俳優志望
「俺はやってない。お、俺は嵌められただけだ」
「ストーップ!」
椅子に座っていた演技指導の先生が、手に持っていたカチンコを鳴らして演技を中断させた。タイミングからいって俺のせいだろう。
「君の演技は普通すぎる。もっとこう迫真の演技できないかなー? 演技は大げさにしてもいいんだよー」
「すいません」
「俳優になりたいんでしょー? 相手に見てもらう意識をもって演技をしなきゃー」
「すいません」
「君はこっちで休んでていいからー、他の人達の演技を見て学びなさーい」
「……わかりました」
俺はみんなの輪から外れ、先生の横で正座しながら仲間の演技を見つめた。
俳優になりたい夢を捨てきれず、大学を中退してまで入った俳優の養成所。大学を辞める時には「絶対に大物俳優になってやるからみとけよ!」と周囲に豪語したわりには、この3年という長い期間の中で、毎日毎日駄目だしされ、駄目だしされてまで頑張ってても貰える仕事はエキストラのみ。台詞ありの役を貰ったことはあったが、後日作品をチェックすると全てカットされていた。
頑張れば報われる。夢は叶う。努力は実を結ぶ。どこかでこの言葉に甘えていたのかもしれない。
もう夢を諦めよう。俺には才能がないんだ。
そう思い始めていた。
「今日の稽古はこれで終わりだー。お疲れー」
横にいた先生が椅子から立つと、俺も立ち上がり全員で「ありがとうございました!」と先生に向けて頭を下げた。
先生が部屋から出るまで沈黙を守りながら頭を下げる。
「雅人くん。今日も怒られたねぇ」
頭を上げると、最近入ったばかりの茜さんが目の前に立っていた。
茜さんは入ったばかりだけど、人懐っこいし誰にでも明るく振舞えるその人間性は、一種の才能だと思ってる。そんな茜さんについ本音を漏らしてしまった。
「まぁ、努力はしてるんだけどね。俺には才能ないのかも」
「そんなことないよ。雅人くんの演技好きだよ。先生は大げさな演技が好きらしいけど、私はリアリティーが感じられる演技のほうが好きだよ」
「うん。ありがとう」
この言葉しか言えなかった。茜さんが俺の演技を好きと言ってくれたのは嬉しいが、先生に認められなきゃ意味がない。それに、一人の人間に褒められて有頂天になるほど自分を見失ってもいない。
「大丈夫? なんか思いつめてる顔してるけど」
「あ、いや。大丈夫。うん。大丈夫」
このままここに居ても茜さんに余計な心配をかけることになるだろう。そう思った俺は、この場から去ろうと壁側に置かれている鞄やらハンドバックやらが山積みされているところから、自分のリュックを掘り起こした。
「そーだ!」
背後から明るい声が聞こえた。
振り向くと茜さんがニコニコしながらこちらに向かってくる。
「私達が作ってる自主制作映画に飛び入り参加してみる?」
「映画作ってるの?」
「作ってるって言っても本格的なものじゃないし、お金も人も少ないから作れるジャンルは限られるんだけどね。今作ってるのはサスペンスものなんだ。でも、ちょうど明日は重要なシーンを撮る日だったんだけど、俳優の子が風邪でダウンしちゃってて、中止にしようか迷ってたところだったんだよねぇ」
役者を目指している人間で自主制作映画を撮ってる人は珍しくない。でも、茜さんがそこまでやっている人間だとは思わなかった。
「気分転換にどう? 重要な役を用意するよ」
俳優を目指してる俺にとってはこの誘いを断る理由はない。しかも、重要な役なんて貰ったことがないし、諦めかけた夢を継続するには、いい機会かもしれない。
この自主制作映画で役者になる夢を諦めるか継続するか決めよう。そう心の中で決めた。
「こちらからお願いするよ。こんな俺でよければ出演させてください」
俺は茜さんに頭を下げた。
「じゃあ、急なんだけど明日って空いてる?」
「大丈夫だよ。明日はいつでも空いてる」
「良かったぁ。じゃあ21時にここからすぐ近所の橋の上で待っててね」
「わかった」
「じゃあ、明日ね! バイバイ」
手を振って稽古場を後にする茜さん。気づくと稽古場には俺だけが残っていた。
「よしっ!」
頬を両手で思いっきり叩き気合を入れ、稽古場をあとにした。
次の日の21時5分前。
指定された橋は現在あまり使われていないみたいで、近所では幽霊橋なんて言われているほど人の気配がない。橋の真ん中で川を眺めていると遠くのほうから車の音が聞こえた。
徐々に近づいてくる車のヘッドライトを手で隠しながら見ていると目の前で停車した。
「ごめんねぇ。待った?」
降りてきたのは茜さんだった。今日は撮影の日だからジーパンに黒いTシャツというラフな服装だ。
