第七話 ただひたすらに自らの道を進め
報告書を自分の懐に仕舞ったルッドは、さっそくそれを配達人へ渡すべく外に出ようとした。
だが、そんなルッドを玄関先に止める存在がいる。社長のキャルだ。
「なあ兄さん。ちょっと話を聞いてくれないか?」
自分の部屋で悩んでいた彼女だったはずだが、ルッドを待ち受けるために玄関近くに立っていたらしい。
「えっと………今じゃなきゃ駄目?」
「できれば」
話す時間なら、報告書を出した後に幾らでも用意できるのだが、どうにもキャルは焦っているらしい。
報告書自体も今すぐ出す必要は無いため、別に構わないかと考え、ルッドはキャルの話を聞くことにした。
「場所はここで良い? 長くなるなら、奥の部屋でした方が良いと思うけど」
「じゃあそれで……いや、とありあえず、決意だけはここで言っておきたい」
キャルはまっすぐにこちらを見つめてくる。あまりにもまっすぐ過ぎて、何も無いというのに、こちらが気後れしてしまう。
「あたし、やっぱり父さんや兄さんが危険な事をしようとするなら、止める事にした。どんな事情があったって、あたしはそういう立場だから」
キャルの言葉はあまりにも熱い感情が込められている。こっちまで焦げ付いてきそうだ。
「僕は危険を冒したって手に入れるべきものがあると思ってる。それでも止めたいっていうの? それが僕の意思に反することだとしても?」
「ああ。兄さんなら止めたって勝手に動くのは承知してるぜ? けど、それでもあたしは駄目だって言う。多分、それがあたしの勤めなんだからな」
なんだろう。期待に反する彼女の言葉だというのに、喜ばしいと思える感情がルッドの心中に込み上げる。
彼女はルッドに啖呵をきったのだ。ルッドと意思のぶつかり合いが生じた場合は、自分の意思を貫くと。
「………話は長くなりそうだね。分かった、部屋で続きを話そう」
ルッドは社屋の中でもっとも広い、と言っても、民家のリビングに相当する部屋に足を運ぶと、その中心に置かれた机近くの椅子へ腰を下ろした。
「まず先日、上着を無くして帰ってきた一件だけど、あれって実はどこかで転んだんじゃあ無く、3階くらいある建屋の窓から飛び降りたんだよね。上着はその時の支えに使ったから、ボロボロになっちゃってさ。なんでそういう状況になったかと言えば―――
「ま、待った待った! ちょっと待ってくれよ!」
まだ椅子にすら座る様子の無いキャルは、焦ったかの様にルッドの話を止めてくる。
「何いきなり語り始めてんだよ! 危ないことをするなら、あたしは止める側に立つって話のはずだろ!?」
「だから僕がどういう危険な行動を取ったかを説明してるんだよ。僕がどういう危険な行動をしているか知らないと、止めるのだって無理でしょ」
彼女はルッドが危険な行動をするのであれば、それを止めるのが勤めだと話した。それはつまり、ミース物流取扱社の社長としての役割を自分で決めたということだ。
「た、確かにそうだけどよ………」
「君はここの社長で、僕は君の部下だ。君がやりたいと思うことがあるのなら、僕は当然手伝うよ。ただ僕も一商人だから、自分の判断で利益を得ようと行動する。だけど、君には必ずその行動を報告することに決めた」
組織としてのけじめだ。情報の疎通を行えなければ、なんのための会社なのか。
「これはね、僕と君との勝負だ。情報は共有する。目指す物だって似たような物だろう。けれど、どう動くかは別なんだ。君が僕の行動を止めたいと思うのなら、そのために動けば良い。僕も好き勝手やるから」
ルッドの喜びは、競合者が同じ組織の中で誕生したことだった。勿論、彼女はルッドの味方であり仲間だ。だが、仲間と競い合ってはいけないなどということはない。
むしろ、自分を踏み台にしても成長しようとする仲間が出来たことを、とても嬉しく思えた。
「………分かった。じゃあ、さっきのどう危険なことをしたのかの続きを話してくれよ」
「うん。と言っても、既に色々と終わった後なんだけどね」
今回は、もう命を賭ける段階は終了していた。今さらキャルに話したところで、彼女が怒りだすかどうかくらいしか結果は変わらないだろう。
「あー、えー、ソルトライク商工会が、なんなんだっけ?」
「だから、架空の組織を作っていて、それでラージリヴァ国側を騙くらかすつもりなんだよ」
ルッドはこれまでの事情をキャルに話しているのだが、話しが込み入っているために、あまり理解が進まない様子。ルッドがブルーウッド国の間者であることと、彼女の父親に関することだけは、はぐらかして説明しているのも、理解を阻む原因となっているのかもしれない。
(と言っても、その二つに関しては、まだ話すべきじゃあないだろうし………)
結局は不完全な説明で状況を理解してもらうしかない。
「ソルトライク商工会は、ラージリヴァ国から金を騙し取るかもしれないって話だろ?」
「それは商工会があくまで穏便な方法を取る場合の話だね。個人的には、もっと別のことを狙っていると思ってる。特にザナード・ソルトライクはね」
ブラフガ党によれば、権力への欲求を持ち始めた男であるらしいので、ただの支援事業のためだけにラージリヴァ国の支援金を奪う様な男では無さそうだった。
「もっと大きなことを狙ってそうな気がする。例えばそれがどういう物かだけど、推測できる案が一つある」
その案は、先輩のグラフィドにすら明かしていない。ルッドだけが持つ情報と言えた。それをここでキャルに明かすのは、ミース物流取扱社こそ、ルッド個人が望む形で入った組織であるからだ。
