1話
言い忘れましたが、この物語はフィクションです。
神奈川県横浜市を走る鶴見線の新芝浦駅では、海の潮水を運ぶ風が吹く。
僕がいつも通う高校の最寄駅も、その新芝浦駅だった。電車が減速し、やがて止まる。それと同時にドアが開く。
数人の人が開かれたドアから降りていく。その中の一人に、僕、橘都人はいた。
「……うーん」
早朝7時半過ぎ、僕は黄色い線のギリギリ内側で立ち止まり、大きく伸びをした。
よく晴れた太陽の光が影を作り、潮の匂いが鼻をつき、大分涼しくなった風が髪を揺らす。今宵季節は秋。夏休みが終わって数週間後の9月の半ば頃。
けたたましい発車ベルのあと、「駆け込み乗車はおやめください」と言った自動アナウンスが鳴り響き、電車のドアが閉まる。電車は加速を初め、ガタンゴトンと音を上げてやがて見えなくなった。
ふと僕は、「新芝浦駅」と書かれた駅の看板の先の景色を見た。青い空と見事にマッチしている、青色の絵の具をぶちまけたかのような海が見える。
この駅は僕の目から見て大分古い。地震が来たら崩れてしまうのではないかと毎日身震いする。
僕の耳を刺激するiPodの電源を消して、一年前、高校に入学する記念に両親に購入してもらったヘッドフォンを外す。小さく、波の音がした。
あくびを噛み殺して、僕はゆっくりと歩き出す。先程僕と同じように降りていった人たちの姿はもうホームには無い。
「ふぁ……」
先程はかみ殺せたあくびを今度は口から漏らす。今日も眠い。
数段しかない階段を降りて、駅舎内に入る。大分古くなってはいるが、その古さが趣を醸し出している小さな建物だ。駅舎の中央部に置かれているICカード端末機にICカードをかざす。ピピッ、という機械音が鳴った。完全な無人駅なのだが、ICカードが使えると知って高校に入学した当時は感動した。
英会話ならイーオ(自主規制)とかいう広告の貼られた壁を通り過ぎて駅の出口へ。このような無人駅を出たら雪国なはずもなく、見えるのは某工場群とまっすぐと続く一本道だけ。
左肩からずれ落ちた通学カバンの紐を修正するように元に戻しながら、僕はその一本道を歩き出す。
僕の他にも同じ学ランを着こなす男子生徒や、夏服の白いブラウスを着用している女子生徒が数人、気怠そうに歩いていた。
9月半ばに差し掛かった今日、風は涼しくとも太陽が照らす日差しはまだまだ暑い。残暑見舞いを今出したところで問題ないような気もする。
「……」
終始無言。頭の中で今日の授業は何だっけ、だとか今日は課題を持ってきたっけだとかそんなことを考える。そもそも一人で登校しているわけだし喋る方がどうかしている。
あとはこのまま歩くこと15分ほどで僕の通う高校「私立海浜高等学校」に到着する。しかし、僕はまだ歩き始めてカップラーメンが出来る時間ほども経過していない。到着まではまだまだ遠い。
ただ歩くだけで退屈だと思う。これはいつも通り。
そんなことを感じ始めた頃、僕は自分の通学カバンのチャックを開ける。これもいつも通り。そのカバンの中を手探りで探し、手触りで「これだ!」と思ったらそれを手にする。
僕がカバンから取り出したのは――コンビニ、100円ショップなど何処にでも売っている紙切れ。そう言うと悪いイメージのような気がするので製品名で言う。それは「折り紙」だ。
最近の若者と言うのは、テレビゲームだとか何だとか言って、折り紙を折るということをないがしろにしているような気がする。まぁ僕もテレビゲームは好きだしよくやる方なのでそこまで悪く言えないが。
(今日は……)
何を折ろう、とかそんなことを考えてみるが、僕が折るものと言ったら既に決まっていたりもする。自慢ではないが、僕はツルが折れない。手裏剣も折れない。本当に自慢じゃなくて恥ずかしくなる。
