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北風の道  作者: きーち
第十一章 雪降る町でのこんにちは
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第二話 まずはやってみる

「う、ううん? 訓練? 私が? あなたに?」

「ミターニャって言います! せんせい!」

「そ、そう。ミターニャちゃんね…………いえ、ちょっと待って。お願いだから」

 頭を左手で抱えつつ、ミターニャをもう一方の手で制止する。どうしたものだろうか。雪降る小さな広場において、唐突に少女、ミターニャから剣の訓練をして欲しいと言われて、戸惑っているレイナラ。

(あ、でも、唐突じゃあないのかも………)

 そう、レイナラはミターニャにこう言ったのだ。暇があるなら訓練しろ。例えば剣の訓練だと。そうして、レイナラは剣を腰に帯びていた。

 ミターニャから見れば、自分に剣を教わってみないかと誘っている様にしか見えなかったはずだ。

「それで、剣を習いたいと思ったのは、私に誘われたからだけ?」

 とりあえず、単なる営業活動だと思われていたのならば、それは誤解を解いておきたい。自分はただ…………大人らしいことを口にしようとして、上手く行かなかっただけなのだ。

「ううん。違うの。もっと強くなったら、お兄ちゃんにも迷惑掛けないかなって………」

「ああ、そういう………」

 子どもにありがちな、兎に角、現状を良くするために具体的な力が欲しいという奴なのだろう。ミターニャの場合、その願いが他より切実なのだろうが。

「駄目………ですか?」

「そうねえ………」

 普通は断るところだ。教えてメリットなんて無いし、そもそも剣術はレイナラの商売道具なのだ。それを他に教えれば、自分の価値が薄れるではないか。

(ただ………)

 負い目がある。こちらから提案したという負い目が一つ。さらに、さらにだ。

(この子達をなんとかしたいなって思う部分が………無いわけじゃあ無いのよね………)

 悪い組織に拾われて、悪い技術を学ばされている。そう考えると、なんとも複雑な気分になってしまうのだ。

 このまま放って置いても良いのだろうか。なにせ自分は、ミース物流取扱社の一員なのだし。

「やっぱり………わたしなんかに教えるなんて、いやですよね」

 俯くミターニャを見て、レイナラは決意した。

「基礎の基礎。それくらいなら教えられるわよ。覚えれば、自分の身を守るくらいはできる様になるしね」

 まあ、これくらいなら良いかなと思った。ぶっちゃけ冬の間は暇であるし、暇つぶしがてらに自分の気も晴れると思えば、十分なメリットだと思えたからだ。

「本当に……! じゃあ……ええっと。どうしたら」

 キョロキョロ周囲を見やるミターニャ。訓練を始めると言ったものの、何から始めるのかがさっぱりわからないのだろう。

「そうね、じゃあこれを持っていなさい。一応刃物なんだから、ちゃんと危険な物だって理解してなさいね?」

 レイナラは懐から短剣を取り出した。短剣というよりナイフに近いそれであるが、用途は人を斬るための物なので、やはり剣か。

 そんな代物を、レイナラはミターニャへ渡したのだ。剣術を教えるのならそこも本気で。という考えから来ているのであるが、その分、剣の危険性については、しっかりと教えて置かなければならない。

