第十一話 思いの在り方
「そうかい………止めたいかい………」
ルッドの返答を聞いたナハルカンは、口元に手をやって、何かを考える仕草をし始めた。ルッドの言葉が何かしらの感情を揺り動かしたのは確からしい。
(それが僕にとって良いことか悪いことなのか………)
ナハルカンが次に発する言葉で、答えがわかるはずだ。
「もしこの会話を交渉や取引の類だって言うのなら、愚痴を聞くくらいはしてもらっても良いんと思うんだけど、どうだい?」
「愚痴……ですか? ええ、はい」
ナハルカンの意図が分からないままであるが、とりあえずルッドは了承して頷くことにした。
「あるところに、一人の男が居たんだ」
「は、はあ?」
話の主旨が見えてこないので、ペースを崩された気分になるルッド。もしやそれが作戦か?
「男はね。生まれた時からある悩みがあった。体が、ちょっと他の人と違っていたんだよ。頭にね。デカい角が一本生えていたのさ」
「角ぉ?」
なんだか突拍子も無い話になってきたものだ。ナハルカンが正気かどうかをまず疑うが、その視線はしっかりしたものである。
「子どもの頃は、そりゃあまあいじめられたらしいが、それ自体は言うほど苦じゃなかったらしいよ。ただ、自分にどうして角が生えているのかについて、どうしても知りたかった」
「………」
なんとなく。そう、なんとなくであるが、ナハルカンが何を話そうとしているかが分かり始めて来た気がする。
「男はそうして、自分が何者かを知るんだ。どうやら自分は先祖返りをしたらしい。自分の姿は、伝承で綴られるドワーフ族の王の姿を、そのまま再現したものだって言うことにね」
これは………そう、これはブラフガ党の党首についての話だ。ドワーフであるという情報以外を知らないその男の姿を、漸く垣間見ることができる。
(つまり、僕は交渉相手として適当だったってことか?)
ナハルカンは、ルッドが求める情報を話してくれていた。これからどの様な言葉が出て来たとしても、ルッドにとっては得しかあるまい。
「最初はその事実を知った時点で満足していたんだ。だけど、時が経つにつれ、別の問題が現れた」
「その問題とは?」
「ドワーフ族は、人間より長寿だった。その中でも王の証である角を持つ者はね、人間の何倍もの長さを生きることができる。怪我や病気をしなければって話だけどねぇ」
それは確かに問題だ。そこまで寿命が違うとなると、人と同じ社会に住むというのは、かなり難しいことではないだろうか。
「男は一所ではいられなくなった。生まれ故郷には妻子がいたが、妻と子が老い、寿命で死んでしまってからは、もうそこにいる理由すらも無くなったんだろうね。そうして男は旅に出ることにしたのさ。自分と同じ仲間を探せば、自分の孤独も晴れるなんて思ったんじゃあないかねぇ」
その後、どうなってしまったのかは、なんとなくわかる。
「仲間は見つからなかったんですね?」
「ああそうさ。孤独から解放されることは無かった。この大陸のどこを探したって、自分と同じ存在なんてどこにもいなかった。ただ、孤独を共有できる仲間なら見つかったらしい。種族の滅亡。それが差し迫ったところにある異種族っていうのなら、この大陸には他にもいたからね」
自分は恐らく、ブラフガ党の成り立ちを聞いているのではないか。ルッドはそんな風に思っていた。
ブラフガ党の幹部には異種族が多いというような話を聞いていたが、なんてことはない。そういった異種族をまとめた結果、出来た組織がブラフガ党だったのだろう。
