第五話 進む道を決めよう
明日にはホロヘイの町に辿り着けるだろう。ルッドがそんな予測をしたのは、4日目の夜であった。
「予想より早く着きそうだ」
地図を焚き火に近づけながら、現在地を確認する。普通なら指が火傷しそうに思えるほどに近いが、この大陸の夜は寒く、それでも熱さが物足りない。
「それ以上近づけると、地図が燃えるわよ」
テントから顔だけ出したレイナラが、ルッドを注意してきた。道の途中にあった広場が、丁度良い場所だったので、テントを張って野宿をしていた。テントと言っても、人一人が入れる程の小さな物を、二つ並べただけであるが。
「暗くて良く見えないんですよ………。空が曇っているせいか、月明かりの援護も無くって。この国に来てから、雲の無い空を見たことがありません」
ルッドが空を見上げると、そこには星の光も無い曇り空があった。雲を通して見える月の光のおかげで、辛うじて雲が判別できるくらいに暗い。
「もう秋だもの。曇りが続くのも当たり前でしょう?」
「秋だから、曇り空が続くんですか?」
「冬の間はずっとこんな感じよ。季節的には、まだ晴れ空の日もあるでしょうけれど、これからその頻度がどんどん少なくなって行くの」
こちらではそうなのだろうか。ルッドの故郷であるブルーウッド国では、夏と冬はむしろ晴れの日が多かった様な気がする。大陸が違えば、気候も大きく違ってくるのだろう。
「ただでさえ寒いのに、晴れも無く、これからどんどん冬になって行くって、外国人の僕にとってはうんざりしてきますよ」
「私達だってそう。寒いのは嫌い。けれど、そういう場所だから………」
生まれ育った故郷なのだから暮らしやすいというわけも無いらしい。というより、この国の人間だからこそ、この国の過酷さをもっとも理解しているのかもしれない。
「冬の間は、どうやって過ごすべきなんですかね?」
「どう過ごすって、家に籠るか、どこかの酒場に籠るか………みんながそうだから、あちこち回って商売するのは手かもしれないけれど、こういう馬車じゃ駄目よ? もっと防寒のしっかりした物でなきゃね」
レイナラがテントの近くに止めている荷馬車を見る。ルッド自身、多少割高だったとしても、この大陸を旅するのなら、屋根の付いた物を借りるべきだったと考えていたところだ。そうすれば、テントを張らずに荷馬車の中で夜を過ごすこともできただろうに。
「家や店に籠るつもりはありませんから、防寒のちゃんとした馬車を借りて商売ってところですね。いや……それならいっそのこと、馬車を買った方が良いのかな?」
「馬車を買うって、そんな余裕があるの?」
「え、ええ。一応は、まあ」
荷馬車の貸し賃から考えれば、ルッドが持ち込んだ宝石類を換金すれば、購入するのも難しくは無いだろうと思われる。勿論、良いものをひたすらに求めるのであれば、それでも足りなくなるだろうが。
「なら、機会があれば、その時にまた私を雇ってみない? あなたなら良い雇用主になってくれそう」
どうにも小金持ちとして見られたらしい。資金に余裕があるのは事実だが、本当の正体が商人で無い以上、そう簡単に金銭を使えるかどうかは怪しいのであるが。
ただ、ホロヘイに辿り着いた後、また別の場所に向かう予定があれば、彼女の護衛としての腕は頼りにできそうだ。
「別に構いませんけど、ホロヘイに着いた後はこっちが報酬を払って、そのまま別行動になりますよね? その後、僕が次の目的地決めてから、もう一度ラグドリンさんに会うって言うのは、なかなか難しいと思うんですけど………」
「それはそうようねえ………。そうだ、ホロヘイの東区画に、ホットドリンクっていう酒場があるの。その筋では有名な場所よ」
その筋というのは、要するにベイエンドでルッドが立ち寄った酒場の様な場所のことだろう。旅の護衛を雇いたければ、そこに向かえば良いというわけだ。
「なるほど。ラグドリンさんは暫くそこに滞在すると」
「そういうこと。もし、お互いの都合が合わなくても、あなたはそこで別の護衛を雇えるでしょう? 私の方も、あなた以外で良い雇用主が見つかる可能性もあるから、気軽だしね」
