その14
もう一方の輝石に同じ処理をし終わる頃には、大分日も傾いて宵闇が忍び寄りはじめていた。
「後は、ご飯の後にしますか。」
窓の外に目をやって、オレンジから濃紺へと染め上げられている空を眺めて目を細めると、ミールは一つ伸びをしてから椅子から降りる。
後は、パレットの中の輝石を必要なサイズの物だけに選り分ければ、最後の仕上げだ。
宿の食堂で、スペアリブを肴に一杯呑んで戻ってきたらすぐに取りかかれば、仕上げに丁度良い時間になるに違いない。
親父さんに頼んでおいた、スペアリブの事を考えると口の中に涎が湧いてきてしまう。
そうでなくとも、今日は久しぶりに狩りに出たから空腹で仕方がない。
ミールはさっさと戸締りを済ませると、宿に向かって弾む足取りで歩いて行った。
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カランカラン
宿の扉を開けると、軽やかな音が響き、店内に新たな来客を告げる。
チコリはその音に宿の入口へと視線を向けた。
ミールだ。
入り口から食堂の方へと移動してきた彼女は、そこから誰かを探しているようだ。
私の事を探してるのかな?
今日は、昨日と違い随分と人が多い。
食堂はほぼ満席な上に、村の男性はみんなチコリより背が高く肩幅も広い為、ミールの立ち位置では自分の事を見付けるのは難しそうだ。
そう判断するとチコリは、口の中ですぐにほろほろと解ける程煮込まれた、鹿肉の入った絶品ブラウンスープを慌てて呑みこみ、スプーンを頭上に掲げてクルクルと振って彼女の注意を惹く。
ミールの探し人は、やはりチコリだったらしく彼女は笑みを浮かべて手を振ると開いている対面の席へといそいそとやって来る。
チコリの前の席は、女将が『ミールが来るから座るんじゃないよ!』と口を酸っぱくして他の客達に言っていた為、誰も座っていなかった。
「ミール、今日は俺らと呑むんじゃないのか?」
「たまには私も若い女の子との会話を楽しみたいですもの。」
「つれないなぁ~!」
「また振られたなぁ。」
「そろそろ諦めろよ。」
「いやいや、俺はまだイケる!」
他の客の間をすり抜けるミールに、男が声を掛けるが素気無く断られる。
明るく嘆いて見せる男に、茶々を入れる連れたちの様子から、どうやらいつもの事なのだろうとチコリは察した。
「あら、それも美味しそうですね。」
「とても。」
チコリの前に座ると、ミールは唇に指をあててテーブルの上の更に視線を走らせる。
彼女の前にあるのは、宿泊料金に含まれている定食だけで、今日は酒の姿はない。
ミールの視線に気が付いたチコリは、苦笑を浮かべて理由を口にした。
「お酒なんて贅沢品、そんなに毎日飲めないですよ。」
「……そんな……何てこと!!!」
ソレを聞いたミールの顔からみるみる血の気が引き、フラッと倒れかかるのを、こっそりとミールの近くに席を移動させてきていたさっき振られたばかりの男がサッと抱きとめる。
中々悪くない反射神経だ。
それとも良くある事なのだろうか、と頭の中の冷静な部分で考えるチコリは、その反応に驚き過ぎて、固まっている。
「ミール、ミールしっかり!」
そう言いながら男が、自分のジョッキを差し出すと意識がもうろうとしている様にしか見えなかった彼女はすごい勢いでソレを手に取り、一息に飲み干すと厨房に向かって声を張る。
「姉さま!!!」
「あいよ!」
「赤ワイン1袋!」
「グラスは?」
「ふたつ!」
即座に返って来た女将の問いに、ミールはポンポンと応え、あっという間にチコリの前にはワインの入ったグラスと、酒袋がやってきた。
「え? ええ??」
「チコリさん、呑みましょう!」
「いや、だから……」
「勿論私の、お・ご・りですから♪」
さっき卒倒しかけたのが嘘のように、ミールは笑顔を浮かべてグラスを掲げる。
「お金が……」と続けようとしたチコリは、にこやかなミールの目が笑っていないのに気が付いて絶句した。
まるでアレである。
「俺の酒は飲めないってのか?」
って言うアレだ。
チコリは、涙目になりながらもグラスを手にしてミールに向かって掲げて見せる。
「い、いただきます……!」
「かんぱーい!!!」
途端に、明るい笑顔を浮かべるミールとグラスを軽く触れ合わせ、その変わり身の早さに苦笑しながらワインを舐める。
「ん。美味し……。」
「今日はスペアリブですからねぇ♪」
帰り道でずっとミールが「にいさまの焼くスペアリブは絶品」だと言っていたのを思い出すと、チコリの口元がついつい緩んでしまった。
「そういえば、帰り道でずっと言ってたっけ。」
「にいさまの焼くスペアリブは絶品ですから。」
「うんうん。ミールが大イノシシ狩ってきたのか?」
「チコリさんと一緒にね。」
「ショウガ焼きも美味いけど、少し食うか?」
「あら……。」
さっき、ミールが倒れかかったのを支えた男が、自分達の皿を示しながらそう言うと、彼女の目が期待を込めて輝く。
ソレを見た彼は、小皿に取り分けたソレをミールとチコリの間に置いた。
「チコリさんもどうぞ。」
「ありがとう、ビル。愛してる♪」
「こう言う時ばっかりだなぁ、ミールは。」
彼がそう言って大げさに嘆く振りをすると、周りから「いつものことだろ」「元気出せ」という声と共に笑い声が上がる。
本人も笑っているところを見ると、いつものふざけ合いらしい。
「兄さまのご飯が美味し過ぎるからいけないんです。」
「……確かに美味しい。」
ぷぅ、と可愛らしいふくれっ面になりながら呟くミールに、一足先にショウガ焼きを摘まみながらチコリは頬を緩める。
ショウガの量も多からず少なからずで、塩気も丁度良く、大イノシシの脂が口の中で甘くとろけていく。
これはご飯も酒も進みそうだ。
「ワインじゃなく、米酒にすれば良かった……!」
「ああ。確かにミールが楽しみにしてるスペアリブにも合いますね。」
「今から米酒に……いやいや。今日はワインの気分で……。」
グラスを睨みつけながら、真剣に酒の種類について悩むミールの姿に、チコリはとうとう噴き出した。
今日、一緒に狩りに赴いた少女と同一人物だとはとてもじゃないが思えない!
狩りの時の、凛々しさは一体どこにいったんだ?
「笑わないで下さい、チコリさん……。コレは、重要な問題なんですよ?」
突然噴き出した彼女に、ミールは目を丸くしてから拗ねた表情で口を尖らせる。
その表情がまた、昼間の彼女のイメージと違っていて、更にチコリのツボに入ってしまう。
チコリが笑いの発作から解放された頃には、すっかりミールはへそを曲げており、美味しく焼けたスペアリブがやってくるまでの間、謝っては思い出し笑いをしてしまい、口を尖らせたミールに「また笑う~!」と文句を言われるのを繰り返して、周りの笑いを誘うのだった。
ブックマーク及び、評価ありがとうございます^^
可笑しいな……。
こんな食いしん坊&飲兵衛キャラの予定じゃなかったのに……???




