その3
故郷のラグランの森里に帰って、母に相談をするのは勇気が要った。
誰だって、自分の無能を晒すのは楽しくはないから当然と言えば当然のことと言える。
母はそんなチコリをただなにも言わずに受け入れてくれ、その事が彼女の失くしかけていた自信の回復の手助けをしてくれた。
里に戻って1カ月もする頃にはあんなに当たらなかった矢が、以前の様に的の中心に吸い込まれる様になり、『まだ、やれる』と、彼女は胸を高鳴らせる。
だけれども、実戦になるとどうしても当てる事が出来なかった矢が、練習の時に当てられる様になったとはいえども、今のまま実戦にでたとしてもやはり当てられないのではないだろうか?
不安に思いつつ、母に頼みこんで狩りへと赴く。
結果は、惨敗。
チコリは、1本の矢も獲物に突き立てる事が出来なかったのだ。
「……弓の腕前の問題じゃないみたいね。」
肩を落とすチコリに、母はポツリとそう呟いた。
「なら、一体何が原因なの……?」
のろのろと、母が一矢の元に葬り去った大イノシシの血抜きをしながら彼女は問う。
母と一緒ならばもしや、と言う希望も潰えた今、彼女にはもう縋るべき希望が見付けられない。
狩った獲物の解体を始めてしまうのは、もうすでに習慣だといってもいいだろう。
何も考えていなくても、斃れた獲物が目の前にいると解体を始める習慣がすでにチコリにはついていた。
目から溢れる涙で、手元が歪んで良く見えない物の、チコリは危なげない手つきで大イノシシの解体を進めていく。
大イノシシは、この国で良く食べられている獣でハンターによって良く狩られている魔獣で。慣れた者ならば1人で狩る事も出来る。
だからハンターギルドには、解体されていない状態の大イノシシが大量に持ち込まれる事も珍しくない。
解体する時間を惜しんで、数を狩りたい者が多いせいだ。
その為、チコリはソレを解体して日銭を稼いでいた。
ハンターギルドの下請けと言う形で、一日に何体もの魔獣を捌いていたのだ。
だから、今ではもう目を瞑っていても綺麗にバラす事が出来る。
「良い手際ね。」
「解体だけは沢山やったもの。」
「ソレだって立派な仕事よ?」
「私がなりたかったのは、解体屋じゃない……!」
目に溜っていた涙が、雫となって手元に落ちた。
「コレを持って手近なギルドに行けば、もう一年はハンターとしてやっていく為の猶予ができるわね。」
母の口にした言葉は、まるで悪魔の誘いのようだ。
思わずそうしたいと思ってしまったチコリの手が、一瞬ブレる。
「……そうしてもいいのよ? チコリ。」
「コレは、お母さんが狩った獲物だもの。私のじゃ、ない……!」
悔しくて、またチコリの目から涙が零れた。
母の声に忍び込んだ、失望の響きが冷たく胸に沁み込む。
悔しい。
お母さんに、そんな浅ましい真似をする娘だと思われていたなんて。
悲しい。
情けない。
どうして?
なんで、私は実戦になると矢を当てる事ができないの?
母にまで、こんな事を言われる程に自分は駄目なのだと思うと、もう、立ち上がれる気がしなかった。
それでも。
それでも、少しでも足掻きたくて唇を噛みしめ、キッと母を睨みつける。
「良かった。」
チコリに睨みつけられた彼女は、しかし、その直前に浮かべていた落胆交じりの苦笑を一転、嬉しげに破顔した。
「……お母さん?」
「ソレだけの気概があれば大丈夫ね。」
母親の突然の豹変ぶりに戸惑うチコリに、彼女は言ったのだ。
「ヴァーヴ・ヴィリエのハンターギルドに行きなさい。」
「ヴァーヴ・ヴィリエ……?」
「そこで、この手紙を渡してギルド脱退の手続きを申し出たら、正直に聞かれた事を話しなさい。」
ああ。
やっぱり、お母さんの目から見ても私はどうしようもないのか。
肩を落とすチコリに、母は手にした封書を渡しながら優しく言葉を繋ぐ。
「……そうしたら、貴女にとっての世界が変わる事がきっと起きるわ。」
『世界が変わる』
その時のチコリに母の言う意味は分からなかったものの、ソレが最後のチャンスになるように感じられ、翌日の朝には言われた通り、その村へと旅立った。
それは、チコリのハンターギルド員の資格失効まで、あと1月を切ろうとした日の事。