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二話 蕎麦と喫茶で雑談を "Feel incongruous"

――――神社の境内にある喫茶店で、幻使いは先触れより得る

 灯子が住んでいる田園風景広がる稲見いなみ村。西に美月みがつ、東の火尾ひのおと二つの霊山に囲まれ、スーパーもコンビニも無い現代社会から切り離されたような場所である。人が言うには寒村というものであり、口悪く言えばド田舎というものである。日に四本だけの電車が走る県境のローカル線。その最終駅にこの稲見村はあり、目だった観光名所も無い。その為、村を歩くのは村人がほとんどであり、その人数も多くないので人に会うこともそれほど多くない。

 そんな稲見村の冷たい冬の朝、鳥のさえずりを耳にしながら灯子と己は、ボロアパートから歩いて十分ほどにある神社の参道を両脇に並んで足を進めていた。


「灯子」

「なに?」

「わかってるとは思うが、長居はしないでくれ」

「はいはい。食べたらすぐ出るから。つっても会合までそんなに余裕がないわけじゃないでしょ?何だったら己だけ先に行っててもいいし」

「萩原の御当主の言いつけだ。そいつぁできやしねぇな」

「引っ張ってでも連れて来いってか。ちゃんと腰は上げたんだし、やることはするから心配するだけ無駄ね」

「そうしてくれるとありがたい」

「ゆっくりご飯も食べられないなんて、ああ、私ほんとかわいそー」

「棒読みでそう言われてもな」


 他愛もない会話を続けながら、春待つ桜並木が両脇に立ち並ぶ参道の石段を登っていく。石段を登り切れば、朱色の大鳥居をくぐり、目の前には拝殿。ここは稲見菊中稲原神社いなみきっちゅういなばらじんじゃ。豊穣を祈願して宇迦之御魂神うかのみたまのかみが祀られている。

 が、灯子の目的は拝殿への参拝ではない。鳥居から見て正面にある拝殿には目も向けず、右手側にある手水舎ちょうずや、そのさらに奥に見える神社にしてはやけに洋風建築な喫茶店である。神社の境内に喫茶店というミスマッチに「相も変わらずひでぇ所にあるな」とこぼすのは己だ。


「モーニングやってるかな?」

「モーニングどころか開いてすらねぇんじゃねぇか?まだ七時前だが」

「大丈夫よ」

「その自信はどこからくるんだ」

「私と瑞樹の仲だし。それも中学からとくれば相当なものよ」

「瑞樹さんも迷惑な友人ダチを持ったもんだ」

「んん?なんか言った?」

「いや、鳥のさえずりでしょう」

「あとで覚えてろよー己」

「あぁ、そいつぁおっかねぇな」


 稲原神社の敷地内にある洋喫茶店『いなばら』。二人がその前に立つと、目に入るのは手作りで作られた木の札にある『CLOSED・準備中です』の文字。開店していれば店の表側に出ているはずのメニューが書かれた黒板も、今は店内にあるのが窓から伺えた。誰がどう見てもお店を開けているとは思えない。


「閉まってるじゃねぇか」

「ほんと?」

「見りゃわかるだろ」

「ドアは開けようとしないと本当に閉まってるかはわからない。と」

「いや、そういう意味じゃ」


 灯子はなんの躊躇もなく入り口のドアに手を掛け、己の静止の言葉が届く前に、ドアを開け、来客を知らせるベルの音を鳴らした。ふわりと、中からはコーヒーのいい匂いが二人の鼻をくすぐる。店内にはピアノとアコースティックギターのゆっくりとした音楽と、楽し気な鼻歌。ほら見ろと言わんばかりの灯子に、己は呆れながら入るなら入れとため息交じりに首をすくめた。


「ん?」

「どうした灯子。入らないのか?」

「いや、ふぅん。珍し」

「なにがだ?」

「なんでもない。いいから入ろ」


 喫茶店『いなばら』の店内は開店前だったが、オレンジ色の暖かな証明がシックな店内をわずかに薄暗く照らしていた。茶色と灰色を混ぜて暗くしたようなウォールナット材でテーブルや椅子だけでなくカウンターも統一され、白い壁とレンガ調の柱によく合っている。カウンター5席、テーブル席3つと小さい店内だが窓辺に置かれた観葉植物の一つでさえ内装に合わせるよう派手めな物はなく、雰囲気の演出に力が込められていることがよくわかる。その店主は来店した灯子と己に気が付くと笑みを向けて迎えた。


