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ルシアンの物見遊山  作者: フジイさんち
濁潮の咆哮
51/58

【情緒に縋って】


その頃、冒険者ギルドのセレフィーネ支部では、職員たちの会議が行われていた。議題は、敗走してきた冒険者パーティーが相対した、海の魔獣。

改めて聞き取りを行い、依頼の難易度の再設定を行った。出来上がったばかりの依頼書や資料を、各自読みまわす。



――《濁潮(だくちょう)の咆哮》

【依頼内容】

湾内外において、航行中の商船が相次いで沈む事例が発生。調査の結果、大型の海棲魔獣の存在が確認されたため、討伐依頼を発令。

一部の冒険者パーティーによる接触調査は被害多数・撤退の結果となっており、高ランクの戦闘対応が必須と判断される。


【討伐対象】

海棲大型魔獣 種別不明(エイ型)一体

・湾の深部、または潮流の境界部にて活動中

・船体の底部を突き上げ、沈没を誘発する行動が報告されている


【報酬】

金貨五枚(討伐成功時)

※発見・位置特定のみの場合は銀貨八十枚

※被害減少度により追加報酬支給あり


【注意事項】

・既出パーティー二組が撤退/片方は半壊状態(治療中)

・水中への進入が不可避となる可能性あり(海上戦では困難)

・出航前、または現地にてギルド指定の補助要員と合流のこと


【備考】

・該当区域を航行中の船体に“魔力的干渉による水紋”が出現する現象あり

・当該紋様は帰港後には消失

・討伐対象の位置特定が困難なため、近接戦闘者による単独潜行が有効とされる




「まずいですよ……ちょっとした水棲魔獣かと思っていましたが、予想外に大物です……」


書記官の男が、額を抱えてぼやく。

ギルドの人的財産でもある冒険者を、敗走させた。やはりそのことが、職員たちの間に重くのしかかっていた。


「治療中の冒険者は、命に別状はありません。ですが、しばらくは休養が必要かと」

「こちらの不手際だ、誠意をもって対応するように」

「……ですが、この二組のパーティー、中堅どころでした……正直、やはり無哭(むこく)のガルド氏に頼むほか……」

「……取り合ってくれまい」


職員らの脳裏に、先刻の冷たい赤目が蘇る。


「隣の魔術師が第一のようだった。護衛関係にあるのでは?」

「……ああ。下手に無理強いをすれば、逆に睨まれる」

「そうじゃなくても睨まれたことありますしね……昔……」


ぽつり、と一人の書記官が泣き言を漏らした。

”無哭”の威圧に()てられた者は、……どうも一人や二人ではないようだった。


「……まだ街には滞在しているようだが……魔術師殿の一存で、いつ街を出てもおかしくない。せめてその前に、もう一度だけ、声をかけてみよう」

「やってみない手はありませんが……せめてもう一手……報酬か、被害に訴えるか……」

「……無哭が動く何か……」


それぞれの声に焦燥が孕む。それは、もはや義務感だけの会議ではなかった。

海に沈んだ船、血を流した仲間、その報告を受けた職員たちの悔しさが滲んでいた。


「本来であれば同時進行で討伐隊を組むところだが……海中に潜行しての戦闘が可能な人員が集まるか……」

「それは……」


その言葉に、誰もが目を伏せた。先の敗走してきたパーティーも、数少ない水中戦闘を行える冒険者たちだった。無哭のガルドもそうだ、という情報は、過去の依頼の履歴からも記録として残っている。

書記官の男がかつ、とペン先を書類に打った。


「……街滞在の冒険者をもう一度洗います。潜行可能な者で、できるだけランクの高い者を」

「頼む……あとは、運が、どう転ぶかだ」


夜は、まだ深くなる。潮の向こうに漂う気配に、皆言いようのない不安を抱えていた。




「ん……?」


その中で、資料をめくっていた職員の手が、あるところで止まった。

無哭のガルドに関わる情報としてまとめた中に、つい最近セレス支部から届いた通達が混じっていた。無哭と魔術師が、セレス支部で受けた依頼を、セレフィーネ支部で報告する、だからよろしくという旨の、その通達。


それを、見た。


「……なぁ、これ見ろよ」

「ん?」


そろりとその職員が、隣の書記官に書面を渡す。手元が、わずかに震える。




■ 調査依頼報告:郊外村跡・旧壁画保全調査の件

経路中の滞在予定都市セレフィーネ宛てに報告を転送いたします。


調査協力者:

・護衛冒険者 ガルド・ヴェルグリム《無哭のガルド》

・支援魔術師 ルシアン


両名ともに極めて信頼性が高く、今後の依頼候補者として有望です。


※追伸:

