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1章の1

 月夜は、真白き色彩に満ちていた。

 きんと冷えた空気は、紛うこと無く冬のそれである。夜の空間を満たす、澄み渡りすぎるほどに澄んだ空気。そんな夜は、空に薄雲のひとひらさえを許さない。

 今宵は半月を過ぎた晩だった。雲一つ無い夜空から降る月明かりが、地上に伏した白を緩やかに照らしている。

 そう、そこには雪が積もっていた。快晴の夜空の下に積もった雪は、自らの場違いさを完璧に無視し、さも当前のごとき様子でそこに鎮座していた。

 そしてそんな光景があるのは、広い世界のほんの一角、この煉瓦敷きの広場だけだ。

 周囲に灯りは一切無かった。景色が闇に溶ける一方、木立に囲まれたこの広場だけは、雪明りによって漆黒に塗りつぶされることを免れていた。

 それは孤高の強調でもあった。

 広場の内と外では、共有されているはずの空気までもが質を異にしている。

 まさに、世界から切り離された空間。ここだけに満ちた白が、ここだけを違う世界へと染め上げていた。

 雪の纏う冷気が空気をより澄ませているのか――上空の月は一点の濁り無く輝いていた。

 そんな月を仰ぐ人物もまた存在していた。

 広場の中央、積もった雪の上に立つ一人の少年。彼の作る影が唯一、この異様なまでに明るい地面に闇を落としている。

 歳は十代の後半。服装はラフなジャケット、カーゴパンツ、そしてブーツ。前を開け放したジャケットの内側にはシャツを着こんでいる。首に巻きつけているのは、身の丈ほどもある長いマフラー。月明かりを受ける短髪は、少年の足元に広がる雪と同じ、白。

 そして傍らには、大きな金属製のシャベルがあった。彼はそれにもたれ掛かるようにして月を仰いでいた。

 少年の吐く白い息が、月に淡い靄をかける。

 寒い夜だな、と彼は口の中で呟いた。

 こんな場所だ。依頼人はちゃんと来るのだろうか、とも。

「……準備も早すぎた、か」

 地上へ視線を落とし、積もった雪を眺めた。

 それよりもむしろ、やりすぎただろうか。依頼人は一人だ。こんなに沢山、必要なわけがない。

 少年は一つ息をつくと、維持し続けていたある種の意識を若干緩めた。

 すると、途端に積雪の輪郭がおぼろげになり、みるみる崩れ始めた。夜闇に浮かんだ異質な白い空間は、まるで外部から侵食されるように範囲を縮小した。

 緩んだ雪は雪解け水と化すこと無く、一瞬で大気中へと昇華した。

 少年が「このくらいか」と思うと、そこで雪の昇華はぴたりと停止した。

 時間にしてほんの数秒。しかしその前後の変化は一目に明らかである。広場を満たしていた白は少年の周囲を囲む程度になり、代わって広場の本来の色、即ち敷き詰められた煉瓦の赤褐色が大きく露出した。

 再び空間に静寂が落ちた。

 ゆるゆると吹き始めた風は、北の風ではない。雪の残存する場に入って初めて、凍てつく冬の空気へと変わる。

 そうだ、冬じゃないんだ。

 頬を撫でた緩い風に、少年は忘れかけていた事実を思い出す。

 すでに春分も随分と前に過ぎた時期だった。空気の境界が近くに迫った今、紛いものの冬を抱いたこの空間こそ異質なのだということを、少年は再認した。

 でも……俺にとってはこれが仕事場だからな。

 もたれ掛かっていたシャベルから身を起こし、マフラーの片端を背中へと放る。拍子にシャベルが雪の下の煉瓦とこすれ、きしりと音を立てた。

 それに続き。

 かつり

 少年はその音の方向を見た。

 かつり、かつり

 広場の向こうから、断続的な音が近づいてくる。

「……」

 白く明るい空間から、外部の景色はひどく暗く見づらい。しかしその音が、広場へと歩む人物の靴音であるのは明らかである。

 少年が目を凝らしていると、不意に木立の迫間から人影が現れた。

「おお! 妙に明るいと思ったら、雪が積もってるじゃないか!」

 その人物は姿を見せるなり感嘆した。季節紛いの積雪に目を丸くし、こちらに歩み寄る。

 少年は問うた。

「あんたが依頼人か? まぁ、まさか通りすがりじゃ無いとは思うが」

 すると彼女――二十代に思える長身の女性は、頷きながら答えた。

「そぉ。私がマリーネだよ。察しの通り君の依頼人さ」

 マリーネと名乗った女性は「あー、見てるだけで寒い」とこぼしながら、かつかつと煉瓦の上を歩んだ。

 積雪の間際まで足を進めると、彼女は寒さ故だろう縮めていた身を起こし、まっすぐに少年と対峙した。

「君が〝雪降る忘却屋〟かい?」

 問いかける口調ではあるが、一種の確信が込められた言い草、そして表情だ。まるで取り調べのような、もしくは医師が患者に問診するような。

 圧力を感じる視線に、しかし少年は臆さず頷いた。

「ああ」

「そうじゃなかったら、春の夜中に無理やり雪かきやってる変わりもんか」

 視線を緩めたかと思うと、シャベルを指差し、勝手な想像で「あはは」と笑う。

 少年はその何とも言えないギャップに不意を打たれ、ぽかんとしてしまった。

「えぇと、名前は、えーと……ちょっと待ってね。ちゃんと魔術協会から聞いてるから」

 マリーネは片手で少年を制し、片手で頭を抱え、何やらうなり始めた。

「雪降る……だから、確かミドルネームは……あ!」

 びし、と人差し指を突きつける。

「わかった、スノウ!」

「スノウクリスタル」

 間髪入れずに返す少年。

「えぇ、何で雪の魔術師なのに〝スノウ〟じゃないんだい? 自然操術系の魔術師は、自分が操れる現象の名をミドルネームとして登録するんだろう? 魔術師でない私でも知っているよ」

 不服そうに反論するマリーネへ、少年はジト目と共に返答した。

「人の名前に口出しするなよ……それに、魔術協会も認めたんだから別にいいだろ。雪は小さく見れば雪の結晶だ。雪の魔術師ってことで間違いじゃないんだからな」

 むぅ、と引き下がったマリーネ。不本意そうだが納得がいったようだ。

「それより、俺のフルネームは完全に忘れたみたいだな、あんた」

「う!」

 痛いところを付かれた! とマリーネは顔を引きつらせる。

「い、いやぁ……私はどうも人の名前を覚えるのが苦手でね。顔なら職業柄一度会っただけで覚えてしまうんだが。……蛇足だが君と私は初対面で間違いないな、うん」

 それは俺だってわかる、と少年は心の中で突っ込む。

 そして一つため息をつくと、

「クリステア=スノウクリスタル=メイラード」

「え、な、長いな。もう一回!」

 慌てるマリーネに少年は再度呆れ顔を返した。

「クリステア=スノウクリスタル=メイラード。知っての通り雪降る忘却屋だ」

シャベルを軽く持ち上げ、体の前にさくりと立て直す。

 そして

「あんたは何を忘れたいんだ、マリーネ」

 雪上の少年は、白い吐息にようやく目的の問いを載せた。

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