1章2
時刻は午後七時を五分ほど過ぎたところ。
今日の大会の疲れが重りとなっていた英士は、干からびた蛙のように自室のベッドで横たわっていた。顔の筋肉はだらりと崩れ、口元は決壊したダムの如く唾液が大量に垂れている。それなりに整った中性的な顔が台無しだ。
レーザー光線の雨に襲われ、ガトリング銃の集中砲火に合い、挙げ句の果てに観客に醜態をさらしてしまい、大会に出場したことを激しく後悔していた。心が完全に癒えるまで約一週間程度の時間が欲しいところだろう。
「あー、世界なんて滅んでしまえ」
病んだ心が英士を恐怖の大魔王へと変貌させようとしていた。
ノストラダムスの大予言が半世紀遅れて的中する? 宇宙悪魔・黒鉄英士来襲。果たして、人類は生き残ることができるのか? 乞うご期待。
「…………アホくさ」
厨二病妄想が出てしまうとはいよいよ重傷だこれ、と額に手を当て大きくため息を吐いた。
上体を起こしたちょうどその時、
「えいじぃー、ご飯できたわよー!」
一階から英士を呼ぶ女の子の声が聞こえてきた。
「ジャストタイミングだな」
ちょうど『エネルギー補充を欲す』という腹の虫からコマンドが下されたタイミングだったので、表情に笑みを浮かべながら自室を出て一階へと下りていく。
ガチャ、とドアノブを回してドアを開ける。
「あ、来た来た♪」
ドアを開けると義姉の利創愛衣がエプロン姿があった。何やら「ルンルン♪」と鼻歌を口ずさみながらリズムに合わせてツインテールを揺らしている。
「そこに突っ立てないで、早くこっちこっちぃー」
「え、ちょっ?」
待ったの声も聞かずに愛衣は強引に英士の手を掴み、そのまま部屋の中へと引き入れた。
一体何事かと愛衣の上機嫌さに疑問を抱きつつ、ふと視線を横に動かす。
視線の先にいたのは義兄の利創眞、それに英士の親友の高岡龍平だった。二人とも愛衣と同様にニンマリとした表情を浮かべていた。
「三人ともニヤニヤして一体どうしたんだよ。それに、何で龍平がここに……って、あれ?」
更に視線を動かすと、豪華な料理が盛られた皿がダイニングテーブルいっぱいに置かれていた。
英士がテーブルの皿に気づくと、
パパッパン!!!!!!
三人が隠し持っていたクラッカーの紐を一斉に引き抜いた。火薬の匂いが鼻についたところで紙テープが英士の頭に降り掛かる。
「「「英士、FBレースフェザーシティ大会優勝おめでとう!!」」」
自分のことのように喜んでいる三人に対し、当の優勝者である英士はポカーンと口から魂が抜けたような表情でフリーズしていた。
「おーい、何ボケーと突っ立てんだ。今日の主役はお前だぞ」
「……じゃない」
「はっ?」
「今日のって夢じゃないんだよな、龍平?」
「あ、ああ……、ちゃんとお前は今日の大会で優勝したぞ」
「本当に本当に?」
「諄いな、ケンカ売ってんのか?」
お祝いムードが一転、英士の疑心暗鬼な態度に龍平のキャパシティの限界を迎え、気まずい空気が漂い始めた。
「本当に本当に本当に本当!?」
プツン、と何かが切れた音がした。見ると龍平が右の拳にありったけの力を注ぎ込んでいた。握りしめた拳がまるで大地を揺るがすような怒りのバイブレーションを発していた。
「そんなに信じられなかったら、こいつでも喰らって現実に戻りやがれぇ————!!!!!!」
放たれた右ストレートが英士の頬へと吸い寄せられ、めり込む。
「ぶごろごふぇっ!?」
勢い良く殴り飛ばされた英士は、ボーリング玉のようにゴロゴロと転がり壁へと激突して頭を強打した。しばらく数羽のヒヨコがピヨピヨと英士の頭上を走り回った。
「いちぃち……、いきなり何すんだよ!!」
「いやぁ~、夢か現実化か確かめるためのお決まりのあれだよ。良かったな、痛くて。痛いっつーことは、お前の優勝は夢じゃねぇんだよ」
良かった良かった、と言いながら龍平は満足な表情を浮かべる。意識を夢の世界から現実へと引き戻すために英士を殴ったが、非モテ男子の「リア充は死ぬ!!」というレジスタンス魂が燃えてしまったのは内緒である。
腫れた頬を擦りながら涙目で抗議するが、龍平の視線は明後日の方向を向いていた。
「さーて、早く飯にしよぎゃんっ!?」
