4話
「うわー……結構古いねー」
教室に入ってまず柊さんが一言。言葉通り、「古さ」を感じさせるその教室には数人の生徒がちらほらとバラバラに座っている。
机は僕たちのクラスに置かれている物よりもずっと古いし、椅子に至っては座れば壊れてしまうのではないかと思わせるほどだった。天井に設置されている二台のエアコンだけが新しさを保っている。しかし、窓から差し込む夕焼けが電気のついていない薄暗いこの教室の「古さ」と合わさってどこか趣を感じさせる。
「とりあえず座ろっか。どこに座っても良さそうだし」
そうだね、と僕が答えを返して空いている椅子に腰を下ろす。ぎしっ、という音が響いた。机に持ってきた冊子と筆記用具のシャープペンを置いて、柊さんがふうー、と息を吐いた。
「……橘くんは何型?」
「……えっ?」
何型。何型って何だ。ロボットか。好きなロボットか?
「もう、血液型だよ、血液型」
呆れるような柊さんの口調が僕の耳を貫く。僕は途端に恥ずかしさが襲ってきて、顔を真っ赤に染め上げていく。
「A型だよ」
「へえ、A型かぁ。確かにそんな感じするかも。私もA型なんだよ」
「そうなんだ……」
楽しそうな柊さんの表情を見て、若干ながら引きつった笑いを浮かべてしまう。女子は血液型をよく尋ねてきて、それを聞いて楽しむなんてことをよく聞くが、柊さんもさすが女子高生と言ったところか。僕たち男が見たら、血液型を聞いて何が楽しいんだろう? とつい首を傾げたくなる。
◆◇◆◇◆◇
「じゃあそうだなあ……」
うーん、と小さく唸りながら柊さんが顔を上方の天井へ向ける。今までサイトの会員登録をする際に入力するようなプロフィールに関する質問を数十個は受けてきた。
血液型、誕生日、好きな食べ物、嫌いな食べ物。僕は戸惑いつつもすべての質問に答えてきた。しかし、今目の前で唸って質問を必死に考えている姿を見ると、「まだあるのか……」と心の中でつぶやいてしまう。
「あ、そうだ! 歳! 年齢は?」
「……と、年相応だと思うのですが」
僕が飛び級または留年をしていれば歳は柊さんと変わってくるのだが。しかし、僕は留年もしていないし、そもそも日本には飛び級の制度もないため、現役で十七歳やらせていただいております。ちなみに、誕生日は8月の13日で、夏休み中に一樹一人から死ぬほど祝われた記憶はまだ新しい。
「そ、そうだったね。ごめんごめん。私も誕生日は七月だから十七歳だよーっ」
「一応柊さんの方が先輩になるんだね」
「おおっ。私先輩っ」
柊さんが人差し指で自分の胸元をさして無邪気に笑う。
「うんうん」
「そして後輩」
と、柊さんの人差し指が今度は僕を捉える。
「ことさら強調されてもなあ……」
「ごめんごめん。ついねー」
こう見ると、普段教室で授業を受けている柊さんとは180度性格が違う。太陽と月のように、馬鹿と天才のように、柊さんは正反対の二つの性格を使い分けているのか。
「でも、どうして教室じゃ真面目キャラ通してるの? 今の柊さんのキャラが本当のキャラなんでしょ」
と、興味本位で尋ねてしまった。あまりにも不意打ちだったらしく、柊さんは最初眉にしわを寄せて不機嫌そうな表情をしていたがそれを消して小さく笑ってから口を開く。
「単純な理由だよ。最初、真面目キャラでみんなと接してきちゃったから……かな。ほら、真面目すぎる女子がいきなりこんな性格になっちゃったら変じゃない? みたいな」
僕は「なるほど」と同情した。女という生き物は常にドロドロした環境を生きているわけだし、色々な事情があるのだろう。女は怖い。敵に回したくない相手だ、と昼ドラで学んだ。学校でも陰口やら陰湿ないじめに近い行為だったりするものが幾度か存在しているみたいだし。
「だーから、本心で話したのは橘くんが初めてだったりするのだっ」
「えっ……」
「さっき初めて橘くんと話すときもね、やっぱり真面目キャラで通そうかなーとも思ったんだよね。でも何だかね、本心のキャラで行っても大丈夫だって思っちゃったんだ」
机に置いたシャープペンを手にしてからそれをくるくるーと綺麗に回す。そのシャープペンに視線を向けながら柊さんがしみじみと言葉を口にした。
「不思議だよね。そんなこと思ったの、橘くんが初めてだよ」
そして、柊さんは僕の方を見て白い歯を見せた。今までも何度か笑ったが、今の笑いが一番綺麗で、一番明るかった。
そこで僕がまたも体で異常が起こった。脈拍のリズムがぐちゃぐちゃになる、さっき感じたものと同じ感覚が僕を襲う。
「……ッ」
思わず顔をしかめる。眉をぴくりと動かせて不整脈の終わりを待った。
「どうしたの? 何か苦しそうだけど……」
無意識に俯き気味になっていた僕に下から覗き込んでくる柊さん。僕の顔と柊さんの顔の距離、僅か数センチ。
「……!!」
頬が赤く染まり、漫画でいう口が波線のようになる。心臓の鼓動が早い。不整脈に加えて、精神が高揚し、シナプスを繋いで興奮を引き起こす。
こんな症状は初めてだった。今まで感じたこともない痛みでもない、表現できない不整脈。
「だっ、だいじょう……ぶ」