僕がまともに折れるのはただ一つ。紙飛行機である。
芳しくない点数のテスト用紙を紙飛行機にして昼休みに飛ばしてみるだとか、暇潰しに作る人は多いこの紙飛行機だが、僕はこの紙飛行機を折るのが好きだ。
「無難に普通の紙飛行機でいいか……」
ぼそっ、と呟く。さっき一人で登校しているのに喋るのはどうかしていると言ったような気がするが、ケースバイケースと言うことで。
滞空時間の長いへそ飛行機、まっすぐ遠くへ飛ぶやり飛行機だとか色々なものを作れる僕だが、学校までの暇を潰せれば何でもいいと考え、無難に誰もがよく見るノーマルスタイルの飛行機を作ることに決定。
動く足を止めることなくして、僕は折り紙をじーっと見て、手を動かす。まずは正方形の折り紙の左半分を横へスライドするところから始める。
そのあとしばらくは、紙飛行機を折ることだけに意識を集中させた。
★☆★☆★☆
上り坂を歩いている途中。
「……と……ろと……ひ……と」
「……」
「――都人くーん! 聞こえてますかぁ!?」
あと一折で紙飛行機が完成というところですっかり聞き慣れた低い声が聞こえてくる。
ゆっくりと僕の歩く速さに合わせて自転車のペダルを漕いでいるそいつ。
「何度も僕の名前を呼ぶなよ、聞こえてるんだし」
「だったら返事ぐらいしろって! 幼稚園で習っただろ、名前を呼ばれたら大きな声でお返事しましょう、ってな!
朝はいっつもそうだ。お前、紙飛行機ばっか折って楽しいのかよ?」
幼稚園で習ったことの復習を僕に叩き込んだ後、呆れるようにため息をついて感情を殺しながら僕の完成仕掛けの紙飛行機を見るそいつ。
「一樹は知ってるだろ。僕が紙飛行機を折るのが好きなこと」
そいつの名は笹山一樹。小学校の頃だろうか。気がついたらずっと隣にいた、言わば幼なじみというグループに分類される男である。
髪は黒メインの茶が混ざり合ったような色合いで短髪。背丈は僕より少し高く、頭脳は――大変ご愁傷様でしたと言わざるを得ないが、とにかくこ奴、運動神経が恐ろしく高い。そのくせどこの部活動にも所属していないので、運動部では去年コイツはまさに「引っ張りだこ」状態だった。特に優れているのは脚力。足がとてつもなく速い。
僕と一樹は家が近い。それなのにも関わらず、なぜ僕は電車通学、一樹が自転車通学なのか。その答えが一樹の運動神経の良さにある。これは本人のコメント。――『チャリ通は運動になるから!』。だったら運動部に入部しろ。
さらに、何でも好奇心旺盛で入学初日から友達をバンバン作っちゃうーというタイプ。どこのクラスにも、そういった奴はいるのだと聞く。その人のことを想像して頂ければ、=一樹として説明がつく。
「そりゃ長い付き合いだし知ってるけどさぁ……お前、もっとこう……現代っ子になろうぜ?」
「僕はリアルタイムで現代っ子のつもりだが? そもそもお前の言う現代っ子とは?」
100文字以内で説明せよ。
「スマホ」
3文字だった。残りの97文字が青空に消えていく。しかも全然意味が分からん。そしてなぜドヤ顔を作るのかも余計に意味が分からん。うまいことを言ったと思っているのだろうか。
「何だよ、それ」
「現代っ子の象徴を表すアイテム名を言ってみた。紙飛行機を折るよりももっと面白いことがこの現代には溢れてるんだぜ!」
つまりそれを言いたかったのか。僕はジト目を作って未完成のままの紙飛行機を完成させる。
「僕はゲームも好きだぞ。黄色いネズミが進化して強くなるゲームなんて廃人と言われるぐらいやりこんでるし」
「黄色いネズミってお前……」
著作権の関係なんだ。察しろこの野郎。進化すると可愛さが消えるだとかそういうことを言ってはいけません。
