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北風の道  作者: きーち
第十章 休養は湯煙と共に
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第一話 ホームシック

 人間、眠れば夢を見る。見ない時は余程熟睡している時くらいで、ミース物流取扱会社に勤めるルッド・カラサも、当然ながら良く夢を見る。

 今日の夢は故郷の夢だ。ブルーウッド国の貴族である父が、領地として統治しているマクレルズスワンプという土地。そこはその名の通り沼地が多かった。冬の間は足先から冷えてくる様な寒さが体を襲う。

 それはノースシー大陸の寒さとはまた違う寒気であった事を思い出す。こちらが体全体を襲ってくる寒さだとしたら、マクレルズスワンプの寒さは体の芯から熱を奪ってくる寒さと表現できるだろう。

 どちらが辛いかと聞かれたら、どっちもどっちであると答えるが、故郷の方が慣れている部分もあるため、ノースシー大陸の方が心持ち危険度は増すかもしれない。

 冬が過ぎ、マクレルズスワンプに春が訪れると、そこには生命の音が聞こえ始める。虻が飛ぶ音に蛙の鳴き声、水鳥の羽ばたきだって音が鳴る。

 それらの音は夏が近づくにつれさらに量を増していくのだ。夏真っ盛りの頃となれば、虫の羽音がうるさいくらいである。大きく叫んだって、他の生物の音にかき消されそうになるだろう。

 だが秋が近づくにつれ、音は減少の方向へと変わって行く。新たにやってくる厳しい季節への準備のために、命たちがまた違う動きを始めるからだ。

 この秋の季節が、ルッドは一番好きであった。命がもっとも成熟し、さらなる段階へと進もうとする季節。沼からの独特な匂いが鼻孔をくすぐる。きっとそこに長く住まない人間からすれば、悪臭の類なのだろうが、そこで良く遊んでいたルッドにとっては、青春の匂いであった。そこで良く、兄達とも遊んだ記憶もある。

 今、見ている夢はそんな夢だ。父から許可を貰って、兄弟3人がかりで沼まで小舟を運ぶ。そうして3人してぎゅうぎゅうに乗り込み、沼の中心まで小舟を進ませるのだ。そこで何かをするというわけではない。ただ、何時もとは違う場所にいたい。そんな気持ちの現われだったのだ。

 夢の中のルッドの目の前には、兄二人姿があった。だが、その姿はルッドの年齢が一桁だった頃のそれだ。最年少のルッドですら、年下であると断言できる年頃。そんな兄二人を前にして、ルッドだけが元の姿のままであった。

 だからこそ、ルッドはその夢が夢であることを理解する。昔の景色、思い出の中の光景。一番好きな秋の沼地の中、ルッドはこの夢がもう少し続いてくれないかな。という気持ちを心に浮かべる。

 だが、夢の世界だってそこそこに非情だ。夢だと気付いた瞬間。夢の景色はどんどん薄れていく。

 ああ、目が覚める。そう思った瞬間、体全体が柔らかい感触に包まれた。

「……………あー、朝………かな?」

 目が開いた。ミース物流取扱社内のルッドの部屋。そこにあるベッドの上で横になりながら、ルッドは天井を見て呟く。

 のそのそと体を包ませた毛布から出ようとすると、部屋の中だというのに肌寒い空気が襲ってくる。

 夏が過ぎて秋も冬寄りになってきた季節。この大陸においては、皆が冬籠りの準備を始める頃合いだ。ベッドから出るのも辛い……が、ここで起きなければ、それこそ昼過ぎまでベッドに籠ることになるため、無理矢理起き上がる。

「と言っても………これといってする仕事は無いんだけど………」

 冬が近づけば近づくほど、この大陸の社会は活動を停止していく。それは去年にも学んだことだ。ノースシー大陸の冬は生物にとって敵なのである。雪が大地を覆う頃には、命の数が極端に少なくなっていく。もし火山が無ければ、このホロヘイとて、町の人口を維持できなくなってしまうだろう。

