【潮騒が聞こえる】
「……守護獣……」
港で帰りを待っていた冒険者ギルドの職員たちは、ルシアンの言葉に絶句していた。
帰港の船の上、あれほど盛り上がっていた船員たちも、今は言葉を失っている。
「はい。魔獣の特徴からいって、あの海域の守護獣でした。我を失い、見境なく攻撃を繰り返していたのでしょう」
「そんな……す、水紋は……?」
「守護獣がこちらへ避難を呼びかけていたと考えられます。魔獣であれば理解できたのかもしれませんが、私たち人間では言語の壁があった。……現に、あの海域に他の生き物は全くいませんでした」
確認をするように、ルシアンがガルドを見上げた。ガルドも頷き、周囲の人波が息を止める。
「……敵意の塊だった。だが討伐したのは俺の判断だ。文句があれば言え」
低く冷淡なその声に、異を唱えるもの者は誰もいなかった。
誰もがわかっていた。倒したのは彼で、間違いなく命を奪った。……その腕に、その背に何を背負ったのか。それがわかった。
だから誰も、何も答えなかった。
「……守護獣は、また数年で新しく生まれるとされています。たったの数年です。次の護り手に繋ぐまで、皆さんがこの街を護れないわけではないでしょう?」
ルシアンの柔らかな声が、この場を包む。
は、と息をのむ音がする。
俯いていた者が、一人、また一人と顔を上げる。
「……はいっ……!」
先んじて声を上げたのは、あの補助要員だった。
顔を上げたその目は、まだ赤みを残していたが、しっかりと前を向いていた。
「俺たちが……護ります。次の守護獣が来るまで――いや、それから先も!」
「……討伐じゃない、これは……“引き継ぎ”だ」
「……次の代まで、街を……海を護る。それが、俺たちの役目だろ……!」
ぽつり、ぽつりと漏れる言葉に、他の職員たちも次第に頷いていく。
討伐報告を受け取るだけが役目ではない。街を預かる者として、自分たちがすべきことを思い出していく。
ガルドはそれを無言で見ていた。赤い瞳は細められ、顔に刻まれた影が深い。
だが、腕は力なく下ろされたままだった。
その隣に立つルシアンが、そっと目を伏せる。感情の色を見せることなく、ただ静かに、その場の空気を整えていた。
そうしてやがて――ギルド職員たちが深く、深く頭を下げる。
「……ガルドさん。ルシアンさん。本当に、ありがとうございました」
「街も、海も、必ず……」
「あなたが護ってくださったこの“今”を、次へ渡します……」
拍手も喝采もない。ただただ、静かに頭を垂れる。
海を背に立つ、巨躯の男に。その存在に、……大海の底に”眠った守護獣”をも、どこか感じながら。
淡い色の外套が、海風に揺れる。隣のガルドは、その横顔に夕焼けを浴びながらも、諦めたようにぽつりと呟いた。
「……情緒で動く奴が、ひとりいるだけで……ほんと、厄介だな」
その声に、銀の瞳がふわりと微笑を返す。……もう言葉はいらない。ただふたり、また次の物見遊山へと歩み出すだけだった。
ずぶ濡れのガルドを見て、宿の従業員は慌ててタオルを数枚持ってきた。
部屋へ湯を張りに行く者。怪我がないか心配してくる者。
すっかりこの宿に馴染んだ獣のような男は、それでもどこか居心地の悪そうな顔をしていた。
「ふふ、ちょっと港で長く喋りすぎたね。乾かしてあげようか」
眉尻を下げて笑いながら、ルシアンがガルドに手をかざすが……ガルドが視線でそれを制した。
「んなもん、わざわざいい。風呂はいりゃ済む」
「そうかい?」
それは決してやせ我慢などではなく、あくまでガルドの”普通”だった。汚れた身体は風呂に入ればいい。汚れた服は、宿の洗濯に出せばいい。ただそれだけのこと。
……ついでに言えば、日々の生活をなんでも魔法で解決しようと”しない”ルシアンに、そうして世話を焼かれそうになったことが……ほんの少しむずがゆかっただけ。
互いの部屋の前で一度別れ、ガルドはまっすぐに風呂へと向かう。身体も、服も、髪も、海水と潮風でだいぶべたついていた。すでに張られた湯の温度は、申し分ない――が。
……ルシアンがとったこの、少しお高めの宿……大変快適なのはまぁいいとして……、いつもこれでは旅の感覚がおかしくなりそうだ。
次の街の宿屋は、普通のグレードに戻してもらえるように頼まねば。……そう、思った。
海中で酷使した筋肉を、静かに解いていく。熱めの湯に背を沈めれば、音のない世界に包まれる。
(……守護獣、かよ)
ちゃぷり、と手のひらで顔を拭う。瞼を閉じれば、濁った瞳と、金の紋様が脳裏をかすめる。
ルシアンが言った”送る”という言葉と、自分の手で”終わらせた”実感とが、なぜか、同じ重さを持って胸に残っていた。
(……情けなんざ、俺は知らねぇが)
髪から滴る水滴が、ぽた、と独り言のように溶けた。
――風呂から上がると、肌に触れる空気がやけに柔らかい。着替えを済ませ、濡れた装備は備え付けの籠に入れ、扉の近くに置いておく。
ベッドの上、船上でルシアンに渡されたタオルが、丁寧に畳まれて置かれていた。生活に人の手が入る、というのは、……きっとこういうことなのだろう。
ため息をついて、椅子に腰を下ろす。
夕食はどうする、と訊くことすら忘れていたが、どうせ、来る。
遠く窓の外、潮騒が聞こえる気がする。実際に聞こえているわけではなく、恐らくそのさざめきが耳に残っているだけ。街の生活音や家路を行く人々のざわめきのほうがよっぽど近かったが、耳の奥はまだ、海の音を拾っていた。
き、と部屋の外、扉が軋む音がする。……ドキリとする。絨毯の上を歩いてくる足音が、この部屋の前で止まる。
コン、コン、コン。
「……ああ」
返事をし、腰を上げる。やや一拍置いてから扉を開ければ、やはりルシアンが立っていた。
すでに街着に着替えて、微笑んでいる。……石鹸の匂いがした。
「温まったかい?夕食、宿でとるか街へ行くか、どうしようか」
そう言い、銀の瞳は首を小さく傾げた。
ガルドは肩に掛けたままだったタオルに手をかけ、……目線一つ動かさぬまま、扉の前で数秒だけ固まった。
(……こいつ、何で毎回……)
肩がごくわずかに下がった。声は出さずとも、確かに心の中でため息を吐いていた。
当然のように”どうしようか”、ときた。宿で食うか街で食うかだ。一緒に食うかどうかではない。
(お前、それが普通になってるけどよ)
タオルを外し、無造作に扉の取っ手にかける。そして、無言のままルシアンを、一度上から下まで見た。
(……俺だけだろ、それ)
「……街。ギルドに報告も行くぞ」
「うん、そうしよう」
それだけ交わして、歩き出す。歩調はきちんと合っていた。
――【潮騒が聞こえる】




