3話
「三送会実行委員」という名前の委員会がある。
「三送」というのは、「三年生を送る会」の略称のことである。高校を巣立っていく三年生の先輩方を送るための催しでこの高校では毎年12月、冬休み前に開かれる。普通は3月に行うべきだろ……と口を挟みたくなるが、三年生は受験を終えると登校日そのものも少なくなって3月は卒業式以外で出席することがないらしい。とにかくその「三年生を送る会」――略して「三送会」の運営代表者をクラスの中から各男女一人ずつを選出しなければならない。この委員会がどのクラスの中でも最も人気のない――「絶対に避けたい委員会ランキング」でNo.1である。
しかし。
僕はこの委員会に自ら立候補した。クラスからは喝采が沸き起こり僕は晴れて英雄になったのだ。
……そんなわけもなく。
◆
三限目が終わった。
黒板にずらりと書かれた係・委員会の下にそれぞれ僕たちのクラスの生徒の名前が入っている。
「良かったじゃんか、橘くんよぉー?」
一樹が状況を面白そうに笑い、明らかに僕をからかっている。僕はこみ上げてくる怒りを必死に内側で堪えながら、わなわなと拳を震わせていた。
「お前こそ良かったな、今回も国語演習の教科係になれて」
嫌味のつもりで言ってみたら、「おう!」とか普通に喜ばれて僕の企みが普通に失敗した。
「まぁまぁ、これも青春ってやつですよ」
「なーにが青春だよ……ったく」
黒板に書かれた数ある係・委員会の中にある「三送会実行委員会」の男の欄には誰がどう見ても見間違えることがない「橘都人」の名前があった。はいはい僕です僕です。
最初、僕は何かしらの教科の教科係に任命されるはずだった。だから僕は英語の教科係で手を挙げてみたのだ。
「「「「はい」」」」
何か四人くらい立候補者が出現して、そのまま恒例のジャンケンバトルが勃発。
僕一人だけが最初にチョキを繰り出し、他三人がグーということで僕だけが初戦で敗退となった。大会の1回戦で負けるというのはこれよりももっと辛いのだろうか。さすがに同情してしまう。
しかし他にもたくさんの教科係がある。そういって僕は数個の教科係に立候補したが――
「「はい」」
「「「はい」」」
「「はい」」
「「「「「はい」」」」」
――と、ことごとく二人以上の立候補者が挙がり、そして僕は全てのジャンケンで敗北を飾った。いや飾るな。
そうして負けに負けを重ねていった結果――誰もが絶対に避けたいであろう面倒くささNo.1の委員会――
「三送会実行委員会」に就任することになったわけだ。ワーヤッターオシゴトガンバルゾー。
「国語演習の教科係も三人立候補者がいたのに……」
「俺は信じてたぜ……相棒のチョキさんよ」
と、一樹がチョキを作って悦に入っているのを尻目に僕は何度目か分からないため息をついた。このジャンケン大会を通して気づいてしまったことは――僕はジャンケンがものすごい弱いということだ。そんなことに気づいたところで嬉しくもなんともないわ。
「……」
そういえば、この委員会は男女一人ずつ選出しなければならないもので、男子枠は僕が(ありがたく、いや本当にありがたく)頂戴したとして、女子枠には誰が入ったんだろうということを疑問に思った。黒板を見てみると女の欄には「柊 颯希」と書かれている。
――何だか聞き覚えのある名前だな。僕の耳にまだ残っているその名前。それもそのはず。つい1時間ほど前に行われていた数学の授業で問題を解いていたのがその柊さんだったからだ。なるほど、僕と一緒に活動してくれるのは柊さんなのか……。
女子の方も、この三送会実行委員会のメンバーについてはジャンケンで選んだようだ。と言うことは柊さんは女子の中では最もジャンケンが弱かったということになる。……シンパシーに近いものを感じた。
「柊さん……ねぇ」
蚊の鳴くような声で呟く。柊さんとはほとんど喋ったことがなく、面識も0に近い。
柊さんとは二年生になって同じクラスになった。数学の授業中にも感じたことだが、第一印象は声の可愛さだ。もちろん見た目も女の子として可愛い分類に当てはまると思う。
