1章8
楓のご機嫌取りのため高級デザートを奢らされる羽目になった英士。一個一〇〇〇円は下らない贅沢な品を何個も注文しようとした彼女に、「そんなに食べて太らない?」とささやかな復習を囁いた。体重のことが嫌でも気になるJKの手を止めさせるには十分な効果を発揮した。
瞳を輝かせ「♪」が弾むような鼻歌を口ずさんでいた楓の表情が一変、ダルマとなった自分の絶望的な将来像を思い浮かべたのだろう、額に嫌な汗をかき始めた。
楓の顔が急に青ざめ「じゃ、じゃあ、二個でセーブしておきます」と敗北宣言に等しい言葉を聞いた英士はホッ、と安堵の息を吐いた。お財布の中身(電子マネー)の被害拡大を何とか阻止できたことに喜びを感じずにはいられなかった。
店に貼られた『今なら無料会員登録でお一人様ドリンク無料券をプレゼント!!』という広告を発見した英士は、急いで端末を取り出して会員登録を済ませ、支払いの際にドリンク無料券を見せて自分のコーヒー代をタダで済ませた。例え大企業の社長の養子になろうとも庶民派感覚が抜けきれない英士にとっては、五〇〇円前後の飲み物代がタダになることも渡りに船、天からの救済に等しい。
結果、二〇〇〇円を払ったら十円玉が一枚返ってくる金額となった。
普通の高校生にとっては痛い出費。しかし小遣い稼ぎとして義父の会社の手伝いをしていたことが甲斐あって、ポケットマネーへのダメージを軽減できた。
その後、英士は当初の目的であったFBのブースターを買いに行きつけの店へと足を運んだ。
楓をそっちのけでブースター選びに夢中になる英士。楓は楓で店内に飾られた新品のFB——主にJK向けのカラーリングの機種——に目を奪われていた。
悩みに悩んだ英士はちょうど今日発売したソニック社製の最新ブースター、【SNC・SH―BST2】を購入することに決めた。昨日の大会で天寿を全うされたブースターの強化版だ。値段は少々張ったものの、今後の大会で好成績を収めるための投資だと思うことにした。
そして現在、二人はモール内にある街の風景を見渡せる展望デッキで一息ついていた。
「うわぁー、いつ見てもすごぉーい! ここからの景色を見ると、この街が如何に自然と都市とが上手く共存し合っているかを思い知らされますね」
森と摩天楼。
広大な関東平野の大地に突如として築かれた超未来都市。『自然と都市との共存』をテーマに人類は自然の中でも科学文明を発展させることが可能と世界に知らしめた奇跡の地。
しかし、『人間は決して自然から逃れることはできない』というメッセージがこの風景に隠されているのではないかと英士は時々思うことがある。
「……黒鉄君?」
「うわぁっ!!」
難しい表情を浮かべていた英士の真横から楓が首をかしげて覗き込んできた。エメラルド色の透き通った瞳がいきなり視界に入ってきたことに驚き、飛び退く。
「だ、大丈夫ですか!?」
「う、うん、だいじだいじ。ちょっとビックリしただけだから」
動揺して『大丈夫』という意味の方言を口にしてしまう。心臓の鼓動がバクバクと悲鳴を上げて今にでも破裂してしまいそうだ。
「そうですか? それなら良いんですけど」
暴走する心臓を何とか抑え込んで一息入れる。
(出会ってから時間も結構経ったし、それに自分の用事も済ませたから……そろそろ良いかな?)