「最初はただの互助組織だったんだ。それがいつの間にか、どっかが食い違っていった。いや、意思が統一され始めたって言った方が正しいかもねぇ。異種族の根元にある感情。どんな形だって良い。自分達の証をこの世界に刻みたい。そんな意思が一つになって、歪なそれになっていったんだよ」
「だからって………国一つ滅ぼすなんて言う方法が」
「そんな方法しか無かったってのもあるだろうけど、かつて人間種族と異種族が戦争間近にありながら、それを成せなかったという歴史のせいもあるんだろうさ」
雌雄を決する前に、自らの血が原因となって、滅びるしか無くなった異種族達。戦えず、真綿で締め付けられる様に息絶えて行くのだと言うのなら、最後の最後に反撃を。そんなことをブラフガ党の幹部たちは考えたというのか。
「…………最初。愚痴と言っていましたね?」
「ああそうだね。愚痴さ。家族が無茶なこと仕出かそうとしているって言うのなら、こうやって愚痴りたくもなるだろうさ。ねぇ」
「家族………ブラフガ党の党首は、ルナー家の人間なんですか!?」
「ガリュゥギン・ルナー。それがブラフガ党、党首の名だよ。今は偽名で名乗っているらしいから、この名前から本人に行き着くのは難しいだろうけどねぇ」
だとしてもだ。遠い存在だと思っていたブラフガ党の党首が、直ぐ近くまでやってきた様な気分を感じてしまう。
「今、彼はどこに!?」
「それを教えるのは、交渉の埒外だよ。そうじゃあないかい? 坊やはこれで、坊やが止めようとしている組織の来歴を知ったことになる。私から渡せる物って言えば、これくらいさ」
なるほど。この愚痴こそが、ナハルカンが決めたルッドへの投資賃ということか。ブラフガ党を知り、そうしてどうするかを決めるのはルッドの役目だろうと、ナハルカンはそう言うわけだ。
「………いいえ。まだです」
「うん?」
「愚痴を聞くのはサービスでしょう? それは対価とは言えない」
「はっ! 貪欲なことじゃあないか! 好きだねぇ。そういうのは」
ナハルカンが笑った。いや、これまでも笑い顔ではあったのだが、自嘲に近いそれであった。しかしルッドの返答を聞いて、ギラつくような笑顔を浮かべはじめたのである。
これもまた、彼女の感情を揺さぶれたということなのだろうか
「もし、対価としてそれを払ってくれるのだと言うのなら、教えてください。ブラフガ党は、最近、あなた達にどの様な知識を求めてきたんですか?」
そうだ。まだ解けていない謎があるのだ。オンブルト・ルナーが『赤宝館』へとやってきて、何を調べていたのか。
ルッドはこのルナー一族の行動について、裏でブラフガ党の指示があったのではないかと睨んでいる。それは恐らくドワーフ族が残した何らかの力であり、この大陸が混乱期にある中で、ブラフガ党はその力を行使しようとしているのだろうという予想。
その予想の答え合わせと、詳しい内容をまだ知らないままなのだ。
「そうだねぇ。それくらいは答えてあげようかい。これもまた投資ってことで良いだろう?」
「勿論です。手に入る情報は多ければ多い程良いですからね」
漸くここまで辿り着いた。ここで手に入れる情報は武器になるはずだとルッドは思う。本来ならば手に入る筈の無い情報というのは、相手となるブラフガ党の隙を突けるそれとなるのだから。
「ブラフガ党が求めていたのはねぇ、ドワーフ族がかつて持っていた力と、使う事の無かった力の二つさね」
「かつて持っていたというと、火を操る力の事ですよね………そうして使う事が無かった力となると、確か、人間種族との戦争に備えた力ということで良いんですか?」
「予習ばっちりと来たもんだ。その通りだよ。火を操る力ってのはそれそのままでね。魔法みたいなもんさ。何も無いところに火を起こせる。勿論、それなりの準備が必要だけど、準備さえできれば強い火を発生させられる」
