第三話 焦り急ぐ
冬に雪が降るのならば、それが吹雪く時だってある。ノースシー大陸では見慣れた光景の一つであろう。
頑丈な窓は外の景色をちゃんと透過させないものの、叩きつけられた雪の塊はちゃんと分かる。
そんな景色を見ながら、きっと明日は積もるだろうなと予想するルッド。その次には、ミース物流取扱社にいる面々へ視線を向けた。
社長のキャルは手紙を読んでいた。こちらが出した分だけ帰ってくるその手紙の山は、来た段階ですぐに内容を確認しているのだが、社長は吹雪の間は暇だと言って、既に読んだ手紙の読み直しをしている。
(内容が商売に関わる物だから、読んでるだけでも商売勘みたいなものは付くから、無駄では無いよね)
恐らくキャル自身もそう考えているに違い無い。さらに今は、手紙のやり取りを続ける相手かどうかの取捨選択も行っている段階だ。
これまで、ミース物流取扱社は大陸中の街や土地を移動して回り、大陸のあちこちに知り合いを作っていた。
そんな知り合いと情報のやり取りをするために、手紙を出しているのだが、そんな知り合いの中でも、役に立つ情報を送ってくれる相手と、そうで無い相手がいるのだ。
だからこそそれを見極めなければ、手紙を送るだけの費用と労力で、一杯一杯になってしまうだろう。
(春までには、一通り完了しておきたいところだね。思った以上にキャルが働いてくれて助かる)
才覚があるのかどうかは、ルッドには皆目見当が付かぬものの、キャルは確実に成長していた。簡単な商売なら、それこそ彼女一人に任せて、儲けも期待できるだろうとすら思えている。
(やっぱり、齢を重ねていないっていうのは経験が浅いけど、一方で飲み込みが早いのかもしれない)
十分な戦力になる。既にキャルはそういう存在なのだ。では、他の仲間はどうなのかと、今度はダヴィラス・ルーンデへと視線を向けてみた。
「いっその事…………一から書類の並べ替えをしてみるか………」
彼は難しい顔をしながら、棚に詰められた書類の束を見つめていた。
知らない人間が見れば、人をこれから殺す算段でも立てているような険しい顔なのだろうが、実際は、冬の間でさえ乱雑に溜まっていく書類をどうしようかと悩んでいるのだ。
(顔だけの傭兵………失礼かもしれないけど、最初はそんな印象だった。けど、それ以外の能力が十分にあった人なんだよ。実際は)
掘り出し物と言える人材だと思う。彼は真面目であり、尚且つ事務作業への適正があった。
当たり前の様に正しい仕事をする人の有り方であるが、存外、得難い人材なのだ。そんな真面目にしっかり仕事をしてくれる人間が社内にいるというのは幸運なことであろう。
今だって、冬の間に自分で仕事を見つけて、それに挑もうとしているのだ。
(あれで顔が怖くなければ、それこそどっかの店で働けていたんだろうけど、そうであれば僕らと出会うことも無かったんだし、運命っていうのは奇妙なもんだよねえ)
出会いというのは本当に奇妙だ。この大陸で、ここにいる人間と会わなければ、今の自分はあるまいとすら断言できる。
今頃、ブルーウッド国の間者として、ひたすらにこの国の情報を報告するだけの毎日を送っていた事だろう。
そんなラージリヴァ国に来てからの中で、最初に親しくなった人間と言えばレイナラ・ラグドリンだ。
彼女を護衛として雇ってから、ルッドのラージリヴァ国での旅が始まったと言って良い。
女性であるが、剣の腕はまさに達人と言って遜色無いのではと、ルッドは勝手に評価していた。剣術の良し悪しはルッドに分からぬものの、彼女の剣のおかげで命を救われたことが何度かあったから。
そんな彼女であるが、今は何故か忙しなく、さきほどまでルッドが見ていた窓とは違う方の窓を覗いていた。
(最近は、変な行動が多いんだよね。冬の間は、彼女にこれと言った仕事が無いからかな?)
