表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北風の道  作者: きーち
第一章 いざ北海へ
3/97

第三話 船での騒動

 船内の怒声を聞いたのはルッドだけでは無かったらしい。船内の一室から聞こえたその声。それを元凶に集められた人間が、ルッド以外にも存在していた。

 ルッドの他に船員が2人と乗客が3人。部屋の扉の前で、船員の1人に対して乗客の1人が怒声を上げており、他の人間がそれを遠巻きに眺めているという状況だ。

「おい! どうなってるんだこの船は!」

 怒鳴る乗客はルッドよりは年が上だろうが、かなり若い。あちらもまた見習いの商人と言ったところか。この商船に乗ったのも、エルファンの言葉を借りれば若さ故の熱情からなのかもしれない。

 そんな客が怒鳴っているというのは、まあ、理由はどうであれ有り得そうな光景だ。だから船員の方の対応も手慣れている。

「お客さん。どうなってると言われても、俺達は普通に仕事をしていただけさ。船だって、外洋への航海には耐えられる程度には頑丈だ。文句なんて言われても困るってもんだ」

「船の安全の話をしてるんじゃあない! この船には、昔何かあったんじゃあないかと聞いているんだ!」

「昔って、それほど歴史のある船でも無いんだがね」

 二人の話を聞いているだけではさっぱりわからない。ルッドは周囲で先に状況を見ていたらしき乗客に聞いてみる。

「いったい何の騒ぎなんです?」

「ああ、なんでも、あの男が幽霊を見たらしい」

「幽霊!?」

 思いも寄らぬ言葉に驚くルッド。幽霊とはまた、おかしな話もあったものだ。

「あのなあ、お客さん。幽霊船ってのは船自体がそういうもんってのが相場で、うちはそんな幽霊を見たなんて話も無いし、過去に何かあったわけでも無い。変な言い掛かりは止してくれないか」

「嘘じゃあない! この目で本当に見たんだ! こんな部屋に何日も居てられない! せめて別の部屋にしてくれよ!」

「べ、別の部屋って言ってもよお………」

 鬼気迫る表情の乗客に、押され気味の船員。これはもしや、本当に幽霊とやらを目撃したのかもしれぬ。

「あのう、見た幽霊っていうのは、どんなのだったんですか?」

 興味が湧いてきたので、ルッドは乗客に尋ねてみた。別にルッドは幽霊とやらを信じているわけでは無いが、面白そうな話題だと思ったのだ。数日間の暇な航海の中で、不謹慎であることは分かっているが、良い暇つぶしを見つけた気分だった。

「な、なんだ君は」

「同業者ですよ。商人のルッドと言います。それと、別に話が嘘だと思ってるわけじゃありませんから。本当に幽霊が出たのなら、他人事じゃあないですしね」

 とりあえず言い繕って話を進めさせる。ここで話が止まってしまえば、随分とつまらない状況になるではないか。

「………部屋の窓に映ったんだよ。人影が」

「部屋の窓に?」

 この乗客がいる部屋は、甲板から上に出た形になっており、外を覗けるガラス窓が付いていた。

「それって、単に窓の外を誰かが通っただけじゃあ………」

「いや、この部屋の窓は、そのまま船の外側になってる。足場も無い」

 ルッドの言葉を否定するのは、先程、乗客に怒鳴られていた船員だ。言われてルッドが部屋を覗きこむと、部屋の奥にその窓があり、良く見なければわからぬものの、確かに足場は無さそうだ。

「じゃあ、本当に幽霊なのか………」

「だからそう言ってるだろ! とにかく窓の無い部屋を代えてくれ! 頼む!」

「と言ってもねえ、空き部屋なんて無いんだが………」

 困り顔の船員を見て、ルッドはあることを思い付く。

「なら、僕の部屋と交換したらどうですか? 確か僕の部屋には窓が無い」

 幽霊とやらを見たくなったルッドは、これ幸いと部屋の交換を申し出てみる。

「お客さん、本気かい? そりゃあこっちは助かるが、わざわざ文句が出ている部屋と代えるなんて………」

「別に構いませんよ。あなたもそれで良いですよね?」

「あ、ああ。そうしてくれないか。とてもじゃあないが、この部屋の中じゃあ休めない」

 乗客のその言葉で決定する。ルッドは幽霊が出るという船室で泊まることになったのだ。普通なら怖がるような状況なのだろうが、むしろ、暇な船旅に良い刺激となる状況になったと、喜ばしい気分であった。




