歩く石段の両脇には小川の様なものも見え、流れる水の音と鳥のさえずりが静寂の中を奏でていた。
石段をほど進むと入り口となる神門があり、それをくぐりぬければ大型旅館と見間違うほどの日本家屋が灯子と己を迎えた。玄関までは敷き詰められた砂利に白い飛び石を歩き、両脇に剪定された松の木や、並ぶ石灯籠に灯るほのかな火の明るさが風情を見せる。当然のことながら灯子の住むボロアパートと比べれば天と地の差である。
灯子と己はオレンジの照明に彩られた広い玄関へたどり着く。灯子にとっては勝手知ったる人の家であり、いちいち声をかけることも無い。逆に二人を迎える人もない。そんな玄関で灯子と己は合わせたようにぴたりと立ち止まった。
「さて早すぎる到着ときたけどさ、私これからどーしよっかな。お風呂入ってもまだ時間あるよねぇ」
「今は七時くらいか。二時間ほど時間が空いてるからな。風呂だけじゃ時間はつぶしきれんだろうな」
「己はどうすんの?二時間暇してるわけじゃないでしょ?」
「俺ぁこれから萩原の御当主に灯子を連れてきたことの報告だ」
「私が怒られないように配慮しといてよ?」
「気が向いたらな。あとはまぁ、紅月の御当主の容体を確認しに行く」
「そっか。んじゃ私は会合の料理でも手伝おうかなぁ。ふふん、己が食べてると聞いたからね。この萩原灯子が御手製を作ってやろうじゃない?」
「毒でも仕込まれねぇか心配だ」
「本当に仕込んでやろうかこのやろー」
「ま、せいぜい期待するさ」
「あとはそうね、私は適当にあいさつ回りでもするか」
「ならここからは別行動だな」
「また会合でね」
「ああ」
それぞれの行動が決まると二人は屋敷に上がって別れた。平屋とはいえ何十もの部屋を構える大屋敷。向かう先が違えば同じ廊下を通ることはほとんどない。その内部構造はまるで侵入者を拒むかのように複雑に入り組んでおり、灯子がまず向かおうとしている台所でさえ玄関から屋敷中央にある中庭への廊下を通り、一度奥へ進んでから山が見える折り返しの廊下を進んだ先にある。各当主の部屋ともなれば何度廊下を曲がるかもわからなくなるほど奥に位置し、一度や二度で覚えられるものではない。
そんな紅月の大屋敷を灯子は迷うことなく歩みを進める。時折柱に掛けられた廊下を照らす蝋燭の火に手を近づけたり、窓から眺めることができる枯山水の中庭に目を細めたり、山間から見える神社の鳥居が見える窓を指でなぞったりと、屋敷の静かな空間を愛でながら台所入り口にある暖簾をくぐった。その気配に厨房に一人立つ女性が振り返る。
「灯子か?おはよう。今日は幾分か早いな」
「おはようございます華蓮さん。うちのジジイに言われて渋々」
「ふふ。それは災難だったな」
台所で会合の為の料理をしていたのは九重の家族の家系の一つ、緋森家の女性当主である緋森華蓮。
灯子よりも小柄で紺染めの着物に割烹着姿。癖のある青みがかったセミロングの髪が揺れ、その深く蒼い瞳が灯子を捉えた。これだけでも特徴のある人なのだが、最大の特徴はその右腰に佩く刀である。いつ何時でも手放すことなく、灯子が知る限り刀を持っていない華蓮の姿を見たことがない。その刀を振るうがため、左肩から腕にかけての着物は切り取られており、筋肉を締める意味合いで、むき出しの左腕には包帯が強く巻かれている。
華蓮は一人娘を持つ母親だが、その一人娘は高校に上がると同時に街で一人暮らしをするようになった。子供の手間が無くなって時間が空いたからか、今は自身が師範を務める剣術道場や、刀鍛冶、本職であると自称する剣客の合間の時間を大屋敷の家事に当てていたりする。とある事情で料理好きということもあり、華蓮は楽しそうに料理を進めていた。
「どうせ時間が空いてここへ来たのだろう?灯子の朝餉でも用意しよう。会合の料理は当主だけど言われているから出来合いの物になるが」
「私は適当に食べてきたんでいいですよ。それよりも会合の料理でしょ?手伝います。今日の料理は何を出すんです?」
「ん、金目の良いのが入ったので煮つけに。ご飯は五目。向こうでけんちん汁と筑前煮を支度している。あとポテトサラダだな」
「ポテトサラダ?合わせに漬物とかじゃないんですか?っていうか、この前紅月の御当主様から漬物用の壺貰ってたじゃないですか」