自分だけの情報を自分だけの利益に還元できるのは、この組織をおいて他に無い。
「なんかドデカい話になってきたな」
「最初から大きな話だよ。だから命を賭ける価値があった」
「命に代わる価値なんて無いと思うけどなー」
じと目でこちらを見てくるキャルであるが、今はそれを無視する。もっと重要な話題があるのだ。
「ラージリヴァ国が商工会の用意した架空組織に支援を行った場合、金銭を奪われる以外にも、大変な失態を犯していることになるんだけれど、それは分かる?」
「ちょっと待てよ…………お金を無駄遣いしたこととかか?」
「正解。国が国庫に所有する金銭っていうのは、基本的には自国領からの収入があるけれど、国民から得た税金なんかも多く含まれている。それを無駄に使ったっていうのなら、多くの人間から非難の対象となってしまうんだ」
この問題に比べれば、金銭がソルトライク商工会へ不当に渡ってしまうことなど些細な事だ。
自らの失態によって金銭を無駄に使用し、それを国民から非難されれば、統治者側の権威が落ちてしまうのである。権威が落ちれば権力も揺らぐ。結果、支援事業に対するラージリヴァ国への信頼も損なわれることとなるだろう。
「そうして、その後の世論に少し手を加える力があるのなら、こういう反応を引き出せるかもしれない。支援事業なんかの専門的な知識が必要な事は、専門的な知識を持つ組織に任せるべきなんじゃあないか? 例えばソルトライク商工会みたいな、なんてね」
国の機能の一部を担うというのなら、それは権力を手に入れることと同義だ。もしザナード・ソルトライクが権力者の地位を欲しているとしたら、そういう手も考えられる。
「その結論を手に入れるために、あちこち走り回ったってことかよ。そりゃあ凄い話かもしれないけどさ、あたし達の何の関係があるんだ? 情報だけ集めて何の影響も無いなんて、無駄足も良いとこじゃん。それのために危険な目に遭ったって言うなら、もっと駄目だろ」
「まったくだよ。ここで終われば本当に何もかも無駄になる。けどね、ここで終わりじゃあないと思うんだよ」
ルッドはニヤリと笑う。ここからがルッド達にとっての本題だ。自分達の商売に大きく関わってくるのはこれからだ。
「ソルトライク商工会には、まだ考えがあるってことか?」
「いや、そっちじゃあない。ラージリヴァ国の方だ。ソルトライク商工会は、まだ権力を持つ側の考えを良く理解していないらしい。その考え違いが、きっと問題を引き起こす」
そうして生じる問題こそが、ミース物流取扱社にとっての利益になるのだ。
「へえ。勝手にその問題が起こるんなら、あたし達は何もしないままで良いのか?」
「いやいや。情報を持って行動するからこその利益だ。恐らく春先までに準備を終えれば、僕らにとって有利な状況になると思う」
だからこの冬が正念場だ。少々高い買い物をする必要もあるが、それに見合った対価を手に入れられる展望はある。
「具体的には、社有の馬車を手に入れることかな」
「馬車!?」
ルッドの手持ちと、ミース物流取扱社が持つ資金を合わせれば、買えない代物では無い。ただ、有効活用できなければ大損になってしまうが。
「できればソルトライク商工会が関わらない馬車が望ましいね。真っ先にやることは、そんな馬車を売っている店を探すことだ」
これからが面白くなってくる。将来に良いことが待っていると分かるのは、気分の方も高揚するものだ。
ただし、ルッドの予想が的中するのであれば、ラージリヴァ国全体としては悪い方に向かう事になるのだろう。
季節が過ぎて春がやってくる。冬の中頃から始まった国や商工会が行う造船への支援事業は、時間が過ぎるにつれ、支援対象として不備のある組織に対して、ラージリヴァ国が迂闊に支援金を渡してしまった事で、税を無駄に使用したという国に対する糾弾事件へと変化していった。
その裏ではソルトライク商工会の動きが見え隠れしており、彼らも同じく不備のある組織を支援していたはずが、その事実が巧妙に隠され、同じ支援事業を行うのであれば、現場を良く知っているソルトライク商工会に一任すべきでは無いかという世論が醸成されていく。
ここまではソルトライク商工会の目論見通りだったのだろう。彼らはラージリヴァ国が、近いうちに一部事業の委託を頼みに来るとほくそ笑んでいたに違いない。
だが、やってきたのは一枚の命令書だった。ザナード・ソルトライク氏の引き渡し命令。彼は国家に対して詐欺を働いた容疑で、ラージリヴァ国の兵士たちにより、ラージリヴァ国の王と言える総領の館へと連れられて行った。
そうして二度と商工会へ帰ってくることは無かった。容疑を自白したという話だけが伝えられ、本人が姿を現すことすら無かったそうだ。
まさに権力者の暴虐。自分達にとって厄介な対象をその力を持って、正当性無く消し去る行為は、当然ながら反感を呼んだ。
そしてラージリヴァ国はその反感を承知している。人々の敵意が自分達へと向き、それが国内の混乱となって広がることも。
だが、それでも他者が自分達の権力に割り込むよりかは随分とマシだ。そう考えての暴挙だったのだ。強烈な指導者を失ったソルトライク商工会は、近い将来、その力を必ず凋落させるだろう。その結果に比べれば、一般人の反感はまだ安い買い物だ。
その様な陰謀や策謀が渦巻く中で、ルッド達にとっては既に終わったことであるこの事件を、人々はこう呼ぶ様になった『造船事変』と。
まあ要するに、起きた混乱は安い買い物でも何でもなく、もっと広範囲へと伸びる、大混乱への幕開けでしかなかったのである。