「重いんです………ね」

 鞘に入ったままの短剣の柄を持ちながら、ミターニャが感想を述べる。

「重いと感じるのは、持ち方が慣れていないせいね。ちゃんと振り抜けるような重心になってるから、その目的以外で持つと、すごく重く感じるの」

 だからこそ訓練が必要だ。訓練を積み、的確に動かせる様になれば、容易く人を斬れる様になっている。

「じゃあ、さっそく訓練をはじめるけれど、その前に第一段階があるわ」

「第一段階?」

「そう。剣術を習う時の儀式みたいなもので、やるのは最初の一回だけで良いんだけど」

 それこそが大切なのだ。レイナラも剣術の訓練はそこから始まったと思っている。

 記憶がちゃんと残っていない時分から剣を習い続けて来たが、この儀式の記憶はきちんと残っているのだ。

「どんなの……ですか?」

「その短剣があるでしょう? それで、体のどこでも良いから、薄ら血が出るくらいに傷を付けなさい」

「き、傷?」

 やはり抵抗あるのだろう。戸惑っているミターニャ。それを見て、まずは説明からかと、レイナラは頭を掻きながら話をすることにした。

「剣って言うのは、斬られたら痛いものなのよ。そして危ない」

「わかってますよ?」

 首を傾げているミターニャ。だが、レイナラは首を横に振る。

「刃物で斬られた経験は? 逆に斬った経験はどれくらい? 事故とかじゃあなく、自分で意識しての話よ?」

「それは………ない、です」

 そういうものだ。料理していて誤って指を刃物で斬ったという経験なら幾らかあるだろうが、それを戦うための道具として振るったり振るわれたりする人間はあまり多く無い。

「剣を訓練するって言うのは、万一の時、人を斬ることも有り得るということ。その感覚を真っ先に知らなければ、危なっかしくて剣の訓練なんてできやしないわ。だからこそ、自分で自分を傷つけてみるの。手の平や甲、腕を血が滲むくらいに薄らで良いから」

 これが怖くてできないと言うのなら、そもそも剣の訓練などすべきでは無いだろう。

 自分の様に、一族の職業として根付いた訓練なのではなく、あくまで自ら望んだそれであるはずなのだから。

「……………んっ」

 恐怖はあるのだろうが、それでもミターニャは短左手の甲から少し腕側の部分に短剣を当てて、スッと引く。

 勿論、それほど深い傷ではない。浅く薄ら血が滲む程度であるが、それくらいが結構痛い。少し涙ぐんでいるミターニャ。しかし良く我慢していた。

 そんな彼女に目線を合わすため、レイナラは屈み、話し掛ける。

「その痛みをきちんと覚えていれば、今手に持った短剣は、必ずあなたの助けになるわ。だから痛くっても、絶対に忘れないで。良い?」

 ミターニャをまっすぐ見ていると、彼女はしっかりと頷いてくれた。強い娘だ。強くなければ、この様な立場で生きては行けないのだろう。

「それじゃあ、さっそく手当てをしましょうか。水で洗って血が出ない様に布を当てていれば、まあ明日にはほぼ治ってるわよ。これくらいなら」

 応急処置というほどですらない程度の治療を行ってから、レイナラは次の段階へ移る。

「とりあえず、本格的な訓練は明日から行うとして、今日やっておくことを教えるわ。良い?」

「は、はい!」

 すっかり教え子気分らしい。実際、レイナラの方も教師じみた気分になってくる。

「その短剣の柄を、出来る限りの時間、握っていなさい。不審に思われそうなときはさすがに離しても良いけど、それ以外の時間は寝る時もずっと。明日、またここに来るから、ちゃんと守れていたら、さらに次の段階へ進むわね」

「わかりましたっ」

 頷くミターニャを見て、レイナラも頷く。何はともあれ、剣に慣れることだ。先ほどみたいに短剣で自分を傷つけるなど、そう何度もできるわけが無く、ならば柄を握り続けることくらいしかできることはない。

 ただ、素人であればこそ、有効な訓練なのだと思う。少し慣れるという程度でも、大きな違いが出て来るのだから。

「じゃあ、そろそろ私は行くわ。具体的な訓練もしないのに、長居したって仕方無いしね」

 笑ってこの場を去ろうとするレイナラ。だが彼女の背後から、ミターニャが呼び止める様に声を掛けて来た。

「あの、先生!」

「ん? なあに?」

「明日も、来てくれますよね?」

 先生と言う呼び名を自然と受け入れるレイナラ。これはもう、逃げられないだろなとレイナラは思う。

「ええ。絶対来るわよ。心配しないで」

 ミターニャに、もう一度笑顔を見せながらそう答えて、レイナラは一旦、この広場を去って行った。

 さて、今日は酒を飲むわけには行くまい。明日二日酔いでここにやって来られないなんて事だけは避けたいのだ。

(とりあえず、私自身もちょっと体動かしましょうかしらね)

 これから剣の素ぶりをするのも悪くはあるまい。そんな風に、珍しく建設的な事を考えるレイナラだった。




 次の日、レイナラが約束通り広場へやってくると、そこにはミターニャがいた。ただし、彼女一人だけでは無かった。彼女の兄であり、そもそも彼女と出会う切っ掛けとなったスリの小僧がいたのである。