「それで、部屋を交換することになったと? 勇気というより蛮勇に近いですぞ」

 船内であったことを報告に戻ったルッドに、エルファンはそんな忠告を口にする。確かに幽霊が出るという部屋に自分から入るなど、本当であれば愚かな行為かもしれない。

「もしかして、ローマンズさんは幽霊なんて信じてるんですか? そんなのいるわけないでしょうに」

「そういうあなたは信じていないと? であれば、ますます部屋の交換を申し出た意味がわからないですな。何故、その様なことを?」

「面白そう……と思ったからですかね? 幽霊を見たと言う乗客は、どうしてだか本気に見えました。一方で、幽霊なんているわけないと僕は考えているんですから、幽霊にはまた別の正体があるはずです。それを探るには、幽霊が出たとかいう部屋に泊まってみるしかないじゃないですか」

 いったい、あの乗客は何を見たのか。単なる見間違いか、それとも別の何かか。本当に幽霊だったら、それはそれで自身の価値観が大きく変わりそうで面白い。数日間の船旅を飽きずに過ごせそうな謎がそこにある。

「つまり、何かがあって、それは幽霊などという単純なものでは無いと考えているわけでしょうか? ううーん。おかしなことを考える人だなあ」

「ローマンズさんは気になりませんか? 幽霊の正体」

 てっきり、エルファンも自分と同じように興味を持ってくれると思ったのだが、どうにもそうで無い様子。

「仮に正体がわかったとして、何の利にもなりますまい。そんなことに心を騒がせては、疲れて商売の方に熱が入らないと思うのですがねえ」

 商売にならぬ話には熱意が湧かないらしい。先ほどまでは、あれだけ熱く語っていた人間の台詞とは思えない。

「商人っていうのは、みんなそんな感じなんですか?」

「みんなとは、あなたもそうでしょうに。と言っても、まだまだ経験を積んでいませんからな。仕様がありません。だが、この商売を続けていると分かるものです。あれやこれやと感情を向けていると、心の方が持たなくなる」

 そう言われても、ルッドの本質は商人で無く外交官だ。些細なことでも興味を持ち、深く追求するその性根こそが、外交という場で新たな道筋を生み出せる。先輩からはそう教わって来た。

(今回の件もそうだと思うんだけどね。ノースシー大陸に向かう船の中での幽霊騒動。単なる騒ぎじゃあ無く、何かしらの意味があると思うんだ)

 もしかしたらその意味とは、これから向かう大陸に大きく関わって来るかもしれない。そう思えば、たかが幽霊にも興味が湧いてくるのだった。




 交換された部屋を見るに、ルッドが借りた部屋よりも上等な物である。窓が備え付けられている分、他よりも広く感じるし、部屋自体も小奇麗だ。

「こりゃあ、もしかしてうちの組織がお金をケチったかな?」

 どう考えても、この部屋は他の部屋よりも割高で設定されているはずだ。そうして、その部屋にルッドが泊まらなかった以上、その高い値段を外交官邸が用意しなかったことになる。

「大陸に向かう新人に、少しは楽させてやろうとは思わないのかなあ―――って、うわっ」

 ベッドに腰を下ろそうとして、その柔らかさに驚く。どうやら部屋に用意されたベッドもかなりの高級品らしい。こんなベッドで眠れれば、快眠間違い無しである。

「もしかしたら、この部屋だけが特段高いのかもね。だったら、上司の人達を恨むことはできないか」

 適当な値段の部屋をルッドにあてがっただけで、高級な一等室を選ばなかっただけなのかもしれない。そう思って納得することにした。どうせ向こうの大陸に行けば、先輩や上司達を恨む機会は何度でも発生するのだ。何も今から心を苛立たせる必要は無い。