「それだけでも、相当な力だと思いますが………」
文字通り火力だ。例えば複数人にその力を扱えるよう教育すれば、立派な戦力が出来上がるのである。それ自体、ラージリヴァ国にとって脅威となるだろう。国家転覆を狙う不法組織に、十分な兵力が足されることとなるのだから。
「だが決定的じゃあないだろう? 国と戦いはできるが、長引き、敗北するかもしれない。だけど、もう一つの力はその欠けた部分を補ってくれるのさ。徹底的に国を破壊する力としてねぇ」
そんな力が存在するというのか。力と言っても、過去に存在しただけの力だろうに。現代に存在するラージリヴァ国をそのまま崩壊させることなどできるか怪しいと思えてしまうのだが。
「具体的なそれは話せますか?」
「…………ゴルデン山をさ」
「はい………山を?」
「爆発させちまうのさ。どでかい噴火を発生させちまう。そういう力こそが国を滅ぼす力ってことだねぇ」
「山を噴火ですって!?」
思いの外、いや、それ以上の衝撃がルッドを襲う。この部屋からゴルデン山は見えぬものの、山があるであろう方向に、ルッドは視線を向けた。
ゴルデン山は強大な火山であるとは聞く。その力で大陸の内側から冷気を防ぐほどのものだ。その山がもし、大規模な噴火をしたとするならば、その被害はホロヘイや、大陸中心部の主要都市にまで及ぶだろう。
(ブラフガ党がその活動により国を混乱させて、さらに弱体化を進めた後、その一発を使えば、確かに国は崩壊するだろうさ………けど………)
そんな事が本当に可能なのか。と疑問に思う自分がいる。火山を人為的に発生させるなど、それこそ神の力であろう。
「人と異種族がまだ対立していた時代。ドワーフ族の王様は、その力をむしろ脅しとして使うつもりだったらしいよ」
「脅し………例えば、攻撃的なことをすれば火山を噴火させるぞ。だったり、もし要求を飲まないのなら、こっちもやけっぱちになるからな。と言った類の交渉をする際の、手段に?」
「そうさね。山が噴火すれば、麓を拠点としているドワーフ族だってタダじゃあ済まない。だからこその力だったんだろうねぇ。当時は」
確かに国家が持つには相応しい力であるだろう。使えば被害は自分達にも及ぶという特徴が、さらに適したものとしている。
(単なる強力な力であるなら、周囲に恐怖を与えるだけで、それは反発を生んでしまうけど、自爆的な要素があるって言うなら、周囲に考える余地を与えられるんだ。争うよりは、多少、譲歩した上で話し合った方が良いんじゃあないかってさ)
その力とやらを手に入れたドワーフ族の王は、やはり優秀だったのだろう。人間関係。引いては国家関係に至るまで、押すだけでは駄目なのだということを知っていたのだ。
「けど、ブラフガ党の長は、それを使おうとしている………」
「盛大な自爆さ。華はあるだろうね」
その割には、ナハルカンの表情は悲し気だった。そうか、ブラフガ党の党首は彼女と血の繋がりのある家族なのだろうし、そんな家族が山を吹き飛ばし、故郷をこの国そのものへ害を成そうとしている。それを悲しいと思わないわけがないのだ。
(ほんの触りだけだけど、ブラフガ党と彼女らの感情が分かりかけてきた)
どれほど悲しい事だろうとも、無理には止めない。むしろそれを望んでいる自分がいる。そんな状態なのだ。
(種族としての危機。苦しみ。歯痒さ。それを完全に理解することなんて無理だけど、それでも分かる部分はある)
そうして理解した後。自分はどうすれば良い? これほどの思いを敵に回し、自分はブラフガ党を止められるのか?
