その9
おやつの時間の少し前。
アニスの作ったお昼御飯を食べそこなったミールは、宿の食堂でホットケーキを頬張っている。
卵白を泡立てて造られたフワフワのホットケーキが口の中に、ふんわりと甘く蕩けていくのが堪らず、ミールはフォークを持っていない方の手で頬を抑える。
新人ハンターの二人組が、ルッセルの里から持ってきた黄金色のハチミツをかけるとまた、味わいが変わってニマニマと口元が緩んでしまう。
明日はアニスも連れて来て一緒に味わう事にしよう、と心に決めながら、のんびりと甘味を楽しんでいるところに、赤毛の魔道士が腹を空かせて降りて来る。
彼はそのまま、カウンターで昼食を注文しながら女将と世間話を始めた。
「この宿は素晴らしいですね。」
「おや、そうかい? そう言って貰えると嬉しいねぇ。」
「特に付属施設の魔飾が素晴らしい!」
彼が熱く語り始めるのに、ミールは『あれ?』と首を傾げながら聞き耳を立てる。
チコリは絶賛しているが、この宿にある部屋の魔飾はミールが見習い時代に作った習作ばかりであり、大して珍しいものでも無い筈だ。
むしろ、最近……高祖父であるディルがデュパール山王国の国王になった辺りから、大粒の輝石の取引量が増えた今ならば、ミールが作るものよりも高性能な魔飾が作れられているに違いない。
だというのに、この赤毛の魔道士は、まるでチコリと同じ様にミールの作った魔飾に好意的な様な口ぶりなのだ。
「そうなのかい? 作った本人は、『今の王都になら、もっとすごい魔飾がある』って言うんだけどねぇ……。」
「とんでも無い!」
苦笑混じりにそう口にされたその言葉を、赤毛の魔道士は即座に否定した。
「今の主流は、技術の足りない魔飾師が輝石の大きさに頼って造り出した出来損ないばかりで……。」
彼は悲しげに首を振ると、女将に腕につけた魔道具が良く見えるように掲げて見せる。
丁度、奥から大将が運んで来た盆に載せられた錫製のマグの魔飾と並べて見ると、両者の違いは確かに明らかだ。
腕輪型の魔道具は、大きな輝石の周囲をぐるりと幾何学模様が刻まれている以外は特に飾りと言える物は無いのに対して、錫製のマグは極々小さな輝石があちこちに埋め込まれており、それらを繋ぐように様々な文様がその表面を覆っている。
「まだ、この魔飾師はきちんとした仕事をしている方ですが……。」
「あんたの持ってるのは随分とこう……シンプルなんだねぇ。」
端的に言うなら、女将の言葉通りだろう。
文様で埋め尽くされている方がゴテゴテしていて悪趣味だと言う人もいるから、どちらの方が見た目としては優れているかと言われると微妙なところではある。
「こちらで使われているマグは素材も……」
「錫だね。」
「ええ。ベースになっている錫も、使われている輝石もどちらも安価ですが、きちんと『中の物を冷たく保つ』ことが出来ているでしょう。」
「ふむふむ?」
「これと同じ機能の物を、最近増殖傾向のあるにわか魔飾師が作ろうとすると、ベースは最低でも銀。輝石は小指の爪程の大きさの物が必要かと。」
「そりゃあ、とんでもない値段になっちまうじゃないかい!」
「実際問題、素材がどんなに安くても、これだけの技術を持って造られた品ですから……。町だったら、こんな風に気軽に店で出すなんてできませんよ。」
彼は、うっとりした顔でマグを見詰めた。
その表情はまるで、長年恋焦がれた女性に向ける様なものであり、女将の頭の中には彼が『魔飾マニア』だという言葉がよぎる。
女将がチラリとミールの方に視線を向けると、彼女も少しひきつった顔でこちらを見ていた。
「これを作った魔飾師は、相当な凄腕ですね。」
「あ、ああ……。本人が聞いたら喜ぶと思う……よ?」
夢見るように熱に浮かされた表情で断言する彼に、女将は困ったような笑顔で曖昧に同意する。
ミールとしては、目が逝ってしまっていておっかないので、聞かなかった事にしたい案件だ。
「流石は高名な魔飾師タラゴンの仕事だと言わざるをえませんね。」
えらく良い笑顔でそう言い切る赤髪の魔道士に、思わず女将とミールは同時にツッコミを入れてしまう。
「「いやいやいやいや。それ、作ったの弟子だし!」」
「……え?」
うっかり口を出してしまった事に気がついて、思わず口元を抑えたミールの方に、彼の視線が向かう。
数秒、彼とミールの間で視線が交わるうちに、彼の中でなにか合点がいったらしい。
うんうんと頷きながら、盆に載せられた昼食を手に彼女の前に腰掛けると、にっこりと笑いかける。
ただ、その目はまるで獲物を見付けた捕食者の様だ。
ミールは、うっかり声を出してしまった事を激しく後悔した。
「魔飾や魔道具について、是非、ご教授いただきたいのですが?」
「……ワタクシデワカルコトデシタラ。」
出来る事なら、今すぐこの場から逃げ出したい。
ひきつった笑みを浮かべながら、ミールはそう答える。
――ああ……。
数分前の自分を絞め殺してやりたい!