「神様の恵み、ゴルデン山っと」

 体を屈伸させて、なんとか起き上がる。一度意識を起床へ転じれば、寒さはむしろ目を覚まさせる方向へと向かう。

 ただ口にした通り、起きた所で予定というのは殆どない。商人としての仕事であるならば、むしろ冬の方が探せば幾らでも仕事はある。しかし、そのどれもが冬の大陸を移動するという危険なものであり、だからこそ余った仕事なのだ。

 秋である今の季節であるならば、もう少しマシかもしれぬが、移動している間に冬にでもなれば事であろう。

「だからって、何もしない性分じゃあないんだよ……うん。確か今日は、珍しく予定があるし」

 昼から総領館商管室という場所に向かう予定があった。そこの室長と打ち合わせの仕事だ。どんなものにせよ、仕事があるのは良い事だと思う。

「問題はだ………」

 服装を整えて部屋を出る。向かう先は社屋内の台所として使っている場所だ。元々は個人宅であるため、そういう私生活染みた場所ばかりの社内であった。

 ルッドは台所に辿り着くと、水桶に溜められた水を眺める。確か昨日交換したので、まだ新しいはず。

 その水を手で幾らか掬い、顔に被った。

「つっめたっ」

 寒い季節、寒い朝の水だ。水を掬った手と、被った顔がとても冷えた。ただ、それくらいしなければ気が済まなかったという理由がある。

「まったく………あんな夢を見るなんて」

 ルッドは今朝の夢について、複雑な感情を抱いていた。本来であれば何でも無い様な夢であるはずだが、この大陸にやってきたルッドにとっては、少し嫌な意味合いを持っている。

「今さらホームシックなんて…………ここに来てもう一年になるじゃないか」

 ルッドの心は今、故郷への恋しさが生まれ始めていたのだ。




「君がこちらに来る様に取り計らってくれた魔法使い。名前は『空洞の奥』とか名乗っているが、とりあえずこっちではダーダイトと呼ぶことにした。まずは世間に慣れさせなければならないからね」

 ルッドの目の前で、応接室のソファーに座りながら、煎茶を飲む女性。その名はレイス・ウルド・ライズ。ラージリヴァ総領館付商業及びそれに伴う各事項管理室の室長。男装の麗人染みた格好をしている彼女は、動きまでもがいちいち優雅だ。こういう仕草を見ていると、見ている側の劣等感が刺激されてしまう。王族という立場である以上は、ある意味で長所と言えるかもしれないが………。

「彼、中々に仕事を覚えるのが早いよ。既に事務仕事関係のだいたいは出来るんじゃあないかな。一方で来客対応はダメダメだな。来た客を怒らせるのは向いていると言えるが…………聞いているのかい?」

「え、ええ。聞いてますよ? なんですか?」

 突然、レイスが首を傾げてこちらを見てくる。さっきから、モイマン山の館から商管室へ研修にやってきた魔法使いの話をずっとしている。今日、ルッドは商管室にやってきたのも、その魔法使いの扱いについて、レイスと最終的な決定をするためだった。

「いや、聞いているのなら良いんだが………なんだろうな。失礼かもしれないが、今、この瞬間でも、上の空みたいな表情をしているから」

「本当に失礼ですね………。僕が商売話を蔑ろにするタイプに見えますか?」

 しっかりと話は聞いていた。やってきた魔法使いは、とにかく効率重視な性格で、書類整理や資料の編纂などと言った仕事には向いているが、人との会話など、理屈より情が強い仕事に関しては、どうにも他者とズレが出るという話をしていたのだ。

 それは魔法使いとして、らしい性格であり、レイスが魔法使いを理解する上で、重要な情報となっているはず。

「蔑ろにね………そうはまったく見えない。むしろ、こちらすら飲み込んでやろうという気概を偶に感じる。だからこそだが、どこか調子が悪いという事が分かってしまうと言えば良いのかな?」

