第一話 冬の終わり、春のはじまり
ノースシー大陸にとって辛い冬が今年も過ぎ去る。激しいく厳しい冬は、永遠。この大陸を閉ざしてしまうのではないかと人々に想像させる。
だからこそ、春がまた来てくれた事に皆が安堵し、来たる暖かき風を全力で祝うのだ。昨今。暗い話ばかりのホロヘイでも、それは同様だ。
誰もが浮足立ち、春を祝う祭りなども催されようとしている。そんな町の中。ミース物流取扱社にて、渋い顔している者が一人。ルッド・カラサがいた。
「…………」
ルッドは悩んでいた。仕事部屋の椅子に腰を深く沈め、手には手紙が一枚握られている。悩みの対象は、大まかに言えばその手紙に書かれている内容であった。
「そんな馬鹿なって………言いたいんだけどねぇ」
「けどさ。そうも言ってられないわけじゃん?」
同じ様に渋い顔をしている者がもう一人いた。ミース物流取扱社の社長。キャル・ミースである。
彼女には、冬にはじめた大陸中との手紙による情報交換を手伝って貰っていた。故に今、ルッドが手にする手紙の意味についても十分に理解しているのだ。
「そりゃあね。漸く手に入れた刃みたいなもんさ。使わない手は無いけど………その刃が思いも寄らない形をしてたら。戸惑うよね?」
「そんなに変なのか? ブラフガ党の活動拠点が見つかったって言うのは?」
キャルが口にするその内容。それこそがルッドの悩みの種だった。
冬の間、大陸のあちこちと情報を共有する中で、見えてきたものがあったのである。それはブラフガ党の動きだ。
ルッドは手紙に、何か周囲に妙な動きが無いかと言うことを、暗に手紙の送り先へ尋ねていた。
そうして返ってくる手紙の幾つかに、ブラフガ党らしき者達の動きについて書かれた物があったのである。
その行動は様々。最近増えた野盗であったり、物取りであったり、中には地方の組織を潰し、そのまま乗っ取ったと思しき物まであるのだ。
それらを成し、如何様に国を転覆させようとしているかはまだ分からない段階だ。であるが、その動きがある地域を俯瞰で見てみると、見えてくるものが一つ。
「拠点が分かるってことだけなら、予想できていたことだよ。大陸のどこか。ブラフガ党がもしどこかに本拠地を置いてるなら、そういう場所なんだろうって話は、前にしてただろう?」
その場所。ブラフガ党の本拠地を導き出す方法とは、ブラフガ党の大陸中での動きについて知ることから始まった。
その動きがもっとも活発な場所が本拠地である。という程には単純では無い。活発云々で言えば、どこでもそうなのだ。
ブラフガ党は既に大陸中にその根を広げている。その影響が無い場所などどこにも無い。ここに至って、それほどまでに成長していた。
ならばである。本拠地を探すというのなら、その逆を探すべきなのだ。
「ブラフガ党の動きが無い場所。そこか本拠地だ。それに間違いは無い。だって、恐らくそこは完全にブラフガ党の手に堕ちている場所なんだから。それ以上、動く必要なんてどこにも無い」
既に支配下にある場所において、そこをそれ以上荒らす必要は無い。むしろ、統治する側として真っ当に動かなければなるまい。そこでは、ブラフガ党が関わる表面的に悪とされる動きなど、見当たらないだろう。
「兄さんの予想は当たったよな。ぽっかり、その地域だけ、怪しい動きの情報が入ってこなかったんだからさ」
そうだ。今、手に持っている手紙の内容が決定打となった。この手紙は、こちらが送った手紙の返事であったのだ。
こちらが出した手紙の内容はこうだ。その地域で、ブラフガ党と呼ばれる組織について聞いたことは無いか? というもの。
「ブラフガ党そのものに気付かれるかもしれない危険な手紙だったけど、その返事のおかげで確信が持てた」