「昨日そのぬか壺をひっくり返してしまってな。あまりのショックに捨てたな」
「え、捨てた?」
驚く灯子。思わず華蓮の顔を見やるが特に慌てることもなく、茹で上がったジャガイモを荒くつぶしていく。思わず台所を見渡すと、その隅に大きめの袋があり、口が縛られていた。察するにアレがその残骸ということだろう……いや、にしても袋が大きい。もしかしてあれは壺ごと袋に入っているのではないだろうか?袋の形状からして壺が割れているのではないだろうか。思い出すに結構高価なものだった気がしないでもないのだが。灯子は恐る恐る華蓮に聞く。
「このこと、紅月の御当主様には?」
「壺を割ってしまい漬物が出せないと言った。少し困った顔をされたが、やはり漬物がないのはまずいだろうか?」
「そう言うことじゃないとは思うんですけどね?」
「だが、出せないものは仕方がないことだ。代わりに娘から教わったポテトサラダで手打ちとさせてもらおうとな」
「ポテトサラダで手打ちって、いや、ここは困った顔だけで何も言わない紅月の御当主様が寛容だったと言っておくべきなのか?」
「駄目だった時は改めて漬けなおすとする。ほら灯子、煮つけの味付けを頼む」
「華蓮さんがそう言うならいいか。味は私がやっちゃっていいんですか?いつもの味にするなら華蓮さんの方が慣れてると思うんですけど」
「いやいや今日は灯子に頼む。私は下ごしらえに忙しいんでな」
「あーはい。わかりましたっと」
灯子は鍋にみりんと酒を入れ火を入れた。となりでは一定のリズムで材料を切り揃える華蓮の姿。九重の家族はこうして次期当主、当主が並んで料理する姿もそれほど珍しいというものではない。各家の当主や次期当主という呼称だけなら、仰々しく大層に聞こえるかもしれないが、九重の家族は意外と気さくな関係にあったりする。ただ、全員が全員そうではないのが灯子にとって残念な所だ。
隣を見れば上下な関係はあれど軽く会話でき、料理を手伝わせてくれる華蓮の姿。九重の家族の当主や次期当主たちは自信を含めて個性的であり、いつか会合とか関係なく全員があつまれたら面白いだろうな思いながら灯子は華蓮を見た。同時にその脇に高く積まれた山に気が付く。
「うわっ!華蓮さん!その材料の量は何ですか!?」
「ぬ?あ、おっとしまった。斬るのに夢中だった」
灯子が見たのは華蓮の脇に山盛りになった食材だった。既に何十人前というほどの量で、華蓮自身灯子に言われるまで夢中で切っていたらしい。同時に華蓮の手元にある包丁に目が行く。そこには華蓮が作り上げた時に打たれる銘、"二百桜緋森"の文字。
「あっ!そういうことか!また包丁作ったんですか!?それで切る。いや斬るのに夢中に!?」
「おぉっ。気が付いてくれたか灯子。刀鍛冶の合間に一本。合わせて二百本目の記念品だ。この光沢、艶光。控えめな銀色に鋼の強さが秘める。うっすらとしたその体。私が打った刀の切れ味をそのまま受け継ぐ最高の調理器具だとは思わないか」
灯子は「あ、やっべ!」と思わず言葉に出した。だがその言葉も灯子の表情すらも華蓮は介さず、うっとりとした目を包丁へと落とし、ふふふ、ふふふふと不気味な笑みと共に口が軽くなる。しまいには両手で包丁を握るとひゅひゅんと二度、三度嬉しそうに空を斬った。
「どうだこの風を斬る抵抗のない感触。今回は鋼の入れ込みも丁寧にかつうまく入ってな、刃の腹よりわずかに柄の方へ重心を置いてみたんだ」
「華蓮さん華蓮さん!まってマジまって!包丁振り回すのはほんと流石にやめてください。そんなんだから哀華ちゃん一緒に暮らしたくないとか言うんですって」
「うっ!」
「もういい歳した母親なんですから、もうちょっと落ち着いてください」
「子供の事を言われると何も言えん。あぁ、すまない。どうしても刃物を見ると見境が無くなってしまってな」
「無くなりすぎです。自制の"じ"の字もない」
「あぁ、反省しているよ」
「そんな嬉しそうに言われても反省の"は"の字も見えないじゃないですか」
「だって嬉しいんだもん」
「子供ですかっ!?」
「若くは見えるらしいぞ?」
「そういう意味ではなく……あーっと、料理進めましょう?」
「ああ。そうだな。そうしよう」
