第七話 道の先には何が待つ
石椀の数はそれほど多くなかったため、ルッドはそれらをさっそく配り終わり、再び石椀の展示台へと戻って来た。
少しくらい様子は変わったかなと期待してみれば、どうやら成果はそれ以上だったらしい。
「すみません、こっちに置いてある石椀はすべて無くなってしまいまして。あ、ここにあるのは展示品なんですよ」
バンダックが、集まった人だかりに、もう渡せる石椀は無いことを伝えていた。既にかなりの人数に石椀の評判が広まっていたらしい。
「大変ですね。手伝いましょうか?」
ルッドは人だかりを抜け、バンダックに近づいてから、彼に話し掛けた。
「ああ、戻ってきてくれたんだね。頼むけど、ここで行ってるのは石椀の展示だけってことを大声で言ってくれないかな? 君が石椀を配りに向かってから、すぐにこんな調子になって」
さすがにここまでお膳立てすれば、嫌でも石椀の価値に気付く人間が出て来る。品評会にて、ギリーブの石椀を多くの人間に認知させるという作戦は、無事成功したことになるだろう。
後は無事、品評会を終わらせるだけなので、ルッドはバンダックの手伝いを始めることにする。
「残念ながら! ガーベイト一家が作った石椀の無料配布は終了しました! もし、この石椀が必要であったり、購入したい方がいらっしゃるならば、領主様に話を通してください!」
ギリーブの石椀に関わる売買は、暫くの間、領主が管理するだろうから、ここに集まる人間には十分に伝えて置く必要があるだろう。そうした方が、後々に起こり得る問題を少なくできるはずだ。
「そうかあ。もう配ってないのかあ」
「露店の近くで小さい女の子が配ってたが、あっちはどうなんだ?」
「酔った女が散々に使っても大丈夫そうだったから、さぞかし頑丈なんだろうな」
石椀の無料配布が終了したことは伝えられたのだろうが、それでも人ごみが退散することは無い。既に配る配らないの話では無く、純粋に石椀への興味が広がっているのだ。
(評判の広まり方から今の状況を鑑みるに、村内での石椀の評価は十分に上がったと見るべきだろうね。良し良し、多少は扱える数は少なくなったかもしれないけど、うちが最初に商品として石椀を扱えることには変わり無い。この状況をどんな形で活かせるか。考えただけでもわくわくしてくるよ)
忙しくはあるが、悪い忙しさでは無い。ミース物流取扱社の名も上げることができる。そうなれば商売の機会だって増えてくるだろうし、ルッドの本来の仕事だってより一層に捗る。
(ま、将来のことは分からないから、全部が上手く行くとは限らないけれど………将来と言えば、この品評会、結果はどんな物になるんだろうね?)
その答えはもうすぐ出るだろう。確か品評会の結果発表は、そろそろ行われる予定になっている。
今年一番の石工細工はいった何であるのか。領主や他の石工職人、村内外の権威を持つ者達が採点を付け、その結果を持って、この品評会は幕を閉じることになっていた。
「結局、ギリーブのおっさんの石椀は、最優秀作品ってことにはならなかったな」
マーダの村からの帰り道、馬車の隣を歩きながら、キャルはルッドに対して呟いた。彼女はてっきり、ギリーブの石椀がもっとも品評会で評価されるのだろうと思っていたらしい。
「さすがにそこまではね。あくまで、芸術性を競うコンテストみたいな物なわけで」
ルッドは品評会の終了時にて、大々的に発表された最優秀作品についてを思い出す。その作品とは、事前評判通り、ウィソミン・ホーニッツの女性像であったことは言うまでもない。あれほどの芸術品を作り出せる人間など、確かに当代では彼一人しかいないだろうから。
その結果について、ルッドに不満は無かった。妥当な評価であるのだ。ギリーブの石椀は道具としての評価なら高いが、それ単品ではウィソミンの女性像に若干どころかかなり劣る。ギリーブの石椀の評価点としては、数を生産できるという物もあるのだから。
品評会での評価は、あくまで展示された工芸品に限られる。展示台に乗せられたそれだけでの勝負であり、ルッド達が配った石椀は評価の内には入っていない。
ただ、何故だか帰りも護衛を任せているレイナラは、その結果に不満を持っているらしい。
「綺麗なだけの石像より、使い勝手の良い石椀の方が、私は良いと思うけれどね。見て楽しむより、お酒を注いで楽しむ方が、幾らかマシだわよ」
なんとも彼女らしい答えだと思う。というか、彼女はマーダの村で酒を飲むしかしてなかったのではないだろうか。さすがに護衛の最中はその様な状態でないが。
「なーに言ってんだよ。姉さんみたいな考え方する人間が増えれば、それこそ芸術なんて分野は無くなっちまうぜ?」
何故かは知らないのであるが、キャルはウィソミンの石像の方も評価しているらしく、レイナラの言葉に反論している。
「残念だったわね。その通りよ。私、芸術には疎いの」
だからやはり石像の評価はできないと、自分の意見を変えぬレイナラ。暫く放って置けば、口喧嘩に発展するかもしれぬと危惧したルッドは、とりあえず仲裁に入ることにした。
「芸術だとかを見る感性なら、僕も疎いよ。キャルだってそうでしょ」
「そりゃあ……そうだけどよ」
「けど、いくら芸術に疎いと言っても、芸術性が世の中から完全に無くなるのは御免だなあ」
「それはどういう意味?」
ルッドの言葉が分からぬと、レイナは首を傾げてる。
「だって、今回はその芸術のおかげで商売が成功したんですから。世の中に娯楽は多い方が、儲け話は多くなるってもんです」