「さて、とりあえずは部屋の探索かな?」

 幽霊の正体がそれだけで分かるかもと思って、まずは窓付近を調べる。窓は確かに船の外側へ繋がっており、足場らしき物は見つからない。この窓に人影が映れば、それは普通の人間とは思えないだろう。

「けど、この窓って結構汚れてるよね。人影を何かと見間違えた可能性も十分にある」

 航海をする船だからこそ、窓が潮風に汚れていた。窓の位置が位置なだけに、掃除をするのも一苦労だろう。

「他に気になるところは……まあ、特別、変に思うところは無いかな?」

 部屋はさっきまでの部屋よりは上等な物だが、それでも船の一室だ。それほど大きくも無く、探索するにもできる範囲が限られている。

「調度品は物置箪笥に、何に使うか分からない箱と籠。ううーん。幽霊に繋がる手掛かりなんて無いか………」

 そもそも幽霊は窓の外に現れたそうだから、部屋の中には幽霊に関わる物は無いのかもしれない。

「さて、考えてみよう。外に幽霊が現れた。見た人間があれほど取り乱すからには、何も見なかったわけじゃあないんだろうさ。なら考えられるのは、勘違い、幻覚、そして本物。この三つだ」

 勘違いは要するに窓に映ってもおかしく無い物を、人影と間違えたという物。例えば、海から跳ねた魚が窓に映ったのかも。

「………さすがにこの高さを跳ぶ魚ってのもいないかな?」

 ルッドのいる部屋は甲板よりも上にあり、船自体もかなりの大きさであるため、窓に映る程に水面から跳ねるというのは、考え難い。

「幻覚って線はあんまり考えたくないな。なんでもありになっちゃうし」

 幻覚であるならば、空の上に突然ドラゴンが現れて、炎を吐き散らしながらダンスを踊る光景も有りと言えば有りになってしまう。勿論、それを見ている本人だけの世界でだが。

「そして三つ目の本物である可能性。勿論、幽霊じゃあ無く、本物の人間である可能性だ。例えばこの部屋の上にあたる部分から落ちたとかは考えられかな?」

 考えて、それは無いと考え直す。確か幽霊を見た乗客は、人影が暫く窓に映っていたと話していた。一瞬だけ窓に映ったのなら、見間違いだと思うのが普通であろうから、その発言については確かだろう。上から落ちた人間が、ずっと窓に映ることは無い。そもそも人が船から落ちれば、何らかの騒ぎになるはずである。

「なら、窓の外にずっといる方法があるかもしれないってことか。ちょっと、外に出て確かめてみよう」

 甲板から出っ張った形になるこの部屋であるが、甲板に直接出る扉はない。船室が並ぶ廊下へと一旦出てから、さらにその廊下を暫く歩いて、漸く甲板へ辿り着ける。廊下には甲板よりも下へと降りる階段があり、そこにある部屋の一室が、ルッドが元々泊まっていた部屋であったはずだ。

「なんというか、さっきの部屋自体が、船にとって付け足した様な印象があるなあ。商売のために、豪華な客室を後から付けたとか?」

 と言っても、この船は客船で無く商船が本来の仕事だから、その様な付け足しが必要かどうかは怪しいものだ。

 色々と考えながら廊下を歩き、甲板の外へとやってくる。外はすっかり夜中も夜中で暗い。これはかなり注意して歩かなければ危険だろう。

「確か外からだとあの部屋は……あそこあたりか」

 廊下の外側を辿り、部屋のある部分までやってきた。窓は船の外側にあるためか、甲板からでは見辛い。少し乗り出して見ようかと手摺りに手を掛けた時、空の上から声が聞こえた。

「君! 夜のそこは危ないからどきたまえ!」

「え!? 空から声!? まさか本当にドラゴン!?」

 空からの声に驚くルッドだったが、その空から降って来たのはドラゴンで無く、人間だった。

「ドラゴン? ああ、確かに海の男はドラゴン程に強い存在だ。特に私は! 男の中の男と言える存在は、ドラゴンをすら凌駕するかもしれない!」

 空から降り立った男は、非常な程に体格の良い男で、日焼けして夜でもその黒さが分かる。

「ど、ドラゴンをすらも? 確かに、空から降りてそのまま着地なんてのは人間技じゃあ……って、ああ、あのマストからそのロープでか………」

 男は空から降り立ったのでは無く、帆船であるこの船のマストからロープを下げて、それを滑って降りて来たらしい。それにしたってかなりの離れ業であるが、人外の動きという程では無いだろう。