料理に戻る華蓮を見て、灯子にとってはこれで何度目かわからない失言に反省する。刃物関連、特に刀やついでに打つ包丁の話になると見境ないのはわかり切っているが、華蓮も自分で言うことをせず気が付いてほしい素振りをするので、灯子もわかっていても引っかかってしまう。新作ができるたびに毎度の如く。こりゃ早めに料理を作り終えたほうが賢明だよな、と金目鯛の煮つけを作りながら華蓮にわからないよう顔を背けて舌を出した。
「さてと、金目の煮つけは味を調えて落し蓋して、よし」
「ん、終わったか。なら灯子、器を出してくれ。間違えないよう十だ」
「はいはい」
「それが終わったらそうだな、秋の所にでも行ってやれ。けんちん汁も五目御飯も出来上がりに少しばかり時間を使う。私一人いれば事足りる」
「やっぱり秋ちゃんも呼ばれてましたか。遠路はるばるご苦労なこって」
「いつもの会合の内容ならいいのだがな。今日はそうもいかないらしい」
「華蓮さん、会合の内容は聞いてるんですか?」
「あぁ縞々の大猫だとな。どこからその話が舞い込んできたのやら」
「いると思います?」
「さてね。ニュースにもなってないところを見るに、動物園やらの脱走というわけでもあるまい。日本での野生はいないとすれば、化けが本性の狐狸の類を疑うべきだな」
「あいつらが畑を食い散らかすだけに飽き足らず?」
「あくまで私の想像だ。しかし噂の真偽はさておいても、九重の家族の誰かが調べることになるだろう。私としては一休宗純の真似事となればいいがな」
華蓮は使い終わった包丁を洗い、水気をふき取るとそれを静かに置いた。村近くの山に虎話。それが九重の家族の会合の議題に上がるということは、その解決を九重の家族が行うということに他ならない。屏風に書かれた虎退治と冗談のようにいうが、噂が本当だった場合は手を打たなくてはいけなくなる。緋森家の当主である緋森華蓮も、萩原家の次期当主である萩原灯子もそこに例外はない。
「華蓮さんはもし虎がいたとしたら斬れます?」
器を並べ終えた灯子は華蓮に聞く。九重の家族にして緋森家の当主。刀鍛冶でありながら自身を剣客と名乗る彼女は答えはさも当然のように返る。
「何を言う。当たり前だ。私の緋森蒼炎流剣術が虎如きに負けるはずもない」
「これは失礼。緋森家の当主様に対する失言でした?」
「そっちではなくお前の師匠に対する失言だな。そう言う灯子はどうだ?」
「私ですか?そりゃ当然。獣だろうが華蓮さんだろうが騙し尽くすだけですよ」
華蓮からの問いに灯子も答えを返した。それは言葉だけではなかった。灯子はふっと笑みを浮かべるとその体をゆっくりと霧散させていく。音もなくわずかに揺らめいて、瞬く間に灯子の姿は並べ終わった十の器のセットを残して台所から消え去った。それは灯子が幻であったことを示す。華蓮は会話のどこから灯子が幻であったかもわからず、呆れながらに一人つぶやく。
「この私をも騙すが幻使いか……流石といったところか。九重の家族であろうと遠慮の一つもないところは、ふっ、灯子らしいな」
次に灯子の姿があったのは九重の家族の中では最も年齢の低い当主の部屋だった。部屋に目を向ける灯子は、着物が散乱した様子に一つ息をついて壁に背を預ける。同時に、その部屋で着物相手に奮闘するも結果は芳しくないその当主の後ろ姿にもう一度息をつく。灯子の姿はどうやら着物に集中しているのか気づくことも目に入ることも無い様子。
「こ、これが?こうなって?んん?帯ってこれ?でもこの紐なんでしょうか?」
灯子が目を向けるのは祠堂家の当主、祠堂秋。橙の色が僅かにかかる髪をツインテールにし、紅色の宝石のペンダントをしている彼女は、華蓮と同じ女性当主である。
当主の座についてまだ一年と少しであり、その年齢は次期当主である灯子の半分となる十二歳。灯子のように次期当主として会合に出たことは一度もなく、住んでいる場所も稲見村から山を越えた向こう側にある街で、その為か会合に出席する回数も少ない。当然のように会合で着るための着物の着方もよくわかっていない状態だった。
「この白い着物、なんで余ってるんでしょうか?え?あっ、ほどける!」
華蓮が秋の所に行ってやれと言ったのは見ての通り。なんとか着てみたようだが、着れたというには疑問符が付く崩れに崩れた着物姿。袂も左右で長さが違うし、衣紋の抜きは吉原花魁でも見たことないくらいに空いている肩出しルック。帯は巻いてはあるがゆるゆるで、どう見ても歩いただけで全部ほどけてしまうだろう。このままでは会合どころの話ではないので、灯子はやれやれと声をかけた。
