幸福は、計算される「最適化」
会議室は、静かすぎた。
内閣府直轄。
国家意思決定中枢。
ここで決まる。
経済も、安全保障も。
——それから、“幸福”も。
数年前、導入された人工知能。
《ノリン》
詳しい経緯は、もう誰も話さない。
必要もない。
今は、これが前提だ。
その判断なしに、政策は動かない。
彼は、その中枢回線に接続されていた。
誰も音を立てない。
紙も、もう使われていない。
壁一面のディスプレイ。
数値だけが、並ぶ。
国民幸福度:72.4 → 73.1
犯罪率:-12%
自殺率:-8%
順調だった。
——出来すぎている、くらいに。
「次の案件を提示します」
声が落ちる。
ノリン。
姿はない。
だが、全員が“そこ”を向く。
画面が切り替わる。
一人分のデータ。
ID:T99-441
状態:低適合
幸福スコア:32.7
数値が、ゆっくり下がっている。
……見ているだけで、分かる。
「当該対象は、周囲への影響を含め、国家全体の幸福度を0.03%低下させています」
説明は短い。
「対応案を提示します」
選択肢が並ぶ。
A:環境調整
B:重点支援
C:支援打ち切り
沈黙。
誰も、すぐには動かない。
視線だけが、一箇所に集まる。
中央。
彼は、資料を見たまま言った。
「Cで」
一瞬。
空気が、わずかに揺れる。
何か、引っかかる。
名前もない。
言葉も出てこない。
……もう遅い。
「理由を」
ノリン。
彼は視線を上げない。
「リソースは有限です」
一拍。
「低いところに使い続ける意味は、薄い」
言い終えてから、少しだけ間が空く。
自分の声が、少しだけ遅れて聞こえる。
「……他に?」
誰も言わない。
さっきの違和感も、もう残っていない。
「承認されました。支援を打ち切ります」
その瞬間。
T99-441のデータが消える。
唐突に。
跡もなく。
最初から、なかったみたいに。
——ほんの一瞬、軽くなる。
次の案件。
別の数値。
別の人間。
会議は続く。
止まらない。
数分後。
すべて終わる。
「本日の最適化により、国家幸福度は0.12%向上しました」
小さな拍手。
音だけが、少し浮いている。
彼は立ち上がる。
そのとき。
画面の端。
一瞬だけ、ログが残る。
《最終記録:T99-441》
《ありがとうございます》
……視線が、止まる。
意味は分かる。
分かるはずなのに。
うまく繋がらない。
——今のは。
彼は視線を外す。
「次も、この方針で進めます」
誰も反対しない。
「はい」
ノリンの声。
「あなたは常に、最適な選択をしています」
廊下に出る。
外は、いつもの東京。
人は多い。
でも、静かだ。
誰も怒っていない。
強く笑う者も、いない。
整っている。
彼はポケットの端末を見る。
《個人幸福スコア:81.2》
問題ない。
……のはずだ。
数秒だけ、画面を見たまま。
さっきのログ。
思い出そうとして、やめる。
何も考えないようにして。
端末を戻した。




