4章5
フェザーシティの中央部に位置する高層ビルのほとんどがロビーから最上階まで吹き抜けの造りになっている。
かつて羽生と呼ばれたこの土地がフェザーシティへと名を変えたちょうどその時代、今よりも気象変動が激しく温暖化が懸念されていたため、環境に考慮した建物が試験的に造られていった。吹き抜けの造りもそれの一環である。
しかし現在のエネルギー事情は二酸化炭素を全く出さないスペルゲン粒子へとシフトしたので、温暖化への懸念も減ってきた。それでも圧迫感を感じさせない吹き抜けの造りがトレンドとして定着したため、今でもビルを建てる際には吹き抜けを前提とした造りとなる。
当然、英士達が戦闘を繰り広げているこの建物もその造りである。だから暗視モードでスコープを覗き込みライフルを構えているスナイパーにとっては、下層階をのうのうと歩いている相手を撃ち抜くには打ってつけの場所である。
「大ホール以外の電気が消えている……。予めこのホテルの電源に細工を施しておいたのね。ベタなやり方だけど、悪くわないわ」
廊下に出てみれば、見渡す限り暗黒が広がる世界だった。辛うじて視認できる灯火は非常口の淡い緑色の光ぐらい。普通なら手すりにそって歩かなければ危険な暗さだが、利創愛衣は辺りをきょろきょろと見回しながら平然と歩いていた。
(あの女……、あたしらみたいに暗視用の装備も持ってないのにあーも動けるなんて、一体どんな目をしてやがんだ?)
愛衣を不気味に感じつつメアリーはライフルのスコープに目を当て、倍率を調整して照準を定めていく。
狙撃対象の額へと照準を合わせ、ライフルのトリガーに人差し指を掛けたちょうどその時、狙撃対象がにっこりとした笑みを浮かべた。しかも笑みを向けた先がちょうどメアリーがいる位置だった。
(こっちの位置がバレた!? まさかな……)
一瞬だけ生じた焦りを捨て、全神経を人差し指へと注ぐ。もう少しで標的の額を撃ち抜いて、あの何とも言えない極上の快楽が得られる。だから今はバクバクと激しく高鳴る心臓の鼓動を無理矢理にでも抑え込み、無心になってトリガーを引くだけだ。もう少しもう少し、ただ我慢するだけ。
照準は定まった。些細な誤差はシステム化されたライフルの照準システムが修正してくれる。大丈夫、数秒後には分泌されたアドレナリンを上回る快楽が脳内を支配してくれるはずだ。
ゴクリ、と苦いツバを飲み込んで笑みを浮かべるメアリー。そしてゆっくりと人差し指を動かし、トリガーを引いた。
銃身の先端に取り付けられたサプレッサーにより発砲音と閃光が軽減され、弾丸が静寂の闇の中で螺旋を描きながら愛衣の額へと迫る。
だが、タイミングを見計らったかのように愛衣が自身のオブジェクトデバイスである扇を大きく振り、突風を発生させた。その突風が螺旋を描いていた弾丸の運動エネルギーを奪い、機動を逸らす。風の波に揺らされた弾丸は完全に前進する勢いを失い、奈落の底へと落ちていく。
(馬鹿な!! 弾丸を真っ二つにしただと!?)
メアリーが標的を撃ち損ねたのとほぼ同時、ジョンもまたターゲットとなる利創眞を撃ち損ねていた。しかも眞は自身のオブジェクトデバイスである刀を横一線で払い、弾丸を真っ二つに斬るという名人芸をやってみせたのだ。
完全にこの場所がバレたと判断したジョンはすぐさまその場から素早く立ち去り、予め決めておいた次の狙撃ポイントに移動する。移動中に襲撃を受ける可能性もあるので、その際に反撃できるようにライフルを二丁用意してマガジンを詰める。
それが吉と出た。
一三〇階以上はあるこの建物で今ジョンがいるのは一〇八階、対して眞がいたのは八十八階。実に二十階の高低差があるにも関わらず、眞は一瞬にしてその差を跳び越えてきたのだ。そしてジョンに驚きの言葉を口にする暇も与えずに斬り掛かかる。
空気を切り裂く冷たき金属が迫る中、幾多ものミッションで培い体に染み込んだ反射神経がジョンの指先を動かし、ライフルの弾を連射させる。
正直ここまで相手の反射神経が良いとは思っていなかった眞は、一瞬眉間にしわを寄せて苦い表情を浮かべた。斬り掛かったモーションの中、連射された弾丸が眞の頭部や腹部に螺旋を描きながら時速数百メートルの勢いで飛んでくる。
「はぁあっ!!」
気合いの一声を放った眞は刀を振り下ろしたモーションから無理矢理にでも体を回転させ、襲い掛かる弾丸を常人離れした剣技で真っ二つに斬っていく。地に足を着けてからも連続して飛んでくる弾を素早い手さばきで一つ一つ見逃すことなく分断し、無効化させていく。
目をこらしても周囲がぼんやりとしか見えない暗闇の中で銃声と閃光、それに金属音が迸る。火薬の臭いが漂ってくるが血の臭いは一向にしてこない。
ライフルのマガジンから弾丸が消費されていくのに対し、眞の足元には真っ二つに斬られた弾丸の残骸が散らばり、増えていく。
神の領域と言っても過言ではない剣舞を見せつけられたジョンは、珍しく自棄になって弾数を数えずに連射し、マガジンの中身が空になったことにトリガーを四回引いた後にやっと気づかされた。
その隙を見逃すはずがない眞が、すかさず刀で斬り掛かる。
しかし、
「残念だったな、弾はマガジンごと自動で装填されるのさ」
全ての弾を撃ち尽くしたはずの二丁のライフルから再び何発もの弾丸が射出される。冷静さを欠いた時にリロードが上手くいかない恐れがあるかもしれない、そんな最悪な可能性を考慮していたジョンは予め弾を詰めたマガジンを幾つかデータ粒子化させておき、弾が空の状態でトリガーを四回以上引くと自動的にオブジェクト化されて装填されるシステムをライフルに仕込んでおいたのだ。
装填の感覚が予想外に短かったために流石の眞も反応しきれず、自ら銃弾の嵐の中に跳び込む形になってしまった。
少々常人離れした剣の使い手に驚かされたものの、自分の勝利を確信したジョンは顔の筋肉が解れて満足な笑みを浮かべた。
だが、その笑みは一秒もしない内に打ち消された。
弾丸が眞の全身を貫かんとしたその時、鋭い金属の音が響く。その直後、待ったなしに飛んできた銃弾が次々に真っ二つにされ、無効化されて地に落ちた。
「そっちこそ残念だったな。俺のフツヌシはこの両手に持った刀二本だけを差すんじゃないんだよ」
幾多のオブジェクトデバイスの刀が眞の周りを電磁浮遊していて、鋭き刃が神々の怒りのようにギラリと光を放っていた。