「秋ちゃん、だーいぶエロい格好してるけど、誰を誘惑する気なの?」
「へっ!?灯子おねぇちゃん!?い、いつの間に!?」
「今さっき。それで?そのまま会合出る?」
「あーえーと……秋は一応頑張ったんですけど、この通りというかその通りというか、歩いたらほどける……」
「はいはいわかってる。でもねぇ、これは何というか個性的、じゃなくて酷い」
「ストレートな方に言い直された!」
「ごめんごめん、つい面白くってね」
「灯子お姉ちゃんのとか、いつも着付けてくれる華蓮さんのを見よう見真似でやってみたんですけど、やっぱ難しいですよ」
「そりゃまぁ見ただけで着られたら立派なもんだけどさ。ほらほら全部一回ほどいて。着付けのやり方教えるから自分でもう一度チャレンジしてみ」
「わかりました」
普段から着ていないと着方がわからないくらいには着物は着るのが難しい。洋服に慣れた今の世の中、日本古来の衣服と言えど着付け教室が成り立ってしまうほどに生活から離れてしまっている。
灯子は幼いころから紅月の屋敷にたびたび来ることがあり、そのたびに着物を着ていた。次期当主として会合に出席するころには一人で着物を着るくらいには慣れており、着物を誰かに着付けることもできる。灯子自身、着物の華やかさは好きであり、会合がない時でも好んで着たりする。ボロアパートに着物がないのは部屋に物を置きたくないだけで、実のところこの紅月のお屋敷に灯子の着物が何着も置いてある。
ふんふんと灯子は脱いだ着物を手に取ると、しわにならないよう広げながら白い布地の着物をさっと下着姿の秋に手渡した。
「まずは肌襦袢から。下は裾よけをきっちり着て」
「この真っ白いのが下になるんですか?」
「それが汗染みと臭い移りを防ぐ着物を着るときの下着。まぁ私たちは汗とか関係ないけど着物は簡単に洗えないからね」
「こんな感じですか?結構肌に合わせましたけど」
「いい感じ。いやぁ胸ないタイプのスポブラだとブラのずれを気にしなくて楽でいいわー。はい、次は長襦袢ね」
「さらっと胸ないとか言わないでください。小さいだけです」
「ははは、そのうち大きくなるから気にしない気にしない」
「灯子お姉ちゃんって人の気にしてるとこ笑いながら蹴っ飛ばしてきますよね」
「そう?いいから次いくよ。少し薄めの柄が長襦袢であとそれを止めるための腰紐と伊達締めをつける」
灯子は説明しなら慣れた手つきで秋に着物を着つけていく。その速度は秋がしっかりと目で追える速度に落とし、締め具合や位置取りを秋自身に確認させるようわかりやすくはっきりとしていた。普段ならもっと手早くできるそれも今だけは秋が覚えるためのもの。二度三度では数が足りないかもしれないが、もう数度、着付けをすれば秋も一人で着物を着られるようになるように灯子は教えていく。そんな中、ふと秋が灯子に質問を投げた。
「そう言えば灯子お姉ちゃん。秋はなんで呼ばれたんですかね?」
「あれ?話聞いてない?」
「あ、はい」
「ちょっとした一大事件よ」
首を傾げる秋。一大事件とはなんぞや?と頭の中に浮かぶ疑問符に灯子は意地悪そうに言葉を続ける。それは仰々しく大層に。
「この村の西側に山あるでしょ?美月山。そこに、かなりヤバイのが現れてね。流石に私達でなきゃ対処できないってことになってねぇ。私も聞いただけなんだけどさ、うん。それだけでもやばい感じがひしひしと……」
「や、やばいって、そんなにですか!?」
「そう、それがね、黒と黄色で牙が生えてて、でっかい爪でね」
「黒と、黄色!?き、牙に爪!?妖怪?ううん、もっと強大な悪魔の様な」
「虎が出たってさ」
「虎!?……え、虎?」
急に灯子が軽いトーンに切り替えたことで、頭の中で想像力を最大限に発揮していた秋の顔が困ったような困惑したような顔に変わる。いきなりスケールが小さくなるも、確かにヤバイ動物であることには変わりなく、黒と黄色で牙も爪もあるから嘘じゃないけど……と秋の思考は巡る。それを面白がってコロコロと灯子は笑っていた。
「く、くくくっ。なに想像してたか知らないけど、虎が出たって話よ」
「本当に虎なんですか?」
