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少女は亡き父と対話を続ける

作者: 饗庭淵

 少女は亡き父と対話を続ける。

 ネットを介しキーボードで交わされる会話、音を知らぬ彼女が遠い地の父と会話するにはそれが一番よかった。当初は二本指を構えた稚拙なタイピングだったが、それもみるみる上達し、いまでは完全にブラインドタッチをマスターしていた。細い指はなめらかにキーを叩く。カタカタと耳あたりのよい音を奏で、Enter, 父のもとへ言葉を送る。

 父と離れてそろそろ一年が経つ。仕事の関係で、とのことだったが、本当のところはよくわからない。ただ彼女は父の言いつけを守り、帰りを待っていた。この小さな部屋で、寒さに凍えながらも、少女はモニターの前に腰掛ける。いまはそれしか父と面することはできないのだから。

 ふと、窓に目をやる。

 しんしんと、音もなく雪が舞う。そして彼女は思う。父のいる場所にも雪は降っているだろうか? この暖かな冬は、いつまで続いてくれるのだろうか?


***


D>そろそろ誕生日だね

D>まだ帰れそうにはないけれど、郵送でプレゼントは贈るよ

D>なにがいいかな?

D>ぬいぐるみ…はさすがにもういらない?

D>うーむ…

D>そういえばケーキもいるなあ

D>一人で食べる物じゃないかな?

D>まあそれはこっちで選ぶとして…プレゼントはなにかいってもらわないと

D>なにがいい?

D>どうした?

D>タイプが遅いぞw


 こんなことならもっと早くパソコンを買い与えてやればよかった、とも思った。しかし、ディスプレイとキーボードを交互ににらめっこしながら必死に言葉を紡ごうとする娘の姿を想像すると、それはそれで微笑ましいものだった。

 その傍らで私はプログラムのソースを眺める。

 娘のもとを離れる前から着手していたのもあり、原型はある程度完成していた。あとはデータベースを蓄積し、それにあわせてデバックを重ねる。どのようなデータが必要か。それをどう整理するか。そのためにはどんなアルゴリズムが効率的か。それらの基礎事項は事前に体系化し、入念にレビューを繰り返し構想を固めた。大変なのはここからだ。実際のデータを用いた実験に移る。時間も、どれほど残されているかわかったものではない。


H>特定の人間に対し特定の人間の偽装か

H>難易度は高いぞ

H>知ってること、知らないことの判別

H>反応時間

H>両者間特有の定型…まあ、これはすぐに対応できるか

H>しかし新しい定型が生まれることも往々にしてある

H>一年もあればそういうこともあるだろう

D>もちろん考えてある

D>5,6人のサンプルを分析した上で統計化した

H>ふむ。準備がいい

H>目的対象が限定されているならそれ以外についてはそれくらいでいいだろう

H>流行鋭敏度はどうする?

D>まだデータ不足だ

H>もし気にするならうちでリアルタイムに更新してるデータベースにジャンルを指定してリンクしてもらえればいい

H>だがなにより問題は柔軟性だ

D>わかっている


 今はまだ、娘のタイピングが遅いせいで二窓を開いて別の相手と会話することも容易にできる。有能なプログラマーの友人がいてよかった。設計段階で大きく助けられた。彼からも指摘されたとおり、無茶な試みではある。だが、私は娘を寂しがらせたくはない。

 娘がようやく返事をした。とりあえずは疑問符を付け、希望のものを書く。たったこれだけの文字列でずいぶんと時間のかかるものだ。思わす頬が緩む。その単語を入力するためにどれほど試行錯誤したのか。本当はもっと書きたいことがあったに違いない。そんなことを考えると、どうにもイタズラ心をくずぐられてしまう。


D>本当にそれでいいのか?

D>本当に?本当に?

D>早く返事しないと買ってあげないぞ?


 こんなふうにからかっていられるのも今のうちだろうか。口元を緩めながら、その側でせっせとプログラムを修正していく。状況としては、新聞を読みながらコーヒーを片手に、余裕の表情でチェスの相手をしているようなものだ。娘は、まずなにより本気で相手をしてもらうために苦心する。だた一つ異なるのはその姿が娘には見えないことだ。もし見えていたのならもっと面白いだろうに。そんな矛盾めいたことを考える。

 そうこうしているうちに就寝時間が近くなる。からかうことばかりに終始して結局プレゼントは決まらなかった。それはまた明日にでも決めればいい。「おやすみ」と告げるが、それからなかなか返事が来ない。娘からも「おやすみ」と返してくれるのだろうか。それともあきらめてそのまま寝てしまうのだろうか。あるいは、まだ起きていたいとだだをこねるだろうか。そんなことを考えてなお時間が余るほど娘の返事は遅い。私も今日は疲れてるんだ。早く眠らせておくれ。そんな文面で娘を急かす。しかしどうにもいつもより遅いようだ。やっとのことで「おやすみ」の返事が来たが、そこには怒ったような表情の顔文字が添えられていた。いまの娘の精一杯の感情表現なのだろう。時間を掛かっていたのはこのためか。ネット上で探し当て、コピー&ペーストをするのに手間取っていたのだ。顔文字を使ったのははじめてのことだったので、おそらくそうに違いない。このことを再びからかってみたい衝動に駆られたが、さすがにやめておいた。これも明日の話題にしよう。電源を落とし、床に就いた。

 月日は過ぎる。寒さも厳しくなる。娘のタイピング速度は日々向上し、今ではラグもなくほぼリアルタイムで会話ができるまでになった。懐かしい感覚を覚える。幼きころ、言葉を話せるようになったあのときの感動だ。それも今では当たり前になっている。そうして毎日繰り返された会話履歴は、すでにかなりの量が蓄積されていた。

