第六話 ラージリヴァ国
船が港へと接岸された後、漸くと言った風に船から降りる乗客の、何番目かがルッドであった。降り立ったノースシー大陸は雪こそ降っていないが、厚着をしなければ耐えられない程に寒い。いや、厚着をしていても、どこにその様な隙間があるのかはわからぬが、風が隙を突いて、服へ寒さを差し込んでくる。
ブルーウッド国とは打って変わって植物の緑も少なく、痩せた土地が続いている様にも見えた。寒さは動物もだが植物も苦手だ。
(今、僕が居るのはノースシー大陸唯一の国家と言われるラージリヴァ国だ。国と呼ばれる以上、本当に痩せた土地だけがあるってことは無いんだろうけど………)
着いた港もそれなりに人口が密集している様に見える。名前は確かベイエンドという港町だったと思う。
これまで他大陸との交流が盛んでなかった以上、大陸近海を移動するための港だろうから、人の移動があるくらいには、国家として大規模であると予想できる。
(と言っても、船が一度に入れるのは2隻が限度。こっちが外洋用の船で来たっていうのもあるんだろうけど、船での輸送やらはあんまり活発じゃあないみたいだ)
港を良く見れば、主に漁船のために用意された物にも見える。もしかしたらこの港は、ブルーウッド国との交流が開始してから急遽改装されたものであり、本来の用途は地元の漁師達が小さな船を乗り降りする物だったのかも。
そんな風にベイエンド港を眺めながら、様々な事を考え込むルッドであるが、そんなことを無視して話し掛けてくる人間もいる。
「いよいよと言った気分ですな!」
ルッドと同時に船から港へと降りたエルファンであるが、彼は未知の場所への恐怖より、新たな土地への興奮が勝っている様だ。
「そうですね………さて、これからどうしますか」
ルッドはと言えば、恐怖や興奮よりもこれからどうすれば良いのかについて悩んでいた。商人を演じるのであれば、これからは商売をするべきなのだろうが、本来の業務である外交官としては、積極的にこの国で情報集めをしなければなるまい。
「船長に紹介された場所には向かわないのですかな?」
「そういうローマンズさんは、さっそく行くつもりなんですか? もしかしたら、危険な場所かもしれない。というか、十中八九、まっとうな場所ではありませんよ」
非合法な取引きが行なわれる場所となれば、どんな国だろうと安全な場所ではあるまい。向かうなら慎重にと思っていたのだが、エルファンは大胆にも真っ先に向かうつもりの様だ。
「危険云々は、この大陸へ足を運ぶことを決めた時点で、覚悟をしていますからな。ここで一旗揚げなければ、私の人生には後が無くなります。こうやって、遠出ができるのも私の年齢では限界が来そうですし………」
一世一代の賭けと言ったところだろうか。この商機を逃せば二度とチャンスは舞い込まない。そう自分に言い聞かせることで、むしろ大胆に動ける様になっているのかもしれない。
第一印象では商人としての才能は無さそうだと感じたルッドであるが、今のエルファンを見ると、そうは言えない雰囲気があった。
「なら、これからは別行動になりそうですね。僕も一応、違法な取引きが行なわれているていう建屋には足を運ぶつもりですが、ちょっと別の用件を先に済ませてからになりますから」
まずルッドが行なわなければならないのは、正式な外交官として先にこの大陸へと来ている、グラフィド・ラーサとの接触である。
彼にこの大陸へと到着し、間者としての仕事を開始する旨を伝えなければ、ルッドが仕事を放棄して逃げたと思われてしまうし、そうなれば、ルッドがどれだけこの大陸で頑張っても、すべてが無為に終わってしまう。
「そうですか。それは残念ですな。ですが、お互いが商人である以上、長く共にいるわけには行きませんから、こうやって早めに別れるのは良いことかもしれません」
エルファンはそう言うが、ルッドは本来外交官であり、商人のエルファンと居れば、得る物は幾らかあるだろうから、共に行動できるのならそれで良いと考えていた。虫の良い考えである。そんな上手い話は無く、エルファンとはここで別れることになるだろう。もしかしたら、もう二度と会うことは無いかもしれない。
「こちらも残念です。もし、どこかでまた会うことができたのなら、その時も宜しくお願いしますね」
ルッドはそう言って、エルファンに手を差し伸べた。確か初めて会った時は向こうからこうしてきた様な。
「ははは。状況によりますなあ。ライバルとして現れたのなら、容赦はしませんよ」
そう言いつつも、エルファンはルッドの手を握り返してきた。人の良い男であるのだ。そういう面で言えば、商人としての才能には欠ける部分があるかもしれないが、一方で、どこか嫌いになれない人物であるとルッドは感じていた。
「それじゃあここで。確か船長が言っていた建屋はあれですから、僕はまた違う方向に行きます」
「ええ。それでは」
お互い、そう言って別々の方向に歩き出した。立ち止まったり振り返ったりはしない。二人共、そうまでするほどに親しい間柄でもない。
