その20
時は夕刻。
宿の食堂には既にチラホラと客が入り始め居る時間で、村の大人達がいつもの軽口をたたき合っているらしい声がミールの居るギルドの受付まで流れてくる。
近場に狩りに行くハンターなら、そろそろ帰ってきても良い時間でもある。
食堂の喧騒を聞くともなしに聞きながら、入り口の扉が開こうとする気配にミールは椅子から立ち上がって首を伸ばす。
しかし、軽やかなドアベルの音を響かせて姿を見せたのは、輝石師の青年だ。
「あれ、ミールは今日こっちにいたのか。珍しい。」
「だって、チコリさんの事が気になるでしょう?」
あからさまにがっかりした顔をして座り直すミールに、苦笑を浮かべながらビルはカウンターに近づくとからかいの言葉を掛けながらその額をつつく。
その手をうるさそうに払いのけながら、ミールは頬を膨らます。
今日は一日、ハンターギルドの雑務に追われていたミールは、チコリに貸し出した転送袋から倉庫に送りこまれる気配から彼女の狩りの具合の見当をつけていたものの勝手に送られてきた中身を確認する訳にもいかず、彼女の帰りを首を長くしながら待っていた。
待ち過ぎていて、もう少しで首が抜けてカモミールヘビが誕生する寸前だ。
「結局、彼女の問題ってなんだったの?」
「プライバシーです。」
大きく頭上にバッテンを作って見せるミールに、ビルは噴き出す。
彼は笑われた事に怒ったフリをしながらテシテシと頭を叩く彼女の手の届く範囲から逃げ出した。
「チコリさんが帰ってきたら、昨日預かった分から採れた輝石を渡すよ。」
「了解。……早くチコリさん帰ってこないかしら……。」
まるで処刑でもされるのかという程の重い足取りで出掛けていったチコリが、踊りださんばかりの軽い足取りで帰ってきたのは、もうすぐ日が完全に落ちそうな時間に差しかかった頃の事。
食堂に早くから入っていた人の中には、もう既に食事だけを済ませて帰っている人が出始めた頃だった。
「ミールさん……!」
「おかえりなさい、チコリさん。」
チコリは、朝の悲壮な様子はどこへやら。
輝くような笑顔でカウンターに駆け寄る。
「コレ! 凄すぎます!!!」
イヤーカフスを着けた耳を指差し、興奮に頬を染めるチコリをミールは眩しいものでもみたかのように目を細めた。
「大イノシシを私なんかが……!」
「お役に立ったようで嬉しいですけど、ソレはチコリさん本来の実力ですよ?」
まるで、ミールの作った魔飾の力が無ければ不可能だと言わんばかりの言葉に、優雅に首を傾げてやんわりと否定する。
「でも……」
「弓の腕を補強する様なものではないですから。」
「弓を引く時に、魔力の消費が……。」
「それは、チコリさんの悪い癖が出ないように矯正したんですね。」
言い募るチコリの言葉に、ミールは安心した様に微笑む。
「クセ、ですか?」
「弓を引く瞬間に、『誰かがみているんじゃないか』と確認する癖です。」
「え。」
「ついでに、その時に手元もぶれてました。」
「……そりゃあ、中らないですね……。」
自分の思わぬ悪癖に、チコリは口元を引きつらせる。
狩りの最中に獲物から一瞬であろうと目を離すなんて、ハンター失格だ。
それこそ、命を落としても文句は言えない。
「致命的じゃないですか……。」
「矯正が利くので、大丈夫ですよ。」
思わずカウンターに突っ伏してしまったチコリの背を、ポンポンと優しく叩いて励ますとミールは言葉を継いだ。
「その為の魔飾と、3年間の返済期間ですから。この期間中、魔飾を肌身離さず身につけて、ソロで活動するようにすれば何の問題も無くなりますよ。」
「そうですか……。うん。実際に今日は信じられない程の成果がでてますし、信頼します!」
「ありがとうございます。それじゃ、今日の成果の確認をさせて頂きますね。」
今日のチコリは、ご機嫌だ。
なにせ、大イノシシをソロで2頭も仕留めたから、その肉をギルドに売っただけで既に王都で暮らしていた時の一月分の収入よりも稼ぐ事ができている。
懐が温かくなると、こんなに心に余裕が出来るなんて思ってもみなかったなと思いながら、ミールと杯を交わす。
今日はチコリの奢りで、ちょっと贅沢をして米酒を頼んでいる。
