第六話 消えぬもの
魔法使いは現れず、村人が消える事件も無い。セイタンの村での滞在中は、奇談講話と商売の話だけで終わった。
吹雪は一日で止み、商売が終われば、すぐにルッドはホロヘイへと帰ることになる。馬車を準備し、毛長馬の調子も良い。出発するに問題無く、滞在する理由も無かった。
「すみません。帰りの準備まで手伝っていただいて」
村を出るルッドへの見送りと表現すれば良いのだろうか、数人の村人が、村を出ようとするルッドの手伝いをしてくれた。
その中には滞在中、世話になった村長もいる。
「冬の内は商人への親切を忘れずにというのが、この国の風習じゃからして」
こうまでされると、冬の商人というのも悪く無いとルッドは思ってしまう。ただ、遭難しかけたことを思い出して、ルッドは考えを改める。
(いけないいけない。彼らが親切にしてくれるのは、それ相応の危険を僕が冒しているからだ。要するにギブアンドテイクなんだよ)
必要以上に感謝の念や義務感を覚える必要は無い。そうやって深みにはまれば、何時かは命を落とす危険性だってあるのだから。
「それじゃあ、さっそく出発します。また天候が悪くなれば大変ですしね」
「おお、そうじゃな。ふむ、ついでと言ってはなんじゃが、これも持って行ってくれんか?」
村長はそう言うと、馬車に乗り込むルッドへ粘土細工の様な塊を渡してくる。辛うじて人型であることはわかるが。
「なんですか? これ」
「村のお守りみたいなもんでのう。こう、村の名産品にならんもんかと」
まあ、作りは細かく、面白い絵が彫られているので、売れない様な代物では無いだろうが。
(マーダの村で作っている様な石細工と比べれば、品質は随分と落ちるなあ。名産品として売り抜くには問題あると思うけど………)
口にはすまい。一つだけ渡されたということは、本当にお守り代わりとして渡されたと思っておく。
「とりあえず、これは貰っておきますね。なんなら宣伝でもしておきましょうか?」
「そうしてくれると助かるのう。生活を向上させたいというのは、誰しもの願いじゃからして」
売れるかどうかは知らないが、こういう商品がこの町にあったと喧伝するのは商人としてやっておくべき話だろう。それを話の切っ掛けにして、他の商人と人脈を作りあげることができるかもしれないし。
「それでは。村にいる間はありがとうございました。もし機会があれば、また宜しくお願いしますね」
ルッドは別れの言葉を告げると、村長は頷き、ルッドに同じく別れの言葉を返してきた。
「ああ。機会があればのう。まあ、あまり無さそうではあるが」
どうにも歓迎されていなかったのだろうか。ルッドがもう一度この村に来る可能性は少ないだろうとの答えが、村長から返ってくる。
(なんだろうね………僕自身どうしてだか、この村で過ごす間、酷く疲れた印象がある)
村から馬車を出し、そのまま街道を進むルッドであるが、セイタンの村にいる間、十分に休みをとったはずなのに、どこか精神的な疲労を感じていた。
ホロヘイに戻るまでの道中は、基本的に問題無く進めた。低温の中で酷使した結果、馬車の一部が破損し、毛長馬の調子が若干悪くなったのは、問題の内には入るまい。
とにかく五体満足で町に帰れたことこそが重要だ。馬車を返却しに向かった際、貸し馬車屋の店主には驚かれて、その後に随分と評価された。どうにも失敗するだろうと見られていたらしい。
一応、馬車の修理代金を払っても、十分に利益は出ているのだし、今回の商売は成功だったと言って良い。ただ、セイタンの村で商品の代金として貰った金貨を、馬車の修理賃として渡したところ、怪訝な表情をされる。
「これは……随分と古い硬貨だな。歴史があって閉鎖的な村で商売をすると、こういう貨幣が出て来るもんだが。それにしても相当に古い」
「そうなんですか? だいたい、どれくらい前に鋳造されたもので?」
「ざっと120年くらい前に作られたもんだな。安心しな、これは混ぜ物が少ない時のもんだ。ちゃんと金貨として機能するぞ」
それを聞いてホッとする。国が作った貨幣というのは、国家が保障する形でその価値を生むものであるが、価値の背景にあるのは、貨幣に使われている貴金属であろう。それに不純物が意図的に混ぜられていれば、その貨幣の価値は減じてしまう。
商売の取引において、額面上は利益を出していたとしても、実際はそうでも無いということが多々あるそうなので、今後は注意して商売をしたいところだ。
(貨幣の判断基準なんかも学んでおかないとなあ。この国の貨幣が時代毎にどう変遷しているか……いっきに学べる術があるものなのか)
課題がまた一つ増えた。事が生活に関わる物であるため、気苦労が増えても気が抜けない。
「それにしても、どこの村で商売したんだ? こんな古いのがまだ残ってるなんて」
「セイタンって地域にある村ですよ。ホロヘイからも比較的遠く無い場所の村でして―――
「ちょっと待て、セイタンと言ったな? あそこには村なんて無いぞ?」
