表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルシアンの物見遊山  作者: フジイさんち
濁潮の咆哮
58/60

【契約の答え合わせ】


――翌朝。ガルドの部屋。

朝食はあと。今はテーブルに向かい合って座っていた。


柔和な魔術師は、契約当初と変わらない笑顔で……そこにいた。


ガルドは己を恨んだ。元来慎重な性格だった。

『ひと月、付き合う』……そう試すように問いかけたのは、他でもない自分自身で。

『見限られれば、それまで』と、微笑みながらそう言葉を返したのは、他でもない、目の前の彼だった。


あの時のルシアンの笑顔は、今のガルドからしてみれば”仮面”で……今目の前にある笑顔も、それと、同じものだった。


「まずは、ひと月分の契約金の残りを」


小さな革袋が、木のテーブル、ガルドの面前に置かれた。

契約当初に渡された、試し金の金貨一枚。恐らくこの中身は、金貨四枚。あわせて金貨五枚が、この一か月の旅の護衛金だった。


…………手が、動かなかった。


これを受け取れば、全てが終わるように感じて……軽い小さな袋が、とてつもなく重く感じた。


そして、それきりルシアンは口を閉ざす。


ただ言葉の代わりに、ルシアンは自分のすぐ目の前に、同じ大きさの革袋を置いた。カチャリ、とかすかに音が鳴る。


”次”がそこに入っていることは、……明白だった。


終わりにするならば、手元の一つだけを取ればいい。続けるならば、二つの革袋を取ればいい。

ただその二つ目の袋は、手を伸ばせば届きそうで、届かない位置にあった。


しばし赤い瞳は、じっと袋を見ていた。まるで、それが爆ぜるのを待っているかのように。

息を飲むでもなく、言葉を吐くでもなく。ただ、右の手がわずかに震えそうになるのを押し殺していた。



――ひとつき。


特に意味のない旅路になる予定だった。気まぐれの依頼、試しの契約、暇つぶしの旅。

いつ終わってもいいと思っているはずだった。物好きに付き合ってやるんだと、たかをくくった。


けれど……、このひと月で、この男の背中を、何度と見た。微笑みを、幾度と受け取った。

沈黙を、何度もともにした。送り、託し、守り、揺らぎ、並び立ち……そのすべてを“護衛”で割り切れるほど、自分の頭は単純ではなかった。


(……俺、は)


ただの雇われ護衛か。それとも、もう少しだけ――……。


無言のまま、左手がゆっくりと伸びた。目の前の袋を掴む。チャリ。

……中で金貨がわずかに鳴った音が、部屋の空気を揺らす。……気がした。


そして――ためらいも、迷いも、吐き出すように、右の手で、もう一つの袋を、ぐっと引き寄せた。


ルシアンの顔は見なかった。だがその指先は、静かに袋を手中へ押し込む。……それが答えだった。

口になどしなかったが、言葉より重い、継続の意思。だが確かに、ガルドの前に座る男の目元が、ふわりとわずかに柔らいだ。




ガルドの大きな手の中に、金貨の袋はすっぽりと収まっている。ほ、と小さく息を吐いたのはルシアンで、……次の言葉が出てくるまでに時間がかかって、それが安堵の息だったことに気づいた。


「……ありがとう、ガルド」



そう言って微笑んだルシアンの顔は、この旅の中で、確かにガルドだけに向けられていた笑顔だった。

安堵や信頼を滲ませる、柔らかな微笑み。他の者には、決して向けられない、顔。


「試すようなことをしてすまなかった。……もう二度と、私からこんなことはしない」

「…………」


……ガルドは、――何も答えられなかった。


それは暗に、”二度と”ルシアンから手放すことはない、と……そう言われているようで。

手放すとすれば、それはガルドからだと、そう言われたも同然だった。


小さく舌打ちをする。

苛立ちからではなく、それほどに、必要とされていたのかという、照れ。


「……朝飯は」


ぶっきらぼうに言えば、ルシアンがおかしそうに微笑んだ。そのままに、そっと立ち上がる。椅子がきぃ、と小さく音を立てる。


全ての所作が、ただひたすらに、あまりにも自然だった。ここにいるということが、なにも特別ではないというように。続くことが、当然のように受け止められているふうに。


「朝食は一階の食堂でいただこうか。支度も終わっている頃だと思う」


柔らかな言葉とともに、ルシアンは振り返ることなく、部屋の出口へと歩を進める。

扉の前で立ち止まり、――ほんの少しだけ、肩が(かし)ぐ。


待っている。何も言わずに。


ガルドは、まだ手の中にあるままの袋を見下ろした。二つ目のそれが、いまや当たり前のように、そこにある。

……こともなげに、無造作に、煙草と同じポケットに突っ込んだが、……特別重たく感じた。


「……行くぞ」


淡紫の背中にそれだけを投げれば、その肩はわずかに揺れた。

振り向きはしない。けれど、足音が二つ、再び並んで廊下を進み出す。


少しでも早く、日常に戻りたかった。奇妙で、優雅で、振り回される、物見遊山に。


選ばれたのがどちらだったのかは、もうわからなかった。






――【契約の答え合わせ】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