(もし、次に何かをしなければいけないとすれば、自分自身の思いに対してなのかも……ね)
首から下げた跳ね石を、何時の間にかルッドは手で触っていた。跳ね石のおかげで取り戻した、いや、より一層強くなったルッドの思いは、どれだけブラフガ党へ通じるのか。
「さて、渡せるもんは渡しただろう? 大枚叩いたわけじゃあないが、それだけの価値がある話だった思うけどねぇ。これで坊やが何がしかの結果を残してくれなきゃあ、私は大損さ」
確かに、組織の内情を話した形になるのだから、これより先、ルッドが迂闊なことをしてしまえば、ナハルカンにまで危険が及ぶかもしれない。
(言い換えれば、彼女の思いの一部を受け継いだってことになるのかもね)
彼女にはブラフガ党の行動を認めている感情がある様に、ルッドへ多少なりとも違う何かを起こして欲しいという願いを抱く部分もあるのだ。
(ブラフガ党だってそうなんだとしたら、党首もまた似た思いを抱いているのだとしたら………)
自分が踏み込める部分はあるはずだと、ルッドは思う。
(もし、それでもまだ止められないって言うなら、さらに自分を鍛えるだけさ。どれだけ大変な道だって、歩き続けてやる)
こう思える様になっただけでも、成長と呼べるかもしれない。まるで国を背負うような考えを、簡単に抱いているのだから。それがどれほど不相応だったとしても、心が折れていないということでもある。
そうして、ルッドのヴァーリの村での交渉仕事は終わりを告げる。ただしそれは、次にやるべきことの始まりを意味していた。
「また風呂かよ、兄さん」
ルナー邸での交渉から一日経って暫く、ルッドはダヴィラスを見習って、温泉に入ってだらだらする日を過ごしていた。
その事を見咎めたのだろうか、温泉へ向かおうとするルッドに、ふとキャルが話し掛けてきた。
「休養に来たんだもの。休まなくちゃさ」
ルナー邸での一件が終わった後、ルッドはすぐにリィゼインへ、ルナー邸であった事の報告を行った。
勿論、ルナー一族との契約があるため、あること無いことを入り混ぜた出鱈目な報告だ。一応、リィゼインが納得する形に取り繕ってはいたが。
(事が事だし、あんまりルナー邸には深入りしない方が良いんだろうさ)
ルナー邸は、特に怪しい部分は無かった。そう報告することで、リィゼインを危険から遠ざけることはできるだろう。彼女はほぼ一般人なのだから、その方が良いと思えた。
そうして、ヴァーリの村ですることが終わった以上、後は当初の目的通り、休養するのが得策であろう。
なにせ後には、多大な労力を必要とする仕事が、山の様に残っているのだから。このヴァーリの村での休養が、最後の長期的休養になるかもしれなかった。
「できれば、滞在する残りの日数。ひたすらだらだら過ごすつもりだよ。僕は」
「なんだよそりゃあ………」
呆れられてしまう。まあ、こちらの心情を一から吐露したわけではないため、傍から見れば、急に怠け者になった様に見えるのかもしれない。
「まあ、追々、ここで僕が怠けつつも、ゆっくり休養を取った理由がわかってくるってもんだよ」
自分のだらけっぷりを、こんな風に説明しておくことにした。将来的に何もかもを説明することがあるのかは知らないが。
「まあ、兄さんがくつろげる気分になったのは良いけどさあ…………」
キャルがどうにも心残りや言いたい事があるような表情をする。何かこちらに用があったろうか。
(なんだっけって………ああ、これは忘れちゃあいけないよね)
なんとなくだが、彼女がルッドに何を言いたいのかが分かってしまった。これもそこそこに長い付き合いの結果という奴だろうか。
「ううーん。そうだね、何度も温泉って言うのも、さすがに芸が無いかな。じゃあさ、キャル。これから、買い物にでも行かない?」
「買い物?」
「うん。ほら、これのお礼、するって言ってたじゃないか」
ルッドは首から下げた跳ね石を手で摘まみ、キャルの目線に合わせた。そう言えばこれのお礼がまだであった。
ある意味では、ヴァーリの村に来て、もっとも重要な収穫と言える跳ね石。それをくれたキャルに対して礼をしないというのは、男が廃ると言うものだ。
「じゃ、じゃあさ! 見て周りたいところがあるんだよ!」
ルッドの言葉を聞いて、途端に明るい表情を浮かべたキャルを見て、ルッドは何やら微笑ましい物を感じた。
彼女はルッドにいろんなものをくれる。跳ね石と共に貰った、新たな誇りもそうであるし、今、彼女の笑顔を見て、どこか心を落ち着けることができたのもそうだ。
ヴァーリの村での休養旅行については、彼女の笑顔のおかげで、その目的を果たせそうである。