第八話 リッチ先生
魔法がある世界をどう思うかと聞かれたら。
以前の俺なら、それはすばらしい世界だと答えていたに違いない。
だって、夢があるじゃないか魔法には。
では、魔法が夢ではなく、現実のものとなったならばどうだろうか。
例えば、隣のあいつは俺を殺せるほどの魔法が使えるのに、俺は魔法が使えない。
そんな状況になって、まだ魔法が使える世界がすばらしいと、本当にそう思えるだろうか。
言える奴がいるなら代わって欲しい。いや、むしろ今すぐ代わってくれ。
今すぐ俺と代わって、このすばらしい世界を謳歌するといい。俺は現実に帰って牛丼でも食っとくからさ。
「はー、牛丼食いてーな……。とによ、もう、どうすりゃいいんだっつーの!」
拠点の床に寝転がり、天井に向かって愚痴る。
現在のレベルは1。なぜ分かるのかと言えば簡単である。スライムが倒せなくなっていたからだ。
何でこんな事になったのか、端的に言えば、5階層目のモンスターが魔法を使ってきたからである。
初めて見る魔法に、綺麗だなーと思う間もなく焼き殺された。
そして、死んだらレベルはどうなるかというのも、そこで判明した。
筋力と一緒でリセットされる。そう、物の見事に最初っからやり直しである。
いや、武器が消えては居ないし、5階層目への扉も鍵が開いたままなのは確認できたので、丸っきり最初からでは無いのだけど。
それでも、やはりレベルリセットは大きい。
ぶっちゃけ、レベル5になるまでに3週間は掛かったのだ。それがリセットされたのは正直厳しい。
ハードだ。人生ハードモードだよ。どこのどいつだよ、難易度設定したの。ちゃんとテストしたのかこれ。
だいたい何なんだよ魔法って。ファンタジーかよ。ああそうか、ファンタジーか。
「ちッ」
思わず舌打ちしてしまう。滅びればいいのに、ファンタジーなんて。
もうね、どうすんだこれ。この際ファンタジーでも何でもいい。だが、あれはないだろう。
思い返すのは5階層目の敵。ちょっと全体的に透けてて、全体的にふわっとしてる、そんなタイプの敵。
剣で斬ったらスッと何事も無かったかのようにすり抜けちゃう、そんなタイプの敵。
何ていうことが多いんだっけか、RPGだとああいうタイプの敵は。
ああそうそう、あれだ、思い出した。
そう、死霊系モンスター。
◇
経験というのは大きい。
そして、貯蓄というのは本当に身を助ける。
なんせ、前回3週間掛かった工程が、2週間で終わったのだから。
ただ、一度終了した作業をもう一度やること程、退屈な物はない。
実際に、もう一度レベル5になった際に、漸く戻ったと盛大に溜め息を吐いた。
だって一度、通った道である。
達成感も何も無い。賽の河原の石積みじゃあるまいし、何の罰ゲームなのよこれ。
時間だけは無駄に掛かる上に、死んだらレベルリセットとか、なにその理不尽難易度。
まるで、人生そのものの様じゃないか。
そうか、つまりは難易度最高の運ゲー要素満載なんですね? 最高に面白いな、それ。
「けッ」
思わず悪態を吐いてしまう。
思い起こすだけで、憤懣やるかたないのだが、今更仕様に文句を言っても始まらない。
何をどうしようと、世界のシステムが変わらないのは、死んだ数の分だけ理解している。
なら、今は目の前の攻略に集中すべきだろう。
「すーはー。 よしッ!」
深呼吸をして気合一発、気持ちを切り替える。
現在位置は、第五階層の入り口の扉前。
扉を開けて、そこから見えるは、俺をスタイリッシュに焼き殺した、憎き敵ことリッチ先生。
正式名称はわからないので、とりあえず死霊系の代表格であるリッチと名づけた。
上の階層にもっと凄いやつがいるのかもしれないが、その時はリッチ2とか、裏リッチとか、超リッチとか、真リッチとか上げていきゃいい。
一応、ガイストとか一旦初級モンスターっぽい名前も考えたが、この検索エンジン先生が居ない世界では、俺のボキャブラリーに全てが委ねられている。
そんな物は俺には無いと自信を持って言えるし、小一時間ぐらい名前考えるのに費やすぐらいなら、スライムをどうやって美味しく食うか悩んだほうが、間違いなく建設的である。
だから奴の名は、リッチ。そんな凄そうな奴には見えないのだけど、俺を物の見事に倒したことに、敬意を表してリッチ先生である。
そんな俺の憎しみと敬意を一身に受ける、リッチ先生を観察する。
相変わらずフワフワと浮いていて、全体的に透けている。
「まったく、何てイヤラシイ身体をしてるんでしょうかね」
思わず爪を噛んでしまう。
あの身体の前には剣で斬ったりといった物理攻撃が、完全に無力化されてしまう。
思い起こすは最初の遭遇。
とりあえず、例の必勝法を試して、5階層に入る扉の前から呼びかけたが、まったく寄ってこなかった。
そして、仕方なしと、近づいて奴さんに斬りかかったわけだ。
まぁ、後はご想像の通り。
一生懸命斬る俺、スッとリッチ先生の身体を通るエクスカリバー、何か唱えてるリッチ先生。
それで、気がついた時には火の玉が目の前にあった。
「……存在自体が反則なんだよな~」
取っ掛かりが、まるで見えない。
斬れるようになる為には、どうしたらいいかがまるでわからない。
何なの? エクソシストが必要なの? 十字架が必要なの? 聖水が必要なの? お札が必要なの? お経が必要なの? ニンニクが必要なの?