あくまで関係は「クラスメート」以外の何者でもない、と言うことだ。
「で? 会議はいつだって言ってたんだ?」
一樹が僕の机の上に置かれている「三送会実行委員会活動手引き」の冊子を手にとって尋ねてくる。僕はチッ、と舌打ちをうってから、
「――今日の放課後からだよ」
と、絶望しか見えない目で一樹を睨みつけながら答えた。おー怖い怖い、と一樹が笑いを引き釣らせる。
「ホント、最悪だよ……。何で僕がこんなことに」
「ジャンケンは運だからな。これからお前に幸せがやって来るさ」
「根拠は?」
「ない」
せめて少しでも間を空けて言って欲しかった。まぁ期待はしてないけどさ。
「つーかその委員会ってみんなに嫌われてるけどさ、何がそんなに大変なわけ?」
「……つくづく幸せな奴だな」
むしろお前が僕と変わればいいものを。
「三送会の準備のために朝早く学校に来たり、放課後が潰れたり。とにかく生徒には損にしかならないんだとさ」
これを好き好んでやる奴の気がしれない。一体どんな神経を持ち歩いていらっしゃるのやら。もちろん僕自信この委員会の仕事に関しては経験値0の状態。その仕事の辛さを実際に知っているわけではないが、ここまで悪く言われればやる気の「や」の字も起こらない。
「今日の放課後から毎日活動すんのか?」
「さぁな。本当に毎日活動するかどうかは今日の会議で確認してみなくちゃなんとも言えないよ」
机の中から次の英語の授業で使う教材を取り出して、それを机の右端に置きながら言葉を吐き捨てる。
「憂鬱だ……」
気怠い秋の日中が、余計に気怠く感じる僕はしんみりとして今の心情を一言で言い表してみる。もちろんそれだけでは心のもやもやと広がっている厚い雲が消えて晴れ渡ることはなかった。いつもなら放課後、家に帰って紙飛行機でも折ろうかなーと意欲が沸き起こるのだが、今日はその意欲すらも抹消されてしまい、ただただ放課後を来ることを恐れた。
しかし、時間は止まることを知らない。時計が授業開始の時間を差してから遅れること数秒でチャイムが鳴る。雑談に勤しんでいた生徒たちが慌ただしく自分の席へと駆けていく。どこかで「今日の英語の課題やるの忘れてたぁあ!」と心の底からの声が聞こえてきた。
「……」
……僕の隣から、だった。
◆◇◆◇◆◇
そして、放課後。「授業」という魔物に拘束されていた生徒たちにとって解放された時間。グラウンド側からはボールがバットに当たるあの鋭くて気持ちのいい音やランニング中の掛け声、応援団の応援するたくましい声とドンドンと体中に響き渡る大太鼓の音など、学校全体が「部活動」というムードに変貌していた。
僕たち教室も人という人がいなくなり閑散としていることで活気やら何やらがどこかへ吹き飛んでしまった――そんな静寂に包まれていた。
「俺、終わるまで待ってようか?」
一樹がカバンを手に持ってそれを肩にかける。
……どこからどう見ても動作と言葉に矛盾があると思うんだが。
「帰る気満々だな」「てへっ」
冷淡な目で一樹を見て一言。言葉を投げかけられた本人は「バレた?」と言わんばかりに可愛さアピール。気持ち悪い。
「別に待てって言われれば待つよ? 10分くらい」
最後の台詞が無ければお前を見直していたのに残念だ。
「いいよ。多分今日は遅くなるだろうから」
一樹の気持ちを察して僕はカバンを手に立ち上がると窓から眩しいオレンジ色をした光が差し込んできた。
立ち止まっていた一樹だが、僕の言葉を聞いて「そ、そお?」とか言って普通に何の躊躇もなくお帰りになりましたとさ。めでたくない、めでたくない。いや、アイツにとってはめでたいことなんだろうけどさ。
一樹と別れた僕は会議の行われる「特別教室1」に向かう。この高校は校舎がそれぞれ新校舎と旧校舎と呼ばれる二つの棟で交際されていて、正面に近い新校舎は一年から三年までの全クラスが設置、旧校舎には理科室や音楽室などといった特別活動を行うプレイルームとして教室が解放されている。
今回僕の向かう「特別教室1」もまた、旧校舎にあった。新と旧、と比較されていてもそこまで綺麗さも設備も良さも変わらない。どちらの棟にもエアコンが設置されているし、ただ建てられたのが早いか遅いかといったことだけだ。