いきなり男のシンボルを奇襲攻撃された龍平は、女性には理解できぬ不可能領域な痛みを味わいながら床へと倒れ込んだ。
「私の可愛い義弟に何してくれてんのよぉ!!」
襲撃者は英士の義姉、愛衣だった。心から愛する義弟に危害を加えられ、激おこぷんぷん丸状態になっていた。
「あんたはいつもいつも、自分がモテないからって英士に八つ当たりして!!」
「ノォウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
痛みと必死に闘う龍平に容赦ないマシンガンキックが下半身へと加えられる。
愛衣による無料調教タイム(クリア不可能の超ハードモード)が幕を開けた。
「悔しかったら、テメーのその腐ったバナナをブッ刺せる女でも見つけなさいよね!!」
「ヤメテェー!! 俺のエクスカリバーがぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
自慢のエクスカリバーが蹴られ罵られ、童貞男高岡龍平の心はポッキリ折られた。
その後も調教タイムは続いた。
「お婿に行けなくなる」や「このままじゃ子供が……」と龍平の悲鳴が響く。時折「あひぃん❤」と新たな世界の扉が開く音が聞こえてきたが気のせいだと信じたい。
「……なあ、あれ止めなくて良いのか?」
英士は眞に判断を求めた。
「うんうん、我が妹は今日も元気で何より」
今日も平和だなぁ、と温かい視線で茶をすする老人モードになっているため、目の前で繰り広げられているSMプレイじみた行為を英士はそっと見守るしかなかった。
「ソレデハミナサマアラタメマシテ、エイジノエフビイタイカイユウショウヲシュクシテ、カンパイ」
「「「かんぱぁ~い!!」」」
調教されて変なスイッチが入ってしまった龍平など無視して、英士、眞、愛衣の三人は互いのグラスをチーンと当てて、少量のグレープサイダー(ワインの代わり)をいっきに口に含み喉を潤した。
「ぷはぁー! 蘇るぅ~~」
職場帰りに一軒寄りキンキンに冷えたビールを飲むサラリーマンの台詞を十六歳の英士が口にする。炭酸効果なのか、大会の疲れが一瞬で吹き飛びやる気さえ芽生えてくる。
「もぉー、オヤジ臭いわよ英士、私達と歳は同じなんだから……。せっかくの可愛い顔が台無しよ」
「可愛いって言うな!」
正面から見るとギリ男子に見えるが、後ろ姿は完全にショートカットの女の子にしか見えない。筋肉質な体つきじゃなく身長も一六〇センチ程度なので、間違われてもおかしくない。自分の属性が『男の娘』だと聞かされた時には自分の男性ホルモン比率を疑い涙したことは記憶に新しい。
拗ねてはいるものの義姉に可愛いと言われたことが実は嬉しいようで、英士の頬がポッと赤く染まる。
「はいはい、ツンデレごちそうさま。英士にはもう一つ、愛衣に対してツンデレって属性があるから余計に可愛く思えるんだよ」
「な、ななななな…………!?」
眞の追撃が止めを刺したのか、英士の体温が急上昇し口が勝手にパクパクと魚の動きをしてしまう。どう対応すべきか考えようにも羞恥と怒りが混じり合った感情が思考を妨げ、回路がショートして頭から煙が噴出した。
オーバーロードしている英士の肩に眞がポンと優しく手を置く。
「まあ気にするな。お前はこの利創家に来た時から俺達の可愛い義弟なんだから」
この言葉に思考が回復した英士は、ふと昔のことを思い出す。
黒鉄英士は実の親の顔も名前も知らない。彼が赤ん坊の頃、置き手紙と一緒にカゴに入れられ孤児院の前に置き去りにされていた。手紙には誕生日と名前、『この子を大切に育てて下さい』というメッセージが書かれていたそうだ。
その後、似たような境遇の子達と共に暮らしていたからか、自分が捨て子だったことなどあまり気にせず、小学校に上がる頃まで元気に育った。
そして十年前、あることがきっかけで英士のいた孤児院が閉鎖されることになり、身内のいない彼を利創家の当主である堂里の意向により養子として向かい入れられた。
眞と愛衣、実の双子の兄妹とは歳が同じではあるが二人の方が誕生日が早いため、必然と英士が利創家の末っ子となった。
