第八話 返す刃は素早く振らねば
目の前でルッドが襲われ、槍で胸を刺されるのを、キャルはただ見ていることしかできなかった。
起こった事を受け止めること自体が難しいし、そもそもこの村に来てからずっと、自分を混乱させる事ばかりが起こっている。
この村に来た理由であるブラフガ党を探るという目的自体が動揺の元だ。そこから村に来てウィソミンと出会い、その話の内容を聞いたりする中で、感情や考えを落ち着かせることすらできなかった。
そうして今日、この屋敷に来てからはもっと酷い状況だったのだ。領主とルッドが舌戦を始め、実は領主がブラフガ党の党首だったという新事実が判明する中、それなりに尊敬しているルッドが敗北したような形で交渉が終わるなど、もっともの事である。
さすがにこれ以上は起こるまいと、漸くホッとしたところに、ルッドが襲われて槍に刺されるという、これまでよりさらに混乱させる事件が起こってしまった。
はっきり言ってしまえば、完全にキャルの許容限界を超えてしまっているのだ。人間、そうなると言葉など殆ど無くなり、良く考えられず、勝手に自分のしたい行動を始めてしまう。
この場合のキャルの行動は、叫び、ルッドに駆け寄るというもの。
「兄さん!? なんで!?」
何がなんでかは分からない。ただ、起こっていた現象に対して、疑問符を浮かべずにはいられなかった。
理不尽ではないか。何ら理解できぬ状況の中で、さらに親しい人間が槍に刺殺されるなんて事は。
まだ槍を刺した側の人間は健在であり、その凶器を手に持ったままであるのだから、ルッドに駆け寄るというのは甚だ危険な行為である。次の犠牲者が自分になるということもあるだろう。
しかし、そんな命の勘定をしていられるほどに冷静では無かった。倒れたルッドに駆け寄りたい。只々、その感情と行動に支配される。
そうして駆け寄り、体を近づけ、相手の体を揺さぶろうとした時に、まさかの、さらなる混乱に巻き込まれた。
「兄さん! 兄さん!」
「痛っ、痛い! ちょっと、そんなに揺すらないでっ!」
「兄さん!?」
死人が喋った。目の前で死人が発生した以上の衝撃と言えばこれくらいしかあるまい。槍に胸を刺されたはずのルッドが、床に転がりながらも、何故か生きているのだ。
胸には確かに穴が………いや、服に穴は開いているが、そこから血は流れていない。服の下にあるものも、傷つけられた皮膚では無く、何やら小汚い、塊の様な物だった。
ルッドが胸に開いた穴から、無理矢理にその何かを取り出している。
「なんで生きてやがる。てめぇ」
槍を刺した側であるはずのパックスが驚いていた。彼の場合、殺したはずの相手が何故か死んでいない。ということになるのだろうか。
丁度、さっきルッドが言っていた、パックスがどうやったってルッドを殺せない。という内容とまったく同じ状況が起こっている。
「なんでって……そうだね。種も仕掛けも無いわけじゃあ無いよね。うん」
そう軽口を叩きつつ、ルッドはキャルが見るその前で、胸から取り出した何かをパックスの方に向けた。
その手には、槍によって形が多少崩れた、不細工な粘土の人形細工が存在していた。
「その人形………まさか……!」
キャルが、こちらが懐より取り出した粘土細工を見て呟く。彼女は勿論知っているだろう。一年以上前に、とある村で手に入れたお守りの様なものだ。さらに幸運を呼び寄せるなどという噂もある代物。
そんなものであるので、ルッドは何時もローブの内側にある内ポケットにこれを忍ばせていた。本当に幸運を呼び込むという事を信じていたわけではない。実際、呼び込んだのは槍の刃先である。
ただし、命だけは助けてくれた。その点だけを見れば、つまりは自分の未来というものを守ってくれたわけで、その未来が幸運なものであれば、実際、幸運を呼び込んでくれたということになるのだろうか。
「偶然、そいつを仕込んでたってわけじゃあ無さそうだな」
パックスがこちらを睨み付ける。実に怖いが、これ以上、襲ってくるということが無いようなので、こちらの目論見は成功したと見るべきだろうか。
「いえ? ここにコレがあったのは偶然です」
何時も胸にそれがあったわけで、こういう事態を想定して入れているわけでは無い。
「なら、完全に運任せか」
「それこそまさかですよ。必然だったのは、あなたの行動ですよ、パックスさん」
「俺のだと?」
「僕はあなたの攻撃を誘導しました。わざわざこう、胸を狙う様に動きを強調して」
他にもパックスの狙いを判断した上で、相手が服と粘土細工を貫き、さらにルッドの体を突き抜く程の攻撃はしてこないだろうと予想する。
口調や話の内容を、相手を挑発しつつ、様子見の攻撃をさせる様なものにもしておいた。とりあえず胸に一撃を入れてやろう。そうパックスに考えさせるために。
粘土細工がそこにあったのは本当に偶然であるが、もし無ければ無いで、例えばローブの脇あたりにある、小物類が詰まった場所に攻撃させる様に誘導していただろう。今回の交渉とは、パックスの攻撃を自分が望む位置へと向かわせるというその一点のみを勝ち取るためのものだったのだ。
(まあ、狙い通りに行ったところで、パックスさんがきっちり力加減の調整や槍の腕で寸分違わず攻撃できなきゃ、万一にも死んでたわけで、ひやひやものだったんだけどさ)
だからこそ、その部分に関しては天に祈った。パックスがこちらの予想通り、手練れであることをひたすらに。
そうして願いは聞き届けられたというわけだ。
「まんまと乗せられたってことか」
「それくらいできなければ、あなた方と戦うなんて無理だと思いました」
それだけの言葉を返すと、パックスは何やら納得したのだろう。手に持った槍をくるりと回してから、たんっと柄の部分を下にして、床に付けた。
「やってみろよ。面白いじゃねえか」
笑うパックス。心底面白そうな笑いだ。こっちは命を賭けたというのに、中々不公平ではないか?