「そうだ! このロープでだ! だが、ロープと言ってもただのロープでは無いぞ?」

「……自分の血と汗が滲んだ命のロープだとか言わないでくださいよ」

「…………」

 黙ってしまった。見るからに怪しい相手であるが、こういう手合いは、むしろ何をしてくるかを予想し易かったりする。

「……そうだ! このロープは船員の命を守る大切なロープなのだ! このロープ一本だけで、生死が分かれる事態にもなる!」

 めげずに叫び続ける色黒の男。服装からして船員の一人だろうか。それはまたなんとも怪しい人物を雇ったものだ。雇用主は何を考えているのだろう。一言船長に文句を言いたくなってきた。

「それで、いきなり現れたあなたは何なんですか?」

「どうして誰なんですかと聞かない? そっちの方が人間に尋ねているみたいで自然だろう? ちなみに誰だと問われれば、この船の船長だと答えるが。何故だ、どうして頭を抱えている」

「いえ、ちょっと世の中の理不尽に負けそうになりまして」

 世界というのは、こういう男を船長にするために回っているのだろうかと疑いたくなった。明らかに船長どころか一般人としても不適合者なのに。

「そうか、世界というのは時々試練を与えるものだ。だが、それを乗り越えてこそ海の男と言える! 君も私の様に、様々な苦難を物ともせず、強い男になりたまえ!」

 別に目の前の男の様になりたいとは思わない。むしろなるものかと心に誓う。

「それで、あなたが仮に船長だったとして………」

「仮にでなく船長だ。疑うならそこらにいる船員に聞いてみたらどうだ。何故そんな表情をするのかは私には皆目見当が付かないのだが、酷く嫌そうな顔をしながらも、私を船長だと呼んでくれるぞ?」

 船員達からしても、この船長は納得できかねる配置らしい。となると問題はこの商船の持ち主にあるのだろうが、こういう人物に商船の船長をさせている以上、そちらも普通の感性ではあるまい。

「で、その船長さんがいったい何の用ですか?」

「勿論! 船長として、乗客の安全を最優先せねばならない! そんな私の前に船の手すりに掴まろうとする人間がいれば、注意するのは当たり前だろう!」

「つまり、僕が心配になってマストから降りて来たと?」

「その通りだ!」

 胸を張って答える船長。しかし………。

「その割には、声を掛けてくるのが遅かったんじゃないですか? こんな真夜中に素人が甲板を出歩く時点で危ない行為ですし」

「………声を掛けるのが遅れたことが、そんなに不満かね? ならば謝らなければなるまい! 海の男だってできることには限界がある! それを認めよう!」

 大声を張り上げる船長。もしかしたら船中に響いているやもしれぬ。ただ、他の船員にとっては慣れたことであろうから、その作業に一切の支障は無いはずだ。理不尽に対する耐性が出来ているとも言える。

「なるほど。ただ単に声を掛けるのが遅れたからだと」

「そう、その通りだ! ごめんさい!」

 頭を下げるのも素早く大袈裟だ。そのまま土下座にでもなるかもしれない。しかしルッドはそれを止める一言を口にしてみた。

「てっきり、僕の行動がそっちにとって嫌な行動だったからだと思っちゃいましたよ。調べて欲しく無い場所に誰かが来たからだとか」

「な、ななな、なんのことかね!?」

 なんというか、ここまで動揺されると、こっちが悪いことをしたみたいに思えてくる。ただし、今回の件については悪いのはあちらだ。

「………なんでもありません。確かにここは危ないですね。部屋に帰ることにしますよ。海の男は………これからも仕事ですか?」

「あ……ああ! そうだとも! 船は夜も動き続ける! 船員個人は眠らなければならないが、海の男という総体は何時でも半寝なのだ!」

 もう海の男という単語の意味がわからなくなってきたが、逆に良くわかったことはある。それは、幽霊騒動の原因は船長にあったということだ。




 部屋に戻ってから考えることは、何故あの船長が幽霊騒ぎを引き起こしたかということだった。

 幽霊の正体自体はもう既にわかってしまったのだ。あの船長が船のマストからロープを垂らし、部屋の窓付近でぶら下がっていた。それを見た乗客が、人の立てぬ場所に人がいると騒ぎ立てただけなのだ。