 机に肘を突き、手の平を上に向けながら、そこに顎を乗せるレイス。視線はルッドに向いたままだ。

「調子って………」

 そんなことは無いと言いかけて、止まる。確かに調子が悪い。いや、狂っていると表現するべきか。

 朝から故郷の夢を見たせいで、どうにも心の芯が一本グラついている様な、嫌な感覚が常にあった。

「なるほど、ふむふむ。疲れているらしいね?」

「そう言われれば、そうかもしれませんけど………」

 ホームシックは精神的な疲労に入るのだろうか。聞いてみたい気もするが、口にすれば舐められるし、ルッド自身のプライドも許さないため止めておく。

「もうそろそろ冬だが………そちら、仕事の予定は?」

「減少傾向ですね。冬の商品輸送なんて仕事もあるんでしょうけど、今季はそれに手を出すつもりはありません」

 冬の輸送仕事は、吹雪の中を進まなければならない時もある。誰もやりたがらず危険な仕事であるため、見返りはかなり大きいのであるが、命を落とすというリスクが常にあるのだ。

 今は命を賭けてまで金銭を稼ぐ時ではないため、ノースシー大陸の他の住人と同じく、冬の間は町でゆっくりしておくしかないだろう。

「なら、温泉で休養などはどうだい? 私としても、同志には万全な状態を維持して欲しいからね」

 レイスが言う同志とは、ルッドの事を指す。何時の間にか、彼女はこちらの事をそう呼ぶようになっていたのだ。なんでも共にこの国に変化をもたらす同志だからとかなんとか。正直、そこはどうでも良い話である。

「温泉………ですか?」

「ああ。ゴルデン山の麓の村、ヴァーリには温泉が湧いていてね。元々は山への立入を監視している、駐在兵のための村だったんだが、今じゃあすっかり温泉地としても利用されている」

「へえ。なるほど温泉。ゴルデン山の近くなら比較的冬の寒さもマシでしょうし、良いことなのかな………」

「最近は暇な冬をそこで過ごすというのが流行だそうだ。なんだったら、向こうの宿を一つ紹介しようか? 湯にゆっくりと浸かれば、溜まった疲労もそれなりに取れるだろう」

 レイスの提案について、どうしようかとルッドは悩んだ。確かに、ちょっと朝から調子が悪いのはわかっているのだが、わざわざ温泉に浸かるほどのものなのか。

 一方で、確かにこの冬は仕事も少なく、長期の休養を取るのも悪く無い時期だと言える。仕事とはメリハリが大事。取れる時に休息を取って置くのは正しいことではあるのだろうが。

「その宿の名前を教えて貰えますか? 社に戻って、社長にも相談してみないと」

「ああ、いいとも。それくらいなら幾らでもね」

 温泉への興味は湧いているのであるが、とりあえず、それだけでこの話は一旦終わらせておくことにした。




「要は旅行だろ? 良いんじゃね、それくらいさ」

 温泉で休養する話を社長のキャルへと持ち帰ったルッド。話を聞いたキャルの答えはそんなものだった。

「えっと、行くんならそれなりの日数になると思うんだけど………」

「冬に仕事の予定なんてあんまり無いだろ。空いた日にち埋められるなら、良いことだって思うけどな」

 彼女の言う通りだった。暇な時間をどうにかできるのなら、休養も悪く無い。なんだか変な表現であるが。

「それじゃあ、まずは日程を決めないとね。秋が過ぎて冬の入り始めとかが良いかな。今は冬の間の日用品を買入れるとかで、まだちょくちょく仕事が入る予定だし」

「ああ、それで良いんじゃねえか? それとだな、家の玄関口あたりの鍵を頑丈なのにして置きたい」

「へえ。なんでまた」

 この家は一度、町の不良共に奪われた事があるため、戸締りについて心配するのは分かるものの、さっきまでの話とどう関わって来るのか。

「せっかくの旅行なんだ。全員で行きたいだろ? 留守番なんかさせずに、レイナラとダヴィラスのおっさんも誘ってさ、みんなで楽しんだら良いんじゃねえかな?」

「そっか。それもそうだね………そうしよう!」

 最近はますますキャルが社長らしくなったと感じる。まさか、社員の事まで考える様になっていたなんて。彼女はすっかりルッドとは違う方向での成長を果たしているのかもしれない。

(なら、僕はどうなんだ?)