堂里が「実親との大切な唯一の繋がりだから」と言ったことが理由で、養子になっても英士の苗字は黒鉄のままである。別に英士は苗字が利創になっても良かったのだが、今は特に気にもしていない。英士にとって利創家は、血の繋がりが無くとも掛け替えのない存在、帰るべきマイホームなのだ。
「ヤッパリアイノツクッタリョウリハオイシイデスネ」
せっかく心がほっこりしていたのに、未だロボット口調の馬鹿に雰囲気を台無しにされてしまう。愛衣による地獄の調教をもってしてもKYな部分は直らなかったようだ。
(まあ、今まで俺のコーチとしてFBの練習を見てもらったし……いっか)
やれやれとため息混じりに呟きながらも親友のKYチャラ男を許すことにして、こんがりと良い色具合いで焼き揚がったチキンを手に取り、口に運ぶ。英士の口の中でジューシーさとスパイスの奏でるハーモニーが味覚細胞を刺激し合い、頬がとろけ落ちそうになる。
今日の料理の品々はチンして済む市販の冷凍食品がほとんどだが、愛衣が秘伝の調味料など一手間加えることで高級レストランに出してもおかしくないレベルまで味がグレードアップしている。
「どう、美味しい? 今日は眞も手伝ってくれたのよ。そこの炒飯とパスタのソースは眞が作ったの♪」
「まあ、自慢の義弟が頑張ったからな。せっかくの機会だから、俺もちょっと腕を振るってみた」
自信のほどを確かめるため、英士は例の炒飯とパスタを口に運ぶ。感想は、確かめる必要も無く美味しかった。
眞は長身でイケメン、愛衣も美人でスタイル抜群、兄妹揃って料理上手、成績は学年トップクラス、おまけに学園の人気者ときた。英士にとって二人は自慢の義兄と義姉なのだ。
ただ一点を除けばだが。
「ほら眞、口にソースが……」
そう注意した愛衣は、手許のナプキンも手に取らず眞の口元へと吸着するように顔を近づける。何故か薄ピンク色の空気が兄妹の間に漂う。
ペロリと愛衣の舌が眞の口元のパスタソースを舐めた。
「あ、愛衣……」
「眞……」
実の血縁関係にある双子の兄妹の間にハートマークが浮かび、漂っていた空気の色が更に濃いピンクに染まる。
うっとりとした雰囲気の二人の唇がそのまま近づき、ソフトに重ね合わさる。そして互いに禁断の想いを確かめるため、離した唇をもう一度近づける。舌と舌を何度も重ね合わせ、愛の深さを感じ合う。
「ん、んん……」
「ん、んんん、んん……」
回数を重ねるごとに激しくなっていく兄妹同士の接吻。
「イヤハヤ、オフタリハタイへンナカヨクテ、ケッコウケッコウ。ワタシハオフタリノシアワセヲイノッテオリマス」
「祈るなぁー!! つーか、いつまでその状態でいる気だ、さっさと目を覚ませ!!」
ゴチン!! とヘッドバッドを一発おみまいしたことでKYロボット口調の龍平が正気を取り戻す。「はっ、俺は今まで一体何を……?」とお決まりの台詞を口にした馬鹿の視線を誘導させる。
「……またやってんのか。こりないねえ、この二人は」
最初の内はパニック状態に陥るほどだった龍平も、今となってはため息が漏れるまでに当たり前の光景と化し、微動だにしなくなった。
「――んで、この二人をどう止めんのって……」
「ああ、いつも通りのあれだよ」
激しく抱き合い始めた双子の頭上に光の粒子が突如として現れ、集結し、バレーボールサイズの球体がオブジェクト化する。
『警告警告! 実兄妹間ノ不純異性交遊ヲ確認。直チニ制裁ヲ開始シマス』
眞と愛衣が兄妹の一線を越すことを防止するために配備されたセキュリティボールが不快に響くハザード音を鳴らすと、小さなレンズからパチパチと青白く光る電流が放たれた。
「「あぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?!?」」
父親の堂里が大企業の社長を勤め、なかなかの多忙で家に帰る機会が少ないため、眞と愛衣の監視は英士に任されている。だが流石に英士一人では荷が重いので、自作したセキュリティボールと共に監視の目を光らせている。英士が家に不在の際には大いに活躍してくれる頼もしいガーディアンだ。
その後、一分間以上に渡って制裁の電流を浴びせ続けたセキュリティボールは、役目を終えてデータ粒子化し、その姿を消した。