 彼はレイナラが来たのを確認すると、腕を組み、あからさまに睨みつけてくる。もっとも、それが似合う年頃には10年早いが。

「あっ……」

「本当に来たのか」

 ミターニャがレイナラに何か話し掛けようとする。しかしそれを遮る様に、スリ小僧がレイナラの前に立った

「いったい何のつもりで妹に近づいた!」

 その言葉で、スリ小僧は妹であるミターニャを守るためにここに居たのであろうことがわかる。

 確かに自分は傍から見れば、子どもに怪しいことを吹き込もうとする大人に見えるだろうとレイナラは頷いた。

 そしてそのままスリ小僧を無視してミターニャに近づく。

「短剣、ちゃんと持ってた?」

「は、はい。あの、その、途中から、お兄ちゃんに触るなって言われちゃって………」

「それは仕方ないわねー。どうせ、これからずっと握ることにはなるんだから大丈夫」

「お、おい! 何無視してるんだ!」

 無視というわけでは無いが、話してもあまり意味が無いだろうなあという思いから、ミターニャへまず話し掛けた。

 彼が警戒するのは理解できるのだ。ある意味では、ちゃんと兄妹の年長者側としての意識もあるのだろう。

 だから、レイナラがどんな言葉を発しても、彼には単なる言い訳に聞こえてしまうはず。そんな彼にこちらに悪意が無いことを伝えるには、ミターニャをしっかり訓練するという意思を見せなければならない。

「まずは素ぶりから。剣に慣れる。振り方を学ぶ。地味だけど、この二つをちゃんとできる訓練っていうのは便利よ? できれば毎日、そうね、ミターニャちゃんくらいの年齢と体格なら50回くらいで良いかしら。それをまずすること」

 短剣とは言え金属の塊。それなりの重量があるし、ミターニャの小さな体格からして、それくらいが妥当であろうと予測を付ける。勿論、振り方をみつつ、適切な回数の調整や、振り方の指導もするつもりである。

「わ、わかりました」

 ミターニャは剣を構える。と言っても、ただ両手で柄を持って、前に構えただけ。

「お前、まだそれ捨てて無かったのか!」

「あらあら。捨てるなんてもったいない。せめてどこかに売り払えとか言っておきなさいよ。良い短剣じゃあないけど、一日、二日分の食費代くらいにはなるはずよ?」

 それだけミターニャの兄に返答すると、再度ミターニャに顔を向けて、剣を振る様に促す。ミターニャは返答代わりに、一度短剣を振った。

「うんうん。そんな感じ。まずは何も気にせず振ってみなさい。後から指摘できるところは指摘してあげるから」

「は、はい!」

 素直なのは良いことだ。反抗的な教え子よりは大分良い。二回目、三回目と短剣を振るミターニャを見て、レイナラは少し懐かしい気分になった。

 自分も幼い頃はこんな感じだったろうか。そう言えば弟が親に剣を習っているのを見た時も、こんな気分だった。

 まだまだ拙い部分はあるものの、これからちゃんと指導すれば、見違える様に良くなっていくのだ。そのためには、自分がしっかりしなければと思う。

 そう言えば、ミターニャの兄はどうしているのだろうか。気になり、ふと隣を見やる。

「…………あんた、本当にミターニャに剣を教えるつもりなのか?」

「詐欺か何かだと思っているなら、暫く監視してて頂戴。本当かどうかはそれで分かると思うから」

 話し掛けて来たミターニャの兄にそれだけを返してから、再び、ミターニャの観察を再開する。

 自分でも素っ気無さ過ぎる対応だったかなと思うものの、今はとにかくミターニャである。そう言えば、剣術をまったくの素人に教えるなどこれが初めての経験であるため、少し緊張してきた。

「ちょっと腕を使い過ぎね。そのままじゃあ、腕が上がらなくなっちゃうわよ。手を上げる時にはさすがに力がいるけど、振り下ろす時は、短剣を離さない程度の力でやってみなさい」

「はいっ」

 言われた通り。と言うほどに器用では無いものの、少し力を抜いた素振りになってくる。よし、これくらいなら、相当に疲労はするだろうが、50回の素振りを完遂できるだろう。