 今さらホームシックに掛かった自分は、彼女などより余程駄目な人間なのではないか。そんな思いが頭を過ぎる。はやくこの感情を整理しなければ。




 暫くは穏やかな日々が続いたと言って良い。大陸北端の町へ行ったり、非合法組織に接触したりと言った、これまでの慌ただしい日常からは比べものにならないくらいの穏やかな日々。

 冬に備えるための買い入れや、社として使っている家の改装なども終了する頃には、丁度、社員旅行の時期がやってきていた。

「たっのしみよねー。あっちこっち大陸中回ったけど、あそこは初めてなのよ」

「護衛業なら…………ああいう観光地は…………良く足を運ぶもんじゃあないのか?」

「ホロヘイのすぐ近くじゃないの。みんなこの町までの護衛で終わって、ゴルデン山へは護衛を付けずに向かうのが普通でしょう?」

「ああ…………それもそうか」

 ゴルデン山の麓にある町、ヴァーリ。そこへ向かうまでの道中で、レイナラとダヴィラスが世間話をしている。なにやら護衛業が関わる話らしく、ルッドは会話に入っていけない。

 ホロヘイから近いと言っても、ヴァーリへ辿り着くには半日掛かる。今回は馬車を引いておらず、みんな徒歩であった。

 なので、それなりに暇なルッドは、同じく暇そうにしているキャルへと話し掛けてみた。

「ヴァーリって、結構有名なところなのかな? そりゃあ名前は何度か耳にしたことはあるけどさ」

 商人としてこの大陸にやってきてから一年も過ぎてしまった今なので、ホロヘイ近くの観光地については、結構聞き及んでいる。ヴァーリもその一つであった。

「うーん。最近は良く耳にするって程度だぜ? 一昔前……って、あたしが物心ついた頃だけどさ、あそこは神聖な土地だから、山道が開かれる時期以外は近寄らない方が良いみたいに言われてたよ。実際、あの村自体が、山道を封鎖させるために置かれた場所みたいなもんじゃん」

 ゴルデン山はノースシー大陸において、とても大切な土地であると言える。本来極寒であるはずの大陸内陸部に、温暖な風を送り込んでくれる重要な火山だ。勿論火山である以上、噴火や噴煙によって、近くの土地に害を及ぼす事はある。だがそれ以上に、この大陸では益の多い山なのだ。

(時に厳しい顔を見せるけど、基本的には多くの幸をもたらしてくれる。そりゃあ信仰されたり畏怖されたりするわけだよ)

 だからこそ、ラージリヴァ国の総領主一族が厳重に管理をしている。この山を管理することは、即ち、ノースシー大陸の統治者であることの証明なのかもしれない。

 一年に一回、山道を登る祭りがあるそうだが、それもまた、総領主一族が、年一回きりしかゴルデン山の登頂を許していないからであるらしい。

「そんな村が、なんで最近になって、なんでまた注目され始めたんだろうね。温泉なんて、昔っからあるもんじゃあないか」

「ああ。あっちに湯治場があるっていう話は、前からずっとだよな。確かになんでだ? 総領主様一行の御用達って噂はあったけどさ」

「それじゃあ、その御用達の噂が、完全に広まったのかもねえ」

 誰だって、目上の人間には嫉妬と共に、自分との共有した部分を作りたいと思うものだ。もし総領主一族と同じ温泉に入れたのなら、自らも彼らの仲間入りできるのではないかという幻想に浸れる部分があるのかも。

「…………感想ってそんなもんか?」

 不思議そうに首を傾げ、ルッドを見つめてくるキャル。いったいどういうことだ。

「そんなものって、感じたことなんてこれくらいしかないけど………」

 所詮は世間話上の意見だ。これ以上、何を言えと。

「兄さんなら、てっきり、この話には裏があるぞ。大きな陰謀が隠れているかもしれない!って言うところじゃねえの?」

「君はね、僕をどう思ってるんだ」

 なんでもかんでも裏があると考えて、その裏を探ろうとする。まるで頭のおかしい陰謀論者ではないか。そんな人種になった覚えなどない。

「けど、兄さんって何時もそんな感じじゃん」

「………否定はしない……けどさ」

 彼女の言うとおり、一時は周囲の動きや大きな組織の動向を見て、その裏側で起きたことを想定しながら、自分の利益になる様に行動していた。なんというか、傍から見たら、怪しげな人間だったのかもしれない。

