最終話 道は終わらず
ラージリヴァ国は夏を迎えた。この国において、もっとも活気溢れる季節と言えるだろう。
ホロヘイを出歩く人々の表情は、何時もの夏ほどに活気があるというわけではないが、それでも暗いというほどのものでも無かった。
今年、ホロヘイは、いや、ラージリヴァ国は最悪の状況に落ち込んだのであるが、その事に回復の兆しが見え始めたのだ。
街道から一時よりかは野盗が少なくなった。町で不穏な行動をする人間も、少なくは無いが減少傾向にある。ゴルデン山が噴火するのではないかと危ぶまれたが、ある英雄の行動により、それは未然に阻止された。
首の皮一枚、繋ぎとめたと言う状況であるのだ。もうこうなれば、後は良い方向に進むしかない。そんな考えが国中に広がっていた。
「景気だ治安だなんて言うのは、根本的に雰囲気から来るものだよ。だからこれから、きっと景気は上向きになる。つまり、仕事もどんどん入ってくるわけさ」
「それはそれで良いけどさあ。問題は今をどうするかだろ?」
ミース物流取扱社の社内にて、ルッドと社長のキャルは、社の今後についてを話し合っていた。具体的に言えば、社の金庫が底を見せ始めたので、どうしようかという話である。
「冬に入ってからは出費続きなんだよな。社員の報酬が払えなくなる事態は避けたいんだよ」
苦い顔をしながらキャルが嘆く。社長の彼女からしてみれば、そこだけはしっかりしたいと言ったところなのだろう。
「ゴルデン山での一件が終わってからも、無茶した結果の後始末に追われてたからね。稼ぐ事なんてすっかり忘れてたよ。あはは」
「笑いごとじゃあない………がな」
経営方針の話であるため、会計も最近は担ってくれているダヴィラスが会話に入る。荒っぽい話では役に立つとは言えない彼だが、内部的な事務処理の話ならば、社内で一番理解のある人間だと言えた。
「ぶっちゃけ、どれくらいヤバいんだ?」
尋ねるキャルに対して、少し頭の中で計算したのだろう。暫くしてからダヴィラスが答える。
「一週間実入りが無ければ…………借金だな」
「お金を借りるのは返せるアテがあってこそなんですけどねぇ」
「手っ取り早く稼げる仕事…………それを見つける事をお勧めするな。レイナラの奴も………そろそろ怪我が快癒する頃合いだ」
春と夏の変わり目であった時に発生した、ゴルデン山に関わる事件。その際、レイナラはブラフガ党の戦闘員に怪我を負わされていた。
ただし、勝ったそうで、命だけはなんとか拾う事ができた。
「ダヴィラスさんの方もどうです? 怪我をしたのはあなただって同じだ」
レイナラと戦闘員の戦いでは、ダヴィラスも多少は役に立ったらしく、その際の名誉の負傷と表現すれば良いのか、彼も腕やら足やらを何針が縫う怪我を負っていたと思う。
「俺はまあ………働くにしてもデスクワークだ。あいつ程に酷いものじゃあないから………な」
レイナラの怪我は、後遺症の残るものでは無かったのだが、それでも後悔は残るものであった。
「何々? まーた辛気臭い話でもしちゃってるわけ?」
噂をすればなんとやらだ。もうすっかり動ける様になったレイナラが、見習い社員兼教え子のミターニャを連れてやってきた。そんな彼女の左頬には、痛々しい切り傷の痕が残っている。
いくら日常生活に支障は無いと言え、女性としては酷い怪我と言えるだろう。
「せんせー。まだ寝て無きゃだめだよー?」
「馬鹿言わないで。何時までも寝てたら、そりゃあもうずっと眠りっぱなしになっちゃうの。起きて運動してた方が、良くなる怪我だってあるもんよ?」
レイナラの言葉は、ミターニャだけで無く、こちらにも向けられたものではないかと思う。
ゴルデン山の件は、ルッドの無茶を皆で支えて貰った事であり、それによって被った害は、ルッドの責任になるはずだ。
その事に気落ちする部分はあると言え、何時までも暗く考えていては泥沼だとレイナラは伝えているのやも。
「そう言えば、ランディルの方はどうなんだ? ちゃんと町の見回りしてんのか?」
キャルが、この場にいない唯一の社員である、ランディルについて尋ねた。
順調に動き始めたミース物流取扱社の中で、まだまだ子どものランディルには、社内の仕事より社外での情報集めをさせている。
ルッドが思うところ、彼には商人としての才能があると思うのだ。物事に対して、色々な見方ができるタイプと言えば良いだろうか。
だから町を見回り、仕事に有用そうと思う情報を、独断で良いから集めろと伝えてあった。
やり始めは役に立つものは無理だろうが、経験を積めば、利益を得られる仕事になるだろうと予想する。
「たぶん、おひるには帰ってくると思うー。はりきった分、お腹が空くもん」
兄妹だけあって、ミターニャの見立ては的確だ。最近、というかゴルデン山の一件から、ランディルは何やらやる気に満ちていた。何か用があると、積極的に自らが動こうとするのである。
そんな彼の様子を見たからこそ、新たな仕事をランディルにさせてみることにしたわけなのだが。
「なんというか、いろいろ変わって行くもんですね………」