今、ルッドが持つ手紙にはこう書かれている。聞いたことならある。ただ、噂の中だけであり、こっちは平和そのものであると。
「国中が荒れ始めてる状況で、平和そのもの。おかしな話さ。まるでそこだけ、何かの手から見逃されている様な」
「その何かがブラフガ党なんだろう? だったらさ………」
「うん。分かってるよ。まさか、中心都市の近く。しかも縁のある場所が、ブラフガ党の手に堕ちてるってことが認めがたかっただけ」
「行くなら今だぜ? あそこ。今年は早めに例の祭りをするつもりだ」
「お祭りじゃなくて石工技品評会。だけど………そうだね。僕らみたいな商人が、怪しまれずに足を運ぶには、丁度良い機会だろうさ」
その地方の名前はマーダ。ルッドがこの国に来て、ホロヘイの次に立ち寄った石工の村。
「考えてみれば、確かに国を転覆させようとするって言うのなら、丁度良い場所かもしれない」
なにせホロヘイのすぐ側にある地域なのだから。
ミース物流取扱社の馬車が動く。この馬車との付き合いもこれで一年になるだろうか。馬車は丈夫でまだまだ持つのであるが、馬車を引く毛長馬はもう随分と大きくなっている。このまま大人になるのなら、別の馬に引いてもらうことになるだろうか。
そんな馬車に揺られながら、ルッドは同行者の一人であるレイナラと話していた。
「今回は例の石椀を、再度、取り引き商品として扱えないかの交渉をするって名目で尋ねるわけですから、あの時と同じメンバーが良いんですよ」
前回は、新開発の石椀を巡る交渉に関わったわけだが、今回もそれを演じるつもりであった。
「け、けど。あの子達を社に残したままで大丈夫かしら」
レイナラ・ラグドリンはミース物流取扱社の護衛担当だ。旅をするのなら、彼女を側に置いておかない手は無いとすら言える。
今回の仕事では、危険が待ち受けている可能性もあるため、彼女に関しては外せない要因だった。
それはレイナラとて承知しているのだろうが、彼女なりに心残りがあるらしい。
「向こうにはダヴィラスさんもいます。書類整理の仕事くらいなら、3人で上手くやってくれると思いますよ」
レイナラの心残りとは、彼女が最近、面倒を見始めたランディルとミターニャという二人兄妹についてである。
彼女は彼らがまだ子どもであり、さらにミース物流取扱社において新参者であることを心配しているらしい。だが、仕事なんてものは、心配しつつもある程度を任せなければ、成長など生まれぬものだ。
「そうだけど……ううーん………」
まだまだ悩ましい様子。この状態が、マーダの村に着くまで続かなければ良いのだが。
「実際問題、あの二人はどうなんだ?」
毛長馬の御者の様な真似をしていたキャルが、そのままの姿勢で、ルッドに話し掛けてきた。性格が温厚な毛長馬は、結構適当でもちゃんと道を進んでくれる。
「社長の方はどう思う? 使えると思っている?」
人材の評価はそれこそ社長の仕事だろうと、ルッドはキャルへ返した。
「なんだよそれ………まだ何とも言えねえよ。実際、働いてみないことにはわかんねえだろ」
「あら、そんなもんなの?」
キャルの答えに、レイナラがルッドより早く反応する。
「そんなもんだよ。じゃあ逆に聞くけどダヴィラスのおっさんがさ、事務作業の能力が高いってこと、姉さんは会ったばかりでわかるのかよ?」
「それは………絶対に分からないわねえ」
「そうだろ?」
納得できる説明をキャルはしている。人間の能力など、暫く付き合わなければ分からない物である。だからあの二人に関してはまだ分からない。というその答えは、ルッドと同様のものであった。