「いや。大丈夫だよ。それより橋の上で待ち合わせってことは、ここで撮影するの?」
「さすが! 感が鋭いね。雅人君には、殺害時に使用した道具を川に捨てて証拠隠滅を図るシーンをやってもらうんだけど……」
茜さんがしゃべっている最中にワゴン車から帽子を深く被った一人の男が降りてきた。
「これ、どこに置くんだ?」
「雅人君が立っている横の柵の上に置いといてー」と男に向かって指示を出した。
男は両手に軍手をはめ、後部座席の方から重そうなキャリーバッグを両手で抱えながらこちらに向かってきた。
「彼は?」
「彼が映画作ってる仲間で撮影とか機材の運搬してもらってるの」
「へぇー。そうなんだ」
すぐさま納得してしまうぐらいの体格をしている。腕は俺の倍以上太いし身長もかなり高い。
彼は柵に大きいキャリーバッグを乗せ終わるとワゴン車に戻りカメラと三脚を組み立て始めた。
「んじゃ、説明するね。昨日少し言ったけどサスペンス映画を作ろうと思ってて、今日は証拠品の入ったキャリーバッグを川に落とすシーンを撮るの」
「え? 落とすの? これを?」
橋の上に乗せられたキャリーバッグを指さした。
「大丈夫。下流の方でもう一人待機させてるから、後で回収することになってるのよ。まぁ、万が一回収できなかった場合も考えて、中にGPS発信機も入ってるから大丈夫」
「準備いいね。さすが茜さん」
「ここまで準備したのに中止に出来ないからね。俳優が風邪と聞いた時には冷や汗かいたよ」
茜さんは苦笑いをした。
「ところで台詞はあるの?」
「ちゃんとあるよ。シリアスなシーンだから叫ばないで普通に言っていいんだけど、落とす前にこの台詞を言ってね」
ポケットから出された紙には<お、俺はやっていない。あの女に……あの女に嵌められたんだ!>と書かれていた。
「これって……」
「そうなのよ。昨日雅人君が練習の時に言った台詞と似てるでしょ? 聞いた瞬間ビックリしちゃったけど、それと同時に雅人君に代役をお願いしようかなって思ったの」
なるほど。それで俺に声を掛けてきたってことか。尚更気合入れて挑まないとな。
「準備はできたか? こっちはOKだぞ」
気が付くとカメラは俺とキャリーバッグが入るように置されていた。
「どう? いけそう? 別に緊張させる為に言うわけじゃないけど、一回きりだから頑張ってね」
「大丈夫。こんな俺でも長年役者の練習してきたんだ」
俺はキャリーバッグの前に立ち少し拳に力を入れた。あえて撮影直前まで体を緊張状態にさせ、スタートの合図と共に力を抜く。このやり方が一番緊張しない。
「3! 2! 1!」
拳に入れた力を一気に抜いた。
「スタート!」
「お、俺はやっていない。あの女に……あの女に嵌められたんだ」
ゆっくりとキャリーバッグに手をかける。少し力を入れると簡単にキャリーバッグは柵から落ちていった。そして、数秒後。川から微かに水しぶきの音が聞こえた。
「カーット!」
振り向くと茜さんは満面の笑みを浮かべていた。
「良かったよ! すごく良かった! さすが役者さん!」
「あ、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」
「一発で成功しなかったらどうしようかと思ってハラハラしてたけど流石だねぇ」
「俺も内心緊張してたけどね。でも、茜さんの為に……」
「おいっ!」
カメラと三脚を持った男が茜さんに声をかけると、茜さんの体が少しビクッと動いた。
「そ、そうだった! あれ回収しにいかなきゃ!」
「あ、うん。手伝う?」
「大丈夫だよ。次の撮影日決まったら連絡するからそれまで頑張ってね。またねぇ」
そう言い残し、二人は車に乗り込み走り出した。
その場に残された俺は、茜さんに「良かったね」「またね」という言葉を噛み締めながらこの場を後にした。
『こんにちは。お昼のニュースのお時間です。
今朝未明。川の近くを散歩中の人が大きいキャリーケースを見つけ警察に通報したところ、中から若い人の遺体を発見しました。キャリーケースに付着した指紋から、犯人と思われる人物が警察に連行される様子をカメラがとらえましたのでご覧ください』
「違う! 俺じゃない! 俺は頼まれただけだ! あの女に嵌められたんだ!」
『容疑者は今も容疑を否認して……』
プツッ。
「うーん。やっぱり自然の演技より迫力のある演技の方が好きかなぁ」
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。
他にも数作品の短編がありますので、良かったら読んでみてください。