 データベースの構築はまず基礎的なことからはじめた。娘についてのあらゆるデータをインプットする。容姿、誕生日、血液型、趣味や好き嫌いから友人関係、学校での成績のこと。私の知るかぎりの情報を入力する。しかし、誕生日や血液型ならまだしも人間に関する情報は常に変化するものだ。そのため会話によって得られた新たな情報を更新するためのアルゴリズムも用意した。文脈からそれを読みとり新規情報として認識するだけでも一苦労だ。まだ完成とはいいがたいが、要は再度話題になったときに対応すればよい。仮に即時的な処理に失敗しても履歴を検索し直せばいいだけの話で、少々反応時間が遅れる程度のことだ。むしろその方がリアルだし柔軟性もある。これについてはある程度目途が立った。

 問題は思考パターンだ。ログを分析し返答を整理、そしてそれぞれ評価する。予想内だったか予想外だったか。ほかに類似した返答はあるか。どの程度の頻度で繰り返されているか。対象が限定されている場合は相手についてそれを行うことも重要になる。そして当然ながら自分についてもそれを行う。囲碁や将棋と同じだ。相手が望む返答、自分が望む返答、しかし現実はその間に摩擦が生じる。それがどの程度の範囲で起きているのか、どの程度の範囲なら許容できるのか、それを計算で見極めなければならない。

 娘がどんな返事をするのか、それはコントロールの効かないことだし、する必要もない。だが自分については別だ。プログラムを構成しやすいよう、努めてパターン化しやすい返答を心がけてきた。頻出単語、口調、句読点の有無、興味対象、好んで使う比喩、話の展開、自分自身についてならばそれを把握することは容易い。はずだった。なのにどうだ、娘の表現も日々多様化し、さまざまな言葉、さまざまな知識を貪欲に取り入れ、身につけていく。思う以上に人というものは変化が激しい。成長期の娘ならなおさらであり、それは自分についてさえもいえた。

 話題も次々に展開する。学校の話、友達の話、趣味の話、映画の話、ときには哲学の話。さまざまな話をしたが、一日に一つの話題だけで終始することは稀だった。かつては話題になりそうもなかったことも、娘の関心の変化によって話題に持ち出される。それに対応するためにはまずなにより基礎的な知識量が必要だが、それこそ膨大なものになった。自分がなにを知りなにを知らないのか、この歳にもなってこれほど自分との対話を要求されるとは思いもしなかった。

 問題は山積みだ。予想以上に手こずっていた。なにげない会話を続けるということが機械にはこんなにも困難だ。プログラムのテストのために娘との会話の時間を削ったこともあった。これでは本末転倒だ。娘との時間がいつ失われるとも知れない。私は焦りはじめていた。だが、その感情を会話に投影してはならない。娘に悟られてはならない。だというのに、私は私自身の言葉さえもコントロールできなくなっていた。

 こんなにも豊富なサンプルが用意されてあるというのに、類型化がまるでうまくいかない。完成したはずのプログラムの修正をいつまでも迫られる。データは増える一方で統合が追いつかない。眠る間を惜しむくらいのことでは到底処理しきれない。

 設計コンセプトに問題があったのか。いや、それは百も承知のことだ。そもそもが目的が違うのだ。人間の目的は会話を楽しむこと。プログラムの目的は楽しむ会話をすること。その違いはどうあっても覆らない。その差を膨大なデータ量と演算能力で埋める。いかにデジタルでも超高解像度のそれは、人間の原始的な目にはアナログと見分けがつかない。その理論を信じるほかなかった。

 夜が更ける。もう娘が寝る時間だ。もう少し話していたいが、娘は寝かしつけなければならない。寝坊するようなことがあっては大変だ。


D>おやすみ


 娘はしばらく渋ったが、私は接続を切った。娘はちゃんと眠ってくれるだろうか? 私の夜はもうしばらく続く。子供に寝ろと言いつつ自分が寝ないでいるのはなんとも欺瞞めいているとは思っていたが、つまりはそういうことなのだろう。はじめから感じていたことだ。だが、もう後戻りはできない。毎日毎晩データを検証しなければとても間に合わない。それは今日であれ例外ではない。データを読み込む。未使用の会話履歴によってテストを繰り返す。不自然な返答を修正する。

 実用期間に対しテスト期間はあまりに短い。はじめから破綻しているのだ。とても満足のいく形には仕上げられなかった。名残惜しい、だがもう時間がない。これが最終確認だ。「帰宅時間」の誤差±30分での自動ログイン。相手は娘しかいない、話しかけるのは基本的にはこちらからだ。基礎中の基礎でつまづくようではすべてが台無しだ。別れも告げていないのだから。

 兵役は一年。そうしたら私は戻ってくる。

 一年だ。一年だけ娘を騙し続けられればそれでよい。

 戦場での死亡確率はせいぜい数%にすぎない。生き残る可能性の方がはるかに高い。私は生きて戻る。もし戻らなかった場合は文脈を無視して真実を告げるようにプログラムした。それは時限爆弾のようなものだ。私はそれを自分で設置し、時間内に帰りそれを止める。

 そして娘を驚かせるのだ。今までお前が会話をしていたのは私のつくったプログラムだと、私の技術力の高さを知らしめるのだ。

 私は席を立った。その日は電源を落とさずに、私は部屋を後にした。 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 悲しいとても悲しい物語でした。 [気になる点] 戦死による死亡通知が届くのではないかと思いました。 [一言] 寂しがらせないために自分の代わりにチャットをするプログラムを作る…か。 プロ…
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