彼女の仕事は、武力が必要となってくる場面でその武力を証明することだ。基本的にはあちこち旅をするミース物流取扱社の、道中の安全を保障するのがそれなのであるが、ルッド達が冬に籠っている間はその仕事がまったくなくなる。
(だから暇………ってことなんだろうけど、どうにも今の様子は違う?)
レイナラは窓を覗きつつ、落ち着かないのか、きょろきょろと視線を惑わせていた。
どうしたのだろうかと、ルッドが近づき、話し掛けようとしたその時―――
「ちょっと外に出るわ」
レイナラが突如として窓から体を離し、玄関へ向かおうとした。
「ちょ、姉さんちょっと待てよ! この吹雪だぞ!?」
真っ先に慌てたのはキャルだった。確かにこの様な天気の日に出歩くなどは、大変危険な行為であろう。
せっかく屋根のある場所にいるというのに、わざわざ出掛けるのは、ルッドとて正気とは思えない。
「何かあるんですか?」
ルッドはレイナラの様子が変であることに気が付いていたため、とりあえずは理由を聞いてみることにした。
「いや………その。ちょっと用があるのよ」
「だから、その用ってなんなんです?」
特に変わった質問では無いはずだ。当たり前の疑問を口にしただけ。だというのに、レイナラは口を閉ざし、じれったいと言った視線でチラチラと玄関のある方を見ていた。
「良いんじゃないか…………別に………本人の責任だろう…………」
と、書類との戦いを始めようとしていたダヴィラスが、書類棚を見つめながら、意外にもそんな言葉を口にした。
「別に良いって………」
キャルがダヴィラスの言葉に唖然としていた。まさかそんな無謀で無責任な事をダヴィラスが口にするとは思っていなかったのだろう。ルッドも同感だ。
「あのですね、用があるなら雪が止んでからでるべきで―――
「雪が止んでからじゃあ遅いから………こいつは焦っているんだ。そうでなきゃあ………こんなに慌てない………そういう奴だ」
だから見逃してやれ。というわけであるらしい。どうしたものかとルッドが思案していると、行動を真っ先に始めたレイナラが、
「ありがと」
と、それだけダヴィラスに告げて、玄関から外へと出て行った。レイナラが開け放った扉から寒気が吹き込んでくる社内にて、キャルが頭を掻きながらぼやく。
「なんだよ。どうなってるんだ?」
まったくもって同感だったのだが、レイナラの行動を手助けしたダヴィラスは、さっさと書類整理を再開していた。
「本当に良いんですか?」
「自分のことは………なんやかんやで……自分でやってのける奴だからな」
ルッドとキャルには無い信頼感を、ダヴィラスはレイナラへ向けているらしい。
「無事ならそれで良いんですけどね………」
それでも心配になってしまうのは、ルッドの考え過ぎなのだろうか。
雪と風が襲い掛かってくるホロヘイの町を、レイナラは走っていた。目的の場所は、ランディルとミターニャと出会ったあの広場。
(いなきゃいないで良いのよ。あの場所にあの二人が………)
ここ最近は、ほぼ毎日、あの広場でミターニャに訓練をつけていた。偶にランディルが見に来ることもある。
あの場所で訓練をつけるのは約束なのだ。レイナラにとっては単なる気晴らしであるが、あの兄妹にとっては大事な何かなのかもしれない。だから―――
(いない可能性の方が高いのはわかってるけど………ええい。こんなことならさっさと向かって確認しておけば良かったんだわ。ダヴィラスの奴には感謝しとかないと)
あの兄妹がもし、あの広場に、今日も約束を守るために来ていたとしたら………そんな不安感にレイナラは突き動かされ、吹雪の中を走っていた。
ノースシー大陸の吹雪は体の熱だけでなく視界だって奪ってくる。町中だと言うのに、ホワイトアウトに達しそうな景色の中で、それでもレイナラは記憶を頼りに目的の広場へと走って行った。
そうして広場へ辿り着いた時―――
「何やってんのよ! あんた達は!」
そこには兄妹がいた。厚い防寒着を来た人間だって凍えそうな場所で、二人身を寄せ合っている。