「試験は合格ってこと?」
ルッドが言おうとした言葉を、レイナラが先に口にする。彼女の場合、必死にルッドを守っていたというのに、それをルッドの方が無下にし、さらにパックスがそのことに満足しているため、かなり疑問符を浮かべる結果なのだろう。
「決着の場所はここじゃあ無いってことさ。あんたとは、また今回みたいにやり合いたいね。その時は、そこの兄さん抜きでだ」
彼らは彼らなりに因縁がある。それが今回の件でどうにか解決したわけでは無いだろう。むしろ深まり、さらなる段階へ進もうとしている。
レイナラが命を落とすという状況だけは看過できないものの、彼女らなりの決着について、ルッドが口を出す段階では無いと考える。
「まあ良いわ。そういうことにしておいてあげる。社長の方はどう? 何か言いたいことはある?」
レイナラから、今度はキャルへ話の主体が移った。実を言えば、キャルが何を言いだすかが一番気になるのだ。彼女は成長の真っ只中にあり、ルッドが思いも寄らない言葉を発するかもしれない。
「あたしか? あたしも、何も言えねえよ」
「あれ? そうなんだ」
意外と言えば意外とルッドは思う。こういう状況の場合、いくら考えあっての事とは言え、危険な事はするなと、ルッドに物申すのが彼女だったはずだ。
「なんていうか、本当に凄げえって思ったんだよ」
「何が?」
「兄さんのことだよ! まさか、槍に刺された後に生き返るとは思わなかった」
深刻そうな表情を、キャルはここに来て浮かべてくる。いったいどういうことだとルッドは訝しむことしかできなかった。
「いや、それは種があってのことでさ…………」
「そりゃあ違うんじゃあねえのかい?」
パックスにまでそう言われてしまう。ふむ。彼らはこちらのどこにどんな感情を抱いたのだろうか。
「俺の目から見ても、まったくもっての驚きさ。あんたに操られて行動したなんて欠片も思っちゃあいなかった。それができるってのは、さすがなもんさ」
「さっきまでの件は、こっちも必死でしたよ。あなたをなんとかするにはあれしか無いと思った。それはさすがだとかそういうんじゃなく、やるべきことをしたってだけなんですけど………」
というか、仕掛けて来た側に認められても、複雑な気分になるだけだ。これから、さっきと同じ様に、突然、槍での攻撃を仕掛けてくるかもしれないのだから。
「それができるのが凄げえって言ってるんだよ。なんていうかさあ。ああいう状況で動けたり、その………人を動かしたりできるんなら…………」
キャルの言葉が途中で止まる。だが、その先の言葉は、この場にいる全員が分かっていることだろう。
ルッドがブラフガ党の党首。グゥインリー・ドルゴランとだって戦える人間なのではないか。先ほどまでの行動で、そう思わせることができたのだ。
(本当にそれが真実なのかは分からない。僕にとっては、あの人はまだ強大な敵なんだ)
だが、もし期待があるというのなら、答えてやろうとは思えた。この思いはルッドにとって何よりの力だ。自分はまだ戦える。戦えるだけの意思がそこにあるのだから。
領主宅での一件……というか何件もあった厄介事について、とりあえず逃れることができたルッド達。
その後、まず彼らがやったのは、ウィソミン・ホーニッツへ、彼の今後における無事を保証することだった。
彼はこちらがその事を伝えるや否や、鼻歌を歌いながら自分の工房へと帰って行った。もしかしたら、品評会へ出展するための工芸品でも作り始めるつもりだったのかもしれない。
「あっさり信じて、さっさと帰るあの人もあの人だけどさ、本当に大丈夫なのかよ」
マーダの村からホロヘイへと急ぎ帰ることにしたルッド達。グゥインリーが口にした、ホロヘイで起こっている何事かを確認するための行動であったが、キャルはまだマーダ村にやり残しがあるのではと尋ねてくる。
「軟禁されていた件と、今後、領主に狙われるかもって件なら大丈夫だよ。というか、もう大丈夫にされてしまったんだ」
ウィソミンはブラフガ党の武器庫の存在を知ってしまったから軟禁されたのであるが、もう既に、その武器庫の存在が周知されてしまっても、計画に支障が生まれない段階に来ているのだろう。
というか、その段階が来るまでの軟禁だったのだろう。期限の無い口封じのための監禁なんて非効率だ。そのまま、永遠にこの世界から消し去ってしまう方が手っ取り早いのであるから。
「んじゃあ、やっぱりすぐにホロヘイに向かうのは正解なのか?」
「そういうこと以上に、長いこと、あそこにいたく無いってのもある………」
マーダ地方は敵の本拠地だ。グゥインリーと彼の屋敷の秘密を知った以上は、この土地にもう用は無い。長居していれば、いつ何時、気の変わったグゥインリーの魔の手がこちらに迫ってくるとも限らない。
「それに、何にせよ、これからの行動は早いことに越したことは無いんじゃないかしら?」
レイナラの方は、ルッドの行動を肯定してくれる。彼女も気が付いているのだろう。
「はい。期限はもう殆ど無いかもしれない」
ラージリヴァ国の崩壊。それは、ルッドが想像していた以上の早くに行われそうだった。それを食い止めるために、ホロヘイへと急ぐ。そこに何があるのかをまだ知らぬまま。