「あれ?早いね灯子。それに珍しいね。この時間に己君もいる」

「おっはよう、瑞樹」

「おはようございます。瑞樹さん」

「うん。おはよう二人とも」


 カウンターの向こう側にいる喫茶店『いなばら』の店主、水城みずしろ瑞樹みずきはタヌキとキツネのイラストが入ったエプロン姿で、ブラウン系に染めたセミショートの髪を揺らした。右手にはピックのような道具が握られており、開店準備をしていたことが伺える。


「灯子、まだ準備中って札見えなかった?開けるのは八時からなんだけど?」

「でも出してくれるのが瑞樹でしょ?」

「まぁね。カウンター座って」


 口ではいうものの迷惑そうなことなどなにもなく、むしろいつも通りだと言わんばかりに瑞樹はカップを二つ出した。甘く、香ばしい匂いは店内に入ってきたときに感じたそれだった。暖かなカフェラテ。灯子の前に出されたラテにはキツネ、己の前にはタヌキのイラストが入ったラテアート付きだ。

 瑞樹が手に持っていたのはアートピック。ラテアートを描くための道具で、カウンター内にはソースディスパンサーや温度計にミルクジャグ。ラテアートの為の道具が一式揃っている。


「あ、すっごい。瑞樹、これかわいい奴だ」

「でしょ?これ最近やり始めてね、おじいちゃんおばあちゃんたちには好評なの。己君も遠慮しないで飲んで。ラテアートの練習のだから私のおごりってことで」

「開店前にお邪魔してなんだか悪いな」

「そう言うならちゃんと灯子を開店前に来ないよう止めてください」

「できると思うか?灯子だぞ?」

「まぁ無理でしょうね。灯子は結構自分勝手だもんね」

「うーわ二人して言いやがった!あーもう、いいからなんか出して。ラテだけじゃお腹は膨れない」

「はいはい。何にしましょうか?」

「うーん、そうねぇ」


 灯子は、窓辺にあるメニューが書かれた黒板に目を向ける。瑞樹のイラスト付きで可愛く書かれおり、モーニングのほかには本日のパスタ、デミグラスハンバーグ、パンケーキなどもある。それほど凝ったものはないありきたりな喫茶店のメニューであり、通いなれた灯子にとってはどれも口にしたことのあるものだった。

 灯子は頭の中で逡巡する。メニューの書かれた黒板から視線を一度外し、目の前にはキツネのイラストのラテへと戻す。うん、今日は寒い。暖かく狐のつくものが食べたい。と灯子の頭の中はまとまっていき、「よし、これにしよう」とうなずく。その様子を見ていた己はまさか、と視線を灯子へ向け、瑞樹はやれやれと肩をすくめた。


「今日の気分は蕎麦ね。私、狐蕎麦食べたいかも」

「でた。いつもの無茶ぶり灯子」

「灯子、おまえな」

「いいじゃない。とりあえず言ってみただけよ?私の気分は蕎麦気分」

「まったく。なんでメニューに無ぇもんを頼んでんだ」

「いやまぁ食べたくなったから?」

「店を見ろ灯子。どう見ても和食が出てくるようには見えねぇ。これであるってんならここはいったい何の店になるんだ?」

「その顔と同じく凝り固まった考えしてるわねー己。喫茶店にお蕎麦が出てきたっていいじゃない。私は風情あって好きだけど?」

「いや、灯子、お前の好みの問題を言ってるわけじゃなくてな」

「わーってるって。このお店に蕎麦なんてないって言いたいんでしょ」

「ああ、だからな」

「ところがどっこい。あるよね瑞樹。お蕎麦が」

「なに?」


 下からにっと瑞樹に笑みを向ける灯子。その目がお見通しだと訴えかけると、瑞樹は観念したように「あーもう見つかったぁ」とあきらめの言葉を出した。無いと確信していた己は驚き、あることを確信していた灯子はどうだとばかりに己に笑みを向けた。


