2章6
虫の息だったオコルゾウがまるで太古の眠りから目覚めた怪獣のように起き上がり、グゥオォ————————ン!!!!!! と大きく吠えた。
全身が赤く染まり筋肉がムキムキに膨れ上がりサイズが一回り大きく変化した。黒かった瞳の色は理性を失ったかのように白く濁っている。
「……嘘でしょ!? もう立つのさえ難しい瀕死の状態だったのに、急に息を吹き返すなんて……。有り得ないわ、一体どんな手を使ったっていうのよ」
あっけらかんとした表情で楓は復活したオコルゾウを眺めていた。
ダメージは十分以上に与えた、あとは止めを刺すだけだった。それなのにオコルゾウは今まで与えたダメージなど無かったかのように再び上体を起こし、立ち上がった。こんなことゾウにしても生物学的にも有り得ない話だ。世界に衝撃を与えてしまうほどの出来事が目の前で起こってしまった。
「ウオォ————————ン!!!!!!」
呆然と立ち尽くす楓をあざ笑うかのようにオコルゾウは大きく雄叫びを上げる。
「何ボーとしているウパ、楓!! 敵が復活したならまた倒せば良いだけの話ウパよ」
ルンバの言葉でハッと楓の正気が戻る。
せっかくHPを赤までしたのに回復技を使われHPが全回復しやがった、という強敵ボスのチートさにマジギレするゲーマーの気分を味わった楓は、むきになってオコルゾウに再びパンチやキックの連打を喰らわせてやる。
(……硬ッ!?)
変化されていたのは皮膚の色や筋肉だけじゃない、細胞の強度も格段に上がっていた。殴った拳からヒリヒリと熱と痛みが伝わり苦痛を覚える。そのせいで僅かな隙を見せてしまった。
バチィ——ン!!!!!!
「きゃあっ!?」
オコルゾウの片手による強烈なはたき攻撃が楓を大きく吹き飛ばした。飛ばされた先には大きな柱がある。直撃すれば大ダメージ、運が悪ければ後頭部打撲で即死が待っている。
柱へと激突する瞬間、英士が駆け出して盾となり、楓をがっしりと支えて衝突を回避した。
「あ、ありがとう……」
ポッと楓の顔が赤く染まる。
「いえ、どういたしまして」
モミュッ、と柔らかく優しく弾ける感触が英士の掌に伝わる。見てみると、楓の胸を鷲掴みしていた。
「きっ、きゃあー!!」
乙女の悲鳴とセットでビンタが英士の頬にクリティカルヒットした。
その様子をルンバは「ジャパニーズポップカルチャーの一つ、ラッキースケベか」と関心半分呆れ半分な眼差しで見ていた。
「さっき黒鉄君が言った『どういたしまして』って、こういう意味だったんですね!?」
「ちがっ、違うって!! さっきのは単なる事故、触る気なんてこれっぽっちも無かったんだよ」
だがこの英士の一言が、
「それって、私の胸なんか触る価値も無いって意味ですか!?」
と、楓の更なる怒りの引き金を引いてしまった。
英士が楓を宥めている間、キウムは高らかに笑い声を発する。
「イヒヒヒヒ、アヒャヒャヒャヒャー!! どうやらあのバックアップの二人が上手くやってくれたようだね。オコルゾウよ、そのままその二人をやっておしまい!!」
その言葉に反応したオコルゾウはギロリとキウムを睨み付ける。まるで自分に指図をするなと言わんばかりの態度で。
「な、何じゃその目は? 仮にもワシはお前を召喚してやったマスターじゃぞ」
しかし、肉体強化の代償として脳の判断能力が激しく低下している今のオコルゾウには、キウムの言葉は自分への愚弄や挑発、殺意の込もった言葉にしか聞こえていない。違法ドラック中毒者と同じ症状がオコルゾウの脳内で起こっている。
「グルウォオ——————ン!!!!!!」
自分を召喚したマスターであるはずのキウムへと憎しみと殺意が込められた雄叫びが響く。
次の瞬間だった。
バァアアアアー!! とオコルゾウが赤くオレンジ色の炎を口から放射したのだ。
「「「ッ!!!!!?」」」
思わず息を呑んだ英士と楓、おまけにルンバ。またしても有り得ない現象が起こる。