「ただし、やっぱり人手に関しては必要なんだよね。これからも、全国との手紙のやりとりは、ある程度継続するつもりなんだ。冬の間は僕らもずっと社屋に居ることができるけど、春になって、外に出ることが多くなればその間にも手紙の整理なんかをしてくれる人は必要だよ」
今回、マーダにブラフガ党の中心があるという情報。手紙のためにそれを手に入れることができたが、それはあくまでまず出て来た利益の様なものだ。
この大陸各地との情報のやり取りを行える状況。ただ一つの情報のためだけにあるのではない。これから先、単純に商売に有利となる情報を集めるためでもあるのだ。
(せっかく作った情報網。手放すつもりなんか無いさ。これからだって利用しなきゃ勿体無い。そのためには、それを維持するための労力が必要なんだ)
なので、レイナラの紹介と言う形で子ども二人を雇えたのは朗報だったと言える。まだまだ、どれほど働いてくれるかは未知数であるが。
「さて、未来の話は幾らだってしても良いけど、まずは近い未来からだ。そろそろ着くはずだよ。マーダの村に」
あと1時間ほどすれば、再びあの村へと辿り着くことになる。前回は商売を行うためだけが目的であったが、今回はどうだろうか。敵の懐に入り込む行動であるとも言える。その危険性の大小は比べるべくも無く、もしかしたら命に届く可能性すらある今回の仕事。
(それでも、こういう道を進むと決めたのは自分だ。なら、歩くだけさ。立ち止まる暇なんて、この大陸には無いんだから)
馬車は進む。ただ目的の場所へと。
“彼”は目を覚ました。何時も通り、ベッドの上で。ベッドは上等なものを用意させてある。“彼”にとって、何より一番の敵は自らの疲労であり、それを取り除く睡眠を十分に行なうためであった。
おかげで、起きた自分に疲労の残滓は無い。ただし、今日もまた気分は最悪だった。
嫌な夢を見たのだ。その夢は昔から見る夢であったが、ここ最近はなお酷い。その夢を見た後に明るい場所へ出ることが、妙な罪悪感すら生むため、もう朝だというのに、部屋は暗い。
窓は分厚いカーテンで隠され、漏れ出る光すら無く、部屋には灯りになるものが一切ないため、目を開けたとしてもそこには闇が広がる。そしてその闇に“彼”はホッとした。
ここは本来の自分が生きる場所だ。日が差す明るい場所ではなく、何者をも閉ざし、捕える薄暗き世界。
日の光は何時でも“彼”を苛んでいた。真っ当な世界。輝く世界。罪の無い世界。それらは自分にとっては居心地の悪い場所であり、常に苦しみを感じてしまう。
だから、“彼”はそれを変えるべく行動しようとする。この部屋を闇一色で染めた様に、自分が生きる世界そのものまでもをそうしてしまいたい。そういう欲求に突き動かされていた。
良く見るその夢を実現するため。この大陸に災厄を呼び込むというその夢を現実のものとするため。“彼”、ブラフガ党の党首は、今日も行動を始めることにした。
「おー賑わってる賑わってる」
マーダの村へやってきたルッド一行。真っ先に村の様子を目にし、感想を述べたのはキャルである。
「お祭りだからねえ。前に来た時もこんな感じだったと思うけど」
以前に来た時も、この様に村は賑わっていたと思う。
「景気が良いってことなのかしら。このご時世に結構なこと」
レイナラが村の様子自体を茶化す様に言う。景気が良いというのはそれだけで喜ばしいことがと思うが、確かに彼女の言う通り、茶化したくもなる。
なんの因果か、ラージリヴァ国は不景気な状況であり、他の町の人間の中には、それを感じとって、些か暗い表情をする人間が少なからずいる。
そういう世相の中、何時も通りに景気が良いというのは、少し違和感を覚える姿だと言えた。
(そう思うのは、この村にブラフガ党が関わっている事を知っているから…………なのかな?)