確かにその通りであるが、レイナラがまた別の人間に雇って貰える可能性は低いだろう。戦いの経験は十分であるが、女性であると言う時点で、選択から除外されることが多いはずだ。
(それに、自分の売り込みも拙かったし、僕も興味半分で雇ってみた感がある)
なんにせよ、彼女とはホロヘイで別れたとしても、また会う機会はありそうである。今まではこの大陸に一人だけという気分で旅をしていたルッドであるが、ここに来て初めて知人ができた様な気がして、どこか嬉しかった。
そうして次の日の昼には、ホロヘイの町へ辿り着く。赤レンガ造りの家々が並び、その家すべてに煙突が付いている。煙突から絶えず煙が出ているためか、どこか煙ったい印象を受けた。空が曇りがちなのも合わさって、ルッドにこの国の印象を決定付けて来る。主に悪い方向へだ。
(要はどこか暗いんだよね。新天地って印象じゃあないよなあ。この国の人には失礼だけれど)
実際、この国には問題が多い様な気がする。厳しい気候に国を荒らす一党の存在。さらに情報を集めれば、また新しい問題が見つかるのかもしれない。
「さて、じゃあ、私達も一旦、ここでお別れね」
「あ、そうですね。護衛報酬の方ですが、道中の件も考慮して、こんな感じで良いでしょうか?」
ルッドは、事前にレイナラから提示された額に、少し色付けした物を提示する。彼女に命を助けられたのだから、これくらいの割り増しは当然だろうと考えていた。
「あら、あらあら。良いのかしら? 私にとって見れば、一週間は寝食に困らない額よ?」
「なら、一週間は例の酒場に滞在してくれるかもってことですよね? また雇うための予約賃みたいに思って頂ければ結構ですから」
出来る限りは彼女に良い印象を持っていてもらいたい。ルッドはそう考える。殆ど知り合いのいないこの国において、人との繋がりは何より大切に思えたのだ。
「そう? なら有り難く頂いて置くわ。 次に旅をする機会があれば、また誘ってね」
そう言い残して、レイナラは去った。彼女に護衛代を払えば、後はルッドだけの仕事である。まずは荷馬車の荷物を適当なところに降ろし、貸して貰っている馬車を返さなければならない。この荷馬車と馬を借りたのはベイエンド港であるが、返す場合はこのホロヘイの町ということになっている。
(貸し馬車屋は、相互の町同士で連携してくれてるから便利だよなあ。代わりに行先の町は固定されてるけど、むしろ主要な街道が分かるし)
内陸側に街道が発展しているせいか、貸し馬車制度がこの国では発展している。ルッドの国では、借りた馬車は御者が付き添い、返す場合も借りた店に返す必要があった。
私用の馬車の購入も考えていたが、暫くは貸し馬車を利用する旅で良いだろうと考え直す。ちなみに、ベイエンド港と街道で繋がっている貸し馬車屋はホロヘイしかないため、再びベイエンドに向かうことは暫く無いだろう。情報集めがルッドの本来の仕事だ。同じ道を何度も往復する様な手は使えない。
(商人としては、冒険心に富むってことになるのかなあ。実情は決してそうでは無いんだけれども)
ルッドがとりあえず馬車で向かえるところまで向かっていると、近寄ってくる男がいた。
「兄さん! 旅商人さんかい? 持ち込みの商品があるのなら、うちで買い取るよ!」
どうやら卸売を専業にしている、町住みの商人らしい。
(なるほど。旅商人は自分で一般人相手に売りさばくわけじゃあ無く、こういう相手に商品を売るのか)
間を通す際に関わる人間が多ければ、その分だけ商品による利益は薄くなるものの、手間は省けるだろう。
この町を良く知らないルッドにとっては、自分で商品の売り場を探して、客を呼び込むというのは中々難しいため、こういう相手を利用した方が良いと思う。
(ただ、最初に会った相手に売るっていうのも、芸は無いよね)
自分が持って来た商品は干し魚である。保存状態は際立って良いとは言えぬが、売り物にはなるだろうし、内陸の町ではある程度の価値があるはずだ。その価値がどれほどのものか。それを見極めてからでも、商品を売るのは遅く無いはず。
「荷馬車の中身を見てみます? だいたい幾らくらいになりそうですか?」
とりあえずは目の前の卸商人からだ。ルッドが尋ねると、卸商人はルッドの荷馬車に詰め込んだ干し魚を見て、その一匹を調べ始めた。