ルッドはそう言って、馬車に積んである石椀を見た。今回の収穫は芸術によって始まり、芸術によって終わる。芸術家の道というのは色々あるだろうが、商人にとっては、一攫千金を狙える美味しい道だということなのかもしれない。
「あの石椀には、私から特別推薦賞という形の評価を与えておくか。うん、その方が私が管理する名目も立つし、品評会では確かな評価はされていたから、不自然では無い」
自分以外は誰も居ない応接室にて、マーダ地方領主のグゥインリー・ドルゴランは、石椀の今後についてを、誰に聞かせるでも無く呟いていた。
正直、余計な仕事が増えたという思いはある。利益を生みだせる生産品というのは歓迎するものの、その利益がそのまま自分の懐に入ってくるというのは中々無い。仮に入ったところで、具体的にどういう贅沢ができるというわけでも無し、そもそもグゥインリーには、成金染みた趣味など無いのである。
「いやさ、この時期にうちの地方が豊かになるかもという話は、悪い物では無いのだが………それがどれくらいになるかの予想がなあ」
グゥインリーにとって、あの石椀は、石工品という分野の地盤をそのまま持ち上げる力がある存在だった。
例えば、今回の最優秀作品であるあの女性像であるが、確かに素晴らしい物だ。芸術という分野の頂点、もしかしたら、その先にすら通じる物かもしれない。ただ、それによる変化とは、あくまで頂点の一点だけだろう。
(一方で、ギリーブの奴が作ったのは、工芸品を扱う世界そのものに一石を投じる様な物だからな。どこで、どういう変化が起こるかは予想し辛い)
ぶっちゃけ、自分がどれだけ管理したところで、混乱は起こり得るだろう。であるならば、完全な管理よりも、何か起こった時の保険を考えておくべきかもしれない。
「うん……そうなると、あれらを使う必要も―――ああ、居るよ。入って来たまえ」
応接室の扉がノックされる。長い付き合いであるため、そのノックが門番のパックスによるものであることが分かった。というか、この部屋の扉をノックする人間など、パックス以外は稀であった。
「領主様。客人ですよ」
不審者で無く、会わせるに妥当だと考えるならば、好きなだけ人を通してくれと、常に門番のパックスには頼んである。彼への信頼と言うのは実際に厚く、彼の人を見る目は正確だとグゥインリーは評価していた。
そうして、今回も正しい行為だったと客人の顔を見て分かった。というか、グゥインリーの知り合いだ。これで追い返していれば、それこそ門番としての沽券に関わって来る。
「お久しぶりです。ドルゴラン様」
現れたのは初老の男。愛想の良い笑顔を浮かべて、部屋の空気も幾分か和やかになったかもしれない。あくまで雰囲気だけであるが。
「うん、そうだね。久しぶりだ。どうだったかな? 仕事の方は」
客人は長く仕事のためにこの土地を離れていた。そんな彼がグゥインリーに会いに来たということは、仕事について、なんらかの結果が出たということだろう。もしかしたら、その報告ついでにグゥインリーに会いに来たのやもしれぬ。
「順調……だったとは言えませんが、まあ、なんとかと言ったところです。いやいや、トラブルというのは、どの様な状況でもあるものですな」
まいったと自らの額を叩く客人。なるほど、それなりに苦労したらしい。まあ、妥当な結果は引きだせたそうなので、その点は問題無いか。
「トラブルと言えば、こちらでもあったよ。品評会でね、面白い作品が出て来たのさ」
「はあ? それがトラブルですか?」
「私にとってはね。今後、その作品を私が管理することになったんだ。トラブルと言えばトラブルだろう? もしかしたら、君らの力も借りる状況になるかもしれない」
客人が行う仕事は、グゥインリーの仕事にも大きく関わって来るのだ。その力を借りることも多くあった。
「ははあ。それはまた大変そうですなあ」
同情する様な声を発する客人。そうだ、もっと自分の心労を察してくれ。
「そうなんだよ。商品に関わって、変な商人も居てね。まだ若いのに、こう、妙に交渉慣れしているというか」
今にして思えば、彼は出来得る限りの妥協を自分から引き出したのだろうと想像できる。普通なら、何処の者とも知れぬ商人に、あの石椀を一つでも扱わせるものかとグゥインリーは行動していただろうが、何時の間にか、少量くらいなら構わないという姿勢になっていた。若い商人が、グゥインリーの感情に、言葉だけで訴えかけることができたということである。
あれでさらに経験を積むかと思えば、なんとも末恐ろしいじゃあないか。
「………つかぬ事を聞きますが、その若い商人、外来人とか?」
客人が妙な表情をして尋ねて来る。もしや知り合いか。
「ああ、そうだよ。ルッド・カラサという姓名だった。若いのに他国へ商売に来る人間というのは、多かれ少なかれ、他人とは違う何かを秘めているのだろうねえ。彼が何か?」
暫しの沈黙が続いた後、客人は口を開く。
「私もね? あったのですよ、そのルッド・カラサという少年に。いやあ、偶然とは恐ろしい。それとも、これは何かの符丁ですかな? 何にせよ、私にはこれがどういう意味を持つのかさっぱりでして」
別々の場所にいた人間が、同じ人間と知り合いになった。確かに偶然の可能性が高い話だろうし、一方で気になる話でもある。ならば、もっと詳しく話を聞くべきだろう。
「………その会った時の状況を、できる限り聞いて置きたい。良いかな、“ファンダルグ”」
グゥインリーの言葉を聞いた客人、ブラフガ党員のファンダルグは、相変わらずの笑顔を浮かべながら、ゆっくりと頷くのだった。