そうして、向かう先への好奇心に胸を膨らませるのだ。これから何が待ち受けていても、それでも足を止めずに歩き続けるために。
と、意気込んでみても、目的地が急に現れる訳も無い。ベイエンド港を暫く歩いてから、こうやって歩き続けては足が疲れてしまうと考えて足を止めた。
「とりあえず、この国で外交官との交渉が行われる場所にでも向かうとか? いや、そもそもどこなのかが分からないし……向こうから接触してくるんじゃなかったの?」
未知なる土地で寂しく一人。今さらながらそれを実感する。若干であるが泣きそうにもなっていた。そんな時である。
「……! ………………!」
声を掛けられたのだと思う。しかも大声で。だが、その声の意味が最初はわからなかった。ブルーウッド国の言葉では無かったからだ。まったく別の国の言葉。ラージリヴァ国の言語だろう。その意味をルッドは勿論知っている。しかし頭の中の思考がブルーウッド国のままであったので、その意味を理解するのに時間が掛かったのである。
改めて聞いてみれば、こういう言葉になるだろう。
「よう! 漸く到着だな!」
「ラーサ先輩!」
良く聞いてみれば、声にも心当たりがあった。何かのテストのつもりだろうか、ルッドを待っていたグラフィド・ラーサは、現地の言葉で話し掛けて来たのである。
ルッドは返しとばかりにこの国の言葉で挨拶をする。
「探しましたよ。まさかこのまま、この国で放って置かれるんじゃないかと」
実に不安な一時であった。漸くグラフィドと会えたことで、ルッドは仕事を始められる。
「悪い悪い。船から降りた先で待ち構えて居れば、さすがに周囲から変に思われるだろう? 一応、お前は商人という立場で、こっちに知り合いは居るはずが無いんだからな」
確かに。出迎えとして現地の人間が立っていれば、いったい何者だと怪しまれることだろう。
「それと、反応に少し時間が掛かったな。この国にいるうちは、出来る限りこっちの言葉に頭を切り替えておけよ。その方が何かと良い結果を残せる」
有り難いらしい言葉も忘れない。嫌味か何かにしか聞こえないのであるが。
「事情はわかりましよ。忠告も聞き入れます。それでなんですが、さっそく報告したいことがあります」
「報告? 報告するための情報はこれから集めて行くんだろう? 今回はそのための事前準備のつもりだったんだが」
ルッドから話題を口にするのが意外だったらしい。事実、この国での最初の仕事は、グラフィドから正式に仕事の順序を聞くことからであるはずだった。しかし、船での一件から、事情は少し変わってしまっている。
「勿論、それもするつもりですが、船に乗っている間に面白い情報を掴んだんですよ」
ルッドは船で会った出来事についてグラフィドに話す。話の途中までは黙ってうなずいていたグラフィドであるが、ルッドが船長から聞き出した、このベイエンド港で行われる違法取引についての話をすると、急に話に割り込んできた。
「ちょっと待ってくれ。もしかしなくても、お前、その違法取引の現場に顔を出すつもりか」
「ええ。そのつもりですけど。せっかく引き出した情報なんですから、確認してみないと損じゃないですか。それに、もしその取引きが本当にあったのなら、うちの国の大商人の弱みを握れますよ」
そうすることで、ルッドが話した情報はさらなる価値を持つことになる。情報の価値が上がれば、それ即ち、情報を持って来たルッドの成果も上がるということだ。
「まあ………その通りだな。だが、危険な場所であることは理解しているか? この国に来てさっそく危ない橋を渡るってのは、どういう度胸から来るもんなんだ?」
「………そう言えば。いや、なんで自分からそんな場所に挑もうとしているんだろう。僕」
自分の大胆さに自分で驚く。そうして、そのことに気が付いて、考えを撤回しようとしない自分にも。
「もしかしたら……面白くなってきたかもな」
「はい?」
急に笑い出したグラフィドを、ルッドは訝しむ。いったい何が面白いのだろうか。
「案外、適材適所なんじゃあないかと思ったんだよ。それとも、この国の風に当てられて、考え方が変わったか?」
「風………ですか?」
「ああ。この国には風は冷たさと強さを運ぶなんてことわざがあってな。凍える様な風は、身体を苛むと同時に、心を鍛えあげる力もあるって意味だ。今までに無い考えが頭に浮かんできたのなら、それはこの国の風のせいかもしれない」
そうだろうか? そうかもしれない。ノースシー大陸。ラージリヴァ国の風は冷たく、立ち止まっていても体を刺す様なそれに、体全体を屈めたくなる。
一方で、立ち止まってばかりはいられないという事を、常に自分に言い聞かせてくるのだ。この冷たさは何もしないで居れば留まることは無い。自分の足で、目の前にある道を進み続けなければ、何時かは凍え死んでしまうだろう。
これからルッドが進むのは、北風が吹き荒ぶ道だ。だからこそ強くあろうとし、危険な行為であったとしても、立ち留まらずに歩き続けようとする意思を持てるのかもしれない。