「ひ、ひぃっ!? あ、危ない危ない! ば、馬鹿もーん!! ご主人様に向かって何つーこと、ッ!?」
ギリギリのタイミングで避けたキウムにオコルゾウはすかさず火炎を放射してきた。それを間一髪の所で回避するが、ご自慢の黒いローブに火が引火してしまった。
「あちちちぃ、熱っ!! このこの、このぉー!!」
急いでローブを脱ぎ捨て、踏みつけて火を沈下させた。おかげでお気に入りだったローブには焼き焦げた跡と穴が。
「お、おのれー、この愚か者めが!! お前が倒すべき相手はあっちじゃろ」
プンスカ激怒しているキウムに英士は大声で警告する。
「バカヤロー!! そいつはもうお前の知ってるオコルゾウじゃねーんだよ、死にたくなかったらさっさと奴を引っ込めろ。召喚した張本人だろーが!!」
普通のパワーアップとは違う。あれは理性を生け贄に強大な力を得る、言わば諸刃の剣のようなもの。否、それよりも違法ドラッグによる作用と言った方が適当か。倒れ込んだオコルゾウに何かが撃ち込まれたのを見逃さなかった英士には、そういった考えが生まれていた。
今度は英士の怒鳴り声に反応し、暴走状態のオコルゾウの次のターゲットが英士に定まる。どうやら大きな周波数を発する者に対し敵意を抱くようだ。
「ぎっ、このままじゃまずいな……。来い、《BLACK・WING》!!」
一々端末をいじっている時間が無いので、音声認識モードでFBをオブジェクト化させる。毎度お馴染みのデータ粒子の光が表れて形を構成、質量を得る。英士の愛車《BLACK・WING》。フルメタリックな機体が実体化されたと同時に艶やかな輝きを放つ。
「とにかく奴はもう普通じゃねえ。早くこの場で処理しないと、この施設全体が大惨事になる」
ゴーグル型端末を装着しヒョイッと機体に飛び乗る。
「グルウォオ——————ン!!!!!!」
エンジンを起動させジェット音が鳴り響いた直後、オコルゾウが大きく吠えて英士に向けて熱線を放射してきた。当然、熱線が向けられた先には英士だけでなく楓もルンバもいる。
「チッ」
炎が英士達がいた場所へと熱線が襲い掛かり、周囲一体が火の支配領域と変貌する。すぐ後ろにあった柱は炎の直撃を受け、あまりの高温に一部がドロドロと溶けている。
だが、そこに黒焦げた人の亡骸は一つも無かった。
キュイーン!! という高い周波数が響いてくる。それに引き寄せられるようにオコルゾウの視線がその周波数の発生源へと向けられる。
「ふいー、ギリで助かったー」
「あ、あわわわわ!?」
間一髪、英士は呆然と立ち尽くしていた楓を拾い上げFBを急浮上させた。おかげで楓はお姫様だっこという幼少期からの憧れが不本意な形で叶ってしまった。嬉しいようで悔しいようで、非常に複雑な気分だ。でも楓のハートはキュンキュンとトキメキを感じていた。
とりあえずお姫様だっこを解除してもらい、英士の後に着く。
先ほどまで自分達が立っていた場所に視線を向けてみる。大理石のように艶々していた床が黒く変色しきり、火柱が円を描くように立っている。そんな光景に楓はひんやりとしたものを背筋で感じ、恐怖を抱く。
「今まで『ファントム』との戦闘でオコルゾウは幾度となく召喚されて闘ってきましたけど、こんなにまで凶暴化することなんて一度もありませんでした。しかも、あんなパワーアップまで施されているなんて……」
肝心なのはそこじゃない。
「楓さんも薄々感づいてると思うけど、あれは単なるパワーアップじゃない。理性を犠牲に限界を超えてしまった力を得てしまっている。それも、何者かの手によってね」
肝心なのは誰がやったか。
「見たんだ、あのゾウが倒れている時に針のような物が刺さるところを。そこからあのゾウは凶暴化した」
「黒鉄君の話が本当なら、恐らくですけど……キウムと同じ『ファントム』の残党がこのショッピングモール内に潜んでいて、瀕死状態だったオコルゾウにその例の針を撃ち込んだのかもしれません。でも先ほども言った通り、こんなことは初めてなんです。例えバックアップがいたとしても、『ファントム』に今のオコルゾウみたいに急激な肉体変化をもたらす代物なんて持っていないと思います」