仕事にしてもそうだ。少し前までは国の崩壊がどうのと考えていたが、今は社の存続を心配している。身近になった分、平和になったと言えばそうなのだが、個人的には危機的状況という意味で同規模だと思えてしまう。
「そりゃあそんなもんだろ。歩くのを止めなきゃ、景色は変わるもんさ」
社長のキャルは、最近はどんどん立派になって来ている。口にする言葉もなんだか深い。
「変わるものと言えば…………異種族の件に関しては………どうなんだ?」
「あら? まだあの事について話すつもり?」
ダヴィラスの言葉に、嫌そうな顔をするレイナラ。あの事………つまり、マーダ地方の領主、グゥインリー・ドルゴランが、ラージリヴァ国復興の象徴として祭り上げられようとしている事を指しての言葉だ。
「俺達は………知っているだろう? 彼が………むしろ国を混乱させた側である事を」
「それを止めさせたのが、うちの商人さんって事も知ってるわね」
話の矛先がこっちに来たかと、ルッドは頭を掻いた。なんども説明した事であるが、今回も話が喧嘩へ移行する前に、説明するべきかもしれない。
「ブラフガ党は、その根本方針として、異種族の記憶を歴史に刻む事を主体として来ました。それが国を崩壊させるという行動となっていたわけですが、ブラフガ党に正面切って戦えない以上、組織の方針はそのままに、行動内容を変えて見せようってのが、僕の書いた筋書きなんですよ」
その事が順調に行っている証明として、グゥインリーが英雄視され、異種族という存在がラージリヴァ国に生きる一般人の記憶に刻まれようとしている。
なので今のところは何の問題は無い。というのが、ルッドの言いたい事であった。
「国は異種族……というか…………グゥインリー・ドルゴランを………中央の政治に参加させようとしている動きがあるらしいじゃあないか…………それはどう見る?」
「彼はこれから大変でしょうね。一切のミスも許されない。英雄としての価値に傷が付けば、異種族という存在の記憶にも傷が付くという事です。だから、必死に善政を敷くんじゃないですかね?」
生半可な道ではあるまい。もしかしたら、彼の長き寿命の終焉は過労死となるやも。彼がこれまで画策して来た事への罪だとするのなら、それも仕方ないのだろうが。
「ふうむ………」
納得し難いという感情を見せるダヴィラス。彼の考えも分かるのだ。悪を成したブラフガ党とその党首は、相応の罰を与えるべきなのではないのかと考えている。
だが、その先に何が残るのだろうか。今からグゥインリーを貶めるというのか。
そんな事をすれば、また争いの種が生まれる。党首の変遷から、一時その動きを休止しているブラフガ党も、再び動き出すかもしれない。
きっとそれは無為だ。新たな混乱をこの国もこの国に生きる人々も、そうしてルッド達も望まない。それくらいダヴィラスだって理解しているから、納得できないとしても、怖い顔を渋らせながら、彼は黙るのであろう。
「レイナラさんの言う通り、辛気臭い話はここまでです。今はやはり社の将来についてですよ。良くも悪くも、国は動乱期ですからね。僕らみたいな身軽な商売人にとっては、稼ぎ時のはず。仕事だって探せば………探せばありますよね?」
キャルを見るも、彼女は苦笑いを浮かべながら首を振った。営業活動とは地道なものだ。暫くそれをサボり、違う目的のために動いていたミース物流取扱社に、すぐ行える仕事は無い。
「あー! せっかく国を崩壊から救ったって言うのに、この社会の仕打ちは酷いんじゃないですかねぇ!」
頭を抱えて叫ぶ。本気でどうしよう。
「まったく。将来について話すんじゃあ無かったのかよ。過去の事をごちゃごちゃ考えたって仕方ないだろう? それに仕事なら………きっとそのうち入ってくるさ。こっちが受け入れるのを止めない限りはな」
頼り甲斐という意味では、成長したキャル・ミース社長のそれは水準以上だ。これでもし、見た目の年齢に十ほど足せば、ルッドとて心酔していたかもしれない。
しかして、彼女の言葉で不安がすべて拭えたわけではない。
「そのうちを待つ時間が無いから、焦る部分があるってのが問題だんだよなぁ」
さて、仕事の方から飛び込んで来ないものかと、社屋の出入り口を見る。ちなみに目を向けるのはルッドだけで無く、他の社員も同様だ。
「………」
暫くそのままでいるが、やはりというか当たり前というか、扉が開くということは無かった。
「はぁ……ちょっと、知り合いを周って、仕事が無いかどうか調べて来ますよ」
「ああ、兄さん。頼む」
社長の許可も貰ったため、溜息を吐きながらも社を出ようとする。夏の日差しに当たれば、元気も出るのではという展望もあった。と―――
「うわっ!!」
出入り口となっている玄関が勢い良く開く。危うく頭をぶつけそうになった。何だ何だと開いた扉を見れば、飛び込んで来たのはランディルだった。
「ちょっとちょっと。扉をそんな風に開けるのは危ないだろう?」
この様な行動を繰り返されては、何時かは頭をぶつける。それはとても痛いため、ここでしっかりと注意しなければ。
そんなこちらの考えも何のその。満面の笑顔を浮かべながら、ランディルは社内にしっかりと聞こえる声で叫ぶ。
「説教は後だって! なあ、俺達に仕事を頼みたいって人を見つけたぜ!」