「灯子の言う通りあるのよ己君。狐蕎麦。灯子に隠し事はやっぱり無理ねー」

「いぇいっ。ほら見ろ己っ」

「なんで蕎麦が……あ、いや待てよ?灯子お前、入り口で珍しいと言っていたのはまさかだが」

「流石に毎日通ってる喫茶店のコーヒーの匂いと醤油の匂いくらいはわかるって。私、けっこう鼻いいしさ」

「感心してやりてぇとこだが無茶な事にはかわりねぇな。呆れる」

「私はどう思われたっていいし。それで?瑞樹、お蕎麦は出てくる感じ?」

「しょーがない。灯子の為だもんね。でも、味は期待しないでね?」

「やった」

「己君も食べる?」

「いえ、俺ぁ遠慮しておきます」


 喜ぶ灯子に待っててと一言声をかけ、瑞樹は奥へ続くドアを開けた。ドア一枚向こうは厨房になっており、開けた瞬間に漂う醤油出汁の匂いが己にもわかる。それから少しだけ間を置き、灯子の目の前にぽんと置かれて出てきたのは、醤油にかつお出汁のツユにつかる狐蕎麦。熱々とばかりに湯気を立て、甘辛く仕立てた良い色のお揚げがそばつゆの出汁を吸い込んで旨そうに浸っている。色を添えるかまぼこの四切れと刻みネギ。味は期待しないでという言葉も、この蕎麦の前では無理だろうと、己と灯子は顔を見合わせた。


「うーわ、本格的な奴じゃないこれ」

「いや、なんというか、素直に旨そうだな」

「お客様にお出しする用だからね。まま、とりあえずどうぞ。召し上がれ」

「いっただきまーす」


 用意された割り箸を気持ちよく割ると、灯子は出汁につかる蕎麦を持ち上げる。ひと吹き、ふた吹きの息をくぐらせてからすする。ぞぞぞと。かつお醤油出汁の香りの中にそばの香りが鼻を通り、出汁が絡んだ熱々そばの旨みを口いっぱいに受け止める。噛むときの触感もさることながら、喉を通す時の滑らかさも格別だ。


「んー!なにこれ!?抜群に美味いじゃん!」

「灯子にそう言ってもらえるなら大成功かな」

二八にはちだけどちゃんと香りも出てるってことは手打ちだこれ。醤油出汁もちゃんと一から取ってるし美味しいっ」

「えらく本格的じゃねぇか。驚いたな……にしても蕎麦か。客に出す用と言っていたが、この店で本当に出す気なんですか?俺が口出すことじゃねぇかもしれねぇが。店の雰囲気とはちょっと違うな」

「うん、それ。作ってみたけど、どうしようか考えてるとこ」

「そもそも瑞樹はなんで蕎麦作ろうと?」

「実はね、一昨日の夜に蕎麦を二つ頼まれたの」

「まーた村のジジババのわがまま?」

「ううん。小学生くらいの子供だよ。二人で閉店間際に来て"蕎麦はあるかい?"って」

「子供にこの蕎麦を出したの?」

「まさか。準備のそれもないし、用意しておくからまた来てねと言って帰したの。夜も遅かったしね。灯子に出したのはその練習用ってとこかな」

「子供二人だけの為にこんな本格的なのを?」

「私が凝り性なだけ。やるならとことんやりたいもん。お店に出すかどうかはそうね、その子たちの感想を聞いてからにしようかな」

「夜に子供の蕎麦注文ねぇ。ふぅん……ま、でもそのおかげで美味しい蕎麦が食べれるんなら私としてはうれしい限り。あぁ幸せ幸せ」

「子供に出すにはちと贅沢かもしれんな」

「とか言いながら、己も食べたいんじゃないのぉ?」

「いや、俺はいい」


 二口、三口と箸を進める灯子。その隣ではタヌキのイラストのカフェラテに口をつける己の姿。灯子はにやりと笑みを浮かべると、わざとちゅるんと音を立てそばを口に入れる。それが己への見せつけであることは見ていた瑞樹の目から見て間違えようのない。どうよ、食べたいだろうと見せつける灯子にもう何度目かの呆れ顔を己は向けた。


