【送りの儀】
ギルドで手早く依頼の報告を終え、感謝の声を浴びるのもそこそこに、ふたりは街へ出た。
曲がりなりにも守護獣を倒したというのに、誰一人として彼らを責めない。
それはガルドの実力があってこそだ、とルシアンは思い。
ルシアンの人心を動かす力があってこそだ、とガルドは思った。
……互いには、何も言わなかったが。
宿で勧められた食事処は、通りから少し奥まったところにある小さな店だった。店に入ると、海鮮とスパイスの香りが鼻をくすぐった。
少し夕食から遅めの時間だったこともあり、店内の人はまばら。
「こんばんは、お好きなお席にどうぞ」
声をかけてきた店員は、ルシアンの姿を見ても騒がなかった。さすがは、あの宿の従業員の勧め、といったところか。
赤い瞳が店内をぐるりと見て、窓際のテーブル席に座った。ルシアンもそれに続き、街着の裾を丁寧に整え、軽く椅子に背を預けた。
店内には、低く流れる弦楽器の調べ。周囲の席は空いており、厨房の湯気と香辛料の香りが静かに漂っている。
ガルドが、卓上に置かれた水を一口だけ飲む。……何も話さない。けれど、その横顔には、戦いの疲れとは別の安堵がわずかに滲んでいた。
店員がメニューを持ってくる。ふたりの前に置かれたそれには、今日のおすすめと手書きで記された品々。
白身魚と香草のグリル、海老と野菜のスープ煮、スパイス香る魚介の焼き飯、小皿前菜三種。
どれもこの街の海で獲れたものばかり。それを見て、ガルドがふと片眉を上げた。
「……海ん中にいたのに、また魚かよ」
だがその声に、棘はなかった。むしろ、ふっと気が抜けるような吐き方だった。
ルシアンもメニューを傾けたまま、口元だけで笑った。その笑みはまるで、「お疲れさま」の代わりのようだった。
「迷子の子をね、思い出したよ」
食事中、静かにそう切り出したのは、ルシアンだった。
魚を切り分ける。自分の分を取り皿に。多い分はガルドに。いつもの動作。すっかり馴染んだ動き。……そんな中、そう、呟いた。
「星を見てたガキか」
「そう。あの子とね、シーグロウルが重なってしまった」
それは、俺もだ、と……何故か言えなかった。
「君しか見えない子どもがいて、君だけが相対した魔獣がいた。船の上の方が人は多かったけどね、……船の上の方が、孤独だったよ」
どこか独白のように、ルシアンがそう漏らす。その表情は微笑んでいたし、何も気負ってはいなかった。
だからこそ、儚かった。
「……星のガキは、お前が送った。だからアイツは、俺が送った。それだけだろ」
「……消すことや、討伐することが、救いになるのは……」
音をじわりと空気に溶かすように、ルシアンが言葉を切った。
伏せた瞳が、銀色に数度瞬く。
ガルドも何も言わず、ただそれを見つめる。
「……ふふ、不謹慎で、こんなこと思っちゃいけないんだろうけど。……それは少しだけ、美しいかもね」
その眼差しが、窓の方を向いた。
……星を、見ているのかもしれない。海を、見ているのかもしれない。叶うのならば、その世界を少し覗きたいと、……ガルドは思う。
ルシアンの横顔は、まるで夜そのものを写したようだった。
静かで、冷たくて、けれど触れたらどこまでもあたたかそうな……そんな矛盾の輪郭を、目の前で確かに感じた。
ガルドは、皿に残った焼き飯をひと匙、黙って口に運ぶ。味なんて、わからなかった。
ただその沈黙のなかで、確かに“何か”が揺れていた。
「…………」
グラスの水をひと息に飲み干せば、喉を鳴らしたその音が、やけに響いた。言葉にする必要のない空気が、ふたりのあいだに流れていた。
そこにいたのは、雇い主と護衛でもなければ、魔術師と戦士でもない。
ただ、この夜に静かな弔いを済ませた、ふたりの旅人だった。
「……もう腹いっぱいだな」
ぽつりと呟いたガルドに、ルシアンはふっと肩を揺らした。目元だけで笑って、静かに頷く。
窓の外、月が満ちかけていた。この夜だけは、何も追わず、何も急がず。
静かに、寄り添うように――星と海を、ただ眺めていた。
宿に戻り、またそれぞれの部屋の扉の前に立つ。
廊下は静かで、夜も遅く人もいない。魔法灯の灯りだけが、静かにその場を照らしていた。
部屋に入る寸前、ルシアンが一瞬、動きを止める。気づかれないほどに小さく息を吐き、斜向かいの扉の前に立つ護衛を振り返った。
「ガルド、明日の朝、君の部屋に行くよ」
まるで業務連絡のような、単調な言葉。微笑みはあれど、どこか遠い。
「話をしよう。……契約の」
一拍、空気が止まった。廊下の灯りが、わずかに揺れた。
ガルドの手が、扉の取っ手の上で固まる。顔はルシアンを見ない。
ただ、低く、細く、息をした。
「……ああ」
足音も、言葉も、それ以上はなかった。
ルシアンが微笑のまま、小さく目を伏せる。その手が扉を引き、静かに部屋へ入っていく。ガルドの背には、その扉が閉まる音だけが残った。
――【送りの儀】




