第十五話「お気に入りの」
人が二人も乗ればもういっぱいいっぱいなエレベーターで上がること約二分。とてもあのごみの山の中に立っていたビルとは思えないくらい豪勢なつくりの部屋に通されていた。
しかし、大きな窓ガラスから見える光景は変わらずスクラップしている。この内装と夜景のちぐはぐさがなんとも言えない。
「今からぱぱっとご飯作っちゃうから、適当にくつろいでてね」
「あ、はい」
いわれるがまま、私はふかふかのソファに腰を落ち着ける。なにこれきもちぃぃ。
「家のソファも良かったけれど、ここのソファも中々ですな」
身体が浮いているときの感覚に似ている。虚脱感に支配され、私の中からやる気がすべて失われていく。ほんとにここスクラップ置き場なの? こんなに座り心地のいいソファがあるなんて何かの冗談かと疑っちゃうじゃない。
「ここの人たちは景観からはおおよそ考えられないほど裕福な暮らしをしているわよ」
そうなのか。まぁ確かに部屋の中は私でもわかるくらいに高級な家具が揃っている。なんでお金持ってる人は壺が好きなんですかね。タコでも飼ってるのかな?
「あのー」
「なにかな?」
私はソファから立ち上がると、キッチンで陽気にお料理をしていたユニルに声をかける。
「トイレって、どこですか?」
「ああ、そこから出てすぐ左にある扉がトイレだよ」
「ありがと」
ということはさっき通った廊下にトイレがあるってことだよね……扉なんてあったっけ?
思い返してみたが、玄関からこの部屋まで短い廊下があっただけで、扉どころか装飾品の類すら見つけられなかったのだが。何かの見間違いか、あるいは聞き間違いかな。
とりあえず廊下に出てみたけれど、やはり一本の細長い廊下があるだけだった。というか、光源となる電球はおろか燭台すら見当たらないんですが。でも真っ暗じゃない。どういう仕組みなんだろう。
こうして突っ立っていても仕方ないから、ひとりでふむふむと壁を見たり押してみたりしていると、かちりとなにかが起動した音がする。どうやら気づかないうちにボタンを押していたらしい。
「おお、なんか分からないけどすごい!」
何もないと思っていた壁から扉の輪郭が浮き出してきて、真ん中にドアノブらしきものが現れる。なにこれ? 真ん中にドアノブ?
「なんでもいっか」
不思議びっくり仕掛け扉で十分に不可思議体験できたので、これ以上の疑問はもうスルーでいいでしょ。
と、思っていたのだが、このドアノブ回らないし。鍵もどこについてるんだか分からないのですが。
しばらくがちゃがちゃやっていたら意外と簡単にドアは開いた。なんだ、ただ押せばよかったのか。
そして案の定トイレも豪華仕様。一般的な個室程度の大きさではなく、もはや部屋というべき広さに、個室があるようなスタイルだった。学校のトイレと一緒と思っていただければ正解に近い。唯一違うのはなんか光り輝いているという点だった。大理石かなにか使ってるんですかってくらい床がきれい。てかたぶん大理石。
なんか落ち着かないなぁ。
家のトイレとも違うし、かといって学校のトイレに近いけれど決定的に何かが違う。というか、こんなにきれいな場所でするのに慣れてないから、汚してしまいそうで落ち着かないのかな。
いつもより気を張って油断せずに済ませる。勘違いしてほしくないけれど、普段もそこまで汚いやり方はしてないからね?
「……ふぅ」
とは言いつつも、この見ず知らずの土地にきてやっと一息つけたって感じ。あの三人組と森を歩いていた時なんて、かわいい幼女ちゃんのもふもふしっぽしか思い出せないくらい緊張してたからね。
「しっかし、ほんとここどこよ……」
来た直後とかは頭の整理も心の整頓も下準備もできてなかったからとりあえず付いていくっていう選択肢しか取れなかったけれど、本当に付いてきちゃって良かったのだろうか。
ああ、あの変態な妹や姉が恋しいと思える日が来るなんて、思いもしなかった。
今頃どうしているだろうか。私が帰ってこないから駄々をこねていないだろうか。ちょっとだけ不安になって、そのあと少しだけ怖くなった。
このまま二度と帰れなくなったらどうしよう。一生ここで暮らすことになったらどうしよう。
際限なく不安が底の底からあふれ出てきては、私の身体をむしばんでいく。
トイレで恐怖に身を震わせるなんて、学校でやってたら普通にいじめを疑われちゃうとか、めっちゃどうでもいいことを考えていたら、なにやら外から足音が聞こえてきた。
「あーちゃん、いつまでトイレにいるの? もうご飯できたよ」
みんな私のこと愛称で呼びすぎだと思うの。なんなの、私のこと大好きなの?
というか、もうそんなに時間が経ってたのか。意外と長居をしてしまったらしい。というか、このトイレ、最初は落ち着かないと思ってたけど、座ってるうちに段々としっくりくるようになってきた。これがお金の力か。違うかそうか。
「うん、もう出るから」
「じゃあダイニングで待ってるからね」
「はーい」
なんだかユニルが本当のお姉ちゃんとか思っちゃうレベルで優しい。もうお姉ちゃんになってくださいとこっちからお願いするレベル。
「でも、本当にこれからどうなるんだろう……」
いまだ明日どうなるかも分からないけれど、それでも心を強く気をしっかりと張っていないと、この先に待つであろう過酷な運命を受け止めきれないかもしれない。
大丈夫、私は一人でも大丈夫。
そう言い聞かせるように、頭の中で反芻する。
けれど、パンツの柄はお気に入りのものにしておけば良かったなとは、いまさらながら思った。