「灯子、はしたなく食うな。行儀が悪い」

「いやぁ、本当に美味しいよ?こんな蕎麦滅多に食べられないよ?」

「美味いのはわかったが、俺ぁ今から出席する会合で料理が出る。腹に何か入れるわけにはいかねぇな」

「料理って言ってもさ、毎回用意する癖に一口も食べずに全員残すじゃない」

「それがそうでもない。終わってすぐに部屋を出ちまう灯子にはわからんが、その後始末があるんだ。出された料理は全部な」

「え、己あんた、律儀に九人分食べてるの?」

「流石に全員が残すわけじゃない。緋森ひもりの御当主、西部にしべの旦那や、祠堂しどうの嬢ちゃんはちゃんと食ってくれる。紅月くづきの御当主は体調次第ってとこだな」

「それでも五人分って、よく入るわねー」

「朝も早くに気合を入れて作ってくださる緋森の御当主の手前、残すわけにもいかなくてな」

「うっわ、律儀」

「別にそうでもない。残ってるもんが捨てられるのがもったいねぇと思うだけだ」

「それを律儀って言うのよ」

「そうか。ま、それは別として灯子お前、話を聞いていたくせに蕎麦食うのを見せつけるな」

「あ、わかってた?」

「わざとだからタチが悪い……朝早く迎えに来た仕返しだよな」

「へへへ」


 己の言葉ににやりと笑む灯子。もうここぞとばかりに蕎麦を口に含んでわざとらしくちゅるんとすすって食べる。行儀が悪いどころの話じゃないが、己に仕返しできると踏んだ灯子はやめる気配がない。意地の悪さがここぞとばかりに発揮されるが、己は呆れるだけ無駄以外の何物でもない。己のため息がもれる。


「まぁまぁ己君。会合無い時に来てくれたら作ってあげるから」

「ああ、いえ、余計な気を使わせちまったみてぇで」

「ひふいのほば、まひうへーよ(瑞樹の蕎麦、マジうめーよ)」

「食べながらしゃべるな灯子」

「でもそっか、今日は灯子も己君も会合なのね。ちょっと残念かな」

「ん?残念ってなんですかい?瑞樹さん」

「ん、えっとね。いつもは」

「っ!?んげ!んぐっ!ちょっ!ちょっとま、瑞樹!」

「灯子が来るといろんなことをお話ししてくれるのよ」

「話し?話しって何のことだ灯子」

「あっ、いやぁ……それは己、ただの世間ばな」

「ふふふ。それがね、平安時代の巫女と侍の恋話から始まり、現代ものだとあれね。高校生が世界を救っちゃうお話とか。命の寿命がわかっちゃう女の子ともうすぐ消えちゃう男の子のラブストーリーとか。ここに来るたびにいろんなお話を聞かせてもらってるの」

「灯子、そりゃあ俺達、九重の家族に関わる話じゃねぇか?」


 その言葉を聞いた己が灯子に視線を向けると、今まで己の方を見てそばを見せつけていた灯子はくるんと椅子を回転させて後ろを向く。その際少しだけ見えた灯子の目は明らかに泳いでいたのを見逃さなかった。己の質問には、蕎麦のすする音だけが返る。

 灯子や己、九重の家族はその"特殊な能力"を持つことから、様々な出来事に遭遇することが多い。当然その話は事実を語るだけで興味を引くようなものばかりだが、その能力は悪用に転ずることもできる危ういものになる。当然それは秘匿すべきことで軽々と口にしてはいけないとなっているのだ。


「萩原の御当主から九重の家族にまつわる話は固く禁じられているはずだが」

「……ず、ぞぞぞぞー。アー、ソバ、ホント、ウマァァイ」

「これで何度目だ?」

「……く、くぅ!あーもう!ほら大丈夫だって!そんな詳しいことは瑞樹に話してないしさ。面白おかしく脚色しているからなんも問題ないってば!それに、私の"能力"の事なら瑞樹もう知ってるし!いいじゃんちょっとくらい!」


 くるりと椅子を回転させて向きを戻した灯子は開き直った。一応悪いとわかっているので脚色しているようだが、己はもう何度目かの呆れを見せて続ける。


「灯子、言いつけの事もあるが、今聞いただけでも他人のプライベートなところだろう。流石に本人に許可取ってるわけでもねぇんだろう?」

「あんたは元筋ものの癖にそういうとこ気にするぅ」

「灯子は気にしなさすぎだ」

「あんたは私の親か!」

「俺は灯子の目付けだ」

「い~っ!くっそ、なんでだか知らないけど口喧嘩じゃあんたに全く勝てないっ。あぁもう!ちっくしょう!」

「口喧嘩してるつもりはこっちにはねぇが、言い訳を続けるってんなら付き合うぞ?幸い、朝も早くて、まだ時間があると来てる」

「するか、ばぁかっ」

「ふん、口の悪さだけは逸品だな」


 まくしたてるように言い訳する灯子に、己はラテに口をつけながら反論する。仕舞には「あんたはああ言えばこう言う」と灯子が愚痴ってふんっとそっぽを向いた。その様子をほほえましく見ていた瑞樹が「まぁまぁ」となだめた。