辛うじて軒下と言えなくも無い場所にいるが、吹き荒れる雪は容赦なく兄妹を襲っているのだ。
「せ、先生。やっぱり、来てくれた」
「来てくれたじゃない! こういう天気の日は、ちゃんと家の中に居なきゃダメでしょう!」
怒鳴るレイナラ。怒りというより、自分自身の混乱を口にした形だった。そんな彼女に、兄妹の兄であるランディルが、震える声で答える。
「さ、最近は、仕事が上手くやれなくて、宿、取れないんだ………」
くそったれとレイナラは声を上げたくなる。こういうのは良くあることだ。
保護者のいない幼子は、自分で自分の身を守らなくてはならず、それができなければどこぞで野垂れ死ぬのが普通なのだ
今回、それはレイナラの身近に起こった。それだけのことなのである。変わった事では無い。一般的ですらある。
だが、目に映る場所でそれが発生するのは胸糞が悪くなりそうだった。親しくなってしまった相手だと特にだ。
「色々言いたい事はあるけど………とりあえず歩ける!?」
「な、なんとか………」
ランディルがミターニャを支えながら、こちらへ歩いてくる。レイナラはすぐにミターニャを支えるのを手伝って、移動を始めた。とにかく暖の取れる場所を探さなければ。
(ミース社は……事情説明がちょっと………。ならホットドリンク!)
行き付けの宿兼酒場を目的地に決めるレイナラ。早くこの兄妹を連れて行かなければ、激しい吹雪は、小さな彼らから熱と命を奪ってしまいそうであった。
「ガキ二人を連れて来て、部屋を貸してくれなんて、珍しいを通り越して、奇妙な事もあったもんだな」
「良いから、さっさとホットミルク作って頂戴よ。この宿って、客の来歴をいちいち気にするほど上等な場所だったかしら?」
なんとか酒場兼宿屋のホットドリンクまで兄妹を運んだレイナラは、借りた部屋のベッドに兄妹を寝かした後、体を温めるための飲み物を店主へ注文していた。
「金さえ払ってくれれば、部屋なんて幾らでも貸すし、飲み物だって出すが、それでも気になってくるのが人情ってもんさ。ほらよ」
店主が軽口を叩きながら、温めたミルクを3つコップに入れて持ってきた。
「私が頼んだの2つよ?」
「あんたの分だよ。何に焦ってるのか知らないが、そっちも落ち着け。何時もなら、俺の言葉なんかに苛ついたりしなかったろう?」
店主に言われて、レイナラは自分の口元を抑えた。確かに、ちょっと自分は混乱している。兄妹二人はとりあえず暖を取れる場所に運び込んだのだし、意識だってあったのだから、恐らくは大丈夫のはずだ。
そんな中、自分が混乱していれば、無用な問題を起こしかねないだろう。
「ごめん。ちょっと本気でどうかしてた………」
「わからんでも無いがね。だが、情に流されすぎるのは危険な兆候だぞ。お前さんらみたいな仕事人はな」
「その忠告は余計なお世話よ」
確かに様子が変ではあったが、あの兄妹の面倒を見ることにとやかく言われたくは無い。レイナラはさっさとミルクの入ったコップを盆に乗せて、酒場の二階にある宿の部屋へと向かっていった。
借りた部屋へとレイナラはやってくる。店主が気を利かせてくれたのだろう。二人部屋を用意してくれた。
それぞれのベッドには兄妹がそれぞれ横になっている状態で、ミターニャの方は疲れていたので眠っており、一方で兄のランディルは上半身だけをベッドから起こした状態で、部屋へやってきたレイナラを見ていた。
「それは……?」
レイナラが持っている盆とその上にあるコップが気になっているのだろう。レイナラはとりあえず意識があるランディルに近づき、そのコップを一つ持たせる。
「ホットミルクよ。飲めばとりあえず温まるはず」
「そっちは……妹の分?」
渡されたホットミルクをそのまま飲まず、ランディルはまだ盆に乗ったままのカップを指差した。
「ええ。ちょっと疲れて眠ってるみたいだけど、とりあえず無理にでも起こさなきゃね。芯から温めないと危ないかもだし…………」
「そうだ……な」
