4章の9
「無駄だよ」
「っ!」
ばっ、と振り返る。
そこには、もう一人のグランドの弟子が立っていた。
悲しそうな表情だった。
しかしその目元には、どこか醒めた雰囲気が浮かんでいた。
「……無駄だよ、クリス。命を失った体に結聖は残らないはずだから」
窘めるようにそう言った。
ステフは、クリスの行動の意図を完全に察していた。
雪の上を少しずつ歩みながら続ける。
「グランド師匠の遺体に真白き雪を纏わせて、師匠の結聖を抽出するつもりだったんでしょ? でも、人間の結聖は命が失われると共にどこかへ消える。だから〝今の〟グランド師匠の体に結聖は全く残っていないはずだよ」
「……単なる通説じゃないか」
クリスは半ば睨み上げながら反論した。
「結聖が存在する感覚は、本人以外わからない。結聖の動向を観測する術も無い。ただの憶測や信仰からできた説だ。それなら結聖が死体に残ってる可能性だって、あるじゃないか」
それを頼りに、クリスはこの場所まで来たのだ。
ステフは軽く小首を傾げて返した。
そしてクリスの主張を肯定も否定もしないまま、
「もしそうだとしても、クリスは何もできない、でしょ」
クリスは目を逸らし、奥歯を噛みしめた。
「真白き雪降る忘却術は〝忘却を望まれた記憶を抱いた結聖〟にしか作用しない。クリスは強制忘却を会得してないから。万が一グランド師匠の遺体に結聖が残っていても、クリスにそれを引き出すことはできないよ」
淡々とした指摘は、全てが的を射ていた。
クリスは強制忘却を会得していない。
理由は唯一無二、術の失敗によりグランドの命を奪ってしまったからだ。
クリスも、すぐさま術の会得を諦めたわけではなかった。あれから何度も修行しようとした。しかしその度に記憶が脳裏を駆け抜け、また誰かの命を奪ってしまうのではないかと不安に襲われた。
全てがあの日の記憶に縛られていた。
あの日を境にステフが強制忘却の腕を確固たるものとした一方、クリスは会得を諦め、望まれた忘却のみを扱う道を歩み続けた。
ステフは、跪いたままのクリスの前で立ち止まった。
「それに、クリスがやろうとしてた事はキーネと一緒だよ」
「キーネと……?」
「強制忘却で全ての結聖を引き出し、記憶の映像の中に自分の疑問の答えを探す。目的は違っても、その方法はキーネと全く同じじゃない」
こちらを見下ろすステフ。
「手掛かりが見つかるかもわからないのに、その人の生きてきた足跡全てを晒し出すなんて……しかも探し出そうとしてる記憶が、グランド師匠自身の〝あの日の記憶〟だなんて。クリスが耐えられるはずがないよ」
すっ、と手が差し伸べられる。
「あの日の記憶に対して、クリスはこの世界中の誰よりも脆いんだから」
「っ!」
クリスはかっとなってステフの手を払いのけた。驚くステフの前に立ち上がり、八つ当たり紛いにぶちまけた。
「じゃああの時忘れさせればよかったじゃないか!」
「あの時……」
「俺はお前に言った。忘れさせろって。俺の記憶も壊してくれって!」
掴みかからんばかりの勢いで喚く。
ステフは目を丸くしていた。
しかし、
「……言ったじゃない。僕はあの時、もう一生分〝グランド師匠の死の記憶〟を壊した。だからもう壊せない。いくら結聖の具象とはいえ、自分の師匠の姿をしたモノに細針を打ち込むことはできない」
強い視線で撥ねつけた。
あの日、クリスがグランドの死体を埋め終え放心していた所へ、ステフはボロボロになって戻って来た。街中の人々に広がった〝大地の魔術師の死〟の記憶を強制忘却で残らず消滅させた後だった。
強制忘却は結聖との戦闘を要する。見るも無残な姿になって戻ったのはそのせいだ。
そんな状態のステフに忘却を乞うたことを、クリスは後になって恥じていた。
だが、今のクリスは歯止めが掛る状態ではなかった。
「だったら……だったら俺ごと壊してくれればよかったのに!」
二年前に押し込めた願いがこぼれ出す。
「そうだ……いっそ殺してくれればよかったのにっ……それなのにお前は俺をかばいさえしたっ。俺は師匠を殺したんだ。お前の師匠の敵なんだ。だからお前が俺を殺せばよかったんだ!」
クリスの叫びが、雪降る夜のしじまをつんざく。
ステフは真顔のままだった。
「……俺が殺したんだ……だから俺を……俺をっ」
「……」
クリスが言葉を切らした時、ステフは唐突に嘆息した。
そしてクリスから目を逸らすと、自嘲のような笑みを浮かべた。