このタイミングを待っていたとばかりに英士の目付きが真剣なものへと変わる。
「ねえ楓さん、そろそろ話してくれない。君は一体何者なの? どうしてこの俺に接触してきたの?」
楽しかった雰囲気がガラッとシリアスなものへと変化する。そんな空気を読み取った楓は英士に背を向けて自分の表情を隠す。
「止めましょうよ。せっかくの楽しい時間が台無しになりますよ」
「言い方が悪かったね、質問を変えるよ。君は俺のことどこまで知っているの?」
最初に率直に答えずらい質問をし、次に質問のハードルを下げる。加えて質問する際はある程度相手との時間を有して信頼関係を持ってからが効果的である。
信頼関係は微妙だが時間は十分に経っているはず。
義父からの教えを参考に、英士は楓に最初よりもハードルの低い質問を投げ掛けた。
「私が知っているのは黒鉄君が私と同い年で、シティ内のとある高校に通う学生さんってことだけです。あー、そうそう、黒鉄君が偉い社長さんの所の養子ってことも知ってます」
背を向けていた楓がクルリと振り返った。彼女の表情は何も感じさせないような作り笑顔だった。
「……それだけ?」
「え? それだけですけど……他に何かあるんですか?」
養子であること以上に重大な秘密があるのかなと思った楓は小首をかしげる。
楓の表情をじっくりと観察し、これ以上のことは知られていないと確信する。ホッと安堵の息を吐いて強ばった英士の表情が和らぐ。
親しい友人と家族以外にはあのことは絶対に知られてはならない。もし知られでもすれば、眞や愛衣が黙っていない。楓を消しに掛かる可能性だって十分考えられる。英士の吐いた安堵の息はそういった意味も含まれていた。
「何でも無いよ、忘れて。それから……」
ジリジリジリジリィ——————!!!!!!
突如として鳴り響いた警報がモール内にいる人々の鼓膜を刺激する。
最初は誰か悪戯で警報装置のボタンを押したのだろうと思った。
しかし、
ピンポンパンポーン!!
『お客様にお知らせします。ただ今の警報は誤作動によるものではありません。当館内で時限式の爆弾が発見されたためのものです。お近くの係員の指示に従い、落ち着いて、速やかに避難して下さい』
思いも寄らぬアナウンスにこの場にいた誰もが耳を疑った。
「時限爆弾って、何処ぞの気合いの入ったテロ組織でもいるのか!? って、そんなこと言ってる場合じゃねえな。早く避難しよう楓……」
さん、と言い終える前に英士の視線が楓のポシェットに釘付けになる。
モゾモゾと得体の知れない何かが中で動いている。楓は慌てた様子でポシェットの中の物体Xを抑え込もうとする。その制止を振り切り、謎の物体Xが顔を出した。
「ぷはぁー!! 楓、酷いウパ! 危うく窒息死になるところだったウパよ」
Xの正体は全身がピンク色で人形サイズのトカゲに似た爬虫類、もしくは両生類だった。目はパッチリで、透き通った可愛らしい女の子の声をしている。
「あ、こらルンバ! 出て来ちゃダメだって」
「痛い、痛いウパよ!! 今は非常事態ウパ、こんなことしている場合じゃないウパ」
やけにウパウパ言っている奇妙な生物をポシェットに押し戻そうと奮闘する楓だが、その生物が必死に抵抗してバッチリ英士の視界に入ってしまっている。目の前に全身ピンク色の生物がジタバタしている光景に目を奪われ、今が非常事態であることを忘れてしまう。
「……何、それ? 最新のAIが搭載されたペット人形?」
「そ、そうなんです。何かの刺激で起動しちゃったみたいなんですよー」
人形にAIが搭載されることなど珍しくない今日。それにしたって表情や筋肉の動きがあまりにリアルだ。シリコン技術が発達し表情の動きが自然としか思えないレベルに達したとはいえ、人間は何処か不自然だと感じてその違いを見分けているものだ。だから現代のAIロボを見ても、本物かどうか区別できるはず。しかしこの全身ピンク色の生命体はというと、本物としか思えない筋肉の動き、生物の皮膚感をしていた。
