2章1
我々人類は二つの果実を手に入れた。
フォーチュンメタルとスペルゲン粒子である。
FMは知恵。スペルゲンは力。
二つの果実は互いに相乗効果をもたらし人類の文明を飛躍的に進歩させた。その結果としてタキオン粒子の存在確定という新たな果実をも見つけ出してしまった。
仲間達はタキオンを命の果実とし、これら三つの果実を次世代の『三種の神器』と呼んでいる。研究成果をメディアで大々的に取り上げられと同時に、この呼び方がいつの間にか一般にまで広がったようだ。
私はこの地がフェザーシティと改名される前から住んでいる地元民だ。地方分権が全国に広がる以前は何処にでもあるようなちんけな田舎街だった。大型ショッピングモールがあるくらいで、特に観光資源となるものなど無に等しかった。一年に一度、当時流行っていたご当地キャラクター達を全国から集めるイベントが開かれ、その日だけ日本全国から多くの人を集められた。しかし羽生という地名はメジャーにはならなかった。
それが一変、二つの果実を手にした時からこの田舎は日々姿を変えていった。
電柱は一本残らず引き抜かれ電線は地面へと埋め込まれた。コンクリート道路には都市化によるヒートアイランド現象を防止するためグリーンキューブという自動的に光合成を行う装置が無数に埋め込まれた。結果、都市間の気温上昇は最低限に抑えることに成功した。
ランドマークが無かったド田舎が高層ビルが建ち並ぶ摩天楼に生まれ変わったのだが、自然の数は改名前よりもむしろ増加している。
街の周辺に木々が大量に埋められ、同時進行で水質も改善された。そのおかげで今では森林に野生動物が多く生息し、川には様々な川魚が集まり、夜には蛍が幻想的な光を見せてくれる。
以降シティでの大胆な環境改変は世界のお手本と見なされ、世界の格主要都市で緑化計画が進められていった。
世界中の都市に緑が増加したことにより現在の環境問題の課題は、今でも溶け続けている北極の氷河をどう食い止めていくかに重きが置かれている。
十八世紀半ばより起きた産業革命以来、人類は急速に科学を発展させ自分達の暮らしを豊に変えてきた。代償として母なる星地球の緑や青い空は汚れ、その環境に適合できなくなった生物達は絶滅という種の淘汰への道に追いやられた。
我が物顔で文明を築き科学を玩んだ人類は地球の怒りを買った。
生命溢れる母なる星という面を外し、原因不明の天変地異を引き起こす怒れる父なる星の面を被るようになった。
科学の力により怒れる地球を抑えようとする姿は率直に言って素晴らしいと思う。現に、年々勢力を拡大していた自然災害の威力が衰え始めていることがここ数年間の観測データで分かっている。これは大いに喜ぶべきことだろう。
過去の科学の罪を現代の科学の力で清算していく。これも正しいことだと私も思う。だが、決して忘れてはならない。我々人間は科学の力を持ってしても自然を操ることなど不可能なのだと。例え三つの果実を手に入れ文明を発達させようとも、宇宙まで繋がるエレベーターを世界各地に建てようとも、フェザーシティのように街に緑を増やそうとも、決して我々人類は自然を越えることなどできないのだ。この事実は誰かが神の領域に辿り着こうとも変えられない。
覚えておいて欲しい。神が自然を創造したのではない、自然こそが神々を生み出したのだと。
よく『神を越えた存在』という言葉が出てくるが、その座に人間が立つことは不可能だ。何故なら『神を越えた存在』は我々人間の一番身近にいるからだ。
そう、それは命の恵みである自然を生み出したこの地球なのだから。
この記述は天野博士というとある科学者の書籍の一部分である。
内容の一部が宗教批判に値すると指摘され、メディアを通して多くの人間に批判を浴びた。後に彼の書籍は発売中止に追いやられ、彼自身も表舞台から姿を消した。
天野博士はどんな想いでこんなことを書いたのか、何を伝えたかったのか、未だにその真相は闇の中である。