ガルド氏への依頼をご検討の際は、同行の魔術師・ルシアン氏へのアプローチを推奨いたします。

本人に交渉の意図がなくとも、美しい景観・歴史・象徴性・不可思議な現象など情緒的な要素に反応し、説得材料となり得ます。

なお、前例として《星花の盆地》案件においても、同様の流れで協力が得られました。

本通達は極秘ではありませんが、判断は各支部の裁量にお任せいたします。




時が止まる。

本題ではない、あくまで追伸とされる情報。

目を通した書記官が、止まっていた呼吸を大きく吸った。


「……こ、れは……!けど、なんだこの……”美しい景観・歴史……じょ、情緒的な要素に反応”ってのは……!」


どやどやと、職員たちが顔を突き合わせてその通達を覗き込んだ。

皆一様に時を止め、戸惑いが伝播していく。


「そんな話あるか……!人命より景観だと!?」

「で、ですが星花の盆地……少年が救助された事件です!あれもルシアンさんの一存で……?」

「……な、何かないか!魔術師の情緒に問いかけるような……!」

「月……いや、景色……う、海のど真ん中だぞ!んなもんあるか!」

「す……水紋!!被害にあった船は、航海中、船上空に水紋が浮かんだと報告が!」


女性職員が叫び、全員がぴたりと息をつめた。じわりと汗が滲み上がる。――もう、それしかない。


「明日の朝までに資料をまとめます!水紋についての聴き取りももう一度!」

「いいか、懇願はするな!礼も報酬も話題に出すな!」

「う、美しいものを探している旅人に、何故無哭がくっついてるんだ……!」

「……情緒で落とせってか……あの無哭ごと!?」


職員たちの間に、重くも妙な熱気が広がる。全員、うっすらと顔が強張っていた。

……“美しい”という言葉を、討伐依頼の交渉に使うことになるとは、と。


「最終確認だ、認識をすり合わせるぞ」


上級書記官の声に、全員の視線が集中した。各々が、頷く。


「……いいか、魔術師は、美しい景色で動く」


「魔術師が動けば、無哭も動く」


「つまり、魔術師に“美しい”って言わせれば、勝ちだ」


冷静なようで、どこかでおかしいその理屈に、誰かが吹き出してもおかしくなかったが、誰も笑えなかった。

笑えば、明日の海で誰かが死ぬかもしれない。それが、彼らの現実だった。


「嘘は書くな、比喩にも走るなよ、詩人じゃねぇんだからな!」

「視覚的、直感的に“美しい”と思わせろ!理屈はいらん!」

「交渉は一番接点の多い職員がいいかもしれません!」

「誰よそれ……受付くらいしかいないじゃない」


ガタガタと資料棚が揺れるほどの慌ただしさ。

何枚もの地図、記録、潮の動き、水紋の模写が並べられていく。


「……どうしてこうなる……どうして俺たちは、情緒に賭けて討伐の流れを作っているんだ……」


ペンを手に、書記官のひとりが机に突っ伏した。誰も答えない。だが誰も止まらない。

夜のギルドは、まだ明かりを落とさなかった。――情緒と、水紋と、美しさに、縋るように。




そして、そんな水面下の戦いを知る由もなく……ルシアンとガルドの眼前には、朝焼けが広がっていた。

船乗りの一人が、朝日とともに造船所へ戻ってくる。


「よう、護衛ありがとよ!異常なかったかね!」

「……ああ」


ぶっきらぼうにガルドが答えると、船乗りはにこやかに笑って、ルシアンが差し出した報告書にサインをした。


「またなんかあったらよろしく頼むぜ!」

「ええ、こちらこそ。……そうだ、よろしいでしょうか」


サインを確認して柔和に微笑んでいたルシアンが、ふと、船乗りに正面から向き合った。

その微笑を直で受けた船乗りが、さすがに狼狽する。


「お、おう……」

「航海中、座礁したとおっしゃってましたが、他に何かありませんでしたか?」

「他に……?……ああ、なんか、へんな模様が浮かんだなぁ。こう、船の上によ」

「船の上に?」

「ああ……街に来るにつれて消えてったから、すっかり忘れてた」


もう一度、ルシアンの視線が船底に向いた。じ、とわずかな間だけ、眼差しがそこに留まるが、……すぐに船乗りに向き直る。


「それは不思議ですね。航海の安全を祈りましょう」

「わっはっは、ありがとうよ!」


軽く会釈をして、ルシアンとガルドは宿へ向けて歩き出した。

朝の船着き場は、人のざわめきが少しずつ増えていく。夜の静けさは、もうどこにもない。


「何もないのも疲れたね、ガルド。昼まで仮眠を取ろう」

「……だな」


短く応じて、ガルドも歩調を合わせた。夜を越えたばかりの港は、潮の匂いを深く残している。

ルシアンの言葉どおり、“何もない”夜だった。だが、何もないからこそ、気を張る。

風の音、水の軋み、人の気配、月の動き――全てに異常がないことを、確かめ続ける。それが、護衛という仕事だった。


「……模様、なんかあったか」


あくび混じりの問いかけに返答はなく、ルシアンは小さく肩をすくめ、前を向いたままだった。

その背を見て、ガルドもそれ以上は追及しない。


街の輪郭が、朝日に染まる。


静かに伸びた影の中、ふたりの足音だけが、宿への道を刻んでいた。






――【情緒に縋って】

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