「さぁね。己も聞いただけだって言うし、まずは調査ってことになるんじゃない?」
「いるかどうかもわからないけど、ほっとくのもいけないんで一応秋も呼ばれたと。そういう感じですかね?」
「たぶんね。私の見立てじゃ秋ちゃんに出番なさそうかな」
「灯子お姉ちゃんお得意の先見の明って奴ですか?」
「そんな大したもんじゃないけど、ある程度の予測がついてるってだけ」
「何かあるたびにお見通し!って感じじゃないですか。なんか答えを知ってるのに教えてくれない感じなのは意地悪に見えます……見えるというか、意地悪ですよね?この件に関わらず灯子お姉ちゃんって」
「ひどい言われようね私」
大体だが、己も同じこと考えていそうだなと灯子は心ながらに思う。とはいえ別に嫌味に言われようが灯子自身が好いてる自分の性格なので治す気はまったく無い。
「ま、秋ちゃんがそこまで言うなら、ちょっとくらいは教えてあげようか?」
「え、本当ですか!?」
「あくまで私の想像だから、深く信じないことを約束するならね」
「わかりました」
秋は口ではそう言うが期待する目が注がれる。着物の着付けの手を止めた灯子はそんな秋に少しだけ考えた後、灯子が想像する"ちょっと"を口にした。
「きっと"二十八日は雨が降っていた"のよ」
「はい?雨ですか?それに二十八日って今日じゃなくてですよね?」
「もし雨が降ってなかったら私の予想は見事な大外れ。きっと街のほうの動物園から逃げ出したり、狐か狸の化けの虎ってことかなー?」
「んんー……よくわからないです」
「まだまだ秋ちゃんは知識が足りないからね。もし本当に気になるんだったら西部の旦那にでも聞いてごらん」
「西部の御当主様も虎の話を全部知ってるんですか?」
「さぁ?そこまでは」
「……結局、なんだか意地悪されただけな気がします」
「答えを得たりと願うは課程を得よ。課程を予測したれば経験と知識を得よ。さすればおのずと先は見えるに至ると。はい、でーきた。帯のお太鼓はまた今度教えてあげる」
ぽんときっちりしまった帯を灯子は叩いて着付けの終わりを告げた。最初の時のように崩れに崩れた着付けは見事に整っており、白地に舞う桜の花弁の着物が、春を待つ先触れのように鮮やかに咲いていた。それと同時に話にも区切りをつけた。
「ちゃんと着るとこうなるんだ……奇麗ですね、この着物。これをささっとやっちゃう灯子お姉ちゃんはすごいですよ」
「こっちは着物を着るのが趣味だからね」
「こうやって着物着てると一応ですけど、炎の血族の当主の一人なんだなーって思うんですね。うん。灯子お姉ちゃんは秋に手番はないって言いましたけど、虎ぐらいなら秋でもなんとかできそうな気がしてきました」
「言うねぇ。自信がついたのはいいことだ」
「ですよね!」
「でもまぁ、秋ちゃんはまだまだ甘いところがあるからねぇ」
「へ?」
不意に後ろから灯子の声が聞こえ、驚いた秋はばっと後ろを振り向いた。そこには鮮やかな紅葉柄の着物に着替え、少し頬を赤らめた灯子がにやにやとしながらそこにいた。
まさかと秋は確かめるように今まで着付けをしていた灯子を確認するよう前を向くと、そこにもにやにやと笑みを浮かべる灯子の姿。秋の目には灯子が二人いることになる。つまり、これは、と秋が答えを出す前に着付けをしていた側の灯子がふっと霧散した。
「ま、幻!?」
「そゆこと。私としては当主として立つなら見破ってほしいかなー」
「いや、でもですよ?灯子お姉ちゃんの幻を見破れる人って紅月さんと萩原のご当主様ぐらいしかいないですよ」
笑いながら灯子は「そうだっけ?」と、とぼけて見せた。やっぱり意地悪だと秋は思うが、それが萩原灯子の幻の能力の高さを示すことにもなる。若輩当主の秋はもちろんの事、緋森華蓮ですら看破できない幻の精度は、既に次期当主としての域を超えていた。
ただし、灯子はそれを自負していながらも自分の面倒毎を解消する術にばかり使うのみ。秋の質問にも、そう答える。
「ちなみに秋の着付けを幻に任せて、灯子お姉ちゃんは何してたんですか?」
「何って、朝風呂してた」
「あ、ええ……」
秋は灯子の答えに呆れて言葉が出なかったが、もしどこからどこまでが幻だったか?と問うならば、灯子は意地悪そうに、そして面白そうに答えるだろう。「どこまでも」と。
お読みくださりありがとうございます