その15
「なーに、ぶんむくれた顔してるんだい?」
呆れた声と共に、焼けた肉の香ばしい匂いと共に女将がミールの席の横に立つ。
その声にふくれっ面を向けた彼女は、一瞬の内にへそを曲げたフリをやめてご機嫌な笑みを浮かべた。
「はいよ。あんたの今日のお楽しみ、『オレガノ特製スペアリブ』!」
トン、と中身の重量感の割に軽い音を立てて置かれた皿の中身にミールは歓喜の声を上げる。
横長のシンプルな皿に大量に載っているのは、女将の言葉通りスペアリブだ。
醤油ベースのタレを塗りながら焼きあげられた大イノシシのアバラ肉は、独特の照りと香ばしい香りが食欲をそそられ、口の中に涎が湧いてくる。
大振りの皿からはみ出しそうなほどのサイズのソレは、焼きたての熱々で少しだけ覗いている白い骨から、まだキシキシ言う音が聞こえてきている。
「待ってました~!!!」
「呑む前からチコリちゃんに絡むんじゃないよ。悪いね、チコリちゃん。この子は腹が減ってると凶暴になるもんだから……。」
「姉さまのその言い方はあんまりだと思うんだけど……。」
背中を叩かれながら口を尖らせようとしながらも、ミールの口元は嬉しそうに緩みそうだ。
「これは、今日大イノシシを狩ってきたミールから、みんなへの奢りだからね!」
女将がそう声を張ると、周りから歓声と拍手が沸き起こる。
「よ! ミールちゃん、さすが太っ腹!!!」
「そんなに言う程太ってませんよー!」
「女王様!!!」
「そんなに偉くありません♪」
「よ♪ お大尽!!!」
「にわか金持ちでーす♪」
「ミールちゃん、結婚してー!!!」
「お断りいたします♪ 今アホな事言った人は切り分け係です☆」
「また振られた!!!」
ミールをおだてる周りの人に紛れて、さっきビルと呼ばれた男が求婚してすっぱりと断られ、更に間髪いれず雑用を押しつけられた。
大げさに嘆く振りをしながらも、みんなと一緒に笑っているところを見るといつものことらしい。
大振りの二股フォークの様なもので肉を押さえながら切り分けると、彼がどんどんと周りに骨付きの肉を小皿に載せ始めたので、側にいたチコリは周りの人間にその皿を渡す。
「切り分け終了。」
ビルはそう言うと、残った肉をミールとチコリの皿に取り分けてから、悪戯っぽい笑みを浮かべてミール達に恭しく礼をして見せる。
「お嬢様方、どうぞお召し上がりください。」
「うむ。苦しゅうない。」
「ありがとうございます。」
クスクスと笑いながら、尊大な返事を返すミールに向かってビルはとびきりの笑顔を浮かべて隣の席に戻り、骨付き肉に齧りつく。
「美味い!」
「やっぱり兄さまのスペアリブは最高ね。」
ビルの言葉に続いて、あちこちから親父への賛辞の声が湧きあがる中、どこか優雅な手つきで骨付き肉を口にしたミールもその味に目を細める。
チコリも、小声で彼女に礼を伝えると、早速その肉に齧りつく。
まだ熱い骨を指先で摘まんで持ち上げると、断面から滴る脂が手の平を伝う。
思わずソレを舐め取ると、甘い脂の味が口の中に広がり思わず口が綻んだ。
醤油ベースのタレは少し甘口で、それがまたこの肉と愛称が良く、ミールから貰った赤ワインを呑むとまた美味さが際立つ。
米酒でもいいけれど、赤ワインの方がより旨さが増す気がして、チコリの口から満足のため息が漏れた。
「確かに、お酒の選択も重要ですね……。」
「でしょう?」
ミールはチコリのその言葉に、我が意を得たりとばかりに笑顔になると、嬉しげにどんな料理にどの酒が合うのかと言う講釈を始める。
彼女のその講釈が結構面白くて、相槌を打ちながら耳を傾けるうちにいつの間にか一人、また一人と食堂にたむろしていた人間が減っていて、いつの間にやらミールとチコリの他にはビルと言う男だけになっていた。
「ミール。そろそろ仕事の時間なんじゃない?」
「あら、大変! もうあんなに月が高いのね。」
その言葉に、明かり採りの天窓を見上げたミールが驚いた声を上げると慌てて立ち上がる。
「こんな時間から仕事?」
なんのかんので、今日も結構な量の酒を飲んでしまっているチコリは結構な酩酊状態だ。
そのせいもあってか、いつもだったら心の中で呟くだけの筈の言葉が口から滑りだした。
「はい。月が一番高く昇る頃が、一番魔飾を作るのに良い時間帯なので。」
「輝石を採るのもその時間帯が一番いいから、俺もそろそろ帰らないと。」
「ビルさんは、輝石師なんですか……。」
動物や魔物の内臓からは輝石が採れる。
ただ単純に内臓を切り開くだけでも輝石を入手する事は出来るのだが、その方法だと、輝石は総じて小ぶりで価値が低いものしか採れない。
ここで輝石師の出番だ。
輝石師が操る魔力は、内臓の中に散らばる輝石を集め凝固させる事が出来る為、彼等の手を通すと輝石の価値が跳ねあがる。
そして、長く経験を積んだ輝石師の採る輝石は質も良い為、町でも熟練者の経営する店には行列が出来る事もある程だ。
「ミール、さっき言ってた今日の獲物だけどさ。やっぱり父さんに処理を頼むよ。」
「あら、ビルで十分なのに。」
「まだまだ父さんの腕には届かないよ。」
苦笑しながら立ち上がった彼は、お勘定をすませると食堂を後にする。
「彼も腕は良いんだけど……。イマイチ自信が無いところはチコリさんそっくりですね。」
その背中を見送りながら、ポツリとミールはそう零す。
「私と?」
「まだ、チコリさん程こじらせてないですけど、越える壁が高すぎるみたいで。」
肩を竦めて苦笑を浮かべると、グラスに残ったワインを一息に飲み干し立ち上がる。
「さて、私も今夜中にチコリさんの魔飾を仕上げちゃいますね。」
そう言って、自らも食堂を後にしようとするミールに、チコリは咄嗟に声をかけた。
「あの、魔飾を作るところ、見させて貰えないですか……?」
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