考えても仕方の無いことだろうか。しかし、この違和感が確かな理由からのものであるなら、村について探る中で、既に村に浸透してしまっているはずのブラフガ党の情報を引き出せるかもしれない。
「とりあえず、ホロヘイから運んできた商品を商店に卸しちゃおう。前に言った商店で良いかな。顔も効くし。その後は宿を決めて、バンダックさんの工房にも顔を出しておこうか」
以前、この村に来た時に知り合いとなった職人の顔を思い出す。親子で石工をしており、この村で一、二を争う石工職人の父を持っている人物だった。
そうして実は、マーダ地方の情報を得るため、定期的に手紙のやり取りをしている相手でもあった。
そういう理由なので、村に足を運んだ以上、顔を合わせなければ失礼というものだ。それに名目上、その親子の工房が開発した石椀目当てでやってきているのだし。
「それでその………あっちの件はどうするんだ?」
キャルの言うあっちとは、つまり、ブラフガ党に関わる情報収集をどうするか。というものだろう。言葉を濁しているのは、聞かれたらまずいと思っているから。その考え方は正しい。
「こっちがその件に関して意識しているって言うのは重要だよ。それだけで、会話の中から怪しい部分が浮かび上がる可能性はある。ただまあ………こっちからは何らかのアクションは起こそうかなとは思ってる」
「大丈夫なの? それ?」
心配そうにレイナラが見つめてくる、キャルもキャルでこちらを同じ目線で見つつ、頷いていた。
「大丈夫かどうかも、起こす行動によるとしか現段階じゃあ言えないな。なにせこの村とブラフガ党がどういう関係性になのかすら未知数だ。ただ………」
「ただ………なんだよ」
「うん? ああ、慎重に事を運ぶつもりではあるよ」
とりあえず、キャルが納得する形の言葉を口にしておく。本当は、こういう言葉が出掛けたのだ。予想できる危険なんてたかがしれている。つまり、この何が起こるか分からない状況こそ、もっとも危険なんじゃあないかという言葉が。
「へえ。それじゃあ、さっそく商品化を?」
「数は制限されているけどね。なんでも領主様には策があるんだそうだ。勿論、制限しただけ補助金は出してくれるそうだよ」
工房の奥から声が聞こえる。この声はルッドと、この工房の跡継ぎであるバンダック・ガーベイトだろうと、キャルは考える。
そんな彼女は今、工房の玄関でぼーっとしていた。近くではバンダックの父であり、この工房の本来の主であるところのギリーブ・ガーベイトがなにか作業をしている。
「なあ。今年も何か展示するつもりなのか?」
ふと、そんな事をギリーブに尋ねてみる。結構、失礼な物言いだと思ったのだが、相手は職人気質な人間であるから、これくらい気安い方が良いかもしれないと思った。
「俺は別に良いと言ったんだが、倅がな。去年は賑わったんだから、今年何も出さないというと余計な詮索がある。だからなんでも良いから出そう……だとさ」
率直にギリーブが答えてくれる。ただしそれ以上の発展は無かった。世間話をするという発想は無いらしい。そのまま石の塊を削る作業を再開し始める。
(なんか人型? 今彫ってるのが祭りで出展する石細工なのかね?)
前の展示会の時は、確かみすぼらしい石椀であった。それが商品というものの価値で見れば、かなりの物だったらしいが、キャルには分からない。
今度は何か飾り的な用法の物を作っているらしいが、やはりそれも分からない。機能美的な美が分からなければ芸術的な美も分からない。どうやら自分には、こっち方面の才能はとんと無い事だけが理解できる。
(分からないと言えば、その全然分からないタイプの石工職人はどうしてるんだろう?)
ふと思い出す顔があった。名前は何だったろうか。このガーベイト工房がマーダの村で一、二を争う腕を持つ工房だとしたら、その争っている相手がその工房の人間だったと思う。
「確か………うぃ、ウィソヒン!」
「ウィソミン・ホーニッツのことか? あいつなら、ここ最近は居ないぞ」
独り言だったのだが、聞こえていたのだろうギリーブが答える。そう。確かウィソミン・ホーニッツ。どこからどう見ても変人であるが、芸術家らしいと言えばらしい人物なのだ。
「って、居ないのかよ。もう何日かしたら品評会があるんだろ?」
年に一度の晴れ舞台だろうに。そんな時期にどこへ出かけているというのか。
「雇われ仕事だそうだ。住み込みらしくてな。暫くは帰ってこないだろう。残念ながら、今年は出展無しだ」