何れにしても、ここにはそんな物は無い訳で、つまりは詰んでいる。
リッチ先生をスルーして、上の階層に行ってみるというのも試したが、4階層の時と同じで扉が開かなかった。
ということは、リッチ先生を倒さなきゃいけないわけで、つまりは詰んでいた。
ここに来ては繰り返している行動。
とりあえず、気合を入れてみるが、されど何をしていいのかわからず最終的に気持ちが萎えて帰る。
いやだって、無理なんだって。
試せる事は全般的に試した。俺の聖水を喰らえと、とりあえず下ネタに走ってみたりもした。
だけど、結果は何時も同じだ。リッチ先生には物理攻撃は効かない。
まぁ、リッチ先生は悠然と魔法を唱える為、魔法自体は避けられるので、逃げまわりゃ死にはしないのだけど。
最初アレを喰らって死んでしまった俺は、相当に焦っていたと言わざるを得ない。
魔法を唱え始めたら全速で扉の向こうに逃げるか、リッチ先生の魔法自体は直線状にしか行かない為、左右に大きく動けば良いだけである。
死にはしないが先にも進めない。だから、最終的には萎えて帰る。
そして、今日も今日とて、リッチさんとの追いかけっこ御苦労さんでしたと、敵がリポップしなくなった4階層で寝て一日が終わるに違いない。
誰か教えて欲しい。物理攻撃が効かない相手をどうやって倒せばいいのかを。
「ホントどうすりゃいいのよ。物理が効かないなら今度は魔法か?」
呟きつつ思う。なら誰か魔法を教えてくれよ、と。
自分で考え得る限りの方法で、魔法の行使は散々試した。ならば、後は他人の知恵を借りるしかない。
しかし、ここには教えてくれる奴なんて誰もいないのだ。
そう、誰も居ない、居るのはモンスターだけである。
てことはあれか、モンスターにでも、教えてもらえってか。
モンスター相手に、手取り足取りご指導ご鞭撻の程よろしくお願いしますってか。
リッチ先生に、本当に先生になってもらえってか。
「……」
ふと、頭に横切った案に、
「……はは、マジか俺」
流石に無いわと自嘲気味に微苦笑した。
頭の片隅では考えてはいた。そう考えてはいたのだ。
教える人は居ないが、その技術を持っているモンスターは居る。
ならば、そのモンスターから盗めばいいだけの話であるということを。
しかし、あまりに現実的じゃない。
まず第一に、どうやって、モンスターから技術を盗めばいいというのか。
何を言っているのか分からないし、そもそも人間と違う生命体なのだから、持っている器官も違うだろう。
そんな奴からどうやって技術を物にすればいいのか。
頭の中に次々と出てくる否定的な言葉。
「はぁ、ま、でも何も無いよりはね」
言って、否定的な言葉を抱く気持ちを、強引に前向きにする。
脳みそを空っぽにして、本当に在るのかわからない希望の光に手を伸ばす。
だって、最初はスライムだって倒せなかった。
7955回の死を経験してようやく倒せるようになった。
不可能だと思ったことが、実は可能でしたというのは、世の中結構あるのかもしれない。
生涯を賭してやらなければ、気づけない事だってあるのかもしれない。
なら、やるしかないだろう。
どの道、退路は無い。停滞の道も無い。進む道しか残されていない。
故に、進むしかない。
「――うっし!」
頬を両手でパンッと音がするほど張って、無理やり気合を入れる。
「じゃあ、さくっと、やってみますか!」
恐らく風車に斬りかかる程度には、無茶、無理、無謀。
そんなことはわかっているが、それで現実は変わらない。
なら、変えてやるしかない。変えて見せるしかない。
そんなドンキホーテな、俺こと伊藤次郎の日常がまた始まったのだった。