 しかし、正体が船長と分かっても、どうしてそんなことをしたのかという疑問が別に浮かび上がってくる。

「何の意味も無く……ってことも、あの船長なら有り得そうだけど、とりあえずそれは考えないで置こう」

 では、どうして窓の外でロープからぶら下がっていたのか。単なる偶然か何かであるなら、自分から名乗り出ているはずだ。幽霊を見たから部屋を代えろという騒動を、船長の一言で解決できるのだから。

 しかしそれをしなかったと言うことは、口にできない事情の元で、窓の外にいたということだ。

「乗客を監視するためとか? いや、あの窓から覗いて居たら、すぐそこにいることがバレるじゃないか。となると、むしろ見つかるためにあの窓の外に居た? いったい何のために………」

 実際に見つかった時、何が起こったか。見た乗客が幽霊と見間違えて、部屋を交換してくれと騒ぎだした。それが船長の狙いだとしたら、その幽霊は自分であると名乗り出るはずが無い。

「つまり、幽霊騒動はこの部屋から乗客を追い出すために船長が仕組んだもの? この部屋には乗客を泊めておきたくない理由があるのかもしれない」

 そうしてそれは船員すべてが知ることでは無いだろう。でなければ、わざわざ客を泊めたくない部屋に、金を取ってまで客を入れる理由が無い。

 この部屋に客を泊めたくないと考えているのは船長だけか、多くとも2,3人と言ったところだと思う。船員の多くは、この部屋の何かについて気が付いていないはず。

「だけど、この部屋にいったい何があるって言うんだ? 幽霊の原因探しの時に、部屋も一通り探ったけど、何も見つからなかったぞ?」

 船長の狙いは何なのか。考え続けていると、頭が重くなってきた。軽い頭痛と睡眠欲に襲われる。

「そう言えば、何時も通りなら寝ている時間帯だな………。今日の探索はここまでにしておこうか」

 まだ目的地に到着するまで時間は十分にある。ルッドが幽霊に怯えてこの部屋を出ない限り、探る機会は幾らでもあるのだ。

「頭が働かなくっちゃ、考える意味が無いしね。睡眠は十分に取るべきだ」

 これは頭脳労働をする立場の人間なら当たり前の行為である。十分な睡眠の後にこそ、新たな発想が生まれる。だから休息は大事なのだ。

「せっかく良いベッドを使ってるんだ。ゆっくり眠れることは間違いないさ」

 そう自分に言い聞かせて、中途半端に止まっている思考を完全に中断させることにした。続きは明日の朝。頭が冴えてから考えよう。きっと、さらなる思考の発展があるはずだから。

 ルッドは靴を脱ぎ捨て、ベッドに寝転ぶ。相変わらず柔らかな感触がルッドの体を包み、少しくすんだ白のシーツが目に優しく、すぐに眠気を全身に伝えて行く。

 ベッドに横になり、眠りに落ちるまで、それほど時間は掛かるまい。目を閉じればすぐに夢への扉は開かれるはず。

 そんな状態だからこそ、思考に鈍りが生まれていたのかもしれない。覚醒しているうちに、考えておかなければならない事がまだあるのに、ルッドはその思考を放棄してしまった。

 肝心なことを考える前に、その思考よりも睡眠への欲求が勝っている。しかし、それが命に係わるものだとの考えに至れば、その様な欲求には負けぬはずだった。例えば、乗客を船長が追い出したのだとしたら、今、部屋に泊まるルッドも同じく、部屋から出さなければならない存在だと言うこと。そうして、幽霊に怯えぬルッドであれば、窓の外で揺れる様な遠回しの手は使わないということを。

 そう、もしかしたら直接に手を下して来るかもしれぬ。そんな考えに至る前に、残念ながら、ルッドは眠りの中へと落ちていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