その6
「この素晴らしい出会いにかんぱーい!!!」
「かんぱーい!」
錫製のジョッキが、軽い音を立てて打ちあわされる。
既に何度も繰り返された遣り取りだが、チコリは3回目以降の回数を既に覚えていない。
お相手は、明るい緑色の髪に黄緑色の瞳の少女だ。
チコリの青緑色の髪とは色合いが違うモノの、同じ森人の血を感じさせる色合いで、それも彼女の警戒心を解く一助となっていた。
チコリと彼女……カモミールの見た目で大きく違う部分といったら肌の色。
チコリは純血の森人らしく褐色だが、カモミールはミルクのように真っ白だ。
こんなに色が白くては森の中で悪目立ちしてしまうなと、チコリは頭の中に残った少しだけ冷静な部分でそう考えた。
ああ。
でも、山人達の間に紛れてしまえば何の違和感もないかもしれない。
カモミールの白い肌は、建国祭の時に招かれていた山人達のものと遜色なく見える。
きっと、森人のチコリからすると不健康そうに見えるこの肌色も、山人達ならば普通なのかもしれない。
「それにしても、折角ハンターになったのに辞めちゃうなんて勿体無いですね……。あ、チコリさん。私の事はミールって呼んで下さい。」
カモミール……ミールは、チビチビとジョッキの中の蜂蜜酒を舐めながら呟いて、唇を尖らせる。
チコリはなんとなく周りの様子を窺いながら、彼女の言葉に苦笑を浮かべた。
いつも来ている村人が幾つかのテーブルに座っているが、それぞれに同じ卓を囲んでいる相手との遣り取りに夢中で、こちらの会話に耳を澄ませている様なものはいない。
「でも、獲物を狩れないハンターは、ハンターとは言えないから……。」
「それはそうかもしれませんけど……。」
「幸い、解体は得意だし字の読み書きも出来るから……上手くすれば、ギルドの受付なんかはやらせてもらえるかもしれないし……。」
「……ハンターのお仕事がお好きなんですねぇ。」
彼女の言葉に、チコリは苦い薬を飲まされた様な気分になって、エールの入ったジョッキを一気に煽って少しむせ込む。
「お酒は逃げませんよ。」
対面に座っていた彼女が席を立って、チコリの背中を優しくさすってくれるのが気持ちよくて、目を閉じると一気に睡魔が襲いかかってきた。
「だって、ずっと憧れだったんだもん……」
「うんうん。大丈夫。諦めないで済む方法、私と一緒に考えましょう?」
「ん……。ほんとは……やめたくなんか」
ミールにもたれかかる様にして、小さく呟くとチコリは意識を手放した。
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「……どうだい?」
意識を失ってしまったチコリを部屋のベッドまで運んだ女将が、今はカウンターに座ってジョッキの中身を舐めているミールの元へ戻ってくるなりそう訊ねる。
「チコリさんの事ですか?」
「そう、他の何を聞けって言うんだい? あの子、随分と暗い顔してたから心配になってあんたを呼びに行っちゃったんだけど……。」
そう言いながら、女将は気遣わしげに2階へ視線を向ける。
彼女は少し、お節介が過ぎるところがあるのだ。
でも、そこがまた良いところでもある。
ミールはこの年上の女性のそんなところをとても好ましく思っていた。
それに、この国のほぼ北端であるこの村にわざわざやってくるハンターの用件なんて多寡が知れていて、暗い顔をしているとなると、ほぼ確実にミールの本業の出番だと考えて間違いない。
国内のハンターギルドから、将来性があるにもかかわらず伸び悩んでいるハンターが送られてきたのは、なにもチコリが初めてという訳ではないのだ。
とはいえ、そうしょっちゅうある事態ではなく、去年引退したミールの祖父の時でも2~3年に1度あるかどうかという話ではあるのだが。
「うーん……。実際に弓を扱っているのを見ない事にはなんとも言えませんが、ちょっと気になるクセはありましたねぇ。」
「何とかしてやれそうかい?」
「あれだけ『ハンター』として身を立てる事に執着があるならば、多分、大丈夫でしょう。」
ミールの答えに、女将は途端に嬉しげな笑顔になる。
「矯正の為には、ちゃんとご本人からお代は頂かないといけませんけれど……。」
「そこは本人と話し合って貰うしかないわねぇ。」
「さて。ソレじゃあ私はそろそろ帰ります。」
「ああ。また明日。」
「はい。また明日。」
飲み代を置いて立ち上がると、別のテーブルから声が上がる。
「ミールちゃん、こっちでもう少し一緒に飲まないのかい?」
「今からお仕事本番だから、また今度!」
「残念。『今度』を楽しみにしてるな!」
酒場にいつもたむろしてる男達にいつもの様に返して手を振ると、彼女は扉を引いて外に出る。
「あら、満月。」
空を見上げると、大きな月が地上を照らしている。
今日は父月だけではなく母月も一緒で、二つの月に照らされてミールの影は二つ地面に伸びていた。
父月に照らされた方が母月に照らされて出来た物より長い理由を彼女は知らないけれど、少し酒の回った頭にその長さの違いはいつもよりも面白く感じられる。
チコリさんに合わせて、いつもより呑みすぎたのかも。
少し、酔いを醒ましてからでないと、拙いかしら?
夜中、月が昇り切った時間帯にしか出来ない作業を考え、その時間までには大丈夫そうだと思い、ミールは微笑を浮かべた。
「私は1人きりなのに、影を見ると2人だなんて不思議よねぇ……。」
そう機嫌良く呟きながら、彼女は暗い夜道をふわふわした足取りで家に向かって歩く。
ふと、立ち止まって今北方向を振り向いたミールの顔には楽しげな笑みが浮かんでいる。
その笑みは、少し、いつもとは違うモノを作ることができそうだと言う期待感から来るものだ。
さてさて。
チコリさんの問題には、どうやってアプローチをしましょう?