怪訝そうな表情で店主がルッドを見てくる。しかし納得できないのはルッドの方だ。
「無いって……僕が自分で行ったんですから間違いありませんよ。その金貨が確かな証拠です」
往きに関しては、道に迷った結果その村に辿り着いたわけであるが、帰りはちゃんと地図を見ながらの帰還であったため、ルッドはセイタンという地域に居たことがしっかり確認できている。
「んなこと言ったって、俺なんかは馬車屋だぞ? そんなところに村があるのなら、知らないわけがない」
それはその通りだ。ホロヘイの町の貸し馬車屋は、各集落を街道で繋いでいる存在であるため、ホロヘイの近くにある村を知らないというのはおかしい。
「じゃあ……僕がいた村はいったい?」
「さあなあ。ま、商売で利益が出たってのは確かなんだろ? なら、それで良いんじゃないか?」
店主にそう言われても納得できない自分がいる。確かに自分は、セイタンの村で取引をしたのだ。それがどことも知れぬ村だったと結論付けるのは、中々に抵抗のある事実であった。
「そりゃあ兄さん。白霧の村に迷い込んだんだぜ。きっと」
ミース物流取扱社へと戻ったルッドは、さっそく社長に帰還の報告と、起こった不可思議について話をしていた。
帰ってきたルッドに対して、キャルは嬉しそうな顔をしたものの、一番初めの話題が商売の結果が黒字か赤字だったかであり、彼女も随分と商人らしくなったと思う。
そうして次の話題は、ルッドが立ち寄った村がいったい何であるかというものであった。
「白霧の村? どういうものなの、それ」
キャルの口から聞き慣れぬ言葉が出て来たため、疑問に思うルッド。
「兄さんは外来人だから知らないみたいだけどさ、こっちじゃあ昔話なんかで良く話をされるんだよ。兄さんが商売に出た時みたいな冬の日。吹雪の中で彷徨い歩いていると、民家の灯りを見つけるんだ」
「………それで?」
キャルの語りだしは、セイタンの村を見つけた時のルッドと同様の状況であったため興味が湧く。
「その村は一見、どこにでもある閉鎖的な村らしいんだけど、村に立ち寄った旅人は、村で妙な体験をすることになる」
「妙な体験って………例えばどんな?」
何故か頬を汗が伝う感触がした。妙な体験。いやいや、あの村では奇談を聞いたくらいで、自分はただ一夜を過ごしただけだ。そのはずだ。
「話によっちゃあいろいろだな。例えば、何時の間にか村人が全員居なくなっているとか、怖い化け物に襲われるとか。基本的にはそれでも無事で帰れて、後から地図で確認すると、そんな村存在しないってオチになるんだけど………」
「なんだけど?」
何か思わせぶりな溜めを付けるキャル。そういうのは止めて欲しい。本当に怖くなってしまうではないか。
「無事に帰った奴しか噂話なんて残せないじゃん。もしかしたら、帰れないまま村ごと消えちまった奴とかが居たりしてな」
キャルの話に背筋が震えた。何だろう。もしかしたらルッドも村ごと消えていたのか。そういう危険は無かったはずと思うのであるが、どうにも記憶の中に引っ掛かりが存在し続けているのだ。
「止めてよ、そういう話は。こうやって無事、ちゃんと商売を成功させて帰って来たんだからさあ」
あまり深く考えたくない話題だったため。どことも知れぬ村の話は、これで切り上げておくことにする。ちょっとした幸運に恵まれて、商売品が高く売れる村に辿り着けた。それだけの事だと思えば、まだ良い話で終われるのだから。
「ははは。仕返しだっての。あたしを置いて行ったから、そういう怖い目に遭うんだ」
「あのねえ。商売に出る前にも言ったけれど、君をここに置いて行ったのは、ちゃんと合理的な理由があったからで―――
「わかってるよ。だから話だけで済ましてるんだろ? それに、白霧の村に纏わる話は、何も怖い話だけじゃあ無いんだぜ?」
笑うキャルが、引き続き白霧の村についての噂を口にする。
「白霧の村に迷い込んだ旅人の中には、確かにその村があった証拠として、村の中にある小物を持ち帰るって話もあるんだよ」
「へえ。それで、持ち帰った結果どうなるの?」
「その小物を持っていると、幸運が舞い込むんだとよ。話に寄っちゃあ、その後、大富豪になったっていう終わり方もある」
確かに、幸運な話題ではあるだろう。苦難を乗り越えた結果、他者に無い利益を得るというのは、昔話では良くある話なのだが。
(白霧の村っていう昔話も、そういう類のものなんだろう。冬に旅をするという苦難の中で、新たな利益を見つけ出す。そういう教訓話なんだ、きっと)
だから、今回ルッドが立ち寄った村とは関係の無い話なのだろうと結論付ける。まさか自分が、昔話の世界に迷い込んだなどというのは、信じ難い話であったから。
(けど………白霧の村から小物を持ち帰ったら幸運が舞い込むっていうのは……うん。確かに良い話だ)
ルッドは自分の服にあるポケットの一つを探る。そこには、セイタンの村で渡された人型の粘土細工が、消え去りもせず存在しているのだった。