お酒のお供は、昨日のイノシシの角煮とほっくほくの肉じゃが。
良く煮込まれた肉を口に運び、口の中で柔らかく解れる肉の旨みを堪能しながら酒杯を傾ける。
至高の瞬間だ。
「ん~! 最高……!!」
「米酒最高……。」
幸せそうにうっとりとする2人に苦笑しながら、ビルは昨日彼女達が狩ってきた獲物から採れた輝石をテーブルに並べる。
小ぶりなものが4つに、それらよりも一回りは大きなものが1つ。
それから3つの小瓶に入った小さな欠片だ。
「あら。コレは良い値が付くわね。」
ひときわ大きなソレを摘まみあげると、灯りに透かす。
濁りのない事を確認すると、「流石おじさま。」と呟き、満足げに目を細める。
「一番大きいのはスナップフォックスの分。小さい3つはウサギで、それより少し大きいモノは大イノシシ。」
「大イノシシの輝石って、そんなに大きくないんですね。」
「輝石の大きさは、生物の場合だと魔力の量によるからさ。大イノシシは図体はでかいけど、魔力はさほどでもないんだ。」
「成程……。」
「スナップフォックスは琥珀金1枚と銀貨5枚ってところね。他のはまとめても銀貨にちょっと足りない位かしら。」
輝石の買取をするのもギルドの仕事だからか、計算が早い。
あっという間に、輝石師への謝礼として輝石の代金の1割がビルへと支払われ、残りはチコリとミールの2人で分けられる。
「なんか、ハンターになってからこんなにお金をもった事が無くて怖すぎるんですけど……。」
チコリは自分の財布が膨らみ過ぎて、なんだか少し怖くなってきた。
おかげでちょっぴり語尾も震え気味だ。
何せ、今日だけで赤金貨26枚近くの収入だなんてとても信じられない。
ちなみに、赤金貨1枚は銀貨2枚と等価で、日本円換算だと1万円程度になる。
「ソロでやれれば、大イノシシでも結構稼げますから。」
「怪我さえしなけりゃだけどさ。」
当然とばかりのミールのセリフだが、大イノシシはこの世界で良く見られる魔物だ。
本来ならば駆け出しハンターにはパーティを組んでいても骨の折れる相手であり、ソロで狩るにはそれなりの熟達者でないと狩るのは無理だと言っても良い。
それでいて肉は味も良く、皮も様々な用途に使えると言う素敵な魔物様なのだ。
だからこそ、そこそこいい値段での買取がされているとも言える。
そんな大イノシシをチコリが1人で狩る事が出来たのは、獲物に気付かれる前に遠方から一方的に攻撃するのが可能である事。
そして本人は無自覚であるものの、彼女の弓の腕前の賜物だ。
「それにしても……」
「?」
酒杯を傾けながらチコリがポツリと呟く。
「ここって、王都よりご飯も美味しいし、生活費が抑えられる言うのも魅力的ですね。」
彼女のその言葉にミールは喜色を浮かべ、唆す。
「いっそ、ここを拠点に活動なさったら如何ですか?」
「うん、そうですね。それもいいかも。」
ここなら、王都みたいに怖い人もいないし。
チコリは心の中でこっそりと呟く。
お金の事も嘘ではない。
けれど、自分の零落ぶりを知る者の多い王都に戻り、活動を再開する気にはなれなかった。
とにかく今は、まだ。
別にここでなくとも、王都以外の村か町を拠点に活動する事もできると言う事は分かってはいる。
だからこそミールは提案と言う形で、この村に留まらせようと唆す様な事を言ってるのだ。
どうせ、今までと違う場所に拠点を定めるのならば、多少なりとも馴染みの顔がある場所の方が良い。
ましてや、自分を引きとめようとしてくれるミールの様な相手が居るのならば尚更だ。
「ミールさん、ビルさん。」
チコリの声に、ミールは期待に満ちた目を向けてきた。
その彼女に向かって、チコリはちょっぴり不器用ながらも片目を瞑り杯を軽く上げてみせる。
「いつまでになるかは分かりませんけど、これからもよろしくお願いします。」
「……!!!」
「うん。こちらこそよろしく。」
喜色を浮かべて言葉を失うミールの代わりに、ビルがチコリの杯を鳴らす。
こうしてヴァーヴヴィリエには、久方ぶりに専門ハンターが常駐する事になった。
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