「そうさなあ。この鮮度でこの量であるなら………これくらいならどうだい?」
卸商人が、手に持った木細工の様な物で商品の金額を示してくる。石珠という道具で、石の囲い箱の中に粘土で作った玉が幾つか存在しており、その玉の位置で値段を示すことができるらしい。ルッドもベイエンド港でこの道具の存在を知っていたが、使い方や表示された値段の判別は中々に難しい物があった。
(確か右二つの玉が一桁、そうして左側に行くに従って、桁数があがって行くんだっけ? ええっと、だからこの金額は………)
ざっと計算してみたところ、干し魚の購入や輸送に掛かった金額より、それを売った金額が少し低い。
「あー、すみません。もう少し市場を回ってから決めても良いですか?」
このままでは完全に赤字になってしまう。最初の商売なのだから仕方の無いことかもしれないが、資金の維持を当初の目標にしていたルッドにとっては、受け入れがたい額であった。
「別に構わねえが。どこもこんなもんだぜ?」
「まあ、はい。それは分かってますけど、こっちも商売ですから」
相手も商売人だ。自分は良心的な価格で買い取ると言っておきながら、その実、こっちの商品を買い叩こうとしてしるのかもしれない。
(事実はどうであれ、色々と調べてみることが先さ。情報こそが商人に必要な物なんだから)
きっと、この卸商人から提示された額は不当で、もっと良い価格で買い取ってくれる業者が存在するはず。苦労して町から町へと移動したのだから、見返りはあるだろうという希望の元、ルッドは他の卸業者を探し始めた。
そうして結果を言えば、最初に出会った卸商人の言葉が正しかったことが分かった。ルッドが輸送した干し魚の代金は、輸送するために消費した金銭を上回ることは無い。ルッドの初めての商売は、完全な失敗であった。
「だから言ったろう? ベイエンド港の魚は、ある程度の量、この町にも卸されてるんだ。売れないってことは無いが、そこまで値段は吊り上らねえのさ」
最初に出会った卸商人の元に戻ったルッドは、彼に干し魚を買い取ってもらうことにした。ここで、ルッドの足元を見て買い叩いてこないところを見るに、彼は比較的善良な商人であることが分かる。
「失敗ですねえ………。内陸なら、海産物が高く売れると思ったんですが」
「そういう誰でも思い付きそうな事は、他の誰かがやってるもんさ。それでも儲けを出そうとしたら、どこかで無理をするしか無いが、あんたみたいな初心者には難しいかもな」
こちらが商売を始めたばかりであることを見抜かれていた。恐らくはルッドの会話や動作の機微から判断したのだろう。
「初心者でも儲けを出すなんてのは無理なんでしょうか?」
「別に無理ってわけじゃあないが、それなりの工夫は必要だろうなあ。例えば、輸送先を変えるとか、輸送物を変えるとかな」
それだって誰もが思い付きそうな方法であろう。一方で、誰にも思い付かない方法を考え出せるのであれば、見習いなどという立場に甘んじていない。
「工夫もできなきゃあ、何かを担保にするしか無いな」
「担保?」
「自分の体ってのが一番手っ取り早い。頭や体を苦労させて、命の危険を対価に商売をすれば、それなりの儲けは生まれるもんさ。素人と玄人の違いは、そういう経験をしたかどうかだぜ?」
命の危機なら、今回の旅でも遭ったのであるが、それは有る意味偶発的な物だ。だが、真に商人として上手くやって行くのであれば、自分から危険に飛び込む必要があるらしい。
(例えば、盗賊が多くでる様な街道を使って物品を輸送したり、非合法スレスレの商品を扱ったりとかだね。さて、僕にそれができるのか)
この大陸において生き残ること。それこそがルッドの一番の目的であるが、危険を冒さなければ手に入れられない物があるとすれば、それに手を伸ばす方法を取るべきなのだろうか。
ブルーウッド国に居た頃のルッドなら、馬鹿らしい考えだと切って捨てていたはずである。
(北風は心を鍛えてくれる。だっけ? 僕はどれだけ強くなっている?)
まだこの国に来たばかりのルッドであるが、今までに無かった選択肢を選ぶことはできるのか。それはルッド自身にも分からぬことであった。