上手く呂律が回らなかった。
「そう? 体調悪かったら保健室に行った方がいいよ?」
「い、いや……」
ドクン。その鼓動一つのあと、突然その症状が消えた。すっかり元通りで、今まで感じた不整脈と体の高揚は台風一過のようにどこかへ吹き飛んでしまう。
「あれ」
目を見開いて自分の体を隅々まで見てみるが、もうどこも何も感じることはない。
「ごめん。ホント、大丈夫」
「大丈夫だったらいいけど……何かボーッとしてたよ? 朝コタツを消してくるのを忘れたとか」
家燃えちゃったよ。
「それでさっきの質問の続きなんだけどねー、まだ大事なことを聞いて無かったよー」
「大事なことですとな」
柊さんのノリとテンションに合わせてみたらよく分からない台詞になってしまった。
「趣味だよ。橘くんはいつも何をするのが好きなの?」
趣味――と聞いて僕が答えられるのは「紙飛行機を折ること」なのだが、「つまらない青春だなぁ」と一樹に反論されてしまっている。
しかし、「勉強」と答えようにも勉強はどちらかといえば嫌いだし、無難に「読書」だろうか。それが安定の答えかもしれないが、どんな本を読むの? と彼女に聞き返されてしまえばアウト。それならあえて男子があまりやらないことを言ってみるか? 「手芸」「裁縫」「料理」……ってアホか。と、数秒の間で悩んだうち、結局、
「そうだねー……あんまいないんだけど僕は紙飛行機を折ることかな」
そのままの自分をさらけ出すことにした。
「へえ、紙飛行機。紙飛行機ってことは折り紙を折るのが趣味とな?」
「折り紙を折る……って言うか、紙飛行機ピンポイントって感じ。ツルとか折れないし」
「紙飛行機だけなの?」
あっ、何かあんまり好印象を与えたわけじゃないっぽい。柊さんの口調と表情を見てそう悟った僕は、げふん、と下手糞な咳払いをした。
「何か紙とかある?」
「え? 紙? えーっと……」
僕の質問に若干の動揺を見せてから、柊さんはスカートのポケットの中に手を突っ込む。何秒かゴソゴソと手探りで探っていたうち、「あっ」と高い声を上げた。
「ルーズリーフがあったけど、こんなものでいい?」
柊さんが手にしたのは四角形の形をした四つ折りのルーズリーフ。僕が「全然OK」と指でOKサインを作ってルーズリーフを受け取る。
折れたルーズリーフを展開して元に戻していく。大分しわくちゃになっているが、問題は無いだろう。
「何で橘くんは紙飛行機を折るのが好きなの?」
「ん――。昔なんだけどね。僕がまだ幼稚園児の頃、祖父が紙飛行機を折るのが好きだったんだけど、どうだったかな……」
頭の中で懐かしい記憶を蘇らせるが、ところどころにモヤがかかってしまっている。それでも絶対に忘れられないことがあった。
「色々あったんだけど、僕が紙飛行機を好きになったきっかけって言うのがあるんだよ」
「きっかけ?」
柊さんがオウム返しに言葉を返し首を傾げる。僕は口を開きつつ手に持った広がったルーズリーフを再び折っていく。
「祖父がね、作ってくれた折り紙の中に――『はばたきカモメ』があるんだ」
「カモメ? 飛行機じゃないの?」
「紙飛行機の中にも色々種類があるんだよ。ハンド・フリーとか世界最強と言われたハンド・ファジーとか。スライダー、アローヘッド、イカロス号――」
「お、おお……橘くんの目が爛々と輝いてる……」
柊さんの言葉で僕がハッ、と我に返る。柊さんはドン引きこそしていないものの少し吃驚しているようだ。
「って、ごめん……つい」
「でも紙飛行機を折るのが好きだって気持ちはよく伝わってきたよ」
ははは、と苦笑しながら柊さん。
「……と、できた。これが『はばたきカモメ』だよ」
僕が完成したそれを柊さんに見えるように掲げる。
「へえ、ホントだ。カモメに見える」
「それで、祖父がこの『はばたきカモメ』について話してくれたんだよ。何でも、この『はばたきカモメ』には人の思いを大切な人に届けてくれることができるんだって」
「ロマンチックなおじいちゃんだったんだね」
「……うん。大切な人に何かを伝えたい時はね、紙に手紙を書いてからそれを折って、カモメにして飛ばすと届くんだって何度も聞いたよ」
結局そのあとすぐ祖父は病に倒れこの世を去ってしまったが、その話を聞いた後から僕はどっぷりと紙飛行機を折ることに浸かった。とにかく無我夢中に折って折って――今に至るが、『はばたきカモメ』が一番のお気に入りだということは昔から一切変わっていない。
「だから僕もいつかそんなことしてみたいなぁ……とかたまーに思っちゃうんだよね」
「私、そういうの好きだな。応援しちゃう」
「う、うん……ありがとう」
それから紙飛行機について談笑を重ねた後、三送会実行委員長の「会議を始めます」という言葉で教室中が静まり返る。
気が付けば、教室のすべての机にはそれぞれ生徒が腰を下ろしていて満員になっている。
そうして会議が始まったが、時折柊さんと視線が合うことがあった。そうなると柊さんはにっこりと笑ってくれて、僕はその度に不整脈に襲われる。
青春を紙飛行機に染めた男には、その不整脈の正体を掴むまでまだまだ時間が必要だった。