そこまで来て、漸くランディルがホットミルクに口を付けた。まずは妹のことを。と言った考え方をしているらしい。
(自己犠牲というか、それに縋っているというか、そんな感じかもね)
心が強いということではないのだ。子どもというのは中々そう強く無いものであることを知っている。だから子どもなのだ。強く無いことは恥では無いはず。
(けど、世の中って、強く無いと生きて行けないから………)
だから保護者が必要なのだ。弱さを守ってくれる保護者が。その保護者がいない子どもは、社会から淘汰されていく。そういうものなのだろう。
「そう言えば、あなた達の親って、どうしたの? やっぱり死に別れた?」
あまり良い話では無いなと思いながら、そろそろ聞くタイミングかとも思えたので、レイナラはその言葉を口にした。
できるだけ重い気持ちにならぬ、世間話程度の話の中で、軽く話せる様に努めながら。
「たぶん。まだ生きてるんじゃないかな。捨てられたんだ。俺とミターニャは………」
「そう………」
それはきっと、死に別れるよりも辛いことなのだろう。捨てられたと言っても、その時点ですべてが途切れるわけでなく、心も体も生きている状態で、尚も切り捨てられたということなのだから。
「…………それで、今の保護者とはどうなの?」
「放任主義って奴かな…………最初はスリの仕方を教えてくれて、上前だけ渡せば好きにして良いって………。もう少しデカくなったら、別の仕事も教えてやるってさ」
男子が大きくなって覚える仕事。いろいろあるだろうが、スリを教える様な人間からさらに何かを学ぶとなれば、それは碌なことではあるまい。
「そう、まだマシな方ね」
碌なことではないが、親のいない兄妹二人、それなりに生きる方法を教えた上で、奴隷の様には扱わないという時点で、まだ人格的マシな人間なのだろうと思う。
「ああ。だから感謝はしてるよ」
「義理も感じてるってわけね。将来はそっちの道に進むつもりだったり?」
「そんなの、まだわかんねえ………」
「そう」
将来のことなど、確かにわかるわけが無い。明日の命だって保障できないのだから。余計なことを聞いてしまったかなと、レイナラは頭を掻いた。
「………そろそろ、妹さんも起こさないとね。ホットミルクが冷めちゃう」
「もう起きてるよ」
ランディルに言われて、ミターニャが眠っている方のベッドを見る。すると彼女も上半身を起こし、こちらを見ていた。どうやらレイナラと自分の兄の話し声で目を覚ましたらしい。
「丁度良かった。気分はどう? 手足の先に感覚が無かったりはしない?」
「うん………大丈夫……です」
少し気落ちした様な表情をするミターニャ。
「どうかした?」
ミターニャにホットミルクを手渡しながら、レイナラは彼女の様子について尋ねる。自分は相手の考えなんてわからぬ人間だから、こうやって直接聞くことしかできないのだ。
「………先生に、迷惑掛けちゃったみたい」
ホットミルクを受け取ってから、ミターニャはそう答えた。また口は付けずだ。ちゃんと聞くことを聞くまでは恩を受け取らない。そんな風な兄妹なのかもしれない。
「そうね。吹雪の中、あなた達二人を見た時、私、とっても驚いたわ」
何か意地になっていたのだろうか。だが、それにしたって、ああいう吹雪の中、出歩くべきでは無かっただろう。
寄る辺が無いと言っても、もう少しマシな場所があったはずだ。
「あそこでちゃんと待ってないと、もう二度と、先生が来てくれない様な気がして…………お兄ちゃんは、私に付き合ってくれて………うぅ………うう………」
話の途中で涙ぐみはじめたミターニャ。目筋に溜まった涙は、遂に粒となって零れ出す。
「…………馬鹿ねぇ。約束したでしょう? あなたには剣の訓練をするって。もしあの場にいなくたって、その約束は継続するものよ? 嫌がったって無理矢理学ばせてやるんだから」
ミターニャを励ます様に話し掛け、さらには彼女の頭を撫でた。碌に手入れもされておらず、がさがさとした髪の感触が手に伝わる。だが、この感触こそが彼女だ。この兄妹の生きてきたという証なのだ。