更に、今最も重要なことは、
「『ファントム』っつーのがどんな組織かなんて話は後にして、今はあのゾウをどう始末するかだな。あいつを召喚した張本人はいつの間にか姿消してやがるし。それにあの熱線、口元で生成してるんじゃなくて体内で生成して放射してやがる。多分だけど、原子炉を臓器化させた物を体内に埋め込んでからあの逃げ出したババアが持ってたプレートにデータ粒子化させたんだろうな。普段はセーフティーが掛かって使えなかったのが、理性を失った今使用解禁になったってところか」
このままオコルゾウを放置すれば大惨事へと発展することは子供でも分かる。今は警報装置が作動しスプリンクラーで鎮火をしているが、その内対応しきれなくなるのは明白だ。
「この空飛ぶ乗り物で何とかならないウパか? 確かお前、昨日この乗り物の大会でミサイルなり何なり撃って優勝してたウパ」
楓の肩に乗っかっていたルンバが口を挟む。
「偉そうに言いやがって……。まあ、攻撃できない訳じゃない。でもそれには面倒なお役所申請並の許可ってのが必要なんだよ。まず乗ってるFBのメーカーとシティに緊急災害時出動要請を送って、装備品のメーカー一社一社全てにも緊急時自己防衛用攻撃許可申請を理由を提示して出さなきゃならないし、そもそも全てパスすることなんて絶対無理だって」
FBレースの際、コースの両端にギャラリー向けのシールドが自動的に張り巡らされ、軌道が逸れたミサイルや銃弾などのFBの武器からギャラリーの安全は確保されている。そのためレースではガンガンに武器を使用できる。だがレース以外で攻撃を必要とする際には、めんどくさい手続きが何重にも待ち構えている。
一応は申請を送ってみる。一社でもパスが出れば良い方、門前払いが目に見えている。理由提示には『新ワシントン条約完全無視な馬鹿が連れて来たゾウが急に凶暴化して火を吹いている。今なら怪獣映画が撮り放題。攻撃許可か防衛軍プリーズ』と書いてやった。
どうせダメだろうなと思っていたら、ピピピ! とたった数秒で返信が来た。返信されたメールの内容を二人にも見えるようにホロモニターに表示させる。
【お客様は既にマスターパスをお持ちです。よって、今後は申請を出さずとも攻撃許可が自動的に下ります。どうかこの権限を平和的・人道的に利用されることを願っています】
「……簡単に許可下りたウパよ」
「……何で?」
考えられるのは義兄妹の眞か愛衣のどちらかが、何らかの手段を使って手に入れたマスターパスをこっそり英士のFBにインストールしていたということだ。
「この際理由なんて関係ない、ありがたく利用させてもらう」
【KIB・SP―NEDを装備しますか? YES/NO】
当然【YES】をアイクリックして《SPARK―NEEDLE》をオブジェクト化させる。バリーン! とガラスの砕けたような音を耳にしてオブジェクト化を確認、照準をこちらを睨み付けているオコルゾウへと合わせる。
【TARGET LOCK ON】
「いっけぇ————————!!!!!!」
バシューン、と麻痺効果のあるニードルが一発放たれた。
「ブオーン!!」
見事にヒット。オコルゾウの体の周には麻痺効果を表現するかのようにビリビリと電流が走っていた。
当たると本当に麻痺るんだと英士は率直な感想を抱いた。レース以外でFBの武器を使用するのはこれがもちろん初めてだ。武器がもたらす効果なんてレースシステム上のものだとばかり思っていた。
「グルウォオオオオオオオーン!!!!!!」
目に見えていたスパークが消え去り、オコルゾウが怒り狂ったように鳴き声を上げる。たった数秒、それだけでオコルゾウは麻痺状態を力ずくで解除してしまった。
「うっそぉーん!?」
結果的に英士はオコルゾウに火に油を注いでしまい、更なる怒りを買ってしまった。