キュッ、キュッ、と上履きを床に擦りつけるようにして旧校舎を歩く。僕以外誰も歩いている者はおらず、窓から差し込む夕日でできた僕自身の影だけが僕を追う。そうして、歩くこと二、三分で数メートル先に「特別教室1」とプレートに書かれた教室を見つける。特別に活動する時にしか使われていないからか他の教室よりも少し古臭い感じがした。
「……ん」
その特別教室1の古さに少し嫌気を覚えたあと、僕の目は別の物――否、人を移した。その教室の前で困っているというか迷っているというか、落ち着き無くその場で立ち止まって片足を足踏みさせている女子生徒を発見した。遠くでは誰だか分からなかったが、近づいてくるうちそれが僕の知り合いであることが発覚。
「……柊さん?」
「ふぁっ!?」
そして、その人――柊さんの名前を呼んでみる。柊さんにはただ声をかけたつもりだったが、僕の思った以上に驚いているようだ。声が一オクターブほど高いというか、裏返ってしまっていた。
「……ど、どうかしたの?」
とりあえず笑ってみる。……絶対ぎこちない笑いになってるんだろうけど。こういう時、心からの笑顔を見せられるような人になりたい。
「って、なんだ……知ってる人だった……」
胸を撫で下ろしたのか、柊さんがいつもの可愛らしい声を取り戻す。一応僕は柊さんの中では知っている人扱いになっていてそこで僕も少し安心――
「それで……誰だっけ?」
――した矢先の扱いチェンジ。これ絶対知られてない。
「えっと、一応同じクラスなんだけど……」
「ご、ごめん! そういうことじゃなくて……さっきのは言葉の文というか何と言うか……『名前何だっけ?』って聞いたつもりだったの」
どことなく焦りを見せながら、柊さんが胸の前で両手を出してそれを左右に振っている。僕はそうして「橘都人です」と味気ない簡単な自己紹介を済ませた。
「うん、橘くん、ね!」
「それで柊さん、『特別教室1』ならここで合ってると思うよ。三送会の会議でしょ、柊さんも」
……とかそんなことを言ったら、何だか凄い驚かれた。
「……アーユーエスパー?」
柊さんが日本人らしい発音で英語を使った。いやエスパーってあなたと同じ委員会ですから。
「でも柊さんってそういう冗談とか言うタイプなんだ。クラスじゃ優等生ーってイメージ強いから」
ちょっとびっくり。「心外だなーっ」そう言って、柊さんは苦笑した。
「私が参考書とお友達なキャラと思われていたとはねー」いや、そこまでは言ってないです。
「新しい柊さんを発見したーって感じだよ」
「まぁ私ってあんまりこういうキャラで人と話さないからね。みんなの前じゃ真面目さんキャラ通してるつもりだから」
「ふーん。それで、どっちが本物の柊さん?」
「どちらかといえば今のキャラが本物かな。似合わないかなー、このキャラ」
自分の髪をいじくりながら柊さんは言った。何か今この数分だけで柊さんという人物の大事な秘密を握ってしまったような気がして、僕は罪悪感に近いものを感じた。
「とりあえずこんなところで立ち話もなんだし、中入ろっか! 中で橘くんのこと色々聞かせてよ!」
柊さんが僕の右腕を掴んで、そうしてから、こっちこっち! と教室の中へと誘導される。何か言わなくちゃと思い立って口を開いてみる。「わわっ」驚きの言葉しか出ませんでしたー。
その時である。僕の体の中で何だかおかしなことが起こった。心臓の動きというか、リズムが変わったような、そんな感覚。脈拍のリズムが乱れて不規則になったようなこれは――
(不整脈?)
でもなぜこんな突然に? 例えるならマラソンをしている真っ最中のような息苦しさに見舞われる。血が沸騰したかのような、それは僕に不快を思わせた。
その正体が何なのか。はたまたその原因は? 疑問が積み重なっていくだけで答えは出ず、僕は柊さんに連れられて「特別教室1」へと入室した。
次回、パソコンがしばらく使えない影響で更新が遅れます。
遅れましたがお気に入り登録をしてくださった方、それに評価してくださった方、ありがとうございます。嬉しいです。