どれだけ過酷であろうとも、どんな運命の元に生まれていたとしても、逞しく生きて来たという証。
何故かレイナラは、それがとても愛おしく感じてしまう。
(きっと、そうきっと………彼らが本当の意味で強いから………)
自分は生きる術となる技術がある。彼女達の様に、保護者がいなくても生きて行けるのだ。
だがもし、彼女達と同じ立場になったところで生きて行けるのだろうか。生きて行けたとして、目の前のミターニャの様に、突然出会った人間に剣術を教えて欲しいと頼めるのか。彼女の兄の様に、その行為を認めることができるのか。
(多分………無理ね)
自分は彼女達の様に生きられない。強いか弱いかで言えばきっと弱い人間なのだ。いや、人間ですら無い。自分はエルフの血を引く、今にも滅んでしまいそうな種族の一人。
今、自分の心にあるのは羨望から来る愛おしさなのかもしれない。こんなにも強く生きる相手に対して、弱い自分が抱ける精一杯の正しい思い。
(羨んで、辛く当たるなんて、私にはできない)
そんな見っとも無い真似をするくらいなら、滅びだって受け入れる。生きる世界とは逞しく生きようとする者の物だ。
だから、ブラフガ党などという、ただ人間に復讐するために動く組織を認めることはできぬし、共感するところはあれ、賛同する意思なんてこれっぽっちも無かった。
(そうして今は、きっちり敵対しようとすら思えて来たわけね………)
これまでのレイナラは、あくまで第三者的な視点を持っていた。ミース物流取扱社がブラフガ党の狙いを妨害する動きをしているのは知っているが、レイナラの協力は、あくまで仕事として金銭を貰っているからこそだったのだ。
だが、その感情が少しずつ変わり始めている。もしブラフガ党が国を転覆させようとしているのならば、ミターニャやランディルの様な者をさらに追い詰めることになるだろう。
そんな意地汚い行為を見過ごせるほど、レイナラは達観してはいなかったのだ。
「どうしたの? 先生?」
「え? いや、ううん。なんでも無いのよ」
少し考え事をし過ぎていた様だ。こんな風に深く考えるのは、自分の性に合わない行為だろう。
どうにも感傷的になっていたらしい。レイナラは一度首を振り、少し頭を入れ替えてくることにした。
「それじゃあ、そのミルクを飲んだら、後は毛布にくるまって眠っても大丈夫よ。ランディルはちゃんと妹を見守ってること。良いわね!」
「はーい」
「わかってるよ。そんなこと………」
元気に、とは行かないまでも、ちゃんと挨拶をするミターニャと、少し拗ねた様子のランディル。この調子なら大丈夫だろうとレイナラは頷き、部屋を出ようとした。
「先生。どこか行くの?」
「下の酒場で一杯引っ掛けに行くの。あ、私の分のミルクは飲んでおいて良いわよー」
そう言い残して、レイナラは部屋を出た。そうして、扉を挟んだ先に居た、酒場の店主と目が合う。
「………聞き耳? 怪しいことなんてしてないんだけど。趣味が悪い」
「馬鹿言え。だれがお前の話に興味なんて持つか」
それはそれで、女子相手に失礼な物言いではないだろうか。ここはもっとこう、興味はあるが、生憎盗み聞きはしていないとマイルドに言うべきなのではと思う。
「で、聞き耳じゃなければなんなのよ、わざわざ。多分、そろそろ部屋にいる子達が寝始めるから、騒がしいのはやーよ」
できれば今日くらいは、あの兄妹をゆっくりさせてあげたかった。
「そりゃああんた次第だよ。俺は単に呼びに来ただけだからな」
「私を呼びに来た? 何のために? ツケとかは無かったはず………」
自分は、ちゃんと宿代や酒代を払う優良客のつもりである。
「俺があんたに用があるわけじゃあないんだよ。なんていうか、あんたに用があるから会わせろって客人が来ててな」
「私を指定して?」
いったい誰だろうか。見当が付かない状況であるが、とりあえずレイナラは店主と共に、酒場のある一階へと降りることにした。