「…………スパルタじゃあ、無いんだな」

「訓練って言うのは、多く経験を積むことに意味があんのよ。疲れ切ってしまえば、訓練ってそれまでだけど、上手い具合に体力配分を考えてやれば、内容は充実してくるってわけ」

「へえ………」

 ミターニャが素振りをする間、彼女の兄と話を続ける。勿論、目線はミターニャから外さないままだ。

「…………なあ」

「なあに。いっとくけど、今日だけここに来るわけじゃあないからね。とりあえずあなたの妹がそれなりに短剣を振ることができるくらいまでは、通うつもりよ」

 対価も無いのに妙な決意をしてしまったものだと思う。いや、対価なら貰うつもりなのかもしれないが、それは形の無い物かもしれぬ。

「俺はランディル」

「うん?」

「ランディルって名前だ。あんたは?」

「…………“お姉さん”は、レイナラよ」

 年上にはちゃんとした呼び方があるぞと釘を刺す言葉を口にしてから、ふと気になることがあった。

「なんで名前?」

「それなりに長い付き合いになるんなら、名前くらい教えとくべきだろ」

「へえ………」

「なんだよ。にやけてさ」

 少年の頭の柔らかさを、微笑ましく思っただけだ。そりゃあすぐに認めて貰えるのは嬉しいものの、そう簡単に人を信じるものじゃあないぞ?

「まあ、今はそれでも良いかしらね」

「なんだよ。いったい」

 この兄妹とはどれくらいの付き合いになるだろうか。少なくとも、この冬くらいは見ていたい気になるレイナラであった。




「最近、酔っ払って帰ってくることが少なくなりましたね」

 冬のある夜。何時も通り、ミース物流取扱社を宿代わりにしようとやってきたレイナラに、ルッドがそんな言葉を掛けてくる。

「最近は、別の暇つぶしが見つかってね」

 ボランティアに近い行為で剣術を教えていると答えるのは、商人である彼に伝えるのをはばかられてしまう。

 きっと、それは相手のためにならないとか、対価はきちんと貰うべきだと言った返答が来るだろうから。

(それって正論だから、こっちの反論が難しいのよね)

 ただ、まだ剣術の訓練は続けたいと思っているため、結局ははぐらかす形になってしまう。

「そりゃあ良いことですね。お酒飲むばっかりじゃ、体調崩しますよ」

 とりあえずは詳しく聞かれることは回避したものの、この発言は発言で、腹が立ってしまった。

「むむ。まだ酔っぱらった程度で調子悪くなるほど、年とっちゃあいないわよ」

「酔い潰れたりする時点で、体に悪いじゃないですか」

「潰れちゃあいないでしょう? 潰れちゃあ。いっつも、きちんと帰って来てるじゃないの」

「…………まあ、そういうことにして置きたいなら良いですけども」

 なんだか含みある言い方をされるものの、納得してくれたのならそれで宜しい。ところでだ。

「冬の間は、ずっと手紙を出すのが仕事なの?」

 目の前にいるルッドや、今は席を外している社長のキャルは、以前からずっと手紙を出し続けていた。最近は手にまめができ始めて困っているらしいが、まあ、それくらい物を書いているらしい。紙やインク代だって馬鹿にならぬだろうに。

「仕事っちゃあ仕事です。最近は漸く形になってきたから、遣り甲斐も感じ始めてますね」

「手紙を出すのが?」

「受け取って内容を確かめるのも含めて。ですね」

 確かに最近は、手紙を出すだけでなく、来る枚数も増えて来た様に思う。さすがに雪で閉ざされているであろう地方からは来ないものの、主要街道に隣接した街などからはかなりの枚数が来ていると思う。

「季節が冬っていうの分かってる? 手紙の運搬代だって馬鹿にならないわよ?」

 この大陸においては、冬の移動というのはそれだけで金を稼げる。つまりは命のリスクが常にある仕事であるわけで、そんな仕事を頼む側になるルッドは、相当の金銭を消費しているはずだ。

「赤字も赤字ですね。別の輸送仕事がある商人に頼み込んだりして、なんとか出費を削る努力をしてるんですけど、故郷から持って来た資金の大部分も消費してやっとってところです。あ、うちの社自体は大丈夫ですよ? 社の金銭はきちんと余裕ある形で残してますから安心してください」