「じゃあそんな現代っ子の橘くんに質問します。――あなたにとって青春とは?」
「紙飛行機」
「話聞いてたかお前」
あちゃー、と一樹が額に左手をおいた。
「お前、今高校二年生なんだぞ? 分かってるか?」
「もちろん」
「自覚があるから余計に困るんだよな……。いいか、都人。青春。青春だぞ? お前、紙飛行機を作ることが青春でいいのか?」
「青春は人それぞれーってどこかの偉い人が言ってた」
……気がする。誰も言ってなかったら将来僕が言えるような偉い人になろう。
僕は完成した赤色の紙飛行機を青空に掲げてそれを仰ぎ見た。太陽の光が飛行機に当たって、それなりの格好良さを出している。あくまでそれは紙に過ぎないわけだが。
また風が吹いた。朝、電車を降りてから何度か思ったが、今日は風が強い。風が強いことは今の僕にって好条件だった。
「……はぁ、またいつものですかぁ、橘さーん」
僕の行動を見て察したのか、またため息をついた。そんなに僕はおかしいのだろうか。
――とにかく今から僕が行うことは一樹曰く「いつもの」、である。僕の日常となっている行為。それが朝、通学路を歩きながら紙飛行機を折ること。そして――
それを、飛ばすこと。
「――」
僕が立ち止まって青空を見つめる。
「お前、その時の格好は漫画の主人公みたいでカッコイイと思うぞ。飛ばすのが紙飛行機じゃなくて必殺技ならもっとカッコよく見えるのに」
愚痴をこぼす腐れ縁の言葉など左耳から右耳に受け流すとして。
「……」
「……」
紙飛行機を持つ右肘を曲げて、肩より後ろに持っていく。そのまま数秒間微動だにせず。一樹の言う漫画みたいな感じで表現すると、必殺技を出す為に気を溜めているとか、そんなイメージ。
「――ふっ」
そして、それをガードレールの先へと飛ばす。上り坂ももうすぐ終点のこの場所から紙飛行機は追い風に乗って飛距離を伸ばし、まっすぐ、まっすぐ飛んでいく。
僕たちの通う高校はなぜか高い場所にある。このガードレールの先にはミニマム化した都会と田舎をごちゃごちゃにしたような何とも言えない中途半端な背景。その背景に融けるようにして紙飛行機は滑空を続け――数十秒後、まっすぐ飛んでいたそれは下落を始めて、やがては見えなくなる。
「わー、すごいすごい」
一樹が棒読みで僕の飛行テストの成功を祝してから、パチパチと拍手を数回。
「満足そうな顔してるよ、お前」
「……そう?」
やれやれ、と一樹が僕を見てそう言ってくるのだから、おそらく僕はその「満足そう」な表情を浮かべているのだろう。満足した、という実感は感じられないが。
「でも、都人は紙飛行機を飛ばすのは上手いよな。どうしてあんな長時間の間、速いスピードでまっすぐ飛ばせるんだか」
一樹が言うには、僕の紙飛行機を飛ばすテクニックは異常らしい。理由は今の一樹の言葉通りで、長時間、速いスピードで直線に飛ばすことができるからだとか。
「それって褒め言葉?」
僕をからかっているようにしか聞こえないのだけど。
「――そういうことでいいんじゃねえ?」
適当すぎる答えが返って来た。そんなやり取りをしているうち、数メートル先に僕たちの通う海浜高校の校門が見えてくる。
「……いつも通り、だな」
「そうだね」
そう、いつも通り。これが僕と一樹の、毎日の日常風景。
僕は紙飛行機を折るのが、そして飛ばすのが好きだ。
しかし、それはどうやら「青春に入らない」らしい。おっしゃる通り、だと思った。
部活動に汗を流したこともないし、学年トップになったこともない。
学級委員になったりだとか、ましては生徒会長に立候補したことすらもない。
僕の生活は、一般高校生の望む「青春」とは、大きくかけ離れていた。