2章の3
「ご苦労様です、ブルームさん。スノウクリスタルさんも!」
快活な声と笑顔で迎えてくれたのは、小柄な少年である。
「グリソンこそ、お疲れ様。大変でしょ、刑務官なんて仕事は」
「いえ、これが本官の職務ですから! ……って言いたいところですけど、連日残業続きで、だいぶキテますよ」
にはは、と苦笑する少年・グリソン。彼はクリスやステフの住む地区を管轄下に置く刑務所の刑務官だった。
親しげに言葉を交わすステフとグリソン。そのやりとりに、クリスは小声で挟んだ。
「ステフ」
「ん?」
「早くしてくれ」
絞り出すような声で訴える。
それにいち早く反応したのはグリソンだった。
「あっ、すみません! ささ、どうぞこちらへ」
慌てた様子でクリスとステフを中へと誘導する。
「もう……ただでさえ疲れてるグリソンに余計な気を使わせちゃダメだよ」
「~っ」
ちらりと振りかえったステフへ、精一杯の不服を込めた視線を送る。が、ステフはクリスの抗議を軽く黙殺すると、涼しい顔でグリソンに続いた。
鬼だ! あいつは素で鬼だ!
ぐぐ、とこぶしを握りたいが、この体勢ではどうにもならない。
「お……重い。重すぎる」
両腕に抱えた殺人的な重量の植木鉢へ、クリスは全ての憎しみをこめて呟いた。
四つの鉢は全て、土がみっちり詰められている。一本ずつ植えられている植物が視界を阻み、余計にクリスを苛立たせる。
茎や葉の間からようやく視界を確保し、半ば足を引きずりながらステフの背に続いた。
「……頼む、台車を導入しよう。じゃないとこの依頼の度に俺の腕が使い物にならなくなっちまう」
だが、ステフはちらりとこちらを見やると、
「花屋の店員が鉢の一つや二つ持てなくてどうするの」
「俺が持ってるのは四つだぞ!」
「じゃあ、四つや五つ」
「あのな! 大体今日は花屋の仕事で来たわけじゃないだろ!」
「もう、ガタガタ言わない。それにこんなに多いのは今回だけじゃない。いつもは一つか二つでしょ。だから今回くらい耐えて」
と言うステフの腕の中には、クリスと同じ鉢が二つ。合計六つだ。
「何で今回はこんなに多いんだ?」
「それだけ人数が多いってことでしょ」
さらりと返す。そして廊下の先で「どうしましたー?」と手を振るグリソンに早足で向かってしまった。無情にも残されるクリス。
「ステフ! せめて三つずつにっ!」
「それじゃ僕の腕が使い物にならなくなっちゃう。そうなったらクリスも困るよね」
廊下に響いたクリスの必死の訴えを、ステフは速攻で棄却した。
「ちっ……あぁもう!」
クリスは殺風景な廊下の壁に悪態をつくと、腕をもぎ取らんばかりの重さの鉢と一緒に前進を再開した。この鉢に比べれば、背にくくりつけているシャベルの重さはあって無いようなものだ。
今回クリスとステフは、花屋としてここに赴いたわけではない。配達ならエプロンを付けるが、今のクリスは昨晩と同様のスタイル――ジャケット、パンツ、ブーツ、そしてロングマフラーだ。
先ゆくステフもエプロンではなく、カッターシャツ、パンツ、革靴にケーブルタイと、やたらとフォーマルな服装でキメている。
あれが忘却屋として活動する時の服装だってのは知ってるが……。
両腕に土を満載した鉢を抱えているというのに、服装は土の一つでも付けば大騒ぎになるほどの、高級感あふれるスタイル。さすがは名家の出と言うか……とにかく一般庶民にはわからない感覚だ。
クリスはふらふらしながら廊下を進んだ。足を動かすたびに鉢同士がこすれ、植わっている植物が左右に揺れる。
苛立ちに任せて引っこ抜いてやりたがったが、それをやってしまったら、笑顔の鬼から雷を落とされるだけでは済まないだろう。何せこの植物こそが、ステフの忘却術の要を担っているのだから。
忘却花。それがこの植物の名だ。外観はチューリップに似ている。ステフが忘却術用に開発した品種で、一般には出回っていない。
四つの鉢に植わっている忘却花は、全てが蕾の状態だった。固く閉じた蕾は花開く気配を微塵も窺わせない。一般家庭への配達だったら早すぎる段階だ。
だが、今回はそれでいい。この花はステフが命令しない限り、花びらを露わにすることは無いのだから。
ステファン=ブルーム=スタンレイ。フラワーショップドルチェの店主であるステフは、植物の結聖を操る自然操術系の魔術師だ。特に開花という現象が人目を強く引くため〝花の魔術師ブルーム〟と呼ばれている。
そしてステフはクリスと同じく、忘却術までを会得した魔術師だった。
花咲く忘却屋。ステフがこの通り名で仕事をする際、依頼内容の方向性はクリスの場合と大幅に異なることが多かった。
そして今回の依頼もそうだ。