 だったら良いのだ。などとは思わない。無茶な事に大量の金銭を消費していることに変わりが無いのだから。というか、彼自身が持ち込んだ資金とはどれほどのものだというのだろうか。

「あなた、そんなにお金持ってたの? っていうか、出稼ぎでやってきた人間じゃあ無かったっけ? 何のためか知らないけど、そんな無茶やらかして大丈夫なの?」

「一応、こっちで自分が食べられる仕事は見つけているので、文句は無いはず………です。何のためかについては、情報交流のため。ですかね」

「情報?」

 どこの誰と、何をだろうか。身銭を切ってまでやらなければいけないことなのか。

「大陸中の知り合いと………って言うのはまだ早いですけど、独自の情報網を作るための第一歩がこれなんですよ」

 書いている手紙の一枚を手のひらで叩きながら、ルッドが答える。

「情報網ねぇ?」

「僕が相手にしようとしているブラフガ党………本格的にそれを考えているなら、情報が何より大事なんですよ。彼らは大陸を繋ぐ独自の情報網を持っているわけで、商人として彼らとやり合うなら、同等とまでは行かないまでも、似た何かは必要だ」

 良く分からない話ではあるものの、また大それたことを考えている事だけは分かった。そのために金銭を使っているのだから、現実化する気が有り有りであろうことも。

「難しい話はわっかんないけど、兎に角、大変な事なのね?」

「ええ、大変ですよ。最初は正直自信がありませんでしたけど、少しずつ形になって行くにつれ、ある程度の希望は見えてきたって感じです。初期投資に対しての見返りくらいはありそうかな」

 楽しそうに話しているルッド。彼の場合、楽しくなくても笑顔を浮かべる時が多々あるため、内心がどれほどのものかは伺い知れぬが。

「だったら私が口出しするような話じゃあ無いわけね。私にとっては、護衛として期間採用を続けてくれるなら、ぶっちゃけ文句は無いもの」

「そこらへんは大丈夫だって言いましたよね。社の金庫が目減りするほどでは無いとだけ」

 この一年。ミース物流取扱社は随分と働いたと思う。働ける仕事があったというのは幸運か、もしくはこのルッドという青年の才覚に寄るものかもしれないが、それにしたって随分と働き者であった。

 大陸の端の方まで商売に向かったことすらある。そうして稼いだ金銭はそれなりの物であろう。それを維持しているというのであれば、確かに社は大丈夫そうである。

「けど、さっきの質問に、ちゃんと答えなかったわよね」

「さっきの質問? どれのことですか?」

 はぐらかそうとしているのか、それとも本当に分からないのか。多分、前者だろうとは思うが、だからと言って何かが分かるというわけでも無い。だから素直に、疑問に思った事を口にする。

「そのお手紙代。社のお金を使わないで済むぐらいには、自分で持ってたらしいじゃない。どこにそれだけの資金を隠してたのやら」

 商売を始める前から、ちょっとした小金持ちだったということではないか。そんな人間が、わざわざ大陸を渡って来てまで金稼ぎをしようと考えたのは、どういう事なのか。気にならないと言えば嘘になろう。

「あー………うん。一応は、こっちで働いた時の利益も懐に入ってますから、それで?」

 明らかに嘘だと分かる言葉。レイナラですら分かるのだから、ルッドが不用心に口にするはずがない。

 こっちが嘘だと理解して、さらに話を聞き出そうとするのを待っている。そんな気がした。だからこう言ってやるのだ。

「まあ、どんな理由だろうと気にはしないわよ」

 こちらの言葉に、ちょっと目を鋭くする仕ルッド。どういう意味を持つのか知らぬが、レイナラの考えは単純だ。

「雇って貰う限り、私は仲間よ。話したくない事は話さなくて良いし、それでも付いていく。一応、今じゃあそんな関係のつもり」

 レイナラはそう言い残して、適当な部屋を寝床にするべくこの場を離れた。

 会って一年と少しだけの間柄かもしれないが、ミース物流取扱社とルッドとは既に深い関係だとレイナラは思っているのだった。


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