「ここ最近は、普通に商売してたでしょ。まだまっとうだよ。僕は」

 変人として見られたくないという強い気持ちがルッドにもある。

「だから変なんだよ。何時もの兄さんは、こう、なんでもないことをあれこれ考える変な奴じゃん。どうしたんだ? 調子、悪いのか?」

「……………」

 キャルの物言いにショックを受けている。というのが実際だ。まさか彼女に変人だと思われていたとは。

 しかも最近はまともになったからと心配までされてしまった。これには言葉もない………のだが。

(ああ、そうだね。最近調子が悪いってのは本当だ)

 もしかしたら、本調子の自分は、今の自分でもおかしいと思える様な考え方や動き方をしているのかもしれない。

(だったら、確かに今のままじゃあ駄目なのかも………)

 これまで、ルッドは危機的状況に陥った事が何度かある。その度に、幾ばくかの幸運と自らの機転によって、なんとか助かることができた。だが、今はそうでなかったとしたら?

「さすがにさ………これから向かう先は休養場所なんだから、深く考えなきゃならない事態は起こらない………よね?」

「どうだろうな。何時もの兄さんなら分かるんじゃあねえの?」

 手厳しい意見をキャルから聞き、ルッドは肩を落とした。




 ゴルデン山がホロヘイの南東にある火山のため、ヴァーリの村も勿論ホロヘイの南東にある。

 火山直下のためか、他の地方より暖かい空気があるものの、本格的な冬が訪れようとしているノースシー大陸においては、まだまだ寒い。

 結果、ヴァーリの村にある温泉への魅力がさらに増すのだろう。

「湯気が凄いね。湯治場の壁に使われてる大理石の色と合わさって、こう……………うん」

「難しかったら、無理に表現しなくたって良いのよ?」

 ヴァーリの村へ辿り着いたルッド達。村の景色を見て、さっそくルッドはそれを表現しようとしたのだが、なかなか難しかった。

 白い大理石が、村のあちこちで立つ湯気の白さと合わさって、どこか幻想的な風景を作り出しているのだ。これだけでも結構な感動であるため、言葉で表現しようとしたが上手くいかない。どうにも語彙まで調子が悪くなってしまったらしい。

「まいったな………これでも口は達者な方だと思ってたんだけど………」

「だーからー、兄さん疲れてんだよ。ここでゆっくり休んでさ、英気を養おうぜ」

「それができたら良いんだけど………」

 思うところは幾らでもある。例えば自分の境遇だ。調子が悪いから一度休むというのは良くわかる話であるが、それだけで済む話ではない様に感じて、不安なのだ。

「………悪運が………強いからな…………あんたは」

 ダヴィラスが、恐らくこちらの背中をじっと見ながら話している。そうなのだ。それが心配なのだ。

 今まで自分は、あっちこっちに行っては余計な事件に巻き込まれていた様に思う。それが今回も起こらないとは限らないし、そうなってしまえば、今の自分が乗り切れる自信はない。

「あーもー、先の不安考えたって仕方ないでしょう? 少なくとも、ここには温泉に浸かりに来て、お酒も飲みに来た。違う?」

「お酒はともかく、確かにその通りですね。体を休めるために、頭を痛めるのは馬鹿な話です」

 レイナラの言う通り、問題は起こってから考えれば良いのだ。ヴァーリへの滞在予定は一週間。この一週間を平穏無事に、ゆったりと過ごすのがルッド達の目的である。

(そうして、できればずっと続いてるホームシックも、なんとかなれば良いんだけど)

 未だ夢に、故郷であるブルーウッド国の景色が浮かぶことがある。そうしてその夢を見るたびに憂鬱な気分になってしまうのだ。

 なんとかしなければならないと強く思うのであるが、思えば思うほど、仕事に身が入らなくなっていく感覚。

 これが、仕事が最盛期になる春や夏まで続けば、商売も勿論であるが、本来の仕事である間者の方にまで支障が出てしまう。

「それじゃあ、さっそく紹介された宿に向かおうぜ! ええっと、何とか言った名前だったけ?」

「『サラマンドラの息吹』って宿だよ」

 レイスに紹介されたその宿。それなりに豪勢であることを期待しながら、ルッド達はヴァーリの村を歩き出した。



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