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2章の1

 けたたましく鳴る電話のベル。

「……はぃ、フラワーショップドルチェ……」

 少年は寝ぼけた声で電話を取った。

 口にした店名が刺繍されたパステルグリーンのエプロンを纏い、受話器を握るこの姿に、昨晩の剣を振るう様を想像できる者はほとんどいないだろう。

「はぃ……はぃ、わかりました……午後二時ですね……はぃ。ありがとうございます……」

 三言ばかり交わし、受話器を置く。そして

「ステフー……」

 と振り返った先。

「どうしたの? クリス」

 そこには笑顔の少年が立っていた。

 淡いミントグリーンの巻き毛、パステルピンクのエプロン。胸には蘭の鉢植えを抱いている。クリスよりも背が低く、穏やかに微笑んでいる顔は中性的で、少女だと言われても頷ける。

「……」

「電話、何だった?」

 巻き毛の少年は首を傾げた。

 その顔に浮かんでいる微笑みは、傍目に優しげにしか思えないのだが――

 クリスは笑みから逃れるように、若干顔を逸らした。

「今日配達の予定になってたお客……様から。二時に変更してほしいってさ」

「そう、わかったよ」

 背を返す少年。特に何も言わず、クリスの前から歩み去る。

 彼の平穏な退却に、ほっとクリスは胸を撫でおろしかけた。

 しかし彼は棚に鉢を置くと、くるりと振り返り、クリスにびっと人差し指を突きつけた。

 思わずびくっ! と身をすくめる。

「電話ははっきりにこやかに! お客様への印象が第一だよ」

「はい! 気をつけます、ステファン店長!」

 一瞬で眠気が吹っ飛んだ。

 クリスがここフラワーショップドルチェの店員になってから何度も繰り返したやり取りだったが、巻き毛の少年・ステファン――ステフは満足げに頷いた。

「わかればよろしい。それに昨日は随分遅くまでかかったみたいだしね」

 クリスは首を横に振った。

「場所が遠かったんだ。術自体はそんなに手間取っちゃいない」

 言いながら、クリスは鉢植えや切り花が見栄え良く陳列された店内へと歩んだ。

 すれ違いかけたその時、ステフが唐突に問いを重ねた。

「何か気になることでもあった?」

 どき、と胸が反応する。

 思わず立ち止まっった。脳裏に、昨晩の出来事がよみがえってくる。

 忘却を望まれたのは、不審な死を遂げた少女の記憶。

 それを抱いていた依頼人――マリーネが受けた、『これ以上関わるな』という見知らぬ輩からの警告。術中で記憶が発した不可解な言葉。

 そして、マリーネが思い出したように告げた、あのこと。

 ……気にするな。俺には関係ない。むしろ考えちゃいけない。

 忘却屋が依頼人の記憶に深入りするのは禁忌と言っていい。侵害行為だ。だからすぐにでも〝この記憶〟に対して考えるのを中止するべきだ。

 しかし、あのことに関しては。

「忘却屋は信用が第一だから、無理に話してくれなくてもいいよ。僕はただ、いつもの仕事明けと違うなって感じただけだから」

 そう加えるステフ。

 いつもながらに鋭い、とクリスは思う。彼は一見能天気そうに見えるが、洞察力と言うか、勘と言うか、そんな所が嫌に鋭い面があった。共に魔術を修行していた時代から痛感している。

「……」

 クリスは答えないままに、ステフへと視線を向けた。

 マリーネの告げた、あのこと。それが何よりも激しく困惑を誘う。せめて、これだけ明らかにしておきたい。

 クリスは口火を切った。

「白い炎なんて、自然界にありえると思うか?」

 何の説明も無く投げかけられた問いに、ステフは少しだけ瞳を揺らがせた。

「白い……炎?」

「ああ」

 ステフはほとんど考える素振りもなく、きっぱりと答えた。

「〝真白き炎〟以外にはありえないよ」

 予測していた答えだった。むしろ、クリスにとってもその結論以外考えられない。

「――そうか」

 真白き炎。

『悲鳴の聞こえた路地に駆けつける途中、一瞬だけ白い色をした炎が上がったんだよ』

 昨晩、マリーネは見間違いだろうと挟みつつも、その記憶をクリスに教えた。

 そう考えたのは常識的な行為だ。白い炎など自然界には存在しない。

「炎の忘却術がどうかしたの?」

 新たな単語を加え、問い返してきたステフ。

 炎の忘却術。

 白い色彩の炎という異様な現象を導く術は、この魔術ただ一つだけだ。

 存在こそ広く知られている忘却術だが、実際の施術の様子は、術を会得したか知識として学んだ魔術師以外、知る者はほとんどいない。

 忘却術は自然の結聖と人間の結聖を癒合させる過程を伴う。

 忘却術を目的として起こした自然現象は、不思議なことに通常のそれと色を違えている。

 元が何色であっても、白。故に忘却術のために生じた現象は〝真白き〟と形容される。

 白い炎などあり得ない。だから燃え上がったのは炎の忘却術に使われた真白き炎だった。納得するしかない明快な論理だ。

 クリスの抱え込んだ疑問の焦点は、無論それとは全く別の所にあった。

 何でそんなモノがそこに。そこは死の現場だというのに。

 真白き炎が燃え上がったのは、少女の命が奪われた、まさにその場所。

 命が奪われた――

「……」

 じわり、と、無意識の回顧が脳裏に影を落とした。

 忘却術のために導かれた自然現象。真白きそれに巻かれた人間は、内に抱く結聖を体外へと引き出される。

 結聖を全て失えば、人間は命を落とす。

 ……それなら、俺もあの時――

 その時、背後にある電話がけたたましく鳴った。

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