「ちなみにその人形、幾らしたの?」
「えーと、一〇〇〇円くらいです」
「最新のテクノロジー安っ!!」
嘘かどうかは別にして、と英士は付け加えた。
「ルンバは人形じゃないウパ!! 歴とした生き物ウパよ」
ピンク色の生物がヒョイッとポシェットから飛び出して地に足を付けた。
もう隠しきれない、と楓は頭が痛そうに額に手を当てた。
「立った!? 本当に何なんだ、このトカゲは……」
「さっきから失礼しちゃうウパ! ルンバはトカゲでも人形でもないウパ。ウーパールーパーの妖精ウパよ」
そうウパかー、と英士は心の中で呟いた。そして、こんな感想を抱いた。
「これって何のクソゲー?」
「クソゲーじゃないです!! ちゃんとした現実ですよ!! ほ、ほらルンバ、ちゃんと自己紹介しないと」
楓は現実逃避を試みる英士を何とか引き留めようと頑張る。
「初めましてウパ。フォーチュンワールドの精霊で、楓とはパートナーを組んでいるルンバですウパ」
「あ、こちらこそ初めまして。黒鉄英士です」
お互いに挨拶を用いてペコリとお辞儀する。
「やっぱこれって何のクソゲー?」
「黒鉄君、カムバァ——————ク!!!!!!」
こんな馬鹿なやり取りをしていても事態の深刻さは変わらない。このショッピングモール内の何処かに時限式の爆弾が仕掛けられ、避難指示が出ている。
「とりあえず色々訊きたいことが山々だけど、今は避難しなきゃ!」
「いいや、その必要は無いウパ」
「ええ、ルンバの言う通りです。恐らく、仕掛けられた爆弾というのは施設内の人間を外へと追いやるためのデコイ」
「デコイ……?」
英士には二人が何を言っているのか理解できなかった。
「そして、そのデコイを仕掛けた奴の本当の目的は……」
楓とルンバの視線の先に、目的の人物がいた。
「え、お、俺!?」
その人物とは何を隠そう、黒鉄英士だった。だが英士にはこんな馬鹿げた騒ぎを起こすような輩に恨みを買った覚えは無い。
「予想通りね、ルンバ」
「ウパ。来るウパね、闇の組織、『ファントム』の残党が!」
その直後、コツ! という足音が英士達の後方から聞こえてきた。
時限式の爆弾がショッピングモール内に仕掛けられ大至急避難するようにとのアナウンスが流れたことで、大概の人間が外へと避難した。今この場に残ったのは、英士と楓の二人、それにウーパールーパーの妖精と自称する珍生物のルンバ一匹の計三名だけ。
英士は聞こえてきた足音をまだ逃げ遅れた人がいないか確認しに来たスタッフかと思った。だがいつになっても呼び掛けもしない。明らかに不自然である。
楓とルンバが言っていたことが的を射ていると判断し、確証を得るためゆっくりと振り返り、見る。
英士の視線の先には、異様に尖った鼻が目立つ老婆が不気味な笑みを浮かべ立っていた。小学校低学年程度の背丈とかなり小柄ながら、その老婆の全身からは友好的な態度とは懸け離れた嫌悪感を抱かせるオーラを放っていた。
「イヒヒヒヒ。あんたが捕獲対称の黒鉄英士かい? ふむふむ、この写真の顔とピッタリ一致しておる。どうやら本物に間違いないようだね」
老婆は持っていたスティック状の携帯端末から青白いモニターを表示させ、ターゲットとなる少年の写真と英士が同一人物かどうか顔認識アプリで確かめた。
【MATCH! 98%の確率で本人だと断定】
アプリの結果を受け、老婆は目の前の少年がターゲットとなる黒鉄英士だと認識する。
「キウム、あなた生きていたのね!!」
楓の透き通ったエメラルド色の瞳からバチバチッ!! とギラついた眼光が放たれる。
「おや? 誰かと思えば、我が組織『ファントム』を壊滅に追いやってくれた美少女戦士ではないか。これは奇遇じゃわい」
「何が奇遇よ! こっちはちゃーんと情報を掴んでたんだから」
「そうウパ。お前がこの少年を狙っているというネタはとっくに挙がってるんだウパ!! 目的はまだ分かってないウパけど……」
(…………何これ、みんな喋ってる言語日本語だよね?)
