その18
ミールの口から、高く澄んだ歌声が紡がれ始めると部屋の空気がピンと張りつめた緊張感に包まれる。
彼女の足元にある魔飾陣に配置された銀のイヤーカフスと輝石、一つ一つの下に極々小さな光が産まれ、即座に吸い込まれて行き宿った先で柔らかな光を放ち始めた。
歌を口ずさみながらスッと、その右手が上がり魔飾棒が魔飾陣の中央を示すと、そこに在る物が目の高さまで浮き上がりゆっくりと回転を始めた。
いつの間にか部屋全体を優しく照らしていた月の光は、収束されて魔飾陣のみを照らしており、部屋の中は薄暗くなっている。
魔飾棒が下から上へと踊る度、柔らかな光を宿す輝石が浮かび上がる。
クルリと回されると魔飾の本体となる銀のイヤーカフスがゆっくりと回転し、そっと浮かぶ輝石を魔飾棒の先で触れていくとフワフワと漂いながら本体に触れるとその中に融け込み紋様を描き出す。
チコリは、薄闇の中から光の帯の中に次々と浮かび上がっては融けあい形を変えていくその光景を、呼吸も忘れてうっとりと見とれた。
途中で息苦しさにハッとして、焦って深呼吸すると自らの呼吸音がやたらと大きく響いて感じられてギョッとする。
慌てて呼吸を整えて改めてミールの歌声に耳を傾けると、知らず知らずの内に感嘆のため息が漏れた。
なんて綺麗な声なんだろう。
輝石が宙を舞い、魔飾を形作っていく光景も幻想的だったが、ミールの歌声の方がチコリにはより魅力的だと感じる。
高く高く、今度はゆっくりと低く。
独特なリズムで紡がれる彼女の甘く優しい声は心に温かく響く。
「チコリさん、具合でも悪いんですか?!」
ミールの狼狽した声に、我に返ってはじめてチコリは自分がいつの間にか目を閉じて、涙を流していた事に気が付いた。
驚いて瞬きをすると目に溜っていた雫が頬を伝う。
「あれ?」
チコリの口から出た、どこか暢気な声を聞いてミールは安心した様に眉を下げる。
「ああ……。多分、凄く懐かしい気分になったんです。」
「懐かしい……ですか?」
「故郷の儀式で歌われる歌と良く似ていたから。」
それに……。
凄く綺麗な声だったから。
と、言うチコリの感想はなんだか口にするのは照れ臭くて心の中にそっとしまいこまれた。
すでに魔飾を作る儀式は終っていて、途中から歌声に聞き惚れてしまっていてきちんと見ていなかったのが悔やまれる。
折角の機会だったのに。
何はともあれ、それも今更である。
ちょっぴり損した気分になりながら、月の光に満たされた部屋を後にすると、店のカウンターの後ろにある扉から居住区へと案内された。
扉をくぐってすぐのところに2階と地下への階段があり、その反対側にリビングへの扉がある。
店に繋がる扉の正面には、トイレとお風呂があるらしい。
「宿だとシャワーしかないですし、良かったらお風呂に浸かりますか?」
「お風呂……!」
チコリをソファに座らせると、ミールは甘い香りのする香草茶を淹れながら訊ねる。
ミールにとってそれは、何の気なしに口にした言葉だったのだが、チコリにとってはひどく衝撃的なモノだった。
どんな小さな村にでも、必ず一つはあるもの。
ソレが風呂だ。
チコリの故郷のラグランの森にもあった。
ただしそれは、『村』と言う単位内での話しである。
チコリの故郷では、風呂は個人宅にあるものではなかった。
王都やそこそこの規模の町にならば、個人宅にある場合がある事は知っていたが、チコリの故郷の村よりも小さいヴァーヴヴィリエの個人宅にあると言うのは驚きでしかない。
水を入れるのにせよ加熱するのにせよ、どちらも魔飾で行う事が出来るとはいえども、それを運用するのにはどうしても先立つものが必要なのだ。
チコリはミールとの間にある、経済格差を強く強く感じた。
あ。
そういえば、今日の酒代も摘まみ代もミールの奢りだったっけ。
魔飾師である上に、ハンターギルドの受付もやっている彼女が裕福でない訳が無かったな。
ちょっと、それはチコリの思いこみが過ぎるのだが、仕方がない。
実際、ミールの一月あたりの収入はチコリのソレを大きく超えているのだから、あながち勘違い言う訳でもないのだ。
『チコリの収入が低すぎるから』と言うのが一番の理由だとしても。
なにはともあれ、その晩は思ったよりもずっと広かった湯船に2人で入り、同じベッドに寝転がって意識が遠のくまでどうでもいい話をして過ごした。
明日の朝になったら渡すからと言われて、チコリはまだ、出来上がった魔飾を見せて貰えていない。
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