それは確かに残念な話だ。ああいう品評会で一番人気が出そうな石細工を出す職人が、今年は参加しないのだから。
一方で、この工房でつくられる石細工に関しては、あまり見て楽しむタイプのものでは無いし。
「じゃあ、今年は花があんまりない品評会になりそうだな」
「そうでも無い。明確な一番手がいないおかげで、どこの工房も今年はって張り切ってやがる。そりゃあ花は無いが、つぼみくらいのなら沢山並ぶだろうさ」
なるほど。そういう楽しみ方もあるのか。目立った物ばかりに目を向けず、それに隠れている価値を発見する。これは商売人としても関わって来る内容かもしれない。
「んー…………じゃあ、今日はいろいろと工房を見て周ってくるか」
芸術に対する才能は無い。無いのであるが、それでも目を鍛えておく必要はあるかもしれないと考えるキャル。
「おお。行って来い行って来い。何時までもそこにいられると、どうにも邪魔だ」
「率直に言いすぎなんだよ。とりあえず、今話してる兄さんがあたしについて聞いてきたら、工房周ってるってこと伝えといてくれよな」
芸術については分からぬが、職人気質な人間の話し方はそれなりに好感が持てる。荒っぽいが簡潔で、分かりやすいからだ。いったい何を考えているのだと、いちいち勘繰らずに済む。
「伝えといてやるから、暇そうな顔を見せるのは止めてくれ。こっちまで面倒な気分になる」
「だからちょっとは気を使って喋れっての」
まあ、簡潔であっても、率直過ぎる意見にはちょっと苛立ってしまうキャルだった。
「ふむ。こっちにも帰ってないのか。それも二人とも」
ガーベイト一家の工房から宿へ向かったルッド。既に部屋を借りていた宿であり、他二人も、帰るならここへ帰ってくるはずなのだが、まだ外出中である。
既に日はほぼ落ちている時間帯であり、そろそろ宿に戻ってもおかしくない時間であるはずだった。
「さすがに、ちょっと心配した方が………あ、レイナラさん」
宿の玄関口あたりでいろいろと心配していると、さっそくレイナラが帰ってきた。案の定というか、かなり酔っぱらっているが。
「たっだいま~。どったのー? そんな真面目な顔をして」
「いえ、ちょっと、いろいろ杞憂に終わりそうな気がして、ホッとしてる顔ですよ、これは。決して苛ついたりとかそういう類じゃあありませんって」
気楽そうなレイナラを見ると、なんだか心配して損をしたという気分になってくるものの、心配する相手はもう一人いることを思い出す。
「あ、そうだ。社長は見ませんでしたか?」
「見てないわよ? 何? まだ帰って来てないの?」
レイナラも宿の玄関口から見える空を見ている。どんどん外は暗くなってきており、もう数分しないうちに、すっかり夜になる頃合いだろう。
「比較的治安の良い村とは言え、夜はさすがに危険だと思うんですよ」
「言ってまだ子どもだし、女の子だしねぇ」
レイナラも同意見だったらしい。さすがに探した方が良いだろうかと、外を出る準備をルッドが始めたその時、宿へ入ってくる人影があった。そうしてその影を見て安心する。キャルだった。
「あ、お帰り。結構遅くなったみたいだけど、今の今まで、工房周りでもしてたの?」
心配はしたものの、叱るほどの事ではあるまいと心掛け、何をしていたのか尋ねることにしたルッド。
しかしルッドの言葉を聞いたキャルは、反省とはまた違った、深刻そうな顔を浮かべていた。
「あ、兄さん。姉さんも…………もしかして、帰るのが遅くなったから心配してくれたのか?」
「いや、まあ、そうなんだけど。どうしたの?」
叱らなくて正解だったとルッドは思う。彼女の様子を見れば、何かあったことなど明白なのだ。その何かのせいで宿への帰還が遅れた。そういうことだろう。
「それがさ………なんていうか、ここじゃあちょっと………」
キャルは辺りを見渡す。その視線の先には、宿の従業員や他の客がいる。つまり、他人には聞かせられぬという内容か。
「それじゃあ、部屋にでも一旦向かう? そこでなら話せるでしょう?」
レイナラがそう言うと、キャルは黙って頷いた。外見的には傷跡など無く、特別、暴行を受けた様子などは見受けられない。
となると、何か妙な物を見聞きしてしまったのだろうか。
「なあ兄さん。妙な事柄が続くって言うのは、運命って表現すれば良いのかな?」
部屋へと向かう道すがら、そんな事を尋ねて来るキャル。恐らく真剣な問い掛けなのだろうと判断したルッドは、こう答えることにした。
「もしそれが悪い予感が伴うものだとしたら、悪運って言うんだよ」