思考回路が全く追いつかない英士は、しばらくこの場の空気と化す。
「イヒヒヒヒ。その情報、お前ら美少女戦士達にわざと流してやったんじゃよ。それにまんまとはまるとは、イヒヒヒヒ」
「何ですって!?」
自分が騙されていたことを知った楓は、悔しそうにギュッと拳を握りしめた。今更になって冷静に考えてしまう。疑うべきポイントは幾らでもあった。
数日前、仲間の一人から『黒鉄英士という少年が『ファントム』の残党の標的になっている』というメールが届いた。まずその時点で疑うべきだったと今更ながらに反省する。情報の信憑性や黒鉄英士を狙う目的など少しは気にかけたものの、そこまで重要視はしなかった。
「で、でも、情報ソースは女皇陛下の宮殿サーバーからよ。美少女戦士の任務は厳重なセキュリティで管理されているし、『ファントム』側から情報を流すにしても、宮殿サーバーのセキュリティをパスしない限り絶対に無理なはず。一体どうやって……?」
「フン、知るものかそんなこと。やったのは我々『ファントム』であってワシではない。考えれば幾らでも遣り様はあるじゃろう? 生憎、ワシは機械についてはチンプンカンプンじゃ」
それは何となく楓も理解できる。見た目一〇〇%魔女な野郎が機械知識に詳しいなら鬼に金棒、向かう所敵無しの無敵おばあちゃんだ。だが老婆を以前から知っている楓の記憶には、そんなハイスペックなマネを披露した覚えなど皆無だ。
「楓、情報が罠だったことは今は置いておくウパ。それより、今はこの場をどうするかが重要ウパよ」
空気が、痛く張り付く。
そんな中、
「……ハロウィーンは半年以上先だぜ」
空気を読まない馬鹿が一人。どうやら英士の目には、老婆がハロウィーンまで待ちきれず今から気合いの入ったコスプレをしているレイヤーと映ったようだ。
「~~~~」
楓のテンションが駄駄下がりする。
「く、黒鉄君、今はふざけている場合じゃないんです!! というか、自分が標的になっていること自覚できてます!?」
「え? 何、もしかして俺、そのババアにお持ち帰りされます的な事態に陥ってんの!?」
初体験はとびっきり可愛い女の子となんちゃらと騒ぎ立てて己の貞操がピンチだと勝手に思い込み、あれこれ騒ぐ馬鹿が一人いた。
「勘違い方のベクトルがパナいです。お持ち帰りというのはある意味合ってますけど……。てか、何変なカミングアウトしちゃってるんですか!!」
やれやれとため息混じりにルンバは首を振った。
「楓、こんな奴に幾ら状況説明しても無駄だウパ。こういう奴には見せつける方が早いウパ!」
「……それもそうね」
諦めた表情を浮かべた楓は、ポシェットからスティック状の携帯端末を取り出した。青白い画面を表示させ、画面からドレス絵のアプリアイコンをクリックする。すると人一人の大きさはあるホロタグが画面から飛び出し、楓の前方に表れた。
『システム起動、変身対象者を美汝楓と確認。付近の端末に強制アクセス開始……アクセス完了。変身シークエンスオールグリーン!』
「変身!!」
そう叫ぶと楓は目の前のホロタグに向かって走り、跳び込んだ。
ホロタグを通り抜けると楓の衣服がピンクを基調としたバトルドレスへと変わっていた。そしてプリマのようにクルリと可憐に舞い踊る。
「闇を包み込む優しき光。美少女戦士プリティーフォーチュン、フォーチュンフレア☆」
楓が決めポーズを取り終えると彼女のバックには、星の煌めきやハートマークが飛び交っていた。