「ごめんね己君。灯子が話してくれることが面白くて。わたしもついね」

「話した灯子が悪い。まぁだが灯子から聞いた話は他言無用で頼みたい」

「私はいいけど、その時に居たおじいちゃんやおばあちゃん達には……どうしよう?」

「はぁ、声がでけぇってのも考えもんだな。やっちまったもん仕方ねぇとする。ま、怒られるのは灯子なんで自業自得って奴でしょうよ」

「うーわーまた怒られるぅ。ほんとに会合行きたくなくなったぁ」

「引っ張ってでも連れてくぞ。勿論今の話は萩原の御当主に報告する」

「お説教確定かぁ。それに会合もまた畑が山の動物に荒らされたーとかその程度でしょ。行っても私に良いことなんもない……本気で逃げようかな」


 禁じられていたことを他言し、目付け役の己にばれたことでお説教が確定した灯子はその場で肩を落とす。その顔が物語るのはお説教が長くてうんざりするということだ。ただでさえ灯子にとっては実りも無ければつまらないだけの会合。面倒この上ないと愚痴をこぼす。そんな灯子に己はカフェラテに口をつけてから言った。少しだけ話の先が変わる。


「今日の会合の内容はそんなに平和なもんじゃねぇらしい」

「え?なにそれ」

「まぁいつも通りの畑荒しの件は出るだろうが、それだけに収まらねぇってことだ。会合に出たり出なかったりの灯子を、朝早くに俺が捕まえるよう言われたのも、その為だ」


 今まで灯子の行いに呆れ顔を見せていた己の表情が、少しだけ真剣になっているのを見て、灯子はうなだれていた姿勢を戻す。同時に瑞樹がぱっと自分の両耳を手で抑えた。


「あーっと、己君。私、奥引っ込んでようか?」

「あ、そうだよ。さっきあんたが言った通り、九重の家族に関わるってなら、ここで話はしちゃまずいんじゃない?私が言うのもなんだけどさ」

「いや、村ん中では少しだが噂にもうなっちまってるし、別段しちゃいけねぇ話じゃないんだ……どころか、聞いておいた方がいいかもしれないな」


 灯子と瑞樹、二人の視線が己に向けられ、己はそれに「俺もまだ詳しくは知らねぇが」と前置いた。二人には己の言葉がもったいぶるように感じられたが、己は言葉をできるだけ落ち着いた感情で話すよう努める。パニックを起こさないようにという配慮だった。


「どうにもな、美月山に虎が出たらしい」


 顔を見合わせる灯子と瑞樹。冗談のようにも聞こえるが、そこまでもったいぶって冗談を言うような性格ではない己からして、本当の事だろうということを悟る。瑞樹は現実味がないような話なので、どう受け入れていいかよくわからず「虎、虎さん」とつぶやいた。

 瑞樹の反応は己の予想通り。普通は強く驚き、強弱の差はあれど慌てるか、冗談として扱うか、瑞樹のように現実味を感じられなくなるか。それが普通というもの。

 だが灯子は違った。顎をに手を当て、瑞樹にはわからない程度に口角を上げていた。長い付き合いであり、瑞樹とは違う九重の家族の一人としての側面を知る己だからこそその表情が意味していることがわかる。 今、灯子にあるのは強い興味だった。


「己、今日何日?」

「一月の二十八日だが?」

「ふぅん。そっか……ねぇ、己」

「なんだ?」

「その虎話、もし"全部揃ってる"なら――――炎の血族(こっち)側だ」


 瑞樹や己にはわからない何かに納得し、灯子はそう言った。まだ美月山に虎が出たという言葉だけなのに、灯子は面白くなってきたと心を躍らせる。瑞樹や己にはわからない虎の話のその先を灯子は思考を素早く廻し、既に見据え始めていた。

 カフェラテと狐蕎麦の湯気が昇る今はまだ朝。物語は始まって間もなく、誰にも知られることなく、灯子の手中へと納まることになる。

お読みいただきありがとうございました。

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