その11
アニスが恋に落ちたのがいつだったのか、それは分からない。
ただ、自分が恋していたのだと気がついたその時、彼女は既に失恋していただけ。
よくある話だ。
「おにーさまのおよめさんになってあげる!」
アニスが、毎日のようにそう告げていた相手。
それが彼女の初恋の人で……、そして、その恋を未だに諦める事が出来ずにいる。
初めて会った時には、すでに彼は大人だった。
父方の従兄と言うのが、その時点での彼の立ち位置だ。
だから本当の初めての時、アニスは目も開いていない赤ん坊だったのもあって、第一印象なんてモノは覚えていない。
150歳年上の彼は、暇を見つけては年の離れた従妹であるアニスの元へと通って来た。
そうして、いつもなにくれとなく彼女の面倒を見てくれる。
だから『好き』が積み上がって、『大好き』に変わるのはあっという間の事。
ただ、いつも優しく抱き上げてくれる手が、静かに頬笑みながらアニスの話を聞いてくれる表情が、絵本を読み聞かせてくれるその声が好きでたまらなかった。
「今度、彼女と結婚する事になった。」
それが、この恋が失われた瞬間。
アニスに向ける頬笑みはいつも通り優しいのに、傍らに立つ女性へ向けるソレはまた別種の物で。
その表情だけで、自分と彼女は彼にとって違う存在なのだと見せ付けられた。
その頃のアニスはまだ60代に差しかかったところだったから、湧き上がってきた激情を我慢する事は出来なくて、彼に『ウソつき!』と泣き叫びながら殴りかかったと言うのは、ちょっとした黒歴史だ。
その頃には既に彼は、アニス達の暮らすデュパール山王国の王の座についていたが、世襲制の位ではなく、陸人達の国の様に国を上げて祝うと言う風習が無い為、彼等の結婚式は親族のみでひっそりと行われた。
アニスは彼の結婚がショックすぎて熱を出してしまったせい、その席に出る事はなかった。
アニスが100歳になろうとしている頃。
彼の妻が亡くなった。
彼女と引きあわされた時にきちんと見ていなかった為、アニスは気付かなかったのだが、彼女は陸人だったのだ。
山人と比べると、彼等はあっという間にその人生を走り抜けていってしまう。
彼女もまた、例外ではなかった。
儚くなってしまった彼女の葬儀で見た姿は、身体のあちこちに皺が寄っていてなんだかみすぼらい。
彼はこの人の一体どこを、何を愛したのだろう?
顔を合せなかった40年の間にもその美貌を、ほんのわずかもそこなっていない様に見える彼とソレを見て思う。
私が、死んだこの人の代わりになれないだろうか?
ほんの40年。
たったのそれだけの間、彼と顔を合わせない様にしていただけでは駄目だった。
元々、山人と言うのは情が深い種族であり、特に一度連れ合いを決めると生涯その相手を変える事はない。
そこはアニスも同じ事。
結局分かったのは、会わなければ会わない程に、逆に想いが募るばかりだと言う事だけだ。
その日から、アニスは彼の元へ通う様になる。
最初の内、疎遠になってしまった従妹との交流が再開した事を喜んだ彼だったが、1年も経つ頃にはソレが戸惑いに変わっていく。
彼の感じた違和感は、アニスの自身に対する感情の種類だ。
それが、自身が彼女に対して感じている親愛よりも恋慕に近い様な気がしたのだ。
とはいえアニスも既に100歳を超えており、氏族内での禁忌についても学んでいる。
だからこそ、同氏族内での婚姻が禁じられている事はその頃にはアニスも分かっている事だと、特にその交流を拒絶する事はなかった。
彼も彼女の両親に見守られる間に、アニスの感情は『親愛』寄りに緩やかに変化して行く。
そうこうするうちに50年の時が流れ、アニスは成人の日を迎えた。
未だ、『恋』と『親愛』の